2020/06/27

日本的クライミングの陥穽

■日本独特のクライミング文化=ヒロイズム

日本独特のクライミング文化で、特殊でありすぎ、クライミング文化の広がりにおいて、ボトルネックとおなっているものに、神風特攻隊の縮小版である

リードクライマーのヒロイズム

があります。

「俺がやらねば誰がやる」

です。そのために、連れて行ってやる&連れて行ってもらうという恩売り&恩返しを基調にした人間関係が成立しており、これが日本的クライミングのアキレス腱になっています。

クライミングは、そもそも、遊びであり、趣味であり、したくなければする理由は一つもないものです。

100歩譲って、リードクライマーに特殊な能力が必要になるアルパインクライミングでは許される態度だとしても、ボルトを追いかけるクライミングのフリークライミングにまで、その価値観を持ち込む必要は本来ないですが、日本ではフリーもアルパインのクライマーが教えていた経緯があって、アルパインの価値観が持ち込まれています。

純粋培養のフリークライミング教育が、ほとんどないです。私もアルパインの出身なので、支点がなく、自分で支点を作りながら登るクライミング形態により大きな価値を置いています。

■ 気づいた出来事リスト
このヒロイズムには、クライミングのMYヒストリーの中で、たびたび気づかされました。

・最初の師匠の鈴木さんとアイスルートに行ったとき、帰りにほうとうを奢らさせられたこと、(鈴木さんも行きたいのなら、恩は発生しないはず)

・ラオスに行った国際ガイドの方が私になぜかここを登れと命令すること、

・二番目の師匠の青ちゃんがリード練習に付き合ってくれないこと、私のビレイを自分はしないでほかの奴にさせること、

・庵の三澤さんのお話、

・パートナーの怪我に気が付かない米澤さん… 
リードクライマーがエライ。このヒロイズムがあるために、二つの価値の逆転現象が起きています。

1)命知らずの美化 

〇〇で一番死に近い男というのは誉め言葉ではなく、リスク認知が甘いということですよ

2)怪我の軽視と武勇伝化 

怪我をしたら、それは実力不足のサインで、武勇伝ではないですよ。
私は岸良で肉離れしたのですが、何度も歩くのさえ痛いと訴えているのに、2日間もパートナーは私を返してくれませんでした…後で聞いたら、経験からそうした、そうです。経験がこの行動を起こしたなら、もうそれは正当な行動とこの世界ではなっているということです。

つまり、ここまで、価値観がおかしければ、どんな心が広い人でも気が付きますよね?
命がいちばん大事、というのは、普遍的な動物としてのことわり、です。それに反していれば、もう間違った価値観であることはあきらかです。

■ ヨセミテ文化は万人が習うものじゃないですよ

紛らわしい文化の一つに、フリークライミング発祥の地、アメリカでも、命知らずの文化はあります。

例えば、ウィングスーツジャンプしているクライマー…もうクライミングですら、ないですけど…一杯死んでいますよね?

しかし、言われていることは、「18歳から35歳の男性に人気」です。同じことを分別がある大人がすることは少ないですし、ましてや、こうするのが習わしだ!と初心者であることが多い、他の人に強要する、と言うこともないです。

これは一部の人の価値観が許容されるというアメリカでは、分離した価値の共存が認められています。つまり、突飛で極端な価値と普通の人の普遍的な価値が混線することがないです。

が、均質性を求める日本ではメルティングポット方式で、同質化を求めらえるので、一般の人が特殊エリートの価値に染まることになり、それが死亡事故が絶えない原因となっています。アメリカはメルティングポットは間違いで、サラダボールという価値観です。

フリークライミングはアメリカヨセミテ発祥ですので、ハードコアなクライミングは、一つの文化として残すべきものです。

しかし、それを模倣している他国のクライミングが、一般クライマーまでも命知らずを強要されるというのは、日本だけで、同じ儒教のお隣韓国ですら、強要はされないです。インスボンをリードできるクライマーは、”変人”だそうです。

日本は、クライミングの価値観において、国際的雰囲気を習得し損ねて、ガラパゴス化しています。

クライマーも幸せの脱物質化

■ 幸せの脱物質化

私は経験を売るのは興味があるのですが、モノを売るのは興味がないのです。

例えば、いくらヴィーガンクライマーが良いと思っても、トウフミート売ってくれと言われても断ります。トウフミートを食べるより、豆腐そのものを食べる方が同じ金額で10倍の量食べれるし、むりに肉に似せている必要がないからです。「モノ」を売って儲ける、というビジネスモデルは魅力を感じない。

「人や自然とのつながりを創り出し、維持し、そこから幸せを得るお手伝い」

なら、やりたいです。その一つが外岩クライミング。なので、プラスチックホールドのクライミングジムのお姉さんをしなくて良くて、むしろ良かったのかもです。

だから、私がやっている会は、岩とお友達になる会、です。

■ 事例

事例としては

・農具やアドバイザーなどを備えた「都市型農園」や、共同農園付きシェアハウス、
・単なる観光ではなく、自分で汗をかき現地の人とのふれあいを目玉にしたボランティアツアー、
・自然や環境との共生を実感するエコツアー、
・入居予定者が時間をかけていっしょに暮らし方のルールを作っていくエコビレッジ
など。

クライミングバージョンが、

ギアとクライミングインストラクターが常駐する外岩クライミングパーク

でしょう。

「人や自然とのつながりやふれあい」
「モノによらずに感動を創りだす体験」

モノはもういらない。色々な方が私を手助けしようとしてくださり、差し出してくださった手を払うようで申し訳ない気はしましたが、山道具屋でバイトも没にしましたし、モンチュラも没、高級食材店も没、です。

自分でボランティアで海外の人を、エコツアー、ボランティアツアーを主宰して、充実感が非常にあります。

あとはマネタイズですが、徐々にですね。収入が伴わないだけで、すでに主宰する能力は十分以上に備わっていることが、おと年から怪我するまでの去年の活動で確認できました。

考えようによっては、思索の時、企画の時を与えるために、肉離れや膝の脱臼という怪我がおきたのかもしれませんね。

■ ビンボーハッピー=脱物質化

1)「無料コンテンツ」
2)「ファストファッション」
3)「リアルのバーチャル化」
4)「シェア(共有)」
5)「価格比較・共同購入」
6)「ソーシャルメディア」
7)「スマートフォン」
→ クライマーバージョン
1)ジムではなく、外岩(無料だから)
2)アークテリクスではなく、ワークマン
3)クライミング動画
4)クライミング共同開催
5)クライミングギア、売ります・買います 海外通販共同購入
6)国際的にはFB アメリカではWhat’sup 日本はここが弱い
7)スマホ??? 

若い人はSNSはLine利用者が多いですが、ラインだと情報を共有できない。新しい人ともつながれない。

5)の感性に、岩場の共同使用、が入ればいいのだと思う。

今は、なぜか、特権階級、暗黙の許可制になっている。

■ ドネーション制

岩場の共同使用、ということですが、今行っている自然農の畑で採用されている仕組みが使えないか?と思います。ドネーション制です。

ドネーション制にすると実際は、料金固定制にしたときよりも多くの収入をもたらします。

大事なのは岩場の整備をジブンゴト化する、いくら岩場を整備するのにお金がかかるのか、見える化する、と言うことだと思います。

そうすれば、おのずと、いくらくらい差し出すのが妥当な金額なのか?が見えてきて、出そうという人が増えてくると思います。

そうなっていないのは、いくらかかっているのか、そういう情報を出さないできた経緯で、ボルトなどがあって当然のもの、になってしまっているからと思います。

まずは知識を広めるところからですね。

2020/06/26

ファンドレイジング

■ファンドレイジング

ファンドレイジングの勉強も先週スタートしているのですが、これは、現在、山岳会が機能していないとしても、その上位団体である、JMSCAだのJWAFだの、はお金を持っており(補助金と紐づいている)、既存の組織のお金に頼らず、クライマーの独立組織として、アクセスファンドを立ち上げる可能性があるのかどうか?を見極めるため、です。

本来は、私の仕事ではないですが、暇そうな人が私しかいない。(注:私がファンドレイザーになりたいわけではありません。お金関係はもっとも私に才能がない分野)

アクセスファンドというのは、岩場の交渉窓口、ということです。窓口がないために、誰に何を言っていいのやら、と言うことになっているのが日本。

日本に限らず、世界の国々でも、クライマーとローカルは基本的に利害対立、が歴史的構造です。

だから、アクセス問題が関係ないラオスに、理想郷と言えるような岩場ができた、とも言えます。アクセス問題=しがらみ。

現在の問題点
・クライマーが起こした事故が経験値として集積して行っていない
・各岩場の管理団体がない
・つまり、地主との交渉窓口がない
・地主さんは事故が起こったら当然岩場を閉鎖する
・ので、クライマーは事故報告をしない
・事故になるような悪質な技術が減らない
・行政はしなくていい仕事に振り回される
・クライマーは、日本フリークライミング協会などの自治組織に慣れておらず、お上や怖いお母さんくらいに思っており、”ジブンゴト化”していない
・クライマーはちゃっかりした人が多くフリーライドが伝統
・なので自治組織にもお金を出さない
・ため、安全性を高める原資がない
・岩場危険なまま
・誰も登らない
・さらに荒れる
・ボルダーがメインになる
・日本はボルダーですでに世界トップレベル
・地元はそのことを知らない
・日本のクライマーは国際感覚、疎い
・リードはほとんどオールドクライマー
・オールドクライマーは海外に行っても最新技術を盗んで帰ってこれない(語学の壁)
・日本のクライミングガイド資格は世界資格でない

まぁ、お金の問題は別にしてこんなところかなぁ…。
 
ちなみに、私がいた山岳会は創立60周年をやったところだったのですが、貯金300万円!なのに、会のロープはそのお金で買ってはならず、いまどき6人の山行が成立することは、ほとんどないのに買ったのは6テン! 時代錯誤もいいところです…。

で、会のロープがないんだから、登れるようになるわけないのに、レベルが下がった、とぼやいていました…。沢すらちゃんとした装備で行っていないので、マジヤバい教育体制でした。

遭難事故ゼロが自慢でしたが、おばちゃんが登る山にしか会で行かないなら事故るはずがないから、という…ゴールド免許ですって言う人が10年運転していない、っていうのと似ている話でした。

2020/06/21

クライミング留学

■バレエ留学みたいに、クライミング留学もあったら、いいのか?

とふと思った。日本人で、世界レベルになったクライマーは、ユージさんを始め、みんな海外で長い事クライミングしている。

主にヨーロッパ留学だ。ヨーロッパの岩場の最新の知見は、ラオスの岩場に具現化していると思う。

バレエは、大体15歳でバレエ留学するのがプロへの登竜門だ。なので、クライミングもプロクライマーになりうる資質の人は、海外に出す、体系的な仕組みを作ればいいのかも? 才能がある子は、現在、国体→国際コンペだが、東京でジム壁を登るより、うんとよさそう…。

クライミングなら、一か月程度の留学でも、違いが作れるしね!!

カナダに留学先、伝手があり、留学カウンセリングでビジネスしたい友人がいます。こういうのは、結構大事で、良い伝手をたどらないと、ぼられます。(自ら切り拓ける人を除く)

2020/06/20

フリークライミング教育=スコトーマ

■フリークライミング教育の不在

が、従来型のクライミング教育の中でスコトーマ(盲点)になって、誰も教えていない。

 山岳会でのクライミング教育=アルパインクライミングの教育
 人工壁での教育=スポーツクライミングの教育

 アルパイン=超危険 ⇔ スポーツクライミング=超安全

という両極の真ん中くらいに位置するフリークライミングを教えている人が、誰もいない…?いるのかな?クライミングインストラクター?ジムのおにいさん??

なので、フリーをフリーとして教える教育が足りていないです。

誰か教えられる人に、きちんとしたフレームワーク(体系化)をしてもらって、スタンダライズ(標準化)し、フリーとはこういうものだ、というのを明示的に打ち出していく必要があると思います。今は、なぁなぁになっており、その結果、

 肝試し大会

が横行しています。肝試し大会を自己正当化するのに、自己責任という言葉が使われている。

2020/06/19

ファンドレイジング

https://amzn.to/2YN2EOb
より備忘録。

■ファンドレイジングの7つのステップと15の技

第1)組織力の潜在力の棚おろし
 技1 ファンドレイジングの基本セットは「夢」+「物語」+「場」
 技2 メッセージの階層化(世界的、地域的、受益者的)
 技3 7つの基本条項を逐次チェック
第2)既存寄付者、潜在寄付者の分析(ユーザー解析)
 技4 ドナーレンジチャートを使いこなす
 技5 ステークホルダー・ピラミッドを使った体質改善
 技6 個人の寄付者がなぜ寄付をするのか?のあいうえお
第3)理事・ボランティアの巻き込み
 技7 関わる人間のポートフォリオ・バランスは良いか?
 技8 参加型寄付
第4)コミュニケーション方法や内容の選択
 技9 ファンドレイジングマトリックスの作成
 技10 Actionフレームワークの活用
 技11 信用力補完
 技12 会員の制度設計を戦略化
第5)ファンドレイジング計画の作成
 技13 計画倒れにならない計画を作るコツ
第6)ファンドレイジングの実施
 技14 ファンドレイジングの心理学的要素を理解

第7)感謝・報告
 技15 誠意と善意のコミュニケーションをメカニズム化する

■備忘録
7つの基本条項
1)ビジョン
2)寄付ニーズと目標額
3)過去実績の整理
4)支援者はなぜ支援しているのか?インタビュー
5)理事などの中核人材の確認
6)既存ネットワーク、チャネルの確認
7)スタッフや理事、支援者の成功体験の洗い出し 隠れた付加価値の再発見

あいうえお
内輪 仲間に入りたい
恩返し・面白さ

実行委員選出 熱意重視
1)理事
2)ファンドレイジング担当者
3)大口寄付者
4)企画力のある人
5)PRスキルのある人
6)事務局長

NG:そもそも論派、肩書重視、ネガティブ発言の多い人

会員の制度設計
・実利型
・共感型
・仲間型

心理学的要素
・誰が言っているのか?
・主張の内容
・周囲の状況(高級感など)

返報性、コミットメント、社会的証明、好意、権威、希少性。


■感想

私は技14が手薄だな!


初級ルートの思い出…阿弥陀北稜単独

■初級ルート

私は積雪期アルパインの初級ルートである阿弥陀北稜は、単独で行った。正月第一週目の日曜はピーカンになることが多い…という数年にわたる観察からの経験則もあってのことだった。

阿弥陀北稜のことを言うと、「もう連れて行ってもらいました」とシラケ顔で言ってくる人が多い。この言葉は、”そんな簡単なところ、もう興味ない”という意味だが…。こういうことを言ってくる人は、まったく山が分かっていない。

第一に、山は連れて行ってもらっても、何も分かったことにならない。阿弥陀北稜にセカンドで行くのは、何も難しいことがない。しかし、単独で全く初めてで行く…オンサイトするのは、そこへ到達するまでのプロセス…天候判断、山域の把握から、ロープワークの習得、雪崩、未知迷いリスク認知…を始め、判断も、リスク管理も、そもそも自分がそこを登るのに適しているのか?も含め、多くの山の見識が必要になる。それが連れて行ってもらうと分からない。通常は、12のスキルで10の山に登るものだが、単独だと12のスキルでやっと8の山に登れる。連れて行ってもらったら、4のスキルで12の山が登れる。それくらい差がある。

第二に、これは今、分かったことだが…先輩なり、師匠なりが、阿弥陀北稜に連れて行ってくれたとすると、そこが彼なり彼女なりの最高到達点の山だということだ、ということだ。

連れて行ってくれる人の最高到達度が阿弥陀北稜程度だとすると、それはその連れて行ってくれた人が、かなり衰えているか、初級止まりだってことです。

なので、”昨今の山岳会はあまりに衰えているので、アルパインをハイキングスタートで38歳から独学した人が43歳で単独で登れるような阿弥陀北稜しか連れて行けない”、というのが適切な表現なのかもしれない。

私の師匠の青ちゃんは、阿弥陀北稜程度の山は、セカンドで後ろを歩くだけでもついてきてくれない。理由はそんなことをしたら、私の山の感動を奪うだけでなく、後々”どうせ連れて行ってもらったんでしょ”というそしりを100%跳ねのけることができなくなるからだ。

代わりに私を連れて行ったのは、ミックスの昇天。これはミックスルートとしては初級だが、ミックスまでやる山ヤはそうはいない。私は本当は、中山尾根程度にセカンドで行くのが相当だったのに、それより上の昇天になってしまった。つまり、これが師匠が私を連れて行ってくれることができる最高レベルの山だからだ。

だから、「阿弥陀北稜、連れて行ってもらいました(そんな簡単なところ、私、もう興味ないわよ)」と言う人は、色々な点で、色々と分かっていない。

”分かっていない…ということが分かっていない”から、その発言になる。ということが分かる。

師匠も先輩も、すごく喜んでくれたんだよな。阿弥陀北稜ソロ。

私は後輩をずっと求めていて、得られず、しびれを切らして、”あんな簡単なところなら、単独でも行けるか”と行ってしまったのだった…。少しも迷いがなく、ただ楽しいだけだった。ロープは敗退用で持って行った。途中でクローブヒッチでモタモタ躓いているガイド候補の男性パーティを追い抜いた。登りの登攀より阿弥陀の歩きの下りが難しい山だった。

ちなみに、アルパイン度は、全く山初心者時代のツルネ東稜~川俣尾根が上です。


2020/06/12

4 essential exercises for climbers with Brittany Griffith and Esther Smith

人の期待を生きそうになったので立ち止まったクライミング

■人の期待を生きそうになったので立ち止まったクライミング

クライミングですが、私は栄養成長時代は、終わって、生殖成長時代です。

クライミングっていうのは、5.10が登れたら、5.11、5.11が登れたら12とキリがない活動です。

大人は、子どもと違って上に上にと行かなくてもよく、活動そのものを楽しむことを主眼とした方がいい訳なので、どこで”上を目指す”を辞めてもいいわけです(栄養成長を辞めてもいい)。

一般的に男性は、5.11登れたら、まぁ良し、と周囲の承認的にも、自分自身も納得して、上を目指そうというよりは、開拓へ向かったり、ブログへ向かったり、後進の育成に向かったりします。つまり、生殖成長的フェーズに入ります。

ハンデの無い男性で一般的な体力の人が、5.11なら、私くしめならば、5.10で十分ですね。1グレード下です。

私の場合は、中級者への入り口、ボルダリング5級くらいで、まぁいいかなと。続けては行きたいですが、根詰めて成長?したくない。得るものより失うものが多いからです。

理由は、これ以上、登攀力があっても、リスク低減にならないから。5.11にチャレンジするリスクを低減したかったら、登攀力としては12まで必要で、それはフィジカルの改善を含むため、10年以上かかる。すぐには到達しないでしょう。

というので、”めざせ!11”は、他の人の夢で私の夢でない。

また、”ほかの人の夢”、”ほかの人の期待”を生きそうになったなー、くわばらくわばら。

■ 親切があだに

皆さん、親切なので、日本では相手を伸ばしてあげようという場合、第一の行為が、頑張れとしか言わない習慣があるのですが、頑張るが目的でない人もいます。

私は別に頑張りたいわけではなく、楽しみたいわけです。

というので、良かった。期待を生きる羽目にまたならなくて。

私のやりたいことが見えにくいと言われますが、ちゃんと見えるようにしました。インスボンでも、易しいルートをリードしたいと言いましたし、岸良も易しいクラックを登りためたいと希望は明らかなので、それを受け入れたくないのは私の側ではない。

■ 期待

登山でも同じことが起きて、他の人の都合による期待を生きる羽目になりそうになった。

具体的にはガイドになること。
つまり、
登山=ガイドになる
クライミング=11クライマーになる
というのは、私の願いではなく、別の人の…つまり世間…の夢と期待です。
ので、私のイヤイヤは合っていて、現在、幸福です。
いや~つらかったなー。分かってもらおうと努力したんですが、日本の指導者は共感力、低すぎて分かってくれない。もうこれ以上なく明確に言葉で示しても、自分がしたいこと優先で後進には合わせてくれない。

■ リードクライミングにおけるリスクは身長で違う

リードクライミングにおけるリスクは、身長別に違います。
入門課題と言われる5.9で、背が低く、核心前にロープによる確保ができない初心者が安全に登るためには、10代を登れる技術が必要です。つまりフリーソロ状態と同じになります。その技術力で、克服しました。

が、ボルトが遠いという状況は、12まで続くのが日本の岩場の実態なので、5.11の課題でも適正ボルト間隔ではないとすると? 11で落ちないでオンサイトし続けるには、ということになりますが、5.12を登れる技術力で、5.11に取り付かねばならないという意味です。

私の技術力向上の安全マージンをもってしても、克服不可能と思えます。つまり、この調子で5.11の課題に取り付けば、必ず事故とかになります。

ので、イヤイヤ期に入っていましたが、そりゃそうだわな。

これは、背が高かったり、握力が17kgだったりしない、ほかの男性クライマーには理解不可能。ただのヘタレ扱いされます。

ヘタレ扱い=マタイ効果。100害あって一利なし。

ので、そういう時は、場を変える、関係ないところに行くのが良いです。
余談ですが、弱点が分からない人=今まであんまり努力していないで、なんとなく今の実力になった、ということかもしれません…

2020/06/04

栄養成長と生殖成長

■栄養成長と生殖成長

最近知った言葉。
クライミングで、大人から始めた人が、成長期にある子どもたちと同じ価値観で指導されるのに、長く違和感を感じてきました。(関連記事)

というのは、大人からのバレエで、子どもにバレエを教えるのと大人に教えるのでは全く違うことを20年のバレエ生活で経験済みだったためです。

植物に例えると、子ども=栄養成長中、大人=生殖成長。

 栄養成長というのは、自分自身の体が大きくなることです。
 生殖成長というのは、子孫を残すための活動です。

ので、大人からスタートした趣味のスポーツでは、本人が上達するという以外の目標で成長できることを目的として、学ぶことが大事なのではないか?と思います。最初から次の人に教えられることを目指すというものです。

大人のバレエで、誰もその人が将来プリマドンナになると思って、指導したりはしません…(笑)。かといって技術的に間違ったことを教えるわけではありません。

大人からのクライミングで、厳しいトレーニングってのは、本末転倒感ありです。もちろん、どんな人にもトレーニングの成果は、バッチリ出ます。が、プラスよりマイナスが多いようなトレーニング…上達より怪我が多くなる…を強いるのは、子どもに対する指導と同じ内容を大人に強いようとする世界観だと確信中です。

栄養成長中の子どもですら、その中から世界的なプレイヤーになるというのは、万に一つのケースです。ので、子どもにも、グレードを追いかける(達成だけを価値とする)価値観は教えないほうが、おそらく挫折を少なくできます。

たとえ子供でも、1万人に一人、天才はいるかいないか?です。天才はかってに成長するします。最初から指導はいらないのです。九州でも、クライミングの世界的スターを二人ほど、知っていますが、そう言う人は、そもそも指導自体がイラナイ。

ので、そもそも99%の子どもが世界のクライマーになることがない世界では、指導者が栄養成長的な指導をしないほうが、多くの幸福を作り出すことができます。指導者にもメリットがある。

■ では、何を成功の目安とするか?

バレエの世界で、大人のバレエの成功は、健康、です。

クライミングでも、同じではないでしょうか? 

ヨガでも、ケン先生は、究極の目的は、サマーディ(悟りを得ること)ではなく、

健康だ

と言っていました。

私の考えでは、生殖成長…その活動で、ほかの人を助けるようになったら、まぁ、それはサマーディに到達したことと同じであると思います。

他の人を助けられるなら、自己増殖的にその活動は増えていくことが可能だからです。

2020/06/02

土にいのちと愛ありて

■「土にいのちと愛ありて」を読み終わりました

https://amzn.to/2XMbCus
 
いや~驚いたな。何が驚いたって、川上村のことが書いてあったことです。

私の自然界への回帰は、クライミングに結実しましたが、登山が雪からフリーへ軸足を移動したことの理由は、たまたま、住んでいた場所で、登山を突き詰めるとなると、岩がちな土地柄では、クライミングが避けて通れないから、というだけのことでした。つまり、私自身が岩登りに強い適性があったというわけではないです。登山と、一口に言っても、土地柄を生かす、となると、その中身は色々と違ってくるわけなのである。
 
例えば、九州のクライマーにクラックは向かない。北海道クライマーは岩場が少ないのでレッドポインターが多い。

■ メッカ

川上村は、日本のクライミングのメッカ、日本のヨセミテである小川山という岩場がある町だ。しかし、ほとんどのクライマーは、一般に、川上村自体には興味がない。

私は川上村を通るたび、違和感があるなという印象を受けていた。

単一作物…レタスだけというのも変な気がするし、畑仕事をする人の姿を見ることもほとんどないのも変だし、ナナーズで遭う外国人が妙にへりくだって日本人に挨拶するのも変だ。金峰山山頂から見ると白マルチが雪原のように見えたりもする…。全体に、時代錯誤的な感じだ。

クライミングという面でみた小川山の特徴は、多くのクライマーに愛される岩場ではあるが、良くも悪くも日本の岩場らしさが漂っている…。つまり、台湾でシンガポール人に「小川山は怖い岩場として国際的に有名だ」と聞かされるような岩場である。

これが実感として分かってくれる日本人クライマーは少ない。金峰渓谷の美しい山の姿とは対照的に、人間の欲望に翻弄された岩場だったのだと、海外クライミングに行くようになって、分かるようになった。それ以前は、必死に入門課題をこなすので精いっぱいで岩場経験値も少なく、比較するような視点はもてなかったのだった。

クライマーとして成り立つのに、小川山は避けて通れない…けれども、必要最小限でいる方がいいから、山梨から引っ越すことになったのかもしれない…。

小川山は、自然が美しく、いいところだが、岩場としては、

煩悩まみれ

だ。

そして、同じことが、川上村のレタスにも言えるらしい…。

そして、私が感じていた感性は、合っていたらしい…。

■ ずいぶん前から

この本は最近の本ではない…自然農法の草分けというような須賀一男さんの生い立ちで、1988年、出版。88年って私はまだ高校生だ。

私の知っている自然農法の世界が描かれてあった。長い長い遠回りを経て、まぁ、久しぶりに自分の世界に帰ってきたような感じだ。

私は変だな、変だなと思いながらでも、とりあえずはやってみる派だ。だけれど、変だな感は、忘れられないでついて回る。その変だな感は、実は正しいということが後になって分かることが多い。

今回もそのケースだ。

しかし、それにしても、なぜほかのクライマーのみんなは、自然を愛する活動をしながら、自然を蹂躙している…母なる自然も、人間性という自然も…状態に、無関心でいられるのだろうか?

トミー・コールドウェルの投稿

トミー・コールドウェルの投稿

やっぱりアメリカでの影響力のあるクライマーの自覚は違うな~と思った。
保身第一で皆に右に倣えしてしまう日本人とはだいぶ違いますね。

日本では保身は大事です。いわれのない攻撃を受けることで、死に追い込まれることがあるのは、最近どなたかプロレスの方が自死に追い込まれていたことからも分かります。
が、社会を正しい方向、良心が正解と定める方向…それは誰でも分かることであることが多いと思いますが…は、上に立つ者には必要なことではないかと思います。

■ 私の黒人さん体験

私の大学での専門は黒人女性文学です。オモデレ先生は、日本で初の、日本で教えた黒人女性教授で、私がサンフランシスコに行ったとき、先生も帰国だったので親しくさせていただきました…UCバークレーは顔パス。

私は、『カラーパープル』が実感として理解できる子どもでした…。しかし、研究として黒人女性の文学を取り上げるのは、あまりに自分の体験と近くて、生々しく苦しかったので、卒論はポリティカルコレクトネス。

アメリカに行ったら、黄色人種である日本人は黒人と比較して、勤勉で社会の梯子を早く駆け上がる存在として、黒人社会からは疎まれる存在でした…。サンフランシスコでは、私が黒人さんに良くしても、逆はなかったです。

が、のちに出張でカンザスのオーバーランドパークに1か月の長期滞在をしたのですが、その時は、ゲートで囲まれた高級白人居住区で、労働者は黒人かヒスパニックばかり。その実態を見ても何も感じない同僚が大変横柄で嫌でした…私は、同僚がサボタージュしている脇でせっせと業務に励まざるをえなかったですが、そういう私を見て、”あなたでいてありがとう”と言ってくれたのは、勤め先の門番の黒人守衛さんと雇っていたバス会社の運転手さん。見ている人は見ていて、誰が仕事をしていて、誰がしていないか、分かっているみたいでした…私にとって彼らの存在は、神は分かってくれている、というものでした。アメリカのNTTスプリント社のおひざ元がオーバーランドパークシティで全米3位の裕福な土地柄で、黒人と白人の乖離は激しかったです。
私はアメリカの美しさは、アッパークラスではなくワーキングクラスにあると思います。
若いころ、学費が出せない家だったので、夢はやはりアメリカの大学に通うことだなぁ…年を取っておばあちゃんになってからでいいので、学生をやりたいですね。
日本では苦学生で学生していない…高校時代から働き詰めだったなって思うので。
現代の大学生も学費が上がって大変そうですが、意味のない大学に行くより、さっさと自分のしたいことをするのが日本では良いような気がします。日本の学歴は世界には全く通用しないので…
トミーのようなアメリカの良心が、サンフランシスコ近郊から生まれるのは、やはり理由があります。

自由とともに寛容を学ぶ空気観…子供は、所有よりも、シェアすることを先に教えられますし、日本と違い、米国人は信仰厚く、また家族主義です。


• • • • •
I grew up feeling that humanity was heading in a good direction. Poverty, equality, justice, and environmental degradation were being addressed and slowly improving because of ingenuity of the human mind. We were headed towards an increasingly Utopian future.
Right now, I don’t feel that way. I’m heartbroken and disappointed. The only way I can think of to turn us back around is to harness the pain and let it create action. I’m proud of all those that are speaking out and creating this culture of change. To me this is an act of love. So is advocating for climate policy. So is not traveling and wearing a mask. And today, love for our fellow humans is about social justice. “There comes a time when Silence is Betrayal” Mt Luther king Jr.
Thanks @conrad_anker for bringing this quote to my attention. And thanks @jer.collins for continually using your art to say the things that can be hard to articulate in words.