2021/01/03

仏教では愛とは欲

仏教では愛とは欲

だそうです。

 満たせば満たすほど乾く、

というもの。

フリークライミングでは、5.10Aが登れれば10b、10bが終われば10ⅽ、…と永遠に続くのは、同じではないのでしょうか…。

…というか、周囲のクライマーを見て同じに見えてしまうのですが…。

私は欲望と執着の世界には行きたくないので、そこが私のブレーキになっていますねぇ。

疑念を持ったきっかけは、グレードで人を見下すような世界が広がっていて、なんだかなぁ…と思ったことが一度ならずあることです。

でも、これはもしかしてフリーの人たちではなく、アルパインの人たちなんではないか?と思ったりします…。ヒロさんは全くそういうところがなかったので。

足るを知る、という世界がいいな~

適切なフリークライミングの捉え方、フリークライミングに対する考え方が獲得できていないな。




2021/01/02

心がすり減る対応=安心して失敗できる環境

 ■心がすり減る

クライミングでのリードで

 心がすり減る、

のです…。振り返ると…

1)三つ峠リード時代

ともかく落ちてはならんと当然のように思っているのと、そもそも落ちない程度なので、落ちるつもりは全くないので、ビレイヤーどころか、支点すら信用など一顧だにしておらず、まったくリード問題なし。むしろ、自分の作ったロープワークの支点がいいのか悪いのか、師匠の清高さんが評価(ダメだし)してくれず不満。(多分、OKだったんでしょう)

2)アルパイン的ゲレンデ時代(西湖の岩場)

ガイドの堤さんが整備した岩場で地元の山岳会では、年に一回の岩トレ(アイゼントレ)に使う。岩をクライミングシューズで登ったことがないのに、アイゼンで岩を登っていた時代。もちろん、クライミングシューズを履いたらリード楽勝なので、同期と20ピッチ目指してロープワークの習得で岩場に通っていた…ので、リードが怖いなんて、意味分からず…今思えば、3P 5.6。

3)リード怖い怖い期

そのまま、大ランナウトの3P 5.7の小川山春の戻り雪での練習にスライド。いや~、心すり減る!でも相方も信頼していたし…。自分を鼓舞していました。10Aのトムと一緒、登れず。

4)手繰り落ち

小川山屋根岩1峰で、10bにトライしてたぐり落ち。でも止めてもらう。2トライ目に完登。その日一番危険な人アワードを受賞する。

5)クラック修行

湯川。疑似リードさせてもらえず、不満を貯める。5.8だけリード。

6)小川山行っても登れるものがないんですよねぇ…な時期。

色々行くが小川山で私のリードに適した課題がない。このころ、三つ峠に行って楽勝で5.9をリード。あれ?みたいな楽勝さ。小川山の5.9は相変わらず、登れず。

7)ラオスに行って城ケ崎

城ケ崎でリードデビューしてみんなに一皮むけたね~と喜ばれる。ほとんどラオスで一皮むけたと思う。ラオスでは5cは全部登りつくし、6Aに行っていたころ。1日5~8本登る。小川山とエライ違い。

8)落とされる 頭を7針縫う

兜で。ちょっと違うムーブを試してみたかっただけなんだけど、落ちてキャッチしてもらえず、担がれて山を下りる。血みどろの岩場。そのあと、その場に行っていない…私の流した血はどうなったのだろう… 

9)残念ながら山梨時代を去る…ので日々登る生活お終い

ヨガの日々に入ろうとするも挫折し、九州クライミングは、本匠の山女5.10bを1墜落で2撃でRP。リードはしたいけど、えらい怖い。特に日向神。愛のエリア。夢中歩行、文字通り夢中。

10)槙尾山の岩場(大阪)

でリード三昧すると、師匠の青木さんがビックリ仰天。師匠が連れている男子は私を見てリードしようと取り付くが静止される。君はまだダメ系。青木さんはビレイを信頼できるので登れる。

11)師匠のビレイもダメかもしれんと自覚

佐久の岩場にサブガイドみたいな感じで呼ばれていく。なんだかイケイケの女性がいてドン引き。別のペアのだらりんを指摘したら、師匠が「まぁ、クライマーが確実だからええやろ」と言う…そういう問題じゃない…佐久では過去に2度、浮石を掴んで落ちた先輩をキャッチしていた私の心の声…

12)九州でリードを強いられる…

というか、九州って、この支点なんなん?っていう疑問自体が解決できない‥‥ので疑念が深まる…一方で安心は増えず。人工壁も外岩クライマー向きではなく、ピラニアは良かったなぁ~とかベースキャンプ行きたいーとか思ってしまう

13)だんだん支点の謎が明らかになる ボルトの謎も解ける

14)三倉で撃沈

15)龍洞に一人で行く

楽しく登って、やっぱプロテクションは自分で設置すればいいでしょとか思う でも海外なので落ちないクライミング

16)関東のクライマーと登って登りこみのすごさを知る

それと比べたら、私はギリギリをリードしている…と自覚。12登れるスキルのある人が10台みたいな安全マージンのぶあつさ

17)怪我も重なりクライミングお休み中

まぁ怪我もしたし、古いクライマーと一緒だと、ビレイヤーもボルトも信頼できないのだから、登る環境にない、と結論。

心がすり減る問題は解決せず… 一番解決したのは、ラオス。そもそも、登っているときに落ちることを考えていない。

落ちることを考えていると、本当に落ちると思う。夫とか甘えやすい人がビレイヤーになってくれないかと思ったりする。なにしろ、私がムーブと格闘している間に、世間話とかをビレイヤーがし出すと、きちんと観察してもらっていないのではないかと思って、安心できずに登れなくなる… じわーとしか登れないので、そんな登りだと、パワーロスにつながっている。それは分かるが、スタティックにしか取る気になれない。無邪気にデッドとかありえない…と思う…。

墜落して頭を縫った翌日ですら、負けてはいけない、と思って岩に登っていたが、今回は 負けてはいけないとは思えない…むしろ、負けるべき、と思えてしまう… 

対策がないまま、ボルダーへ。ボルダーもボルダーで危険でやっぱりやめた系。






■心がすり減る対応=安心して失敗できる環境
自分で流れを書いて納得。
三つ峠、大ランナウトの小川山、九州と、落ちること(=失敗)が許されない環境にいることが成長の足かせ。
落ちても大丈夫なところでバンバン落ちて、”失敗経験を積む”、”そこから自分の安全マージンを引き出す”というのが大事なことですね。

■二撃の事例

心がすり減る対策、で成功事例が2件ありました。1件は大蛇山。核心は2個あるのですが、1個目でクリップが遠いので、一旦降りて、再度トライしたら登れたのでした。その時は2撃で登れました。

小川山のボルダーで2段を登る先輩と初の4級を落とした時も、1撃目は一旦降りて、心を充満させてから再トライしたら登れたのでした。この時は登れるのは分かっていましたが、根性がいる系だ、と分かっていたので、一旦降りて、しばらくしてから登りました。先輩がビックリ眼でした。

この2つの事例は、普段の安全マージンから、より薄いマージンを取って登って成功した事例…

ここから、落ちるというライン…ここからは自分には無理…というラインの見極めが、落ちる経験がないと、ぶわーとした太い線になりますが、フリークライミングの世界と言うのは、その線がどんどん正確にシャープになっていく世界だと思う。これはダメ、これは行けるというのが明確化していくというか…

2020/12/31

クライマーの危険認知 スライド

https://docs.google.com/presentation/d/1Z2vNyci14jLlFs1s_v6fmk-9Ct04rK8yZxo4DZYMhzo/edit?usp=sharing

今日は女性の初心者クライマー2名に偶然FBで知り合い、かなり不安になって、上記のスライドを作成した。

若い男性クライマー(ボルダラー)にも、「比叡に連れて行ってもらっています」と胸を張って言われたことがある… が、「大丈夫かよ~」とは思ったが、「知らせなければ(守ってあげなければ)」とは、感じなかった。

女性
=男性の権威者に従順
=疑うことなく言いなり
=不勉強により、危険な目に合っていても、それと気が付いていない

という可能性があり、自分自身が足元を見られ、2年ほど前に九州で、きちんとしたビレイではないビレイで、いきなりリードさせられた苦い思い出がよみがえる。私は初めての岩場で、いきなりリードだったうえ、通常1名が1名をビレイするのが当然なのに、後で渡された写真には、私以外のクライマーが写真に載っていた…(汗) ということは…。

そう、命がけの恐ろしい目にあわされていたところだったのだった。2名を1人がビレイするような非常識な行為をしても、どうせ、こいつは気が付かないと見くびられていたのだ。(としか思えない)

という、ひとごとならぬ感?のため?このスライドと相成った。

他にも、危険な行為はいろいろあるが…たいていの危険な行為の99%は、その場では何も起きないで過ぎていく。

そして、間違ったことがデフォルト化していく… まるでコロナ禍の自粛のように…

どこか言われていることと、行われていることに一貫性を欠くので、奇妙に落ち着かない。

そのような、もやもや感をそのままにしておくと… 大体は事故になる。




2020/12/30

2020のクライミング活動のまとめ

■2020年の毎月のトピックス

1月 リボルト講習会
2月 大堂海岸&岸良
3月 杉野ショック
4月 特になし コロナ自粛 激化
5月 小山田さんの自粛期間の投稿に感銘を受ける
6月 中津神護寺に護摩焚きで八面へ
7月 自分の価値観の深堀り&内省
8月 井上さんと中津へ
9月 石田登山塾石田さんよりアドバイス来る
10月 米国人クライマードンを日向神に案内
11月 子供体験クライミング&八面ツアー
12月 鈴木さん到来。二子山町おこしクライミングで勇気をもらう

でした。転機というか潮目が変わったのは、8月ですね。

実は8月は本当は出稼ぎに行きたいと思っていたのが、岩場の用事を優先したために行けなくなったのでした…。あれは良くなかった…。


現代クライマーのためのクライミング指導法

現代クライマーのためのクライミング指導法ということを、ずっと考えています。
1)為末大学が参考になりそう
2)アルパインクライミングの教え方で、フリークライマーを作るのは難しい。
3)インドアのスポーツクライミングの教え方で、フリークライマーを作るのは難しい。
4)ボルダーからフリークライマーになるのは難しい。
5)障害は、命知らず自慢、ビレイ、ロープワーク、外岩の危険
6)障害は、そのグレードを登るクライマーのために打たれていないボルト
7)障害は、時代遅れな知識

2020/12/29

クライマーのスコトーマ

■指導者のスコトーマ(盲点)

私はクライミングパートナーが、何もかもを分かっている、とは期待していないので、組んだ人とは、互いを理解し合うために登っていると理解していますが…。私はクライミング歴が浅いので、大体組む人は、自分より経験が長い方です。

前提として、盲点は誰にでもある。しかし、一般的には、経験の長さで、盲点は、カバーできる確率が多くなります。一般的には、というのは、ところがそうはならない場合もあります。思考停止している場合ですね。

以下、私が気が付いた(経験の偏り)×(スコトーマ)の存在です。

1)女性と登る経験がないクライマー
女性を男性のミニチュアと思っている

2)若い人と登る経験がないクライマー
これくらい知っていて当然と思っている

3)会で登る経験がないクライマー
助け合いができない

4)能力が高いクライマー
他の人の能力が限界に来ても理解できない

5)年を取ったクライマー
相手を思いやることができない

6)経験が浅いクライマー
考え深さで、経験の浅さをカバーしないといけないのが分からない

7)会でしか登っていないクライマー
自分が自立していないことに気が付いていない

8)男性初心者
年配の人の言うことを聞いていればすべて大丈夫だと思っている

と言う感じかなぁ…。私が相手のスコトーマをカバーできないと感じられる場合は、パートナーシップは断ってきました。

 例: 女性でイケイケの人…

男性クライマーが世の中は多いので、男女の体力差をあまり理解していないなーと思われる場合、その女性は、男性の論理構造の中に自分を当てはめて登っており、絶対怪我をする論理構造の上にいるので、パートナー候補としては断ってきました。私がどんなに良いビレイをしても、本人が怪我や大事故に結びつく因を持っているので、縁が揃えば、事故になってしまうから…。

ヒマラヤキャンプにも参加した30代の女性で、かなりトレーニングを積んだはずの方がいましたが…宝剣で遭難。彼女は、山ヤだったら、誰にも理解できそうな因を持っていました。

アルパインクライマーの谷口ケイさんも大雪山で遭難しています。が、因と縁と言うことを考えると、因に縁が揃ったなぁと思ったのは、前者です。谷口さんは、杉野保さんと同じく、なぜ、こんなところで?ということでした…。むしろ、魔が差した、に近い感じですかね。もちろん、クライミングや登山と言う危険をそもそも含んだ行為をしている人は、すべて因を持っているとは言えるのですが、それを言うなら、人は生まれたら必ず死ぬので、因はそのままなのです。ただ縁を引き寄せそうな人とそうでない人がいます。

登攀やクライミングで死にそうな因がある、というのは、

1)計算されていないリスクを好む傾向がある、
2)プライドなどの非論理的な面で譲れない傾向がある
3)リスクを積み上げることに快楽を覚える傾向がある

と言うことかなぁと思います。ギャンブルと同じで、論理に根差した行動原則を守れば、そこまで危険と言うことはないので。

もちろん、論理は情熱でバックアップされていないといけないのではありますが…。その情熱が論理を凌駕する場合、時にリスクに盲目になってしまうことがある、ということなのかもしれません。

あるいは、傲慢の罪もあるかもしれません。これくらい平気という傲慢さのことです。

多くのケースでは、それは、気のゆるみとか、慢心、と表現されていると思いますが、慢心とはリラックスのことなので、そうそういつでも気を張っていたら、山自体の愉しみを楽しみそこないますし…

緩急のバランスが、どのような活動でも大事かなと思ったりします。

2020/12/28

体幹は遅筋的【為末大学】

現代クライマーのためのクライミング指導法(案)

 現代クライマーのためのクライミング指導法ということを、ずっと考えています。

1)為末大学が参考になりそう
2)アルパインの教え方で、フリークライマーを作るのは難しい。
3)インドアスポーツクライミングの教え方で、フリークライマーを作るのは難しい。
4)ボルダーからフリークライマーになるのは難しい
5)本人系の障害: 命知らず自慢、ビレイ、ロープワーク、外岩の危険無知
6)環境系障害:そのグレードを登るクライマーのために打たれていないボルト
7)その他障害:ビレイ、時代遅れな知識、年功制度 例:ブーリン、棒フレンズ、肩がらみ

■ アルパインの教え方になくフリーにある

アルパイン=100%落ちてはいけない、
フリー=1ピン目掛けたら落ちてもいい

■インドアになくて、フリーにある 
インドア=気温が適切 緊密なボルト
フリー= 外的リスク、暑さ、寒さ、動物、日射 ランナウト

■ボルダーになくて フリーにある
ボルトリスク

■ 障害
・本人系、岩場系、周囲の人材系

自分の価値観を譲らない強さを持つ必要性

■ 頼りない者同士であっても、協力して正解を紡いでいくのが一番

だな、と改まって振り返って反省しています。頼りなくても、自分は自分の正解をみつけることができると信頼する、ということですね。つまり、ベテランなどの外部に正解を求めたり、頼ることはできないということですね。

以前、23歳男子の後輩ができました。

当時私がいた山岳会では、たしなみ程度しかアイスクライミングをしないので、そんな練習量じゃ足りない!と鉱泉アイスキャンディーフェスにパートナーゲットに出かけたら、若い男子が私のテントを訪ねてきてくれたのです。まぁ、フェスレベルの人(今日初めて登る)と比べたら、私は断トツ登れたので…。頼りにしてきてくれたんですね。

彼はアイスは初心者でしたが、若い人は見たものをコピーする能力に優れているので、アイス40年の青ちゃんとのクライミングに混ぜてあげたら、あっという間にムーブを身につけました。

が、ロープワークを覚えないと。外アイスで時間がかかるロープワークを教えるのでは、寒すぎる。季節のいい時期に岩で、となるので、他の先輩に出動してもらったりして、岩講習を彼のためにセットアップしたり、色々と急がしかったです…。
 
たぶん、アイスをしたいのだけなのに、なんでロープワークを覚えないといけないのか?初心者の彼の立場からは分からない。

ロープワークなどは、本人がやる気にならないと、なかなか、身にもつかないわけです。本もいっぱい貸し出したりしましたが、読む時間がなかったんでしょうかねぇ…

結局、私が山梨を出るときに、彼を託した先輩曰く、「ああいう子はだめだよ」ということだったのです…。残念。

理由を考えると、その先輩も私も雑草系で、粗削りで、未習得のことはいっぱいあるだろうと想像して自覚がある中でも、独学で、やりくりして何とか自分自身を成長させてきた、ということを考えると…? まぁ、そう結論するだろうな、となります。自発性というエンジンに欠ける。

年配の人の言うことを真に受けすぎというか…素直な良い子はクライミングにはイラナイというか。

とはいえ、自発性があり、自立していこう、という独学派は抜けも多い、です。

私もそうかもしれぬという思いがあるので、いつも自信をもって教えているわけではありません。

私がやったことをそのまま他の人がやると(例:三つ峠2度目からリード)、途中で死ぬかもしれませんし、同じ失敗を繰り返す必要はないと思うし、指導ができるほどの視点には、まだ立っていないので、という部分もあります。

自己責任が身についている人でないと、教えづらいというか、教えたことがすべて正解と解釈する人だとダメなのです、クライミングは。クライミングというか、安全管理は、ですかね?登るほう、ムーブなどは、ほっといても誰でも上達するので。

というので、私も独学者の域を出ないので、自信がない。ので、来てくれた若い人は、大体、年配のベテランと言われる人たちに託してきました。経験の厚みが、抜けをカバーするものと思われたし、今まで生き残っている事実がとりあえず安全管理能力を示すからです。

■ メリットよりデメリットが多いかもしれません

しかし、抜けなく学べるというメリットは少なく、逆に間違ったことを覚えてしまうリスクのほうが高いかもしれないと、ここ最近は思います。

害悪も一緒にハンドダウンされてしまうのです。ベテランの悪いところを身につけたりとか、肝心の学ばないといけないところを教わらなかったり…とかするのです。

例えば‥‥

1)教わるべきことを教わらなない事例 登っていい氷と登ってはいけない氷の見極め
2)悪いところを身に着けてしまう事例 ビレイ

などです。

ベテランは、登っていい氷と悪い氷の見極めが的確なので、登って崩壊する氷には登らないですが、若い人は登ってしまい、案の定、氷が崩壊して骨折していました…。

岩に置き換えるとボルトや支点ですね…。

危険を排除して、登攀すべき対象を見出す、ということは、どういう課題ならベテランが登攀対象として採用するか?という観察からしか導き出せない。

【具体例】

今回は、私は日向神に一緒に本州からのベテランクライマーに行ってもらって、その支点作成や登りのスタイルの採用を見て、ずいぶんと行動指針を作るのに役立ちました。

今までは山梨で一緒に登っていた先輩と登っていましたが、彼もこんなヘンテコな支点は見たことがないので、どうしたらいいものか、お互いに分からなかったのです…。山梨は外クライミング先進国なので。九州クライマーは、これが普通だと思っているので参考になりませんし…。

ビレイも課題で、ベテランというのは、昔はフリーを練習するインドアジムなんてなかったわけなので、もれなく全員がアルパインクライマーです。つまり、アルパインクライマーと言うのは、決して落ちない。落ちない登りしかしないのです。ということは、アルパインのクライマーに育てられたビレイヤーは、要するにキャッチの経験がないということです。

これは年配のクライマーのみならず、若くても、師弟制度で登り、人工壁に行かずに外岩クライミングしかしない人は、ベテランの操り人形のごとく登っていたりします。そういう人は、ビレイ経験が形骸化するほか、思考停止の害をも受けます。

私の育てていたO君は、師匠の青ちゃんとアイスでダラリンビレイを身に着けてしまいました…。アイスではだれも落ちないからです。本当に、私はがっくりと言うか、この1年は何だったのか…という思いになってしまいました…(涙)

あるいは命知らずクライミングの価値観がハンドダウンされてしまいます。例えば、湯川では、アイスは脆く、上部はミックスで短く、つまり、落ちたら危険な課題ということです。(テクニカルで楽しいとは言えますが)

とはいえ、歩いてトップロープ支点の立木にたどり着けるので、大概の人はトップロープで登ります。命の危険を冒してまでリードする価値があると思うか?ないと思うか?は、本人の価値観次第です。リードしないと気合が入らない人はやったらいいですし、したくない人は別に必要自体がないです。

ところが、リードしろと強いられて本当に嫌でした。その時は、大勢の人の前で大喧嘩して、そのようなクライミングは否定しました。

そういう、ある種の強さ…がないと、ハイハイ、と言ってリードでとりつき、ミックスで落ちて、ダラリンビレイで下の氷にたたきつけられても、自業自得、というのがクライミングの掟というか、そもそも、人生の掟、なのです。

とくに湯川は距離が短いのでビレイはシビアなのですから…。

師匠の青ちゃんとは数えきれない喧嘩をしました…。 その一つ一つは、私にとって周囲からの評価は価値がないにも関わらず、彼にとってはある、というのが問題のようでした。その敬意の内容が、命知らずさの度合いに基づいているということだと、今振り返るとアリアリと感じられるのです…。ただ、当時から私の価値観は、
 
 リスクは度胸で登って乗り越えるのではなく、
 リスクはスキルアップで克服する

という方なので、全く合わなかったのです。
  
 合わない価値観の時に譲らない強さを身に着けるのは、この世界で身を守る大事なこと

だと思われるので、

 素直なよゐこに欠ける資質はそこかなぁと…。