2016/09/05

戦略

■ 山ヤの成長

私の強みと弱みを考える。

山は、フリーを身につける段階に来た。一般に、一般登山者が山ヤになるには、

1)一般縦走 ・・・ 日帰りハイキングで初めて、1週間程度のテント泊縦走が卒業課題となる。
2)読図山行 ・・・ 脱・一般ルート 2万5千の地形図をきちんと読めるようになったら卒業
3)雪      ・・・ 雪山の危険認知(主に風、濡れ、雪崩)ができるようになったら、卒業
4)沢      ・・・ 丹沢は一通り終わるべし
5)岩  ・・・ 5.9だったら、どのようなタイプの5.9でもオンサイトする能力がある
6)フリー ・・・ フリーはアルパインの基礎能力。クラック、スラブ、ワイドを岩にプラス
7)冬壁  ・・・ ザ・キングオブ山 鹿島槍北壁 など

 8)アイス ・・・ アイスは基本的には冗長、遊び
 9)山スキー ・・・ 春の余興 年を取っても楽しめる
 10)海外登山 ・・・ お金がかかる 憧れや売名と密接なかかわりがある 
 11)トレラン ・・・ トライアスロン系 競技なので、冒険より名誉を求める人に

普通は1)から入って、7)の冬壁まで行けば、普通に、山屋が出来上がり、8)~11)は本人の志向次第でオプション追加・・・と言うのが、一通りの山屋育成教育かなと思う・・・が、大体の登山者は、テント泊縦走は出来ても、2)でつまづいてしまう。

一生、山小屋泊の山しか知らない、というのが、おおよその人の限界かと思う・・・実際、夫はそうだ・・・

世間的状況を見ると、山の玄人である山岳会であっても、一般登山のハイキングしかしないのが、すでに常態化している。

たとえ、山岳会に所属する機会や山をステップアップする指導があっても、2)読図へ進む意欲と意思を持つ人は少数派だ。

しかるに、私のように趣味で山を始めた一般登山者が、登山歴6年で、6)のフリーへ進んでいることは、非常に珍しい事象と言える。しかも40代で。大学山岳部なら、良くあることだが。

ちなみに端的な現象として、以前は山ガールと揶揄されていたが、今では誰も私を山ガール呼ばわりする人はいない。

・・・という世間の事情なので、まったくのゼロから、登山歴3年で一般登山は終了し、雪・岩・沢へ進んだことには、少々の自負がある。

決して与えられた道を選んだわけではなく、意識的に選んだ道だ。

■ 自発的で、意識的なゴールの設定

自負を持つ理由は、独学でそうしたから。 

もちろん、山の神様の導きがあったと思うし、多くの人の小さな親切がここまで私を導いてくれた。

たった一人の力だけでここまで来た、ということは真実ではない。

だが、協力を引き出す力や人とつながる力という、私独自の強みがなければ、ここまで来れなかった、ということも、真実だ。

自発的かつ意識的に自らを教育して歩んできたと思う。決して、運だけのシンデレラストーリーではない。

自発的で意識的なゴールの設定。”誰かが作った道”を歩んだわけではないってことが、自信の源だ。もとより、レールの上を歩むのは好きではない。

意識的に、

 ・どうあるべきか?というゴールの調査

 ・そのためには、今の自分には何が必要か?という分析、

 ・今、手にある資産(環境、人、コト)をどう生かせるか?なにをどう学ぶべきか?

 ・それらが適しているかどうかの思考錯誤

を行う。これが私の自信の拠り所となっていて、それは、私自身の強みに由来する。

私の強みは、戦略性、収集性、最上志向、親密志向、責任感の5つだ。最も強い資質、戦略性、つまり、”こうしたら、うまく行くのではないか?”という戦略に基づいて、行動している時が、強みを生かしている時だ。

■ フリークライミング習得への戦略

ハイキング、雪山のステップアップ、テント泊縦走、読図、といった登山の基礎を身につける、ことと違い、フリークライミングは、肉体的な不利をかかえるため、私にとって特に難しい

それでも、「私は岩はやらない」と捨てずに執着して登っている。

フリーは登山の基礎力であることは、間違いない、と納得しているからだ。将来、高難度のフリーを含んだアルパインをやらないにしても、5級が滞りなく登れるというのは、最低限の山ヤ基礎能力だ。

そこで、フリークライミング習得に当たって、これまでの戦略を振り返る・・・

その①・・・ボルダリングジム 9~8級

岩稜帯の縦走をしようかなと言うころ、つまり登山2年目の頃、ボルダリングジムに行くといい、と言われて、10回程度通った。

なるほどね、ということで、この時は、インドアジムで、9級や8級程度に慣れておくと、一般縦走路で出てくる程度の鎖場(たとえば不帰の険など)では、鎖は全く不要で登れるのだ、ということが理解できた。

その②・・・アイスクライミング

冬の稜線歩きを楽勝化するためもあり、冬に悪天候の時の代替えアクティビティとして、アイスクライミングを始めた。

結果的には、アイスの方がリーチが必要になることがないし、全部ガバだし、雪が好き=白い環境が好き、という強みも生かせ、愉しく登れた。

つまり、難しく感じているフリークライミングへ進む前に、アイスへ進んだことは、戦略的に正しかったと言うことだ。楽しさが証明している。

その③・・・クラック

それは、クラックも同様かもしれない。クラックもリーチが、あまりイラナイと言えば要らず、小川山レイバックは、初めての時にも、意外に登れた感があった。

クラックなんて、世間的には、フェイスが相当登れてからやる、危険なクライミングに分類されているものらしいのに、まだフェイスの5.9もリードしていない初心者の段階で、クラック開眼してしまった(笑)。

それだけフェイスは苦手ってことなんだろうな。

≪まとめ≫
・ボルダリングジム 9級 → 岩稜帯楽勝化
・アイス → 入門
・クラック → 入門

■ 現在地

さて、今はどのような段階にいるか? そこを正しく認識するのが大事だ。

成長の指標となるものの一つとしてインドアジムがあるが、インドアでは10級からスタートし、6級程度までは、取り立てて指導や才能がなくても、登れる場合が多く、自主練課題だ。

クライマーというか、クライミング技術が必要になるのは、ボルダリンググレードの5級から下。

登山ではデシマルグレードで5.9が登れれば、つまりローマ数字のⅤ級が全部登れればOKで、それはデシマル換算すると、”5、10a~dにトライ中で、5.9なら、考えなくても登れる”ということを意味する。

が、フリークライミングの世界では、”5.12”から先がクライマーの領域。 

じゃ、間の5.11代はどうなるの?ということになるが、このレベルにいるのが、山岳会にいる大抵の先輩たち。

5.11~12の間というのは、フリーのクライマーとしてみると、すごくはない。が、クライミングを知らないと、登れないグレードだ。ボルダリングのグレードだと、1級で5.12くらいだ。

5.13や14、15へと、現代では世界は先鋭化&競技化している・・・ので、競技人生が終わりだなぁと感じるような年齢の人たちが、この先鋭化したトップレベルを目指すことには合理性がなく、したがって、11代は、手堅い中堅層と言える。

5.9(-も+も)が安定して登れることを目指す人が、5.10代を触るように、5.10代を安定して登れることを目指す人は、5.11代を触らなくてはならない。同じように5.11代を安定して登るには、12台を登っている必要がある。

というわけで、私の壁は今ボルダリングの5級ということは、ムーブを身につけ、11へステップアップする、クライマー化するかしないかのボーダーラインにいるとも言える。

大きな壁である。

■ 作戦

私自身の岩での強み弱みをまとめると・・・

 1)岩を怖がっている (落ちれないビレイヤーという事情により、恐怖が強化されてしまった)

 2)岩を楽しんでいない 1)の延長

 3)腕力が弱い 正対引付系(つまり垂直のフェイス)は、苦手だろうことが予想できる

 4)リーチが短い リーチの遠い課題は不利

裏返すと、強みになる。

 1)プロテクションの安心がクライミング力のアップにすぐにつながる

 2)楽しめる易しい課題を数こなす 安心できるビレイで一緒にいて楽しい人とだけ岩に行く

 3)被っていても、一瞬なら越えられるハズ

 4)スラブは弱みとなる要素がないはず (足で登るので基本ハンドホールドはあまり関係ない)

 5)クラックも弱みとなる要素が少ないはず 指が良く入るシンクラックなど小柄な方が有利

クラックやスラブはフェイスよりも強みに当たる可能性が強いので、強化した方が良い。一方、フェイスも、基本的には最低限のところはマスターしておかないといけない。が弱みの克服となるので、あまり傾注しても得るものは少ないだろう。

前傾壁はむしろ強みと弱みのコンビネーションなので、やればやるだけ、強みが強化され、弱みが克服できる、ということになる。

前傾壁=ツイストでの登り、腕力がアップということだからだ。

インドアでは、ムーブ解決力を上げないといけない。外岩では、ムーブ解決が必要になるレベルの岩はまだ出てきていないように思う。一度、理論通りに登れば登れるハズと言われたが、謎だった。

■ Today's word

Surround yourself with dreamers and doers
and believers and thinkers
but most of all,
surround yourself with those who
sees greatness within you,
even when you don't see it yourself.

強み以外にフォーカスしても仕方ないわな。










2016/09/04

フリークライミングをどうやって上達していくか試案

■作戦

フリークライミングは難しい・・・しかるに、作戦を立てなくてはならない。

その作戦だが・・・クライミングの歴史を知らないと、ステップアッププランも立てられない。

まずもって、登るべき課題が分からないのである。

しかし、漫然と与えられた課題を登るだけでは、主体的な取り組みとして、楽しむこともままならないのであるから、なんらかの計画、プランニングは必要である。

原則1) 易から難へ。
原則2) オンサイト能力を磨くことが大事
原則3) スラブならスラブだけ、クラックならクラックだけ、フェイスならフェイスだけをやるほうが上達する。

■ 足で登る = スメア

基本的に、初心者はスラブを登ることになっている。というのは、スラブは登山の延長にあり、足で登るものだから。

クライミングは足で登るもの、と言われるが、人工壁に行くと足はついでであり、手で登るようになってしまう。

つまり上半身や腕力、指力ばかりがクローズアップされてしまう。もちろん、人工壁でも、足が切れると登りにくいから、その程度の足の重要性は分かるのだが、人工壁には、スラブもクラックもない。だから、スメアリングも分からないし、足ジャムはさらにワカラナイ。

なので、結局、足で登る感覚はつかめない。私が足で登ると言うことを理解したのは、クライミング2年目にして最近で、今年の春に、集中的にクライミングに付き合ってもらったおかげだ。

それ以降、人工壁でも足で登る意味を理解するようになった。ムーブを起こす時、それまでは、手→胴体→足、という感じだったが、今では、足で押してから、手を考える。

■ このようなローテーションで? 

私が、過去2年、実践して分かったところによると・・・

1) 日和田のような易しい岩場 日参して完全マスターすべし (山梨なら十二ヶ岳の岩場)

2) 易しいフェイス 小川山物語 ムーブを知らなくても登れるため(正対)

3) 易しいスラブ 春のもどり雪 ガマスラブ 足使いをマスター 

4) 易しいハング越え 易しい岩場 
 
   ハングは越えられなければエイドになる。が、エイドするよりフリーで越えれるなら、越えたほうが早いことが多い。越えるには、腕力(パワー)が必要になることが多い。パワーがない人には、ムーブが必要になるため、ここで人工壁に差し戻し審判になる人(私です)もいる。

5) 易しいクラック クラックはリーチに左右されない。易しい課題でカムセットを覚える 

1) 2回目のフェイスへ戻る 

  クラックもフェイスがある程度登れないと、登れない局面に来る。・・・そうなったら、フェイスへ戻る。
  卒業試験をやってから→レギュラーへ 

という具合に、ぐるぐると課題の質を回すと、回している間に、一つずつグレードを上げていけるのではないだろうか?

 1)5.8でスタートしたら、スラブ、クラック、フェイスの全課題で5.8が登れるようになる

 2)次に5.9で全課題

 3)次に5.10Aで全課題

・・・・という具合に、延々と次へ続けて行くのはどうなのだろうか?

岩のハイシーズンは、基本的には真夏・真冬以外であり、雨の降らない時期ということで、3~5月、9~11月、12~3月とすると、1年あたり3シーズン。

スラブ、フェイス、クラックにあるので、3シーズンであれば、1グレード上がることになり、大体、今までの流れと一致する。

一年ワングレードって感じなのだ。

■ ちょっとビビりすぎでしょうという指摘について

ところで、私のクライミングライフにとって、最大のボトルネックは、ビレイヤーのスキルである。

なにしろ、引っ張り落とすようなビレイヤーや、私自身が初心者なのに、連れて行ってください☆という人しか、今まで行っていない。

落ちれないビレイヤー・・・実際、外岩に行く前に人工壁につれて行き、リードしたら、引っ張り落とされそうになり、隣のパーティが変わってくれた。一度の失敗は誰にでもあることだから・・・と外岩に行っても、アイスに行っても、私の方がトップロープを張ってあげる側だった・・・。

・・・というので、落ちれない、と思って、登っているので(特にリード時)、落ちることに対しては、かなり恐怖心を持っているが、ちょっとビビりすぎでしょう、という指摘ももらっている。

その指摘は、上達には必要だが、私に必要なのは、批判ではなく、励ましだ。

それくらいの励ましは誰にだってあげて良いのでは?

今現在は、落ちれるビレイヤーと登っているので、頑張れば良いのだが、そう簡単にモード切替できない。

■ 危険認知 

先日は、ガマルートの右のスラブで、ちょっとした小テラスの上の中間支点が遠く、リーチが遠かったので、ムーブをして落ちるかもしれないと思い、リード中にクライムダウンしてテンションしてもらった。

落ちたら小テラスにぶつかるし、大根おろしになってしまうと予想できた。

下から、「やってみて。止めてあげるから」と言われ、3トライ目ぐらいで登り、なんとかリード貫徹。

降りる際にトップロープで、同じ個所をやってみたが、もうスタンスも分かっていたし、トップロープ状態で怖さもないので、何にも問題なし。

つまりフィジカル的には問題がないが、初見でスタンスが分からないと、恐怖心がもたげ、登れないと言う訳だ。

しかし、このようなケースで、下のビレイヤーが良いビレイヤーだとしても、止めれるかどうか、止めても、テラスに激突だと思うのは、ごく常識的な危険認知ではないかと思う。

そこは、大きい人ならリーチがあって、しっかりしたハンドホールドが取れてしまうところで、私の場合は小さいので、しっかりしたハンドホールドを取る前に、デッド的になってしまうのだ。ほんの一歩だけど。

その恐怖心は、誰にでもあるのではないだろうか?

体格が小さいと、体格が大きい人にとってはデッドにならないような、低いグレードで、心理的負担がかかる、ということなだけなのではないのだろうか?

そこら辺は、もし、同じような状況で、サイズが違ったとしても、誰もがムーブを起こすのに躊躇するのであれば、私が取り立ててメンタルが弱い、という意味ではないのではないか?と思うのだが・・・

そうであれば、不当にメンタルが弱いと言われているような気がしないでもない。

外の岩場では、被った人工壁と違って、バンバン落ちるのは良くない、という指導を受けた。

ランナウトしていることが多いのは、外の岩場。落ちれない。落ちるくらいなら登らない、というのも、一つの見識ではないかと思うのだが。

ビレイヤーとしてクライマーを観察していると、ベテランでも、ちょっと分かりづらいところに行けば、リードでもテンションして、安全に登れると確信してから、登っている。

そういう場合、ビレイヤーとして、私は、”怖さを克服して登れ”と声を掛けたことはなく、”不安なら無理せず降りて来て”といつも、言っている。

不安は、”克服する対象”というより、”危険を教えるもの”であるように思うのだが。

無理強いされたリードで落ちて、二度とリードしないと決めた先輩のことを思い出す・・・

私が最初に教わった人からは

 ・クライマーはビレイヤーが信用できないと登れない
 ・リードを無理強いしてはいけない
 ・ビレイヤーはクライマー側が選ぶもの

という風に教わった。最近は、その逆を期待されているような気がする。

もちろん、ビレイヤーはベテランだから信頼しているし、リードはまだ、自分でどこが登れてどこが登れないのかよく分からないので、ベテランの方が判断が的確だと兜を脱いでいる。

でもビレイヤーはクライマー側が選ぶもの、という原則はうやむや化している。まぁ今一緒にいる人たちはどの人もちゃんとしたビレイヤーと思うので、あまり気にしていない。

特にトップロープだったら、誰でもいいやって感じではある。

が、やはりメンタルについて、指摘を受けると、反発心を感じる。

伸び伸びとしたクライミングに必要な、安心や信頼というものが、いまだに手に入ったようには感じられていない。

否定や批判を感じると、信頼や安心は揺らぐものであろう・・・

とりあえず、落ちれないビレイヤーからは逃れられている。それだけでもありがたいことだ。

そちらのことを念じないといけないのかもしれない。

■ ボルダ―

この問題を克服するにあたって・・・ ボルダ―はどうかなと思っている。

なにしろ、ボルダ―なら、ビレイヤーは要らない。ボルダリングは岩と自分だけの話になる。

易しい課題を数多く触ることもきっとできるだろう。

というので、ボルダ―を検討中。

■ Today's word

Does not ask why people keep hurting you.

Ask why you let them do it.


無線機とクライミングシューズ 

■ 無線機購入

土日は、アキバへ無線機を買いに出かけた。アキバ大好きの夫と。

山で必要と言われ、四級のアマチュア無線の資格を取得したためだ。

夫にとってアキバは得意な町。私はアキバの歩き方は分からないので、夫に連れて行ってもらった。

アキバには無線機屋は3件しかない。登山をする人にとって、候補になる無線機は、VX3、VX6のどちらかなので、全部の店で見積もりを取ってもらって、一番安いものを買う予定にしていた。

この日、岩の予定を取りやめてまで、アキバへ出かけたのは、グロービス時代の友人が東京出張で上京してくるとのことだったからだ。めったにこちらに来ない人なので、夜に会いましょう、という訳だった。これは残念ながら、友人が怪我をしてしまいキャンセルに。大丈夫だろうか?

ただ無線機購入や宴会は、言うなれば、ちょっとした口実で、単に夫とどこかへ外出したかったのだ。

夫は、用事がないと家から一歩も出ない出不精なので、たまには外界の空気を吸った方が良い。

山梨は、静かで刺激が少ない土地柄だ。逆に言えば、情報が届きにくい。気がつけば浦島太郎になるリスクが高いので、世捨て人にならないためには、たまにで良いので都会の空気に触れる機会が必要だ・・・

夫はアキバでは、さすがと唸る、こなれた様子だった(笑)。完全に景色にマッチしていて、店員さんタジタジ。

オタクというと語弊があるが、彼はアニメ好きではない、伝統的な電気もの好きのオタクの中でも、上級オタクなのである。オタクのレベル争いがあるとしたら、かなりの率でナンバーワン(笑)。

■ FT1D

VX6をどれだけ値切れるかの戦いかな~と思っていたら、ふと私がとなりにある特価のデジタル式のトランシーバーに気が付いた。FT1D。完全ではないが、防水仕様だし、GPSが取れる。

GPSは、スマホでも取れるのだが、スマホ、かなり電池の消耗が激しく、初期のころと違って、電池をいくつも持ち歩かないといけないのだ。

正直、GPSログは帰宅後に山行を振り返る楽しみ向けで、現地で座標が必要なことはまずないし、必要だったら、その場で電源ONしても取れる。

ので、ログはログだけのために省電力なロガーが欲しいところで、前に使っていた小型のロガーは5000円くらいだったが、壊れやすくて、すぐ壊れてしまった。

そういう事情もあり、GPSが決め手で、結局このデジタルトランシーバーにした。

■ ダイヤモンドホテル

宿泊は、半蔵門のダイヤモンドホテルにしていた。行って見たら、皇居が見え、イギリス大使館の隣だった。

古くからあるビジネスホテルらしく、手堅く堅実な感じに好感が持てたので、普段は外に出てしまうのに、ホテルのレストランを利用。中華ディナーは一人2900円と手ごろだった。

コチコチの新人さんが給仕してくれた(笑)。初々しい~。私にはなかった新人教育、羨ましいなとふと思う。

実力があるマネージャは、ときどき目配りしてくれ、(食事が)「間に合いましたでしょうか」という言葉に品の良さを感じた。

以前、海外出張でタイに出かけたら、宿泊先のホテルの人に、リクルートされたことを思い出した。日本人の宿泊客は多いので、日本語が話せるスタッフは重宝なのだろう。笑顔を買われた。

当時は調査の仕事をしていて、ビジネススーツに、ラップトップPCで、空港の待ち時間も仕事をしているような仕事で、ホテルのビジネスルーム常連だった。・・・ので、そこから、タイのホテルスタッフになる、というのは、考えにくく、声を掛けられたこと、そのものに驚いた。そもそもタイに住みたいという気持ちも、あまりなかったしな。

が、ホテル業(接客業)が、あっていないか?といえば、一度声を掛けられたくらいなのだから、あっているのかも?・・・などと、考えないでもない。

母方の実家は、旅館業を一時経営していたそうだ。私は知らない時代の話だが。

■ カラファテ

初日で、無線機を買う用事は済んでしまった。が、どうも付属品をひとつ入れ忘れているらしいというので、夫は秋葉原へ舞い戻ることになった。

私は、夫と二人なら、キルタン(歌うヨガ)を歌いに、船堀のイスコンセンターのキルタンフェスに行きたかったのだが・・・

少々久しぶりの都会の人ごみに疲れもあったので、半日で山梨に帰ることとし、とりあえずカラファテへ。

カラファテではセールをしていた・・・セールでなくても、足に合った良い靴が買えたら、なんでも良かったんだけど・・・。

が、セールで余計なものも買ってしまった(--;) 

・カムを購入したら必要になる、色別のカラビナ。安くてお買い得だった♪
・R2
・キャミ
・クライミングシューズ

洋服は似合っていたので買ってしまった・・・。まぁキャミソールは普段のヨガのレッスンでも着るからなぁ。

R2も山では定番で良く着る。でも、ないと生きていけないか?と言われると、なくても生きていける。

■ クライミングシューズ

クライミングシューズは、4足目を購入した。

1足目 ファイブテンスパイア 39 これはぶかぶかで、かかとに指一本入る(笑)。

2足目 一足目は失敗ということで、2足目はエッジアンドソファで買った。スカルパフォース。
     一番気に入っているが、リソール3回目。今、手元にない

3足目 スカルパ ブースターS 
     ターンイン&ダウントゥしており、シャンクはカーボンで強化されている。
     ・・・ので、足裏が反らず、これでスラブを登ると、なんかとってもスメアしづらい
     フェイスや前傾壁向きの靴。

癖のないフラットなスカルパフォースばかり履きたくなってしまう。オールラウンドな靴ナノダ。

リソールはホントに遅い。もう一ヶ月くらい経つけど、まだ来ない・・・。

結局、

スラブ → ぶかぶかのスパイアで。スタンスが小さく厳しくなったら、ブースターS
フェイス → ブースターS
クラック → スパイア。 

人工壁 → スパイア

ということになっている。

人工壁は、ぶかぶかのスパイアで何の問題もないことが判明。そんな小さなジプスに乗ることがないから(笑)。むしろ、押す感覚がつかめる靴の方が良い。

今回は、スカルパフォースのピンチヒッター的な靴ということで、癖のないレッドチリのナチョ。8900円と安くなっていた。

サイズはワンサイズ下げて(どうせゆるんでくるので)、5にしておいた。いつものフィット感だと5.5なんだが。

・・・というお買いものデー。

■ カム

カラファテで買うといいよ、と言われているカム一式・・・。でも、今は在庫が一切ないそうだった。

キャメロットC4は、買い物のタイミングではない・・・。ウルトラライトなキャメも出たことだし・・・非常に高いし、高いだけの価値があるのか、まだ市場に問うている段階。

フリーは、ホント、ちょっとしか上手にならない・・・んだけど・・・、色々と物入りだなぁ。

ま、今回は誕生日も近いので、自分で自分にR2をプレゼントしたような格好だ。


ホテルの近くに、ヤマヤという輸入食材店があり、こうしたものは山梨では手に入りづらいので、バニラ風味の紅茶(本当はリプトンのバニラティが好きなんだが、日本では売っていない)と、ミルで挽くシナモンシュガーをゲット。毎朝のトーストに、シナモントーストで使える。スパイス類は、ミル式で挽けるものなら、挽きたてが一番おいしいものだ。











2016/09/02

ガマスラブオンサイト&レギュラーテン山

■ 久しぶりの小川山

今年はしばらくはフリーに集中しようと決めているわけなんだが・・・なかなか思うように登りに行けない(汗)。

  岩が雨でぬれている OR パートナー不在 = インドアな日々

初日は、ガマスラブ。ガマスラブは、オンサイトできました。パチパチ~

翌日は、カサブランカとレギュラー。 レギュラーは必至。カチ持ちのフェイス課題は超苦手。パンプして大変でした。

カサブランカは前回よりスムーズになっていた。成長したなぁ。

■ 成長幅

私が快適だと感じる成長幅では、皆は不服そうなんだけど・・・(汗)

しかし、現在12登っているような先輩たちも、10年前は、5.9や5.10Aを触っていたようで、やっぱりそんなに急いで上手にならなくてもいいのではないかと言う気がするんだが・・・。

ちょっと思い立って、過去のクライミング歴をまとめることに。

2014年5月 西湖の岩場 山羊座の下に 5.8 RP
        小川山 セレクション セカンド
        小川山 春のもどり雪 1P RP

     6月 小川山 小川山物語 5.9 TR
         西湖の岩場 自主トレ
         小川山 春のもどり雪 つるべ
         小川山 小川山レイバック 5.9 TR
     
     7月 三つ峠 中央カンテ つるべ
         小川山 春のもどり雪 つるべ
         太刀岡 小山ロック TR

     8月 カサメリ沢 モツランド TR
         三つ峠 つるべ
        太刀岡左岩稜 セカンド

     9月 西湖の岩場 自主トレ
         小川山 春の雨上がり 5.9    TR 
               ジョイフル・ジャム 5.8 TR
               母岩 「命の母」  TR
               エイトマン5.8 TR
               ジャックフロス 5.9 TR

     10月 前穂北尾根

 2015年
     4月 三つ峠 つるべ
        兜岩 TR

     5月 兜岩 5.8 リード
        小川山 龍ノ子太郎、愛情物語 その他 TR

     7月 小川山 センター試験 5.8 OS

     8月 三つ峠 リード

        瑞牆 講習会

        明神主稜 つるべ

     9月 西湖の岩場 リーダー

        ワイド入門 カサメリ沢 入口岩 TR
        越沢バットレス セカンド

        小川山クラック 森林浴 5.8 フラッシュ
        小川山レイバック 敗退

     10月  小川山クラック
           
     11月 越沢バットレス アイゼントレ
         天王岩
         河又
         湯河原幕岩
         昇仙峡

2016年へ・・・

という具合。 

    


2016/08/31

ピラ24

■ 日々インドア

今日ピラニアへ。今日は朝から大快晴で、山恋しくなった。360度大快晴。久しぶりに南アルプスの稜線が見えた。

それにしても・・・晴れたせいか、ジムはガラガラだった。

今日は今月最後のジムのつもりで出かけたが・・・友人が来月の月会員になろうかというので、それなら、来月も月会員でいようかとも思う・・・

ピラでは、黄色青課題まで進んだ。青で登れる課題もある。だいぶ進んだなぁ。黄色を登り込むべきだが、飽きもあるので、他のジムに行くべしな感じ。

少なくとも、1,2回は他のジムを試すべきだ。

もう大体何が登れて何がダメなのか課題も出尽くした感じ。

今のパワーとムーブ力で取れるノリシロは全部取ってしまった。ムーブ解決力があれば、パワーがなくても登れる、という部分は登ってしまった。

パワーがあればムーブがなくても登れる、という部分も登ってしまった。

ダイアゴナルと正対の違いと使い分けだけで、登れる部分はもう登ってしまったって意味だ。

■ 柔らかい靴

しばらく、ダウントウした靴を履いていたんだが、このところ、そこがヘナへナのファイブテンスパイアを履いているが、なんだか、スタンスの形状が感じられる。

柔らかい靴の方がいいのかも?!な感じ。

実は私は登山靴も、登山靴より、地下足袋があっていたなぁ~な感じだった。

バレエをやっていたから、足首が強いのだろう・・・足裏の感覚も発達している。地下足袋だとそういう足裏感覚を生かせる。

クライミングシューズは柔らかいのが好みだということが分かった。

■ 小川山

明日は小川山。

2016/08/30

ピラ23

■ 5.10b

今日もピラへ♪

ボルダリングの課題は、黄色青(6級)で、

  ムーブ解決が必要で登れない課題=めんどくさい課題

が残っており、少々めんどくさい・・・今日はリード壁を久しぶりにしなくては!と思って出かけた。

最近は、6級は被った壁なら楽勝で登れる。

被った壁=腕力?と思っていたら違う・・・被った壁でも足が自由なので、単純にダイアゴナルで振れば登れてしまう。

ので、ムーブ解決が必要な壁は、かぶっていない垂壁・・・ムーブの解決力が必要な課題。

今日は混んでいた。

ので、ボルダリング課題は早々に辞めて、リードへ。

アップ課題にしている、かつて難しく感じていた課題は楽勝化していた。まぁ、暗記してしまうくらい登ったからなぁ。

でもって、5.10Aの別の課題も、ちょっとクラムジーな感じがあったのが、楽勝化していた。

ので、調子の良いとき登れていた5.10bへ。これは、ムーブが正対も含まれているのだが、この課題になると・・・腕がパンプ。

課題の質的に、パンプするような課題ではない。傾斜は隣の5.10Aと同じはず。しかも、途中で足の限定を外して自由にしたので、パンプする理由もない。

にもかかわらずパンプ。

というのは、精神的な問題だ。登れないと自覚すると、きっと、腕に不必要な緊張が走りパンプするのだろう。

やはり、私の課題は、ムーブが分かっている!という感覚かもしれない。

自分がやっていること、やろうとすること、できるかできないか自分で自覚できること、それが私にリラックスをもたらす、ということが納得できた今日だった。




あなた、何者?

■ 失望

信用残高という考え方があるのをご存じだろうか? 人は相手を信用するとき、残高を積み上げる。

しばらく前に失望を味わった。失望が大きかったのは、理由がある。パートナーを信頼していたからだ。

信頼と言うのは曲者だ。信じれば信じるほど、失望の幅は大きくなる。

しかし、失望の痛みを恐れて、信頼しないと言うのは、弱虫のやることだ。

■ 同レベルと登るのが一番楽しいこと

そもそも論になるが、クライミングというのは、レベルが同じくらいの者同士で登るのが一番楽しい。

それは誰だって知っている。

だから、すごいクライマーがそのまま自分に合ったクライマーとは言えない。

レベルが離れすぎていると、互いに登りたい課題が違ったりして、楽しめないものだ。

そんなことは改めて言わなくても、誰にでも明白で、私が一緒に登って一番楽しい人は、正直な所、すごいクライマーではない。(すいません)。

しかし、休みの都合などで、そうそう、いつも釣り合ったパートナーと登れるとは、限らない。誰にとっても、パートナーというのは、そういう事情であり、相手が理想的な相手ではなくても、まったく登れないよりは、うんと良いのだ。

だから、パートナーには常に「ありがとう」と言う。”当たり前”の反対語としての”ありがとう”、だ。

そういう風に妥協しているのではあっても、それを「妥協です」と、面と口に出して言う必要はない。
それどころか、害悪だろうから、誰も言わない。言わなくても分かるからだ。

そもそも、大抵の人にとっては、きちんとビレイしてくれる人なら何でもいい。

プロがプロジェクトを登るときだってそうだ。そもそも、ビレイだけで謝礼が出る。時給千円。でもクライマー同士なら、返礼は、代わりに一本ビレイする、で良い。

でも、そんな自己中心的で、アケスケなことは誰も言えない。

一方、誰でも登れないところも、触ってみたい。だから、トップロープになれば、もっといいな~と下心があるが、それは贅沢というものだ。

初心者の場合は、その贅沢を贅沢とも知らないで、当然視しているから、参ったな、になる。

■ 見返り?

そういう訳からか、初心者には、見返りを要求するベテランもいる。

みな内心は、もっと見返りが欲しいらしい。トップロープ張ったんだから、ガイド料を払ってもらいたい、そんな気分なのかもしれない・・・。

それを知ってから、私はいつも小川山の駐車料は払うことにしている・・・。

イコールパートナーなら、お互い様、なので、信用残高の貸借対照表は、貸し借りゼロだ。

■ 出世魚

そもそも、クライミングは難しい活動で、1グレード上げるのも、大変だ。すぐに上達はしない。

クライミングの上達には時間がかかる。しかも、クライミングには、”センス”の有無が大きく関係している。

それでも、無いセンスを頑張って、みな11だの、12だのまで頑張る。最近は、センスがある人なら、1年で12まで行ってしまう。

すぐに習得するタイプの人、登れる人は、もっと登れる相手と登りたくなって、次々とパートナーを出世魚のように脱皮して行ってしまう。

だから、置いて行かれる側は、とても寂しいものだ。

しかし、置いて行かないで、と泣きつくわけにもいかないし、恩知らずと、ののしるわけにもいかない。だから、一抹の寂しさを感じつつも、受け入れるしかない。

だから、登れない時代に一緒に登ってくれた人は恩師だ。

そういうことは、昨日クライミングを始めたような、経験の浅いクライマーにだって、1年も登れば、すぐに明らかになる。

ちゃっかりしている人は、お得な部分だけを吸い取って、恩は着ない。そういうちゃっかりタイプとだと、寂しすぎて、捨てられる前に自分から捨てる人もいる。どうせ相手はすぐ自分を捨てるだろうから・・・、ということだ。

残念ながら、私はあまりちゃっかりしているタイプではないので、なかなかそういうことはできない。

いいとこどりはできず、結局、損得勘定なしで、不器用に2年待っても、自分の力でルートに行く方を取る。

■ 過去の傷

しかし、大変だった。過去の傷が大きく傷口を開いた。まるで狙いを定めて、傷をえぐりだすようだった。

つらかった子供時代が思い起こされた。残酷だ。

苦しみの理由は、そんな過去の話を持ち出さなくても、パートナーの信頼を得ていると、それだけ厚く信頼していたからだった。

私と過ごす時間が他の人より長くなり、理解してもらえていると期待していた。

が、仕方ない。

自分のことは、ほとんど話をしていなかったからだ。その必要があるとは、思ってもみなかった。

クライミングするのに身の上話が必要とは思わなかった。

私の去年の登山日数は100日越えである。それだけで十分、分かってもらえると思っていた。

■ 情熱

登山の実力というものが、どういうものを指しているのかわからないが、山の内容はどうあれ、100日以上、山に登る人は、努力と情熱を傾けている。そのことは誰にも明らかに分かる。

努力は、意思のなせる業。結果は、運と実力。

結果(グレードや本チャンルートの凄さ)が出ても出なくても、努力自体(プロセス)に意味があるのが、趣味というものだと思う。

だから、結果(=実力)で判定されることは、理不尽だったし、それに私は客観的に見ても、登山者として見たとき、キャリアの浅さに比して、実力不足でもなんでもない。

トントンどころか、その浅いキャリアで良くやってるね~ってところだ。

でも、まぁ同じように浅いキャリアでも、スイスイ登る人もいる。それは認める。才能の差だ。

才能の有無は運みたいなものなので、才能がある人と登りたい人はそうするしかない。

■ プライベートを語る

私はあまり人の人生には興味がない。人のプライバシーに興味がないのは、良いことなのだと思っていた。

山は人を区別しない。苦労した人も、苦労していない人も、山は山。だから、山はいい。

私自身の生い立ちは、大抵の人よりも、苦労した話だ。

たいていの人は面食らい、受け止められない。

そんな話を誰かに語りたいとも、あまり思わない。頼んでもいない同情を買って、えこひいきされるのは嫌だし、そもそも、思い出すと、痛みで涙があふれてくるからだ。自己憐憫に染まるようで、好きではない。

でも、中には、自分の人生を語る人もいるし、人は語りたいことを語りたいので、大抵は聞く側に回っている。

なぜ家族の話や人生の話を聞いているのか、とても不思議な気分になる時もある。

そういう話をする人には、お返しの話が必要なのかもしれなかった。

■ 裏付け情報?

私は、元々あまり詮索好きなタイプではない。

私は人を信頼するとき、目の前のその人以外の情報をあまり必要としない。

今から築く人間関係に過去の履歴書が添付していないと不安になる、ということはない。

目の前の相手の言動と態度だけを見て、信頼できるか、できないか、判断できる。

その判断力には自信があり、これまで、あまり失敗したことはない。それは確実に強みだ。

予断や前情報、名刺に書いてある会社名では判断しない。

しかし、多くの人は、そうではなく、相手を信頼したい!と思った時に、過去の情報や所属、その他地位を表す、何らかの情報を求めるようだ。

例えば、職業は何か?結婚はしているのか?

それは自分の判断力に自信がないからかもしれない。

あるいは、目の前の情報と履歴書を突き合わせて、納得したいからなのかもしれない。

有名大企業の名前を出すと、「なるほどね」と落ち着いたり、「子供は欲しかったけれど、できないんです」という当たり障りのない言葉を聞いて、安心したりする。

■ 関係を深めるのは怖いもの・・・

私が疑問なのは、相手が求めている私からの受容、アクセプタンス・・・言い換えれば、安心や保障・・・を、どうしたら、相手が満足する十分な量だけ、与えることができるのか?ということだ。

平たく言えば、一体何を差し出したら、相手は安心と満足を得るのか、ということだ。

■ 過剰反応

人は誰しも心に傷を抱えている。癒されない傷もある。そうした傷をなでる言葉には、普通の対応ではなく、過剰反応してしまう。私自身もそうだ。

子供の養育が大変だと言う愚痴が私にとってそうだ。

そうした愚痴を聞かされると、私自身がその問題の解決をなんとかしなくては!という気持ちに駆り立てられる。

それは、子供に同情するからだ。親の側ではなく、子供の側に自分を重ねてしまう。

親が苦しんでいると、自分のせいだと感じるのが子供なのだ。これは、どの子も普遍的にそう感じる。

たぶん、愚痴っている当人が得たいのは、ただの慰めの言葉だったかもしれない。

・・・が、私には子供が多くて養育が大変だと愚痴っている人を慰められない。それは、その人が担って当然の苦労でしかない。

子供を持つという選択をその人はした。選択には責任がつきもので、経済的苦難のあることは、最初から分かっている。

その愚痴の共感者役を、私に求めるのは、男親に捨てられた娘であるという過去からして、非常に酷なことと言えるだろう。

■ 過去を赦す

私はつらかった過去は断ち切りたいと思っている。

結婚する相手を間違った母を許したいし、充分なだけの収入がなかった母を許したい。

私と弟と妹と母を捨てた父を許したい。

経済的に困窮するシングルマザーの娘を助けなかった祖父母を赦したい。

孫を助けてくれなかった祖母や祖父を許したい。

25歳にもなって、姉の私の家に転がり込んだ妹を許したい。

私の結婚式でバッグを無心してきた祖母を許したい。

年金代わりにまだ26の私へ無心をしてきた祖母を許したい。

そして、そうした家族の求めに応じられるほど、強くなかった自分を許したい。

いまだに弱い自分を許せない自分、それさえも、許さなくてはならない・・・。私は弱く、無力な立場にいる。

「男の子でさえあったらよかったのに・・・」という皆の、溜め息が聞こえてくる。でも、私は女の子に生まれてしまったし、期待には応えられない。

■ 自分自身を見た

愛する家族の皆を救う、スーパーマンになれたら、どんなに良かったろう・・・かつて、そう思っても、いた。でも、冷静に考えると、どんな人もそれぞれが自立すべきだ。

だから本当はスーパーマンなんていらない。子供に必要なのはお金ではなく愛情だ。

それでも、困窮することは怖い。怖いのは人の弱さで弱さは許されなくてはならない。困窮しても死にはしないが、大変なことはやはり大変である。

誰かに頼られるのも、大変で苦しい。みなが頼るスーパーマンであっても、やはり人は人だ。

人と人は、学びあうことあるから引合される。出会いに偶然はない。

私は、私自身をその人の中に見た。家族の中で、唯一まともな判断力が備わっている人。現実を動かす力がある人。

そのことは、昔、恋人のデイブに指摘された。

You were the only one who understands things.

物事が見えている人が引き受けざるを得ない。 大体いつもそうなる。山でも同じだ。
 
■ ディストラクション

本来やるべきことから目が逸れてしまう場合、距離を置かなくてはならない。

ただ楽しいはずのクライミングが楽しめず、めんどくさいな~ = タイムオフ。

本来、人生のモロモロ・・・そういうことをすべて忘れられるのが、山の良さ。

とはいえ、人は弱いもの。弱さは許されねばならぬもの。






2016/08/29

類は類を呼ぶ方法

■ チャンスロスはない時代

今日は、こんな動画が回ってきた。すごいギタリストだ。

現代は、自分自身が何ができ、どういう人間なのか、誰かに見出されなくても、自ら世界に発信することができる。

つまり、”才能があるにも関わらず、才能が見出されない”という古典的な機会喪失は、経験しなくて良いのだ。



ちなみに、ネット上で新人アーティストの登竜門としては、次のようなものも有名だ。

Jango http://www.jango.com/  著作権切れの無料音楽が聞け、数曲に一曲、無名アーティストの曲が混じり、投票によって、アーティストは世間の評価を聴くことができる。

http://thisisgallery.com/  画家の作品発表の場。

これは、芸術活動だけにとどまらず、才能を見出されたい運動系の人たちも、かならず自分のサイトに、動画なり、作品なり、自分の才能を表現するもの・・・を置いている。

■ 一億総表現者の時代

クライミングはクリエイティブなものだ・・・と言われる。

私自身は、まだクライミングが創造的なものでることを理解するための、ベーシックなスキルを得る途上にあり、クライミングにおけるクリエイティビティについては、全く理解の範疇外だ。

ので、クライミングにおけるクリエイティビティをここで論じるつもりはない。

が、創造的なクライミングをしている人は、それを表現者として世界に示すことができる。

今、ここで論じたいことは、創造性を、あるいは、単純に自分らしさ・・・を理解してもらう、理解する・・・のは、世間の側の責任ではなく、表現者の責任である時代だということだ。

世間に見る目がないから、俺の(私の)才能が埋もれているという、古典的言い逃れは、もはや現代では通用しない(笑)。

■ 等身大の自分をさらけ出す

たとえ、創造者と言えるような上級クライマーではなくても、当サイトのようなサイトは有効だ。

クライマー間で、パートナーを組む場合、最初に問題になるのは、

 相手が安全な相手かどうかワカラナイ

ということだ。

面接でも履歴書を見るだろう。その履歴書に相当するものが必要だ。

むろん、半径10mでパートナーニーズが満たせるような、幸運な環境にあれば必要がない。しかし、現代では、そのような恵まれた環境にあることはおそらく稀だろう。

パートナーは全国に散らばっていることが多い。

現ナマ情報、つまり、登ってみて、ビレイヤーの手元を見て、あるいは発言を聞いて、そのクライマーを理解する。それが基本だ。面接と同じことだ。

しかし、それには、相当な洞察力が必要になる。このような洞察力は、人生経験に属すため、一朝一夕に得ることはできず、結果として、洞察力に欠ける人は、誰が見ても危険な相手だと分かるクライマーを避けることができないかもしれない。

それにまた、自分自身が相手を危険に陥れないためには、

 等身大の自分を理解してもらう

必要もある。 自分の至らなさが相手を危険に陥れることは、避けては通れないことでもあるのだ。

登山の安全は多くは、過信にあり、過信が起らないためには、客観的に自分の実力を評価できる、ということが必要だが、それが非常に難しい世界であることは否めない。

安全かどうか、ビレイが確実かどうかの端的目安は

 経験の量

である。経験は年数では情報に偏差が大きすぎる。登山歴10年のベテランと言っても、1年に数回登山するレベルだったりもするからだ。

登山歴が10年であっても、ムンターで懸垂下降することもできない人もいるし、気象判断、危険の認知などになると、ほとんど意識の差になってしまい、何年の登山経験があっても、リーダーのあとをついて歩くだけの登山をしていた人は、まったく無知と等しい。

ので、そうしたことは、表現されなくてはならない。

表現することで、その登山者の身の丈の姿が表現され、そして、表現されると言うことは理解されるということだ。

≪クライマーズサイトの利点≫

 1) 自分のポリシーが明らかになることによって、自然と危険なクライマーを遠ざける
 2) 自分の履歴書となる
 3) 等身大の自分の姿を知ってもらうことにより、相手も安心が増す

■ 類は類を呼ぶべし 

逆説的だが、サイトを作れば、個性は否応なしに表現されてしまう・・・表現したくなくても、出てしまうのが個性なのだ。

好みがあう、嗜好があう、そういったことは、視覚情報だけでなく、文字情報だけでもなく、非言語な情報が必要だ。

自分自身のカルチャー、価値観、そういうものが表現される、されてしまう、のは、

 類は類を呼ぶ

ことになり、人生の質を上げるため、歓迎すべきことだ。





2016/08/28

自分がリードできるのか見極めること

■ リードとパートナー

クライミングは、初めて丸2年近くなった。 

現在の課題は、

  自分がリードできるかどうか、見極める

ことにある。

■ 初めてのリード

初めてリードしたのは、岩場へアイゼントレに行った1月から、4ヶ月後の十二ヶ岳の岩場で、5.8のルートだった。

パートナーはまったくの初めての人。その人も同じところをリードしたが、トップアウトして何をしたらよいのか分からなくなり、ローワーダウンに苦労した。

この時、私はこの彼とパートナーを組むとはつゆ知らず出かけた。会で出かけたので、ちゃんと信頼できる”先輩格”の人がビレイしてくれるのだろうと、信頼して行った・・・ら、全然違った。

目の前のパートナーは、初めてのカンタンマルチピッチで目を白黒させており・・・結局、私がセカンドの確保などを教えることに・・・。

まだマルチ用のビレイ器を持っていない人だった。

ので、リードは私になり、こっちのマルチを教えるほうが責任重大感があり、まったく5.8の初リードのことは覚えていない。

でも、落ちなくて良かったなぁ・・・。あれ、落ちていたら、彼、止めれたのだろうか?

■ 三つ峠

その後、三つ峠に行って、一回目はセカンド。次から、もう連れて行く側だった・・・。

登れたところしか登っていないから、落ちることはないと思って登っているが、落ちたらどうなるかチェックして行ったわけではない。

その1年くらい後で、登山教室でクライミングを教わっている人たちに会ったら、彼らは次回も全然自分たちだけで三つ峠に来ることはできない様子だった。

1回目は連れて行ってもらっても、次からはリードだと思っていたので、ちょっとビックリ。

最初の三つ峠は何も怖くなかった・・・のに、三つ峠は、クライミング経験が増えるほど、どんどん怖くなってしまい、今ではビビりまくっていたりする(笑)

■ 十二ヶ岳の岩場

十二ヶ岳の岩場には、カンテのラインがあるが、そこがもっとも易しいラインだ。

以前はそこにフィックスが張ってあった。ので、まぁいざとなれば、そのフィックスを使えばいいかと思っていた。

5.7くらいかなぁ・・・上の方はランナウトしていて、7mほど中間支点がない。ので、落ちれない。

下は支点があると言っても、ちょっと悪いので、カムが2個必要。1番と2番。

そこは初年度つまり2年前でリードできたから、今でもリード出来て当然なハズなんだが、落ちれないビレイヤーでは行きたくないかもしれないと思ったりもする。

でも、落ちれるビレイヤーはベテランで、ベテランにはこの岩場は易しすぎる。初心者が通うのに適した岩場だ。

■ ソロクライミング

最初の頃は、通いたかったので、ソロクライミングをしきりに考えた・・・でも、ソロはアブナイ・・・と思いとどまった。

最近もソロクライミングについて考えてしまう・・・

男性パートナーはめんどくさいことが多いからだ。ただ楽しくクライミングする、ということが難しかったりすることが多い。

向こうも向こうで、女性とだと大変そうだし・・・。それも分からない心情ではない。私にも男の兄弟がいたので、なんとなく分かるが、男性と女性では同じ遊びをしても遊びが違う。

例えば、男性のサッカーチームと女性のサッカーチームを混ぜて、男女混合チームで競うというは、あんまりない状況だろう・・・

ただし、クライミングそのものは、他のクライミングと比べて、あまり性差が出ない活動だ。

■ 行っていいのか悪いのか

今、安心できるビレイヤーが欲しいのは、単純に、何が登れて、何が登れないのかよく分からないから。

リードする前に、岩をよく見ているけれど・・・、

登れそう・・・と思っても、登れなかったりするし、登れないかなぁ・・・と思っても、登れたりする(汗)。

そこに法則が見いだせない。

去年は、沢へ通って、滝が登れるかどうか?を見極めるのは、できるようになった。

弱点は見極められる。

けれど、フリーの岩場では、弱点を登らない・・・弱点の方に行くと、叱られちゃう・・・。

ということは、強点?

でも、一番難しいラインを登るわけではないし(当然!)、どういうライン取りで、ルートが設計されているのか?

つまりルートの良しあし、おもしろさ、

というのが、まだてんで分からない。

フリーは、登れそうに見えないのを登らないといけないということになっているらしい・・・という感想だ。

というわけで、落ちるのかなぁ、落ちないのかなぁ、どうなのかなぁ・・・とよく分からないでリードしている。

■ ムーブ

さらに、ムーブについても、クライミング理論って言われるけれど、それが何なのか?

よく分かってやっているわけではない。

なので、理論どおりに登ったら登れるハズと言われても・・・

クライミング理論って、教わっていましたっけ~?な感じ。

なので、考えていると登れなくなり、考えていないと登れる(汗)

という困った状態にいる現在・・・というわけで、やっぱり今のところ、落ちれたとき止めてもらえることが確実な人と登る以外に、命の安全が保障されそうな選択肢が見当たらない。



理想と現実のはざま

■ 夫婦クライミングは夢の夢

連日お天気も悪く、一緒に岩に行く人もいないので、レスト中である・・・

・・・というので、平日パートナーの見舞いに夫と二人で出かけることにした。 

行ったら、クライマーが二人来ていた。やっぱり小川山も最悪に雨だったからなぁ。

ご夫婦でクライミングしている人たちをみると、率直に羨ましい

私のビレイをしてくれる、頼りになる夫はいない。去年はモウアラさんご夫婦が、はるばる関西から来てくれて、夫も湯河原のクライミングには参加した。

婦唱夫随で始めたそうで、だんな様は奥さまのビレイヤーとして、クライミングを始めたそうだった。

とても羨ましい関係・・・夫にも見習ってもらいたいなーと連れて行ったが、が、夫は、取り組む姿勢を全く見せず、岩場でスマホをいじっているだけだった(汗)。

ダメだ、こりゃ。

■ 挑戦がキライみたいなんだよなぁ

彼は、基本的に、なんでも、食わず嫌いである。

 何事も挑戦!

”取り組む前からあきらめないこと”を信条として、生きてきた私とは全く違う。

まぁ違うから夫婦としてバランスがとれているのだろうと達観することにしている。

でも、過去を振り返ると、私の方が彼に無理強いした結果、彼にとって、大きな心の自信につながった活動が多くある。

無理やりNO1は、オーストラリアで運転したこと。次はダイビング。手作りの海外旅行。

彼にとっては、一皮むける経験。

クライミングも、おそらくきちんと取り組めば、それなりに登れるようになると思うし、私がパートナーがいなくて困っているというのはあきらかなことなのだが・・・。夫は一向に協力してくれない。

クライミングどころか山にも行かない。(というか、行けない。体力がまた下がってしまっている・・・)

■ 離れ離れの夫婦

私の周りの年輩の夫婦は、反面教師が多い・・・夫婦がなぜ乖離するのか?

それは一緒に過ごす時間を持たないからだと思う。

同じことをする、分かち合う、と思考せず、それぞれ好きなことをしていたら、ただの同居人になってしまう。

そのような例は、特に日本人に顕著なようで、自立した妻を持っている人に多い。自立は素晴らしいが、だからと言って、互いの都合でエゴを張りあうと、一緒にいること自体が不成立になってしまう。

友達で、夫の転勤に附随して失職し、転勤先で再就職したら、もう一度夫の転勤が起きてしまい、同じ失職を繰り返すのを回避した結果、離婚に至った人がいる。というわけで、なぜか一度目の転勤先で彼女は第二の人生スタート。

だから、たぶん、大事なことは、それぞれやりたいことが多少違っても、相手に合わせてあげる、ということだと思うんだが・・・ 違うのだろうか?

それで今日は、パートナーの見舞いにも連れて行ったわけなんだが・・・。

私と夫の関係をもっともきちんと理解してくれているのは、イタリア人の友人アメリゴで、いつも、例え、夫が同じことをできなくても、夫を山に連れて行けと言う・・・確かにそうするべきだと思う。アメリゴは正しい。私のメンターの一人である。

■ お料理のこと

パートナーは、術後の回復期だし、いつも作ってもらっていて悪いなーと思い、料理くらいはしようかな~、とお料理を担当することに。

人の家の台所は勝手が分からない・・・塩が、塩化ナトリウムしかなくて、困った・・・。

学生時代は、「お料理研究家になるの?」と先輩に言われるくらい、毎日料理を作っていた。

私のお料理歴は長い。8歳から料理している。実家にいた頃は作らねばならないから作っていたが、独り立ちしてからは、自分の好きに出来て楽しかった。

学生時代は寮生活だった。7人暮らし。私が一番年下だったので、先輩たちには、随分かわいがってもらった。若い女性ばかりの7人暮らし。

たくさん作っても、「余ったので食べてください☆」と書いておけば、誰かが食べておいてくれる。

松和荘に住んでいた頃は、学生寮時代の友達で、お腹を空かせた男友達が良く何人かでつるんで、遊びに来てくれた。口実は、「銭湯行くのに石鹸忘れた、貸して」というもの・・・(笑)

見え透いているなーと思っていたが、まぁ互いに苦労者同士だったし(夜学の出身)、一緒にご飯を食べて、一緒に銭湯に行っていた。

私の家は、当時、よく人が集まる家だった。友達が別の友達を連れてきては、泊まっていく。まだ皆若かったから、自宅の人はたまり場に不自由していたし、寮の人は寮の規則がうるさかったからだ。

バンドマンしながら豊中の自動車工場で働いていた友人は、その後、自殺してしまった・・・。仕事にも未来にも希望の無い時代の星回りだった。

当時は、アメリカ人の恋人がいて、彼もドラムをたたいていたので、一度ライブをしたのだが、それがとても良い思い出。

私も蟹工船みたいな職場に長く努めたが、それでも、もっとも成功した例かもしれない。

当時は、まだ20代中ごろで、結婚したら、友達がたくさん訪ねてくるような家庭を築きたいと思っていた。

でも、実際は、夫が私の家に転がり込むと、皆の足が遠のいてしまった。

なかなか、夢の実現は難しいものである。


2016/08/26

ピラ22

■ ボルゼミ

今日は、いつも金曜のレッスンをアミさんが変わってくれたので、ボルゼミに行ってきた。

シールにない課題を設定されて、皆で登る。

なるほど、体格が大きいだけが、クライミングでお得なわけではないんだなーと分かる。

大きな人はキョンで狭そうにしてた。

しかし保持力は、やはり優位がありそうだった。

今日はなんだか当たりの日みたいで、友達もできたし、めでたし。

一方、沢の予定は、二つとも怪しい・・・去年はたくさん行けたのに、今年は沢がない・・・

まぁ自分で歩きに行けばいいんだけど・・・少しはあるいておかないと、冬用の体力作りを始めるシーズン開始かな。

ここのところ、少し涼しくなり、まったく体調が違う。6,7月は、だいぶ消耗してしまっていたんだなぁと感じる。

今日は腱鞘炎もあるし、クライマー肘も心配なので、ボルゼミ前にアップでいくつか登った以外は、あまり執着せずに帰ってきた。


What turns you on?

■ ラリーキングライブ

アメリカで有名なトークショーがある。ラリーキング、ライブスペシャル。アメリカ版徹子の部屋と言ったらよいだろうか?

そのトークショーで、かならずゲストにする質問がある。

What turns you on?あなたをその気にさせるのは何ですか?いうことだ。(文脈に気を付けないと、エッチな気にさせるの意になる)。

Turn on の反対は、Turn off。 あなたをゲンナリさせるものは何ですか?

■ What Makes me turn on?

人生で大事なことは、何が自分に火をつけるのか知ることだ。

私の場合は、知的探究。 

クライミングも、登れるようになりたいのではなく、登れた結果、知ることができるだろう、その心境を知りたい。

最初の頃は、山自体をあまり知らなかったので、地理的な探究心が大きかった。北アってどんなところかな?とかそういうこと。

でも、行ってみたら、人で大混雑でゲンナリのお祭り騒ぎの場所だと分かって興味が一気になくなった。山小屋泊まりの山には、もう全然興味が湧かない・・・。

ベテラン、ルグリのドキュメントを見ても、まだダンサーの卵のドキュメントを見ても、心を打たれる。
だから心打たれるのは、生き方であって、”成功”にあるのではない。

そのような生き方が素晴らしい!と感じる。子供のころは修道院に憧れており、中学の頃は海に生きる航海士の生き方に憧れた。ヨガのグールーの生き方にも素晴らしさを感じるし、料理家もそうだ。

一つのことに自分をささげ、突き詰める生き方、ひたむきさが好きだ。実際バレエを習っていたときはそうしていたような気がする。価値基準がひとつの指針に収れんされるのが好きなのだ。

海の生活は、海が掟だから好きで、山が好きなのは山が掟だから。基準が明確。人を基準にしてはいない。

良い意味でのアマチュアリズム。現代は、職業バレエダンサーではなくても、それができるラッキーな時代だ。趣味だから才能の有無は関係ない。

それが素晴らしい点なのに、それでも職業ダンサーの階級制と同じ思考で考えて、報われないと言って、つぶれてしまう人が多いのは残念なことだ。

仮に報われてしまったら、職業ダンサーにならないといけなくなってしまう・・・報われないからこそ続けることができるのだ。

それは子供からやった人を見れば分かる。みな三羽の白鳥まで行って終わり、二度とバレエをしない。三羽の白鳥が踊れて5年でバレエを辞めるのと、踊れなくて、20年ずっとバレエしているのとどっちがいいだろうか?

同じことがアルパインに言える。バンバンやっていた人は引退が早い。

というわけで、ここしばらく、私の人生は山一色で、幸せだった。

今はフリークライミングを基準に生活を組み立てようとしており、それはそれで、幸せ。

個性。個性的な人が好きだ。変わった人のほうが興味がわく。芸術家連中はみんな好き。これは母が芸術家で、東京女子美卒の人だったから。

クリエイティビティ。創造性と想像性。そのために必要になる基礎力は地道だ。


■ What makes me turn off?

逆に、萎えてしまうのもある。

自己顕示欲。ミーハーリズム。ナルシシズム。競争。名誉への渇望。嫉妬と羨望。結果至上主義。悪いアマチュアリズム。過保護。偏狭。群れ意識。損得勘定。階級主義。

クライミングしていて、後ろから、カッコいい~と言われると萎える。カッコよさのためにクライミングしているわけでないからだ。

バレエの時も、キレイですよ~と言われると、なんだかうまく行かなくなっていた(^^;) 私の場合、他人の目を意識させられるような言葉を掛けられると、途端に下手くそ化するのだった(笑)。

つまり、そもそも、みんなに見られているから頑張る、という報酬体系にないわけなんだな。

”誰もいなくてもやること”が、その人が本来好きなことで、やるべきことだ。

クライミングで後ろから、ごちゃごちゃ言われても萎える。瞑想中なんで、黙っていてください、な感じ。

誰もいない山が好き。山とだけ向き合っていたいから。大勢でわいわいってのは大の苦手だ。だから、おばちゃんといく山はうるさくて嫌い。

でも、バレエのコールドで踊って揃うと気持ちがいいなと思うんだけど・・・ バレエを習っていた女性はみんな、男っぽい性格の人が多く、付き合いが楽だった。

登山の女性は湿っぽい性格の人が多く、イチイチ面倒を見てやらないといけないので疲れる。

クライミングも同様で、曖昧な言い方だが、女っぽい性格の人とは疲れる。そして、なぜか女っぽい性格の人はクライマー内にもいる。嫉妬心の多い人、人のモノを取りたがる人、楽しそうにしていると混ぜてもらいたがる人、つまり他人の芝は青いってタイプってことだ。

■ 考えられる欠点

物事には何でも、二面性がある。

というわけで、求めるものを得ても、副作用と言うようなことはある。

副作用として考えられること

・飽き 
・早とちり

飽きと早とちりは、どちらも頭の良い人に見られる欠点だと言うことを、非常に頭脳明晰な師匠から学んだ。すぐ理解するから、すぐ飽きるし、その”すぐ”には誤解がかなり含まれるのだ。

・偏り

一つのことしかしないと言うことは、偏るということだ。バレエはバレエダンサーの形を作る。水泳をしていれば水泳選手の体格になる。つまり、言い換えれば、奇形を作っている。

なので、偏りを取り除くための カウンターバランス的な活動 が必要になる。

・一歩進んだ理解

偏りについては、肉体的な方よりだけでなく、考え方も偏る。職人も同様だし、サラリーマンも同様で、物事の味方も偏ってくる。男性か女性かという事でも同じで、男性は女性の視点に立つことができないし、女性は男性の支点に立つことができない。

ので、包括的な理解、鳥瞰図的な理解、相互理解、など、より一歩進んだ理解が必要だ。

・寛容と謙虚さ

そのためには、小さな相違点にとらわれない寛容の精神が必要だ。なにしろ、相違と感じられたことは、誤解に基づく可能性もあるのだから。そう思うことは謙虚さの表れでもある。

・ヒューマニティ

相手の立場に立つ、気の毒に思う、そういう心が必要だ。ヒューマニティは子供にはない。子供は自分のことしか考えられないから、とても残酷。

というわけで、ヒューマニティ(慈悲の心)は、精神的成熟に基づく。

・純粋さ

一方子供から学ぶべきは純粋さだ。単純であることは美徳だ。

頭が良いと言うことは思考が深いということであり、思考が深まれば、複雑にもなりうる。

思考と感情が切り離されることも起こる。そういう場合は、羅針盤とすべきは、純粋さをもとめることだ。

基本に立ち返る、という言葉で表現されることが多い。

■ 外発的モチベーションは本来の姿を現さない

人間が持つモチベーションには、内発的なものと外発的なものがある。

大人はモノで子供をつるので、「100点取ったらおもちゃを買ってあげる」式に教育された人は、なにか得がないと動かない人間になる。

山でいうと、いま行っておくほうが得、というようなケース。せっかく来たのだからも入るかもしれない。

そうではなく、内発的なモチベーションで行うことが、その人がやるべき真の活動だ。

思うに、内発的モチベーションを山に感じている人が山ヤであって、それは会えばすぐ分かるようなことなんでは?

今までこの人は・・・と思ってくれた山ヤの先輩は常にこの点でつながっていると思う。