今回のトリップで、一番感動したのは、サーファー加藤さんの家。
彼は、Wwoofingをしながら、理想の居住地を求め、日南に落ち着いたそうだ。薪風呂暮らし。
水上村の人によれば、薪生活は、長野より、九州の方が楽だそうだ。長野だと同じライフスタイルを求める人が多すぎるということなのだろう…。
長野などでスタートした人たちが押し出されて、九州に流れて来ているみたいだ。
五右衛門風呂の様子
今回のトリップで、一番感動したのは、サーファー加藤さんの家。
彼は、Wwoofingをしながら、理想の居住地を求め、日南に落ち着いたそうだ。薪風呂暮らし。
水上村の人によれば、薪生活は、長野より、九州の方が楽だそうだ。長野だと同じライフスタイルを求める人が多すぎるということなのだろう…。
長野などでスタートした人たちが押し出されて、九州に流れて来ているみたいだ。
最近知った、東京チェンソーズ。
ウエアが メット+チャップス。大事なのはチェップスが北欧風ということなのではないのかなぁ…。
私が思うには、男子の動機の8割は、かっこいい!である。
3Kと言われる山仕事に人気がなくなったのは、たぶん、かっこよくない、と指定されてしまったからなのではないだろうか…?ふと思っただけなんだが…。
東京チェンソーズを支えるのは、東京美林倶楽部のようだ。
■ 男性の動機
男性、というより、男子、だろうなぁ…。
1)かわいい女性がいる
2)カッコイイ
これだけで、9割5分を占め、危険だからやりたくない、給料が安いから嫌だ、などというのは、後付けのとってつけたいい訳なんではないのかなぁ…。
本音は、
・頑張っても女子の注目を集めることがないから、やだ。
・かっこいくないとヤダ
の2点に集約されるのでは…?
だって、アルパインクライミング、超危険ですよねぇ。昔はみんな男のロマンでやっていたわけですが、年を取ると、やらなくなる。理由を聞くと?
「寒いのはやだ」
と言われて目が点に。だって、30年前は温暖化した今よりもっと寒かったでしょうに…
そもそもやっていることが好き
というのは大事なことだと思います。
東京チェンソーズは、プロモーションの方法がとても参考になると思ったのでした。
男性はかっこよくないと動かないんですよ!!!
美々津に行って、津波注意の掲示板を見て、サーフィンと生きるということは、津波のリスクとともに生きることだと理解した半面、下阿蘇ビーチは11月でも冬シュラフが暑いくらいで、車が引っ越し荷物で満タンなので、車中泊ではなくPキャンに変更したんだが、それでも超快適だった。
朝に散策したら、波が砂浜を削って、プチシークリフを作っており、なるほど、こうしてシークリフは形成されるのか‥と思った。
城ケ崎、大堂海岸、台湾の龍洞、それくらいしかシークリフのクライミングは知らないが…石灰岩が山の中のクライミングであることに対して、シークリフは海のクライミングだ。
アルパインをやっていたら、山には行くけど、海にはいかない…ので、初めて城ケ崎に行くことになった時は、「なんで山をやっていて海にいくことになったのかなぁ?」と不思議な気がしたものだった…
自然農をやるつもりで木こりになった、みたいな感じかなぁ…
雪が好きな人は、スキーをやればとよく言われるけど、スキーにまで手を出したらギア代が半端ないよなぁと思って遠慮していた。山梨は雪国ではない。雪ではない乾燥した寒さのあるところ。雪があるところは湿度が高いところで、アトピー体質の私にはあまり快適そうではない…湿度が低いところが好き。
フォッサマグナ→ 皆伐は森林崩壊 → 下界は砂防林がある → シークリフクライミングの可能性あり
という理解が進んだ。岸良海岸も同じような成り立ちなのだろう…
どこの田舎に住むにしても、農業のスキルと伐倒スキルはベーシックスキルセットだろう。
■ 体が小さい不利をどう乗り越えるか?
私は体が小さい。体重は50kg行かないし、身長は152cmしかない。”昔”の日本人サイズ。
ボディサイズが小さいということは、出せる馬力、つまり、エンジンサイズも小さいってことだ。
その1)担げる歩荷サイズも小さい。(相方が歩けなくなっても背負い搬送できない)
その2)当然だが、手が届く範囲(クライミングでは、”リーチ”という)も狭い。
勢い、男性が背負うと普通に見える50リットルのザックを背負うと、小学1年生がランドセル背負ったみたいな状態になってしまう。この写真、分かります?でかく見えるけど、実は50リットル。男性は100リットルを担いでこのサイズ感です…。
林業では?
チェーンソーが不必要にデカでかく見える。
お嬢ちゃん、子どもの遊びじゃねーんだよ~な雰囲気になってしまう…(まぁ、もうお嬢ちゃんって年齢でもないが)
ので、もうほんと、自信がないって言うか、
体格的に適性に問題あり、
と理性が言ってくる、伐倒…。しかし、自伐型林業を行うに際し、伐倒ができない、っていうのは、ありえないからなぁ…。
しかし、伐倒をマスターする、”易から難へのプロセス”、が、なかなか見えてこないんだよなぁ。
■ 祝・一本目
■ 自伐型林業・就業者支援講習
私は、大阪OL時代から、森林の保全活動には興味があり、間伐ボランティアなどに良く行っていました。山梨へ転勤になった際も、初めて出かけた山は、芦安ファンクラブ主催の南アルプスの登山道整備ボランティアです。(こちらが当時の様子)
今回は、自伐型林業の講習に出ています。
■ 女性でもできる林業のバイト
偶然ですが、外ボルダーで全国的に有名な日之影町の方が、チェーンソーの講習の先生でした。工藤建樹先生です。(日之影トポ http://hinokageboulder.com/)
福岡から延岡まで通うのは遠すぎて、お財布ピンチよ!と訴えたせいか?先生、助け舟を出してくれました(笑)。
そんな事情だったら、
女性でもできる林業のバイトを紹介してあげるよ!
ということで、出かけてきました。
■ 山は複数 の鉄則
講習会の仲間と3人で参加。どうも林業の世界では、
”スリーマンセル”(Three man cell)
と言うらしいですね。安全対策のために3人一組で行動しましょう、ということ。
クライミングも、一人でもできるけど、怪我をしたときに救援が…というので、仲間と行動するよう、指導を受けます。まぁ、聞かない人も多いですけど、単独だとリスク行動取れない(笑)。リスクを取るのが楽しいのですから、リスクが取れないと、つまり、楽しくないかもしれない(笑)。
なにせ、足をねん挫しただけで、”這って帰った”とか、良く先輩から聞かされます。昨今、若い人は、山岳会に行かないので、こんな話を聞かされていないのかもしれませんが…。
余談ですが、私がいた御坂山岳会では、事故ゼロ&ヘリ出動ゼロを誇っていました。が、よく考えたら、這って帰っているだけ、だったのかもです(笑)。会の宴会で聞かされることと言えば、ピンチをどう乗り越えたか?って話ばかりだからなぁ。
”山は自己責任”
と言われますが、山を甘く見て、自己責任を取る羽目になったらどうなるか? そんな話が聞けるのが山ヤの宴会(笑)。あ、でも、死んじゃったら、這っても帰れないよなぁ(笑)。
■ ステキなロケーション!一面のススキ野原
さて肝心のバイトですが、
こーんなステキなロケーション! 気分の良い野っぱら
で、初アルバイト!
佐藤さんとおっしゃる方の下請けでした。佐藤さんは、60代(と思う…多分)の山のベテラン。
道具持っていない!と訴えたら、ちょいちょいと山の小灌木を刈払機できって、さすまた(猪八戒が持っているやつ)を作ってくれました!なんてワイルド!びっくり~!
いつも田んぼの電柵下の草刈りで使っている刈払機が、丸ノコみたいで驚いた!
「”あさり”をつけるんだよ」
と教えてくださりました。これがその”あさり”とあさりをつける道具。
これだったんだなぁ。
森が本当に、ひとつひとつ手作りで作られていること
に感動しました。黙々、粛々と作業できる、瞑想チックなバイトでした。
帰りは、心地よい疲れを感じ、日之影温泉に入って帰りました。外ボルダーの筋肉痛とは、全然、違うな。全身で運動したなって感じでした。まぁ、やっていることが、大きな箒で掃く、みたいな動作だからですね。
お天気が良い日で癒されました☆
工藤先生、佐藤さん、お世話になりました!
今朝、やっと正見が開けた。
仏教説話をしてくれている、おかもん先生に感謝している。毎朝、旅行中以外は欠かさず、仏教説話を聞いている。その講師のおかもん先生にはとても感謝している。
不思議なことに今日は執着の話を聴いていて、突然、正見が開けた。
■これまでの経緯
私は、一般登山が嵩じ、アルパインクライミングをスタートしたのだが、そこから、何かがおかしくなり始めた…。おそらく、それは、顔の見えない大衆や夫からの嫉妬、だと思う。今、振り返って、そう思う。
山を知る喜びや発見をつづった文章が、むしろ、人々の”嫉妬”や”人を引きずり下ろしたい気持ち”などの、ネガティブな感情を刺激していたらしい…と今は分かる。しかし、当時は、私は、自分の立場を恵まれた立場というよりは、”被災民”のように感じていたので、その嫉妬に面食らうばかりだった。
こう何度も、自分の都合でも意志でもない転勤で、ころころと転地していては、まともな仕事にありつくこと自体がそももそ不可能であり、やりがいや生きがいをほかのこと…つまり、趣味に見出さずにはおれない、というだけのことだったからだ。趣味にだって仕事並みに全力投入すれば、誰だって私くらいの成果は出せるだろう…いや、もっとすごい成果が出せて当然だろう。
私は生い立ちがアダルトチルドレンで200%の人だ。つまり、出来ていることも、出来ていないと感じる、どこまでも、自分にOKが出せないというのが基盤にあるということなんだが、長い社会人生活でそれを克服してきた。
ところが、その面がクライミングでは足元を見られるようになった…。例えば、車。車がないクライマーがクライミングできないのは、当然の事なんだが、そうはこちらでは受け取られていないようだ。あるいはギア。カムを持っていないアルパインクライマーなんてルートに行くことすらできないのが普通だが、それもなし。カムどころか、ロープすら人のだったりする。ギア不足で当然というのは、自立したクライミングではない。ビレイスキルがない、も同じだ。
私にとってはあって当然、できて当然のことが、他のクライマーには、出来ないということになっている。
200%の人は、50%の人のターゲットにされる。ので、なかなか釣り合う人がいない。有料で教わったことを無料で教える羽目になっている。
結果、自分自身の喜びを山で追及できなくなった。自分のことが後回しになるということだ。
これはおかしいということで、色々なところに救いを求めたが、ギーターの勉強したり、心理学を勉強したり、チベット僧のターパさん、サンフランシスコのマイケル牧師、人生のメンターが必要なのか?と思って、古い友人との交流を再開したり…長い間、模索が続いた。
模索する中で出会ったのが、おかもん仏教説話だ。仏教にも、学生時代から何度かはチャレンジしていて、やっぱり違うなぁ…と過去になった経験があり、あまり期待しないで聴いていたが、おかもん先生の仏教は、ターパさんと同じで、ブッダが言ったこと、また法(ものごとの理)だけを立脚点にしているので、変な宗教的色付けがない。それが気に入った理由だ。私が子供のころから信じてきた、善、と最も近い。お葬式に大枚はたくのが仏教だと思っていたら間違いですぞ。
仏教なら誰でもいいのか?というと違い、大愚和尚のYouTubeを見てみたが、それも違う。
ので、おかもん先生にはとても感謝している。
おかもん先生に教えてもらって開けた知恵は、
クライミング仲間が、ガリガリ亡者連中だ
ということ。自分の登りたいところを落とすためなら、パートナーが危険にさらされても良い、それは相手の責任だ、という歪んだ自己責任論で犯されている。そこには自分さえよければよいがあり、仲間意識はない。仲間意識がないということは、分かち合いの意識もない。そんなところでやっていきたいとは思えない。
というので、最近やっとスッキリ…。クライミングの業(ごう)は深かった…。
私は、すっかり手放す気満々で福岡に来たのに…色々な人に誘われて、全然手放せなかった…
私はクライミング歴が浅いクライマーで相互監視の中で登りたかった…だから、仲間が欲しいという気持ちが執着として残り、クライミングはとっくに賞味期限が切れた趣味だったのに、手放すことができなかったのだろう。
クライミングは危険な行為なので、仲間同士で助け合い、相互監視する間柄が必要だと、九州クライマーは思っていない。どちらかというと、どっちのほうが命知らずか?競合しあっている。そんな関係性で登って行けば、早晩、命が無くなる。
ただでも危険なことをしているのがクライミングなのだが、それをより危なくなるように、わざわざランナウトさせているのが九州のクライミングルートの形だからだ。まぁ、これは小川山もヨセミテ流を継承しているから、同じなんだが。
したいと思っていないリードも無理強いされて不愉快だった。
というのが、明らかに見れるようになるのに、業が深すぎて、4年かかった…(汗)。
アイスでワンシーズン35回、登りまくって楽しく成長したのがたったの1年の事で、その35回のクライミングで作った業を燃やしつくすのに、4年もかかったのでは割に合わないなぁ(笑)。
おかもん先生に大感謝だ。
■ 僻地
九州に来た当初から、九州では山やクライミングをやらないで、他のことに取り組みたいと思っていたんだよなぁ…。何しろ、登山業界として見ると、九州には特に見るべき山はないんだし。
日本登山大系という立派なシリーズがあるが、穂高は山ひとつで一冊なのに、関西以西は四国、中国、九州をまとめて一冊程度の話にまとめられている。そんな状況を知っていたから、最初から気分は盛り下がっていたのに、なぜか、次々とクライミングでやっておくことが出来てしまい、ずるずると断ち切れずにいた…。
それは、やはり、私が山が好き、という執着があるから、だろう。
高度な登山をする以前から、森林ボランティアで間伐に行ったり、山梨でも山一発目は登山道の整備活動だったり、だからなぁ…。
山が好き、自然が好きという執着が、こんな形でしか昇華させられないとは… まさに、”私の不徳の致すところ”という感じだなぁ…。
もしかして、BMCトラッドフェスに行っておけばよかったのだろうか?いや、そんなことをしたら、嫉妬の炎はより強く燃え盛っていただろう…。つまり、もっと悪口を言われていただろう…
というので、人の目を気にして生きている、ということも分かった次第…。スティーブには悪いことをしたなぁ…。せっかく誘ってくれたのに。
このような悪いチョイスをしてしまう業は、私の”禁止令”にあると思うが…。うしろめたさということを感じているのは、それだけの努力をしたという気持ちがないからかもしれない。
たしかにクライミングも別に頑張ったわけではなく、能力を100%出し切ったわけではない。ただ、山のご縁がつながって、どんどんと広がっただけだ…。山梨でいただいたご縁はすごかったよなぁ。まぁ、半分は下心で支えられていたような気がするが。
九州で担っている役割は、私よりも能力があり、適任の人が担うべき責任だという気持ちがどこかにあるよなぁ…例えば、九州クライマー連絡会とか。
私の実力そのままの山で言えば、甲斐駒積雪期単独、阿弥陀北稜積雪期初見で単独、そんな感じかな。明神主稜も自分の山だ。フリーはまだ初級で足踏みだし、この怪我でさらに後退中だ。まぁ、だからと言って惜しいと思っていない。そこまで私に喜びをもたらさないからだ。
ドライの練習はしたいんだが、岩根まで行っても練習するのは相手の問題でできなかったからなぁ…。
とりあえずやれることはやっている感、あります。
1)はじめての四阿屋でランナウトによるグランドフォールを目撃
2)やってはいけないビレイと最初に教わる支点ビレイを目撃
3)座ってビレイされる
4)分かっていないロープワーク講習会を目撃(自己脱出の支点にレボルバー)
5)見たことがなく、どう使っていいのか悩む支点類
6)カットアンカーが20年以上前のレギュラーで現代ではグージョンであることを知る
7)マルチで2名のリードクライマーを一名のビレイヤーがビレイしていることを知る
8)壁から離れたバッツンビレイをされているかわいそうな子供を目撃
9)背の低いクライマーに向かってエイドで鍛えるという発言から分かっていなさそうなことを推測
10)せっかくの市販の終了点であっても、ボルト位置が近すぎる(八面)
11)せっかくの整備であっても、ボルトラダーの置き換えで1m置きにボルトで分かっていなさそうだということが推測される
12)会に属していて3年経ってもなんの理解も進行していない人を目撃する その会では教えていないことが推測できる
チェーンソーが使えるようになりました。
・安全服 チャップス義務化
・メット、バイザー、ホイッスル、イヤマフ
・防振手袋、安全靴(つま先鉄板入り)
開拓クライマーも防振手袋と目の保護くらいはしても良いような気がしますね。
あと、かかり木の処理は、メカニカルシステムと同じです。いきなり玉伐りしているような気がするなぁ。
やはり、きちんと学ぶと、素人さんレベルがいかに危険なことをしているのか…と思います。
以前、ピオレドール賞を受賞した伊藤さんとお話しする機会があった時、毎回、死の覚悟が必要な山はできないと私が言うと、
「でも、よほど素人さんたちのほうが危険なことをしているよね」
という答えだった。本当に九州に来てその通りだと思う。
あまりにも当たり前のことなので、誰でもそうしていると思ったら違うようでした…
カムやアイスアックス、その他、ギアの貸し借りは、自立したクライマーはほとんどしません。コンペに出るのに、ほんのちょっとの間、アイスフックがいるとか、試しに振ってみたいとか、そんな話があるときは、借りたり使ったりしますが、最初からカムを買いそろえる気がないままに、クラックの岩場に行くとか、自分の本気トライで、人のロープで登るとか、ありえませんよ。何しろ、リスクのコントロールを楽しむのがクライミングなので、人の土俵で相撲を取るようなことになります。
印象的だったのは、私が初心者時代に確保器を落とした時、先輩が残念そうに
「落としちゃったら、内部に見えない亀裂が入るから、もう使えないね」
と残念そうに言ったことです。それくらい、ギアの性能には気を遣うのが通常です。
■ 山梨県北杜市の若者クライマー
は、みんなクライミングのために移住してきた人たちで、私のように、たまたま山梨に来て、なら登ろっか…みたいな人はいない。
クライミングのために移住してきているシリアスクライマー達だ。
しかし、かわいそうなことに、仕事がないので、結局、生活のためにクライミングできなくなってしまっている…。コンビニバイトとか、ナナーズで働くとかでは、月収13万円でやっとこさ暮らせるレベル感になってしまうからだ。
気の毒で見ていられないが、来たのは本人の意思だからなぁ…
■ 地元は無知
山梨でも、地元は、クライミング?なにそれ?美味しいの?レベルだった…。
桃とか葡萄とか有名すぎて、クライミングとかどうでもいいレベル…つまり、桃やブドウが廃れて、流行がクライミングに来ているということが業界外だから分からないということだった…。
クライミングのメッカ、小川山がある川上村も、クライミングには全然興味がない…。そもそもレタス豪農の年収2500万円の村だからなぁ… 雇っているのは、全員外国人研修生で、彼らは委縮しており、人目につかないようにしている…世界的な人権センターから是正勧告を受けたほどの人権無視型外国人雇用…
そんな村の再奥地にある小川山も、フリークライミングのメッカなんだが…まぁ、正直、国際的に胸を張って、安全に登れるとは言い難いよなぁ…。
けど、この岩場はアメリカ型だから、それでいいと思う。花崗岩の岩場は、みんなアメリカ型でいいんじゃないのだろうか…つまり、カムで登る。安全は自分で確保するってことだ。
現代クライマーは、そんな”自己責任型”クライミングはあんまり好きでないようで、小川山でもボルダラーが優勢だ。
アルパインの人やロープの人は、ボルダラーを見て、ああなっては堕落だ…と思っていたりする…。
が、最近の若者に人気があるのは、小川山でもボルダー。理由は、小難しいロープワークやリードするためのリスク管理を勉強する必要がないから…。ロープのクライミングは教わりたいと思っても、教わる教育機関がない。山岳会に行っても、教えられる人がない。
ちゃんとした会に行くと、登れるように教えてはくれないのに、山行計画にダメ出しばかり貰って永遠に山に行けない… それは本人の行きたいルートと実力に乖離があるためなんだが、そのことを説明すらしてもらえないので、フラストレーションになる。
…例えば、私が最初に行ったジョーゴ沢から硫黄岳山頂を目指すアルパインのルートは、2か所の滝の核心があるだけでごく簡単だった…ロープを出さないで超えてしまったくらいだ…が、伊那の方の山岳会は、私たちが行くのにビーコンを無理やり持たせたくらいだ。
というので、ボルダーなら、そういうめんどうがなく、誰にも文句言われることなく、登れるということなのだが、実を言えば、ボルダーは非常に怪我が多い。
■ ボルダーではランディングとマントル返しが核心
ランディングとか、マントルとかちゃんと教わることがないから…どっちも外で登らないと出てくることがないから、誰もがいきなりぶっつけ本番になる。
アルパインのクライマーは、当然読図ができるので、沢に行ったり、アイスに行ったりして、新しいボルダーを見つける。
ボルダーしかしない人は、地図の見方も知らない。そのため、結局、人が作った課題を登るくらいしかできることがない。
ついでにどこをホールドにするのか?ということすら、Youtubeで確認…つまりオンサイトは不在だ。登れさえすれば何でもいいことになってしまう。どこがホールドなのか、先に見ないと登れない…とオンサイトというのは初めからない。ボルトも使わないので、開拓に向かうこともない。
…だからボルダーの課題がTRで試登で開拓されていることも分からない…現代クライミングは開拓者は最初からリードなんてしていないですよ?ラッペルダウンでの開拓が普通になっている。
ボルダラーの人が悪いわけではないが、YouTubeと同じムーブをするための課題になってしまったら、そこにはクリエイティビティはない。人のまねがあるだけになってしまう。
AさんとBさんが、同じことが同じように出来る…を目指していたら、自分でムーブを編み出すということはないので、一生懸命トレーニングと言うことになってしまい…最高グレードに達した後は、だんだん以前できたことができなくなっていくだけだ…そんな未来が予想できることに、私などの遅くからスタートした人は全く魅力を見出すことはできないんだが…
魅力を感じる人によれば、パワーをオールアウトできるのが楽しいのだそうだ。
男性の肉体パワーを使う機会がほとんどない現代社会、そういうニーズがあるなら、有償のお金になる仕事でそれを使ったら、どうなのだろうか?
例えば、架線の会社で働くとか…