私は積雪期アルパインの初級ルートである阿弥陀北稜は、単独で行った。正月第一週目の日曜はピーカンになることが多い…という数年にわたる観察からの経験則もあってのことだった。
阿弥陀北稜のことを言うと、「もう連れて行ってもらいました」とシラケ顔で言ってくる人が多い。この言葉は、”そんな簡単なところ、もう興味ない”という意味だが…。こういうことを言ってくる人は、まったく山が分かっていない。
第一に、山は連れて行ってもらっても、何も分かったことにならない。阿弥陀北稜にセカンドで行くのは、何も難しいことがない。しかし、単独で全く初めてで行く…オンサイトするのは、そこへ到達するまでのプロセス…天候判断、山域の把握から、ロープワークの習得、雪崩、未知迷いリスク認知…を始め、判断も、リスク管理も、そもそも自分がそこを登るのに適しているのか?も含め、多くの山の見識が必要になる。それが連れて行ってもらうと分からない。通常は、12のスキルで10の山に登るものだが、単独だと12のスキルでやっと8の山に登れる。連れて行ってもらったら、4のスキルで12の山が登れる。それくらい差がある。
第二に、これは今、分かったことだが…先輩なり、師匠なりが、阿弥陀北稜に連れて行ってくれたとすると、そこが彼なり彼女なりの最高到達点の山だということだ、ということだ。
連れて行ってくれる人の最高到達度が阿弥陀北稜程度だとすると、それはその連れて行ってくれた人が、かなり衰えているか、初級止まりだってことです。
なので、”昨今の山岳会はあまりに衰えているので、アルパインをハイキングスタートで38歳から独学した人が43歳で単独で登れるような阿弥陀北稜しか連れて行けない”、というのが適切な表現なのかもしれない。
連れて行ってくれる人の最高到達度が阿弥陀北稜程度だとすると、それはその連れて行ってくれた人が、かなり衰えているか、初級止まりだってことです。
なので、”昨今の山岳会はあまりに衰えているので、アルパインをハイキングスタートで38歳から独学した人が43歳で単独で登れるような阿弥陀北稜しか連れて行けない”、というのが適切な表現なのかもしれない。
私の師匠の青ちゃんは、阿弥陀北稜程度の山は、セカンドで後ろを歩くだけでもついてきてくれない。理由はそんなことをしたら、私の山の感動を奪うだけでなく、後々”どうせ連れて行ってもらったんでしょ”というそしりを100%跳ねのけることができなくなるからだ。
代わりに私を連れて行ったのは、ミックスの昇天。これはミックスルートとしては初級だが、ミックスまでやる山ヤはそうはいない。私は本当は、中山尾根程度にセカンドで行くのが相当だったのに、それより上の昇天になってしまった。つまり、これが師匠が私を連れて行ってくれることができる最高レベルの山だからだ。
だから、「阿弥陀北稜、連れて行ってもらいました(そんな簡単なところ、私、もう興味ないわよ)」と言う人は、色々な点で、色々と分かっていない。
”分かっていない…ということが分かっていない”から、その発言になる。ということが分かる。
師匠も先輩も、すごく喜んでくれたんだよな。阿弥陀北稜ソロ。