2026/09/25

【クライミング心理学】九州クライミング界の集団催眠のこと

だんだん体も元に戻ってきた。

21日には、MTBのライド会で、昨日はラクロール海連にいたのですが、九州の人の「体力おばけ」への憧れについて、気が付きました。

■九州スポーツ界の集団催眠のこと

私はロッククライミングの聖地、山梨県でクライマーとしては、スタートし、さてアルパインはひと段落したのでこれからフリークライミングを頑張ろうかなってところで、福岡に来たのですが、なんか、おかしな思想が九州クライミング界にはびこっているので驚きました。

40年前、50年前の思想が残っていて、アップデートされていませんでした。


端的に「制動確保」&「ランナウト」の信仰が根強く、それをそのまま信じた若い人が次々と「重大事故」になっており、それを指導層は「自己責任」で片づけている。

え?!私はそんな風には教わりませんでしたけど?

■九州人は自覚できない

不思議なのが、それが九州人は自覚できないみたいだったこと。

お前が間違っている!という強い圧を私は受けました(ガスライティング)。

しかし、間違っていると言われたって、私が指導を受けたのは、長野県の山岳総合センターであり、労山登山学校校長先生の青ちゃんであり、故・吉田和正であり…なんか指導者レベルが違いすぎます。周囲にいたクライマー集団も、ピオレドール受賞者のギリギリボーイズの皆様だったし…。

さらに不思議だったのは、私同様に山梨のクライミングも経験している人でも九州に戻れば、それを受け入れてしまうこと、です。山梨では危険なクライマー扱いされていたアラーキーは優等生扱いでした。

え?!です。

一種の集団催眠みたいになっています。

■水泳も、競泳一点ばりの集団催眠状態

九州は大変なスイミング王国で、世界水泳もあるし、子供の水泳が非常に盛んです。

ところが、これも、スポコン。競争を旨とする、まるで信仰になっています。

普通に、水泳原理を考えたら、競泳の原理って、水の原理に逆らっているところがたくさんあります。

なぜなら、筋トレにするなら、抵抗が大きい方がいいからです。

それが効率よく泳ぐための泳法ではない、というのは、わたしのように数年しかやっていなくても気が付きますけど、なぜか何十年もやっている人は、全然気がつかない。


■マウンテンバイク

どうもマウンテンバイクも同じようでした。大会出場者の人たちは、修行のようになっているそうで、自然を楽しむとか、地図を読むとかの、知的要素が削り取られ、マラソンのようにひたすら、自分を追い込む活動に変容していると、主催者の人が言っていました。

私はそうでない集まりに入っている(谷口ケイさんも参加していたグループ)ので、「そういう文化土壌なんですよ」って世間話したという意味です。

しかし、このグループではない人たちは、そうやってMTBの大会に勝つ、が目標になっているそうです。いやはや。

マウンテンバイクもこちらでは、本州と比べると不利な活動です。

登山道の取り合いで、登山者との競争になったのだそうです。なんかありそう。
分け合って楽しむってできない体質っぽいです。


■マラソン王国

一方、大濠公園を走っている人口は多く、なんか自分をいじめるのが大好きっぽいです。

以前聞いた話だと、ゆっくり走るグループと、修行するグループの軋轢もすごいそうでした。マラソンへの姿勢をめぐって、ものすごく対立しているのだそうです。

最近お友達になった人が、仮装して福岡マラソンを楽しく走っているのを見ると、ずいぶん違います。

どうも私は少数民族とどこにいても引き合うようです。

この自虐が文化である点や、そうでない人との対立構造は、全国的なロッククライミングの文化圏も同じです。

若いクライマーは、エンクラ(エンジョイクライミングの略)と言って、市民クライミングを楽しむ人たちをバカにしている人が多いですが、「修行こそ善」みたいなのは、どこから来たんだろうかなぁ。そんなことをしても、すぐに指がダメになり、登れなくなるのに。

海外ではそんな対立は起こらず、老若男女、協力して、楽しく登っています。

■体力おばけ??

そこでよく聞こえてくるのが…「体力おばけ」と言う言葉。

他を圧倒する体力、他を圧倒する実力、への憧れが根強い。
根底には、承認欲求があるのでしょうか?
それとも、他を圧倒したい!という気持ちがあるのでしょうか?

でも、私もプールで延々と泳いでいるので、見る人によっては、体力お化けに見えているかもしれませんが、実際は体力お化けなのではなく、水泳の原理原則に忠実に練習しただけですけどね。ずるいって言われても困るわ。

原理原則に忠実だと体力が要らなくなるので、運動にならないなぁ…と最近は感じています。

■「努力している姿」「苦難に耐えている状態」「圧倒的な体力」を満たして初めて周囲から認められる、あるいは自分自身の価値を感じられるという認知の歪み

これにより、合理性よりも「どれだけ苦労したか」が自己肯定感のよりどころになりやすくなります。

■同調圧力の受容=安心感

独自の合理的な判断軸を持つことよりも、地域やコミュニティで共有されている古い規範(スポコンや精神論)に従うことで、仲間外れになる恐怖や孤立感を回避しようとする心理が働きます。

客観的な検討を行わずに受け入れる背景には、異端視されることへの防衛反応があります。

■身体的疲弊を通じた万能感の追求=おしん

限界を超えた運動量や「体力おばけ」への憧れは、過酷な環境を耐え抜くことで一時的な全能感や優越感を得る手段として機能することがあります。

自分の脆弱性や限界を直視することを避け、耐え忍ぶことで強さを誇示する構造です。

つまり、まだ「おしん」をやっているってこと。


「過酷さに耐え抜くことでしか、承認や居場所を得られない」
という環境的圧力の中で形成された適応行動


として捉えることができますが、これってとっくに時代遅れですよね?
そもそも過酷ではない(笑)

そもそも、クライミング環境(=登山環境)で言えば、九州って全然過酷ではない(笑)。
それどころか、ぬるま湯です。なんせ高い標高もシビアな気候もないんです。
車で岩場に横付けできるのが九州の強み。

なんだったら、それを強みとして受け入れたほうが(笑)。

過酷でないところで、過酷さに耐え抜くことで承認を得ようとするから、ランナウトしないといけなくなるのかもですねぇ…。

そして、しないで指摘する人には、「自己責任ハラスメント」を行う。

それが、九州の同調圧力、であるということみたいです。