■ 慢はHumanのマン
今日の仏教説話。人間というのは、どう転じても、
自分をすごいと錯覚
したい存在なのだそうです。とすると、クライミングは、さしづめ
即席慢
ですね(笑)。
誰でも、登れると、”おお~、すげー”と思います。
比較的簡単に、感動が作れる(笑)。
■ 日本人は自信がない人が多い
日本では、自信がない人、が多いと私は感じているので、それで、みんなを励ます?自信を持たせる手段として、クライミングはいいな~と思ったりしました。
クライミングは新しいスポーツで、まだまだ世間に誤解が多く、比較的簡単なことが難しいと誤解されているので、俺には無理って思う、ひょろ系男子が、細マッチョで自信があふれる男性に大変貌を遂げる可能性があります(笑)。
ま、そのような体験で作る自信というのは、幻想、とも言えますが、幻想でスタートしても、実際コツコツとした努力を積み上げることへのスターター、起爆剤としては有効です。知恵の領域の小技ですね。
一方、え~?!人間ってこんなところにも登れるんだ~!という初期段階の感動期を脱して、フリークライミングの領域に来ると… 慢ではなくて、
自分の至らなさに気づかされていく活動、
と言うことになります。そこでみんなが陥っている泥沼が、競争、です。
クライミングは、どんなに上手でも、さらにその上があるのが自然界ですので…
他者と比べる心を捨て、自分との対話へ至る道
です。自然界に対して謙虚な気持ちへ転換していくだろうと思います。
よくヨガで言われますが、柔軟性の競争ではないんですよ…。柔軟性の競争だったらタコが一番優秀です。クライミングなら、それこそ、リスとかのほうがうんと上手に登るわけでしょう…
登れる人間が上、というのは、クライミングの外だけでなく、中でも、まったくあてはまりません。
慢に陥っている人は、とても失礼だったりもするので、そこから理解することができます。
周囲の人はリスペクトから、持ち上げてくれるでしょうが、それに動じないでいましょう。
運よく登れる人がもつべき態度は、集合的叡智からの使い手、という立場です。