今朝、やっと正見が開けた。
仏教説話をしてくれている、おかもん先生に感謝している。毎朝、旅行中以外は欠かさず、仏教説話を聞いている。その講師のおかもん先生にはとても感謝している。
不思議なことに今日は執着の話を聴いていて、突然、正見が開けた。
■これまでの経緯
私は、一般登山が嵩じ、アルパインクライミングをスタートしたのだが、そこから、何かがおかしくなり始めた…。おそらく、それは、顔の見えない大衆や夫からの嫉妬、だと思う。今、振り返って、そう思う。
山を知る喜びや発見をつづった文章が、むしろ、人々の”嫉妬”や”人を引きずり下ろしたい気持ち”などの、ネガティブな感情を刺激していたらしい…と今は分かる。しかし、当時は、私は、自分の立場を恵まれた立場というよりは、”被災民”のように感じていたので、その嫉妬に面食らうばかりだった。
こう何度も、自分の都合でも意志でもない転勤で、ころころと転地していては、まともな仕事にありつくこと自体がそももそ不可能であり、やりがいや生きがいをほかのこと…つまり、趣味に見出さずにはおれない、というだけのことだったからだ。趣味にだって仕事並みに全力投入すれば、誰だって私くらいの成果は出せるだろう…いや、もっとすごい成果が出せて当然だろう。
私は生い立ちがアダルトチルドレンで200%の人だ。つまり、出来ていることも、出来ていないと感じる、どこまでも、自分にOKが出せないというのが基盤にあるということなんだが、長い社会人生活でそれを克服してきた。
ところが、その面がクライミングでは足元を見られるようになった…。例えば、車。車がないクライマーがクライミングできないのは、当然の事なんだが、そうはこちらでは受け取られていないようだ。あるいはギア。カムを持っていないアルパインクライマーなんてルートに行くことすらできないのが普通だが、それもなし。カムどころか、ロープすら人のだったりする。ギア不足で当然というのは、自立したクライミングではない。ビレイスキルがない、も同じだ。
私にとってはあって当然、できて当然のことが、他のクライマーには、出来ないということになっている。
200%の人は、50%の人のターゲットにされる。ので、なかなか釣り合う人がいない。有料で教わったことを無料で教える羽目になっている。
結果、自分自身の喜びを山で追及できなくなった。自分のことが後回しになるということだ。
これはおかしいということで、色々なところに救いを求めたが、ギーターの勉強したり、心理学を勉強したり、チベット僧のターパさん、サンフランシスコのマイケル牧師、人生のメンターが必要なのか?と思って、古い友人との交流を再開したり…長い間、模索が続いた。
模索する中で出会ったのが、おかもん仏教説話だ。仏教にも、学生時代から何度かはチャレンジしていて、やっぱり違うなぁ…と過去になった経験があり、あまり期待しないで聴いていたが、おかもん先生の仏教は、ターパさんと同じで、ブッダが言ったこと、また法(ものごとの理)だけを立脚点にしているので、変な宗教的色付けがない。それが気に入った理由だ。私が子供のころから信じてきた、善、と最も近い。お葬式に大枚はたくのが仏教だと思っていたら間違いですぞ。
仏教なら誰でもいいのか?というと違い、大愚和尚のYouTubeを見てみたが、それも違う。
ので、おかもん先生にはとても感謝している。
おかもん先生に教えてもらって開けた知恵は、
クライミング仲間が、ガリガリ亡者連中だ
ということ。自分の登りたいところを落とすためなら、パートナーが危険にさらされても良い、それは相手の責任だ、という歪んだ自己責任論で犯されている。そこには自分さえよければよいがあり、仲間意識はない。仲間意識がないということは、分かち合いの意識もない。そんなところでやっていきたいとは思えない。
というので、最近やっとスッキリ…。クライミングの業(ごう)は深かった…。
私は、すっかり手放す気満々で福岡に来たのに…色々な人に誘われて、全然手放せなかった…
私はクライミング歴が浅いクライマーで相互監視の中で登りたかった…だから、仲間が欲しいという気持ちが執着として残り、クライミングはとっくに賞味期限が切れた趣味だったのに、手放すことができなかったのだろう。
クライミングは危険な行為なので、仲間同士で助け合い、相互監視する間柄が必要だと、九州クライマーは思っていない。どちらかというと、どっちのほうが命知らずか?競合しあっている。そんな関係性で登って行けば、早晩、命が無くなる。
ただでも危険なことをしているのがクライミングなのだが、それをより危なくなるように、わざわざランナウトさせているのが九州のクライミングルートの形だからだ。まぁ、これは小川山もヨセミテ流を継承しているから、同じなんだが。
したいと思っていないリードも無理強いされて不愉快だった。
というのが、明らかに見れるようになるのに、業が深すぎて、4年かかった…(汗)。
アイスでワンシーズン35回、登りまくって楽しく成長したのがたったの1年の事で、その35回のクライミングで作った業を燃やしつくすのに、4年もかかったのでは割に合わないなぁ(笑)。
おかもん先生に大感謝だ。
■ 僻地
九州に来た当初から、九州では山やクライミングをやらないで、他のことに取り組みたいと思っていたんだよなぁ…。何しろ、登山業界として見ると、九州には特に見るべき山はないんだし。
日本登山大系という立派なシリーズがあるが、穂高は山ひとつで一冊なのに、関西以西は四国、中国、九州をまとめて一冊程度の話にまとめられている。そんな状況を知っていたから、最初から気分は盛り下がっていたのに、なぜか、次々とクライミングでやっておくことが出来てしまい、ずるずると断ち切れずにいた…。
それは、やはり、私が山が好き、という執着があるから、だろう。
高度な登山をする以前から、森林ボランティアで間伐に行ったり、山梨でも山一発目は登山道の整備活動だったり、だからなぁ…。
山が好き、自然が好きという執着が、こんな形でしか昇華させられないとは… まさに、”私の不徳の致すところ”という感じだなぁ…。
もしかして、BMCトラッドフェスに行っておけばよかったのだろうか?いや、そんなことをしたら、嫉妬の炎はより強く燃え盛っていただろう…。つまり、もっと悪口を言われていただろう…
というので、人の目を気にして生きている、ということも分かった次第…。スティーブには悪いことをしたなぁ…。せっかく誘ってくれたのに。
このような悪いチョイスをしてしまう業は、私の”禁止令”にあると思うが…。うしろめたさということを感じているのは、それだけの努力をしたという気持ちがないからかもしれない。
たしかにクライミングも別に頑張ったわけではなく、能力を100%出し切ったわけではない。ただ、山のご縁がつながって、どんどんと広がっただけだ…。山梨でいただいたご縁はすごかったよなぁ。まぁ、半分は下心で支えられていたような気がするが。
九州で担っている役割は、私よりも能力があり、適任の人が担うべき責任だという気持ちがどこかにあるよなぁ…例えば、九州クライマー連絡会とか。
私の実力そのままの山で言えば、甲斐駒積雪期単独、阿弥陀北稜積雪期初見で単独、そんな感じかな。明神主稜も自分の山だ。フリーはまだ初級で足踏みだし、この怪我でさらに後退中だ。まぁ、だからと言って惜しいと思っていない。そこまで私に喜びをもたらさないからだ。
ドライの練習はしたいんだが、岩根まで行っても練習するのは相手の問題でできなかったからなぁ…。
とりあえずやれることはやっている感、あります。