2020/06/12

人の期待を生きそうになったので立ち止まったクライミング

■人の期待を生きそうになったので立ち止まったクライミング

クライミングですが、私は栄養成長時代は、終わって、生殖成長時代です。

クライミングっていうのは、5.10が登れたら、5.11、5.11が登れたら12とキリがない活動です。

大人は、子どもと違って上に上にと行かなくてもよく、活動そのものを楽しむことを主眼とした方がいい訳なので、どこで”上を目指す”を辞めてもいいわけです(栄養成長を辞めてもいい)。

一般的に男性は、5.11登れたら、まぁ良し、と周囲の承認的にも、自分自身も納得して、上を目指そうというよりは、開拓へ向かったり、ブログへ向かったり、後進の育成に向かったりします。つまり、生殖成長的フェーズに入ります。

ハンデの無い男性で一般的な体力の人が、5.11なら、私くしめならば、5.10で十分ですね。1グレード下です。

私の場合は、中級者への入り口、ボルダリング5級くらいで、まぁいいかなと。続けては行きたいですが、根詰めて成長?したくない。得るものより失うものが多いからです。

理由は、これ以上、登攀力があっても、リスク低減にならないから。5.11にチャレンジするリスクを低減したかったら、登攀力としては12まで必要で、それはフィジカルの改善を含むため、10年以上かかる。すぐには到達しないでしょう。

というので、”めざせ!11”は、他の人の夢で私の夢でない。

また、”ほかの人の夢”、”ほかの人の期待”を生きそうになったなー、くわばらくわばら。

■ 親切があだに

皆さん、親切なので、日本では相手を伸ばしてあげようという場合、第一の行為が、頑張れとしか言わない習慣があるのですが、頑張るが目的でない人もいます。

私は別に頑張りたいわけではなく、楽しみたいわけです。

というので、良かった。期待を生きる羽目にまたならなくて。

私のやりたいことが見えにくいと言われますが、ちゃんと見えるようにしました。インスボンでも、易しいルートをリードしたいと言いましたし、岸良も易しいクラックを登りためたいと希望は明らかなので、それを受け入れたくないのは私の側ではない。

■ 期待

登山でも同じことが起きて、他の人の都合による期待を生きる羽目になりそうになった。

具体的にはガイドになること。
つまり、
登山=ガイドになる
クライミング=11クライマーになる
というのは、私の願いではなく、別の人の…つまり世間…の夢と期待です。
ので、私のイヤイヤは合っていて、現在、幸福です。
いや~つらかったなー。分かってもらおうと努力したんですが、日本の指導者は共感力、低すぎて分かってくれない。もうこれ以上なく明確に言葉で示しても、自分がしたいこと優先で後進には合わせてくれない。

■ リードクライミングにおけるリスクは身長で違う

リードクライミングにおけるリスクは、身長別に違います。
入門課題と言われる5.9で、背が低く、核心前にロープによる確保ができない初心者が安全に登るためには、10代を登れる技術が必要です。つまりフリーソロ状態と同じになります。その技術力で、克服しました。

が、ボルトが遠いという状況は、12まで続くのが日本の岩場の実態なので、5.11の課題でも適正ボルト間隔ではないとすると? 11で落ちないでオンサイトし続けるには、ということになりますが、5.12を登れる技術力で、5.11に取り付かねばならないという意味です。

私の技術力向上の安全マージンをもってしても、克服不可能と思えます。つまり、この調子で5.11の課題に取り付けば、必ず事故とかになります。

ので、イヤイヤ期に入っていましたが、そりゃそうだわな。

これは、背が高かったり、握力が17kgだったりしない、ほかの男性クライマーには理解不可能。ただのヘタレ扱いされます。

ヘタレ扱い=マタイ効果。100害あって一利なし。

ので、そういう時は、場を変える、関係ないところに行くのが良いです。
余談ですが、弱点が分からない人=今まであんまり努力していないで、なんとなく今の実力になった、ということかもしれません…