2016/08/30

あなた、何者?

■ 失望

信用残高という考え方があるのをご存じだろうか? 人は相手を信用するとき、残高を積み上げる。

しばらく前に失望を味わった。失望が大きかったのは、理由がある。パートナーを信頼していたからだ。

信頼と言うのは曲者だ。信じれば信じるほど、失望の幅は大きくなる。

しかし、失望の痛みを恐れて、信頼しないと言うのは、弱虫のやることだ。

■ 同レベルと登るのが一番楽しいこと

そもそも論になるが、クライミングというのは、レベルが同じくらいの者同士で登るのが一番楽しい。

それは誰だって知っている。

だから、すごいクライマーがそのまま自分に合ったクライマーとは言えない。

レベルが離れすぎていると、互いに登りたい課題が違ったりして、楽しめないものだ。

そんなことは改めて言わなくても、誰にでも明白で、私が一緒に登って一番楽しい人は、正直な所、すごいクライマーではない。(すいません)。

しかし、休みの都合などで、そうそう、いつも釣り合ったパートナーと登れるとは、限らない。誰にとっても、パートナーというのは、そういう事情であり、相手が理想的な相手ではなくても、まったく登れないよりは、うんと良いのだ。

だから、パートナーには常に「ありがとう」と言う。”当たり前”の反対語としての”ありがとう”、だ。

そういう風に妥協しているのではあっても、それを「妥協です」と、面と口に出して言う必要はない。
それどころか、害悪だろうから、誰も言わない。言わなくても分かるからだ。

そもそも、大抵の人にとっては、きちんとビレイしてくれる人なら何でもいい。

プロがプロジェクトを登るときだってそうだ。そもそも、ビレイだけで謝礼が出る。時給千円。でもクライマー同士なら、返礼は、代わりに一本ビレイする、で良い。

でも、そんな自己中心的で、アケスケなことは誰も言えない。

一方、誰でも登れないところも、触ってみたい。だから、トップロープになれば、もっといいな~と下心があるが、それは贅沢というものだ。

初心者の場合は、その贅沢を贅沢とも知らないで、当然視しているから、参ったな、になる。

■ 見返り?

そういう訳からか、初心者には、見返りを要求するベテランもいる。

みな内心は、もっと見返りが欲しいらしい。トップロープ張ったんだから、ガイド料を払ってもらいたい、そんな気分なのかもしれない・・・。

それを知ってから、私はいつも小川山の駐車料は払うことにしている・・・。

イコールパートナーなら、お互い様、なので、信用残高の貸借対照表は、貸し借りゼロだ。

■ 出世魚

そもそも、クライミングは難しい活動で、1グレード上げるのも、大変だ。すぐに上達はしない。

クライミングの上達には時間がかかる。しかも、クライミングには、”センス”の有無が大きく関係している。

それでも、無いセンスを頑張って、みな11だの、12だのまで頑張る。最近は、センスがある人なら、1年で12まで行ってしまう。

すぐに習得するタイプの人、登れる人は、もっと登れる相手と登りたくなって、次々とパートナーを出世魚のように脱皮して行ってしまう。

だから、置いて行かれる側は、とても寂しいものだ。

しかし、置いて行かないで、と泣きつくわけにもいかないし、恩知らずと、ののしるわけにもいかない。だから、一抹の寂しさを感じつつも、受け入れるしかない。

だから、登れない時代に一緒に登ってくれた人は恩師だ。

そういうことは、昨日クライミングを始めたような、経験の浅いクライマーにだって、1年も登れば、すぐに明らかになる。

ちゃっかりしている人は、お得な部分だけを吸い取って、恩は着ない。そういうちゃっかりタイプとだと、寂しすぎて、捨てられる前に自分から捨てる人もいる。どうせ相手はすぐ自分を捨てるだろうから・・・、ということだ。

残念ながら、私はあまりちゃっかりしているタイプではないので、なかなかそういうことはできない。

いいとこどりはできず、結局、損得勘定なしで、不器用に2年待っても、自分の力でルートに行く方を取る。

■ 過去の傷

しかし、大変だった。過去の傷が大きく傷口を開いた。まるで狙いを定めて、傷をえぐりだすようだった。

つらかった子供時代が思い起こされた。残酷だ。

苦しみの理由は、そんな過去の話を持ち出さなくても、パートナーの信頼を得ていると、それだけ厚く信頼していたからだった。

私と過ごす時間が他の人より長くなり、理解してもらえていると期待していた。

が、仕方ない。

自分のことは、ほとんど話をしていなかったからだ。その必要があるとは、思ってもみなかった。

クライミングするのに身の上話が必要とは思わなかった。

私の去年の登山日数は100日越えである。それだけで十分、分かってもらえると思っていた。

■ 情熱

登山の実力というものが、どういうものを指しているのかわからないが、山の内容はどうあれ、100日以上、山に登る人は、努力と情熱を傾けている。そのことは誰にも明らかに分かる。

努力は、意思のなせる業。結果は、運と実力。

結果(グレードや本チャンルートの凄さ)が出ても出なくても、努力自体(プロセス)に意味があるのが、趣味というものだと思う。

だから、結果(=実力)で判定されることは、理不尽だったし、それに私は客観的に見ても、登山者として見たとき、キャリアの浅さに比して、実力不足でもなんでもない。

トントンどころか、その浅いキャリアで良くやってるね~ってところだ。

でも、まぁ同じように浅いキャリアでも、スイスイ登る人もいる。それは認める。才能の差だ。

才能の有無は運みたいなものなので、才能がある人と登りたい人はそうするしかない。

■ プライベートを語る

私はあまり人の人生には興味がない。人のプライバシーに興味がないのは、良いことなのだと思っていた。

山は人を区別しない。苦労した人も、苦労していない人も、山は山。だから、山はいい。

私自身の生い立ちは、大抵の人よりも、苦労した話だ。

たいていの人は面食らい、受け止められない。

そんな話を誰かに語りたいとも、あまり思わない。頼んでもいない同情を買って、えこひいきされるのは嫌だし、そもそも、思い出すと、痛みで涙があふれてくるからだ。自己憐憫に染まるようで、好きではない。

でも、中には、自分の人生を語る人もいるし、人は語りたいことを語りたいので、大抵は聞く側に回っている。

なぜ家族の話や人生の話を聞いているのか、とても不思議な気分になる時もある。

そういう話をする人には、お返しの話が必要なのかもしれなかった。

■ 裏付け情報?

私は、元々あまり詮索好きなタイプではない。

私は人を信頼するとき、目の前のその人以外の情報をあまり必要としない。

今から築く人間関係に過去の履歴書が添付していないと不安になる、ということはない。

目の前の相手の言動と態度だけを見て、信頼できるか、できないか、判断できる。

その判断力には自信があり、これまで、あまり失敗したことはない。それは確実に強みだ。

予断や前情報、名刺に書いてある会社名では判断しない。

しかし、多くの人は、そうではなく、相手を信頼したい!と思った時に、過去の情報や所属、その他地位を表す、何らかの情報を求めるようだ。

例えば、職業は何か?結婚はしているのか?

それは自分の判断力に自信がないからかもしれない。

あるいは、目の前の情報と履歴書を突き合わせて、納得したいからなのかもしれない。

有名大企業の名前を出すと、「なるほどね」と落ち着いたり、「子供は欲しかったけれど、できないんです」という当たり障りのない言葉を聞いて、安心したりする。

■ 関係を深めるのは怖いもの・・・

私が疑問なのは、相手が求めている私からの受容、アクセプタンス・・・言い換えれば、安心や保障・・・を、どうしたら、相手が満足する十分な量だけ、与えることができるのか?ということだ。

平たく言えば、一体何を差し出したら、相手は安心と満足を得るのか、ということだ。

■ 過剰反応

人は誰しも心に傷を抱えている。癒されない傷もある。そうした傷をなでる言葉には、普通の対応ではなく、過剰反応してしまう。私自身もそうだ。

子供の養育が大変だと言う愚痴が私にとってそうだ。

そうした愚痴を聞かされると、私自身がその問題の解決をなんとかしなくては!という気持ちに駆り立てられる。

それは、子供に同情するからだ。親の側ではなく、子供の側に自分を重ねてしまう。

親が苦しんでいると、自分のせいだと感じるのが子供なのだ。これは、どの子も普遍的にそう感じる。

たぶん、愚痴っている当人が得たいのは、ただの慰めの言葉だったかもしれない。

・・・が、私には子供が多くて養育が大変だと愚痴っている人を慰められない。それは、その人が担って当然の苦労でしかない。

子供を持つという選択をその人はした。選択には責任がつきもので、経済的苦難のあることは、最初から分かっている。

その愚痴の共感者役を、私に求めるのは、男親に捨てられた娘であるという過去からして、非常に酷なことと言えるだろう。

■ 過去を赦す

私はつらかった過去は断ち切りたいと思っている。

結婚する相手を間違った母を許したいし、充分なだけの収入がなかった母を許したい。

私と弟と妹と母を捨てた父を許したい。

経済的に困窮するシングルマザーの娘を助けなかった祖父母を赦したい。

孫を助けてくれなかった祖母や祖父を許したい。

25歳にもなって、姉の私の家に転がり込んだ妹を許したい。

私の結婚式でバッグを無心してきた祖母を許したい。

年金代わりにまだ26の私へ無心をしてきた祖母を許したい。

そして、そうした家族の求めに応じられるほど、強くなかった自分を許したい。

いまだに弱い自分を許せない自分、それさえも、許さなくてはならない・・・。私は弱く、無力な立場にいる。

「男の子でさえあったらよかったのに・・・」という皆の、溜め息が聞こえてくる。でも、私は女の子に生まれてしまったし、期待には応えられない。

■ 自分自身を見た

愛する家族の皆を救う、スーパーマンになれたら、どんなに良かったろう・・・かつて、そう思っても、いた。でも、冷静に考えると、どんな人もそれぞれが自立すべきだ。

だから本当はスーパーマンなんていらない。子供に必要なのはお金ではなく愛情だ。

それでも、困窮することは怖い。怖いのは人の弱さで弱さは許されなくてはならない。困窮しても死にはしないが、大変なことはやはり大変である。

誰かに頼られるのも、大変で苦しい。みなが頼るスーパーマンであっても、やはり人は人だ。

人と人は、学びあうことあるから引合される。出会いに偶然はない。

私は、私自身をその人の中に見た。家族の中で、唯一まともな判断力が備わっている人。現実を動かす力がある人。

そのことは、昔、恋人のデイブに指摘された。

You were the only one who understands things.

物事が見えている人が引き受けざるを得ない。 大体いつもそうなる。山でも同じだ。
 
■ ディストラクション

本来やるべきことから目が逸れてしまう場合、距離を置かなくてはならない。

ただ楽しいはずのクライミングが楽しめず、めんどくさいな~ = タイムオフ。

本来、人生のモロモロ・・・そういうことをすべて忘れられるのが、山の良さ。

とはいえ、人は弱いもの。弱さは許されねばならぬもの。






2016/08/29

類は類を呼ぶ方法

■ チャンスロスはない時代

今日は、こんな動画が回ってきた。すごいギタリストだ。

現代は、自分自身が何ができ、どういう人間なのか、誰かに見出されなくても、自ら世界に発信することができる。

つまり、”才能があるにも関わらず、才能が見出されない”という古典的な機会喪失は、経験しなくて良いのだ。



ちなみに、ネット上で新人アーティストの登竜門としては、次のようなものも有名だ。

Jango http://www.jango.com/  著作権切れの無料音楽が聞け、数曲に一曲、無名アーティストの曲が混じり、投票によって、アーティストは世間の評価を聴くことができる。

http://thisisgallery.com/  画家の作品発表の場。

これは、芸術活動だけにとどまらず、才能を見出されたい運動系の人たちも、かならず自分のサイトに、動画なり、作品なり、自分の才能を表現するもの・・・を置いている。

■ 一億総表現者の時代

クライミングはクリエイティブなものだ・・・と言われる。

私自身は、まだクライミングが創造的なものでることを理解するための、ベーシックなスキルを得る途上にあり、クライミングにおけるクリエイティビティについては、全く理解の範疇外だ。

ので、クライミングにおけるクリエイティビティをここで論じるつもりはない。

が、創造的なクライミングをしている人は、それを表現者として世界に示すことができる。

今、ここで論じたいことは、創造性を、あるいは、単純に自分らしさ・・・を理解してもらう、理解する・・・のは、世間の側の責任ではなく、表現者の責任である時代だということだ。

世間に見る目がないから、俺の(私の)才能が埋もれているという、古典的言い逃れは、もはや現代では通用しない(笑)。

■ 等身大の自分をさらけ出す

たとえ、創造者と言えるような上級クライマーではなくても、当サイトのようなサイトは有効だ。

クライマー間で、パートナーを組む場合、最初に問題になるのは、

 相手が安全な相手かどうかワカラナイ

ということだ。

面接でも履歴書を見るだろう。その履歴書に相当するものが必要だ。

むろん、半径10mでパートナーニーズが満たせるような、幸運な環境にあれば必要がない。しかし、現代では、そのような恵まれた環境にあることはおそらく稀だろう。

パートナーは全国に散らばっていることが多い。

現ナマ情報、つまり、登ってみて、ビレイヤーの手元を見て、あるいは発言を聞いて、そのクライマーを理解する。それが基本だ。面接と同じことだ。

しかし、それには、相当な洞察力が必要になる。このような洞察力は、人生経験に属すため、一朝一夕に得ることはできず、結果として、洞察力に欠ける人は、誰が見ても危険な相手だと分かるクライマーを避けることができないかもしれない。

それにまた、自分自身が相手を危険に陥れないためには、

 等身大の自分を理解してもらう

必要もある。 自分の至らなさが相手を危険に陥れることは、避けては通れないことでもあるのだ。

登山の安全は多くは、過信にあり、過信が起らないためには、客観的に自分の実力を評価できる、ということが必要だが、それが非常に難しい世界であることは否めない。

安全かどうか、ビレイが確実かどうかの端的目安は

 経験の量

である。経験は年数では情報に偏差が大きすぎる。登山歴10年のベテランと言っても、1年に数回登山するレベルだったりもするからだ。

登山歴が10年であっても、ムンターで懸垂下降することもできない人もいるし、気象判断、危険の認知などになると、ほとんど意識の差になってしまい、何年の登山経験があっても、リーダーのあとをついて歩くだけの登山をしていた人は、まったく無知と等しい。

ので、そうしたことは、表現されなくてはならない。

表現することで、その登山者の身の丈の姿が表現され、そして、表現されると言うことは理解されるということだ。

≪クライマーズサイトの利点≫

 1) 自分のポリシーが明らかになることによって、自然と危険なクライマーを遠ざける
 2) 自分の履歴書となる
 3) 等身大の自分の姿を知ってもらうことにより、相手も安心が増す

■ 類は類を呼ぶべし 

逆説的だが、サイトを作れば、個性は否応なしに表現されてしまう・・・表現したくなくても、出てしまうのが個性なのだ。

好みがあう、嗜好があう、そういったことは、視覚情報だけでなく、文字情報だけでもなく、非言語な情報が必要だ。

自分自身のカルチャー、価値観、そういうものが表現される、されてしまう、のは、

 類は類を呼ぶ

ことになり、人生の質を上げるため、歓迎すべきことだ。





2016/08/28

自分がリードできるのか見極めること

■ リードとパートナー

クライミングは、初めて丸2年近くなった。 

現在の課題は、

  自分がリードできるかどうか、見極める

ことにある。

■ 初めてのリード

初めてリードしたのは、岩場へアイゼントレに行った1月から、4ヶ月後の十二ヶ岳の岩場で、5.8のルートだった。

パートナーはまったくの初めての人。その人も同じところをリードしたが、トップアウトして何をしたらよいのか分からなくなり、ローワーダウンに苦労した。

この時、私はこの彼とパートナーを組むとはつゆ知らず出かけた。会で出かけたので、ちゃんと信頼できる”先輩格”の人がビレイしてくれるのだろうと、信頼して行った・・・ら、全然違った。

目の前のパートナーは、初めてのカンタンマルチピッチで目を白黒させており・・・結局、私がセカンドの確保などを教えることに・・・。

まだマルチ用のビレイ器を持っていない人だった。

ので、リードは私になり、こっちのマルチを教えるほうが責任重大感があり、まったく5.8の初リードのことは覚えていない。

でも、落ちなくて良かったなぁ・・・。あれ、落ちていたら、彼、止めれたのだろうか?

■ 三つ峠

その後、三つ峠に行って、一回目はセカンド。次から、もう連れて行く側だった・・・。

登れたところしか登っていないから、落ちることはないと思って登っているが、落ちたらどうなるかチェックして行ったわけではない。

その1年くらい後で、登山教室でクライミングを教わっている人たちに会ったら、彼らは次回も全然自分たちだけで三つ峠に来ることはできない様子だった。

1回目は連れて行ってもらっても、次からはリードだと思っていたので、ちょっとビックリ。

最初の三つ峠は何も怖くなかった・・・のに、三つ峠は、クライミング経験が増えるほど、どんどん怖くなってしまい、今ではビビりまくっていたりする(笑)

■ 十二ヶ岳の岩場

十二ヶ岳の岩場には、カンテのラインがあるが、そこがもっとも易しいラインだ。

以前はそこにフィックスが張ってあった。ので、まぁいざとなれば、そのフィックスを使えばいいかと思っていた。

5.7くらいかなぁ・・・上の方はランナウトしていて、7mほど中間支点がない。ので、落ちれない。

下は支点があると言っても、ちょっと悪いので、カムが2個必要。1番と2番。

そこは初年度つまり2年前でリードできたから、今でもリード出来て当然なハズなんだが、落ちれないビレイヤーでは行きたくないかもしれないと思ったりもする。

でも、落ちれるビレイヤーはベテランで、ベテランにはこの岩場は易しすぎる。初心者が通うのに適した岩場だ。

■ ソロクライミング

最初の頃は、通いたかったので、ソロクライミングをしきりに考えた・・・でも、ソロはアブナイ・・・と思いとどまった。

最近もソロクライミングについて考えてしまう・・・

男性パートナーはめんどくさいことが多いからだ。ただ楽しくクライミングする、ということが難しかったりすることが多い。

向こうも向こうで、女性とだと大変そうだし・・・。それも分からない心情ではない。私にも男の兄弟がいたので、なんとなく分かるが、男性と女性では同じ遊びをしても遊びが違う。

例えば、男性のサッカーチームと女性のサッカーチームを混ぜて、男女混合チームで競うというは、あんまりない状況だろう・・・

ただし、クライミングそのものは、他のクライミングと比べて、あまり性差が出ない活動だ。

■ 行っていいのか悪いのか

今、安心できるビレイヤーが欲しいのは、単純に、何が登れて、何が登れないのかよく分からないから。

リードする前に、岩をよく見ているけれど・・・、

登れそう・・・と思っても、登れなかったりするし、登れないかなぁ・・・と思っても、登れたりする(汗)。

そこに法則が見いだせない。

去年は、沢へ通って、滝が登れるかどうか?を見極めるのは、できるようになった。

弱点は見極められる。

けれど、フリーの岩場では、弱点を登らない・・・弱点の方に行くと、叱られちゃう・・・。

ということは、強点?

でも、一番難しいラインを登るわけではないし(当然!)、どういうライン取りで、ルートが設計されているのか?

つまりルートの良しあし、おもしろさ、

というのが、まだてんで分からない。

フリーは、登れそうに見えないのを登らないといけないということになっているらしい・・・という感想だ。

というわけで、落ちるのかなぁ、落ちないのかなぁ、どうなのかなぁ・・・とよく分からないでリードしている。

■ ムーブ

さらに、ムーブについても、クライミング理論って言われるけれど、それが何なのか?

よく分かってやっているわけではない。

なので、理論どおりに登ったら登れるハズと言われても・・・

クライミング理論って、教わっていましたっけ~?な感じ。

なので、考えていると登れなくなり、考えていないと登れる(汗)

という困った状態にいる現在・・・というわけで、やっぱり今のところ、落ちれたとき止めてもらえることが確実な人と登る以外に、命の安全が保障されそうな選択肢が見当たらない。



理想と現実のはざま

■ 夫婦クライミングは夢の夢

連日お天気も悪く、一緒に岩に行く人もいないので、レスト中である・・・

・・・というので、平日パートナーの見舞いに夫と二人で出かけることにした。 

行ったら、クライマーが二人来ていた。やっぱり小川山も最悪に雨だったからなぁ。

ご夫婦でクライミングしている人たちをみると、率直に羨ましい

私のビレイをしてくれる、頼りになる夫はいない。去年はモウアラさんご夫婦が、はるばる関西から来てくれて、夫も湯河原のクライミングには参加した。

婦唱夫随で始めたそうで、だんな様は奥さまのビレイヤーとして、クライミングを始めたそうだった。

とても羨ましい関係・・・夫にも見習ってもらいたいなーと連れて行ったが、が、夫は、取り組む姿勢を全く見せず、岩場でスマホをいじっているだけだった(汗)。

ダメだ、こりゃ。

■ 挑戦がキライみたいなんだよなぁ

彼は、基本的に、なんでも、食わず嫌いである。

 何事も挑戦!

”取り組む前からあきらめないこと”を信条として、生きてきた私とは全く違う。

まぁ違うから夫婦としてバランスがとれているのだろうと達観することにしている。

でも、過去を振り返ると、私の方が彼に無理強いした結果、彼にとって、大きな心の自信につながった活動が多くある。

無理やりNO1は、オーストラリアで運転したこと。次はダイビング。手作りの海外旅行。

彼にとっては、一皮むける経験。

クライミングも、おそらくきちんと取り組めば、それなりに登れるようになると思うし、私がパートナーがいなくて困っているというのはあきらかなことなのだが・・・。夫は一向に協力してくれない。

クライミングどころか山にも行かない。(というか、行けない。体力がまた下がってしまっている・・・)

■ 離れ離れの夫婦

私の周りの年輩の夫婦は、反面教師が多い・・・夫婦がなぜ乖離するのか?

それは一緒に過ごす時間を持たないからだと思う。

同じことをする、分かち合う、と思考せず、それぞれ好きなことをしていたら、ただの同居人になってしまう。

そのような例は、特に日本人に顕著なようで、自立した妻を持っている人に多い。自立は素晴らしいが、だからと言って、互いの都合でエゴを張りあうと、一緒にいること自体が不成立になってしまう。

友達で、夫の転勤に附随して失職し、転勤先で再就職したら、もう一度夫の転勤が起きてしまい、同じ失職を繰り返すのを回避した結果、離婚に至った人がいる。というわけで、なぜか一度目の転勤先で彼女は第二の人生スタート。

だから、たぶん、大事なことは、それぞれやりたいことが多少違っても、相手に合わせてあげる、ということだと思うんだが・・・ 違うのだろうか?

それで今日は、パートナーの見舞いにも連れて行ったわけなんだが・・・。

私と夫の関係をもっともきちんと理解してくれているのは、イタリア人の友人アメリゴで、いつも、例え、夫が同じことをできなくても、夫を山に連れて行けと言う・・・確かにそうするべきだと思う。アメリゴは正しい。私のメンターの一人である。

■ お料理のこと

パートナーは、術後の回復期だし、いつも作ってもらっていて悪いなーと思い、料理くらいはしようかな~、とお料理を担当することに。

人の家の台所は勝手が分からない・・・塩が、塩化ナトリウムしかなくて、困った・・・。

学生時代は、「お料理研究家になるの?」と先輩に言われるくらい、毎日料理を作っていた。

私のお料理歴は長い。8歳から料理している。実家にいた頃は作らねばならないから作っていたが、独り立ちしてからは、自分の好きに出来て楽しかった。

学生時代は寮生活だった。7人暮らし。私が一番年下だったので、先輩たちには、随分かわいがってもらった。若い女性ばかりの7人暮らし。

たくさん作っても、「余ったので食べてください☆」と書いておけば、誰かが食べておいてくれる。

松和荘に住んでいた頃は、学生寮時代の友達で、お腹を空かせた男友達が良く何人かでつるんで、遊びに来てくれた。口実は、「銭湯行くのに石鹸忘れた、貸して」というもの・・・(笑)

見え透いているなーと思っていたが、まぁ互いに苦労者同士だったし(夜学の出身)、一緒にご飯を食べて、一緒に銭湯に行っていた。

私の家は、当時、よく人が集まる家だった。友達が別の友達を連れてきては、泊まっていく。まだ皆若かったから、自宅の人はたまり場に不自由していたし、寮の人は寮の規則がうるさかったからだ。

バンドマンしながら豊中の自動車工場で働いていた友人は、その後、自殺してしまった・・・。仕事にも未来にも希望の無い時代の星回りだった。

当時は、アメリカ人の恋人がいて、彼もドラムをたたいていたので、一度ライブをしたのだが、それがとても良い思い出。

私も蟹工船みたいな職場に長く努めたが、それでも、もっとも成功した例かもしれない。

当時は、まだ20代中ごろで、結婚したら、友達がたくさん訪ねてくるような家庭を築きたいと思っていた。

でも、実際は、夫が私の家に転がり込むと、皆の足が遠のいてしまった。

なかなか、夢の実現は難しいものである。


2016/08/26

ピラ22

■ ボルゼミ

今日は、いつも金曜のレッスンをアミさんが変わってくれたので、ボルゼミに行ってきた。

シールにない課題を設定されて、皆で登る。

なるほど、体格が大きいだけが、クライミングでお得なわけではないんだなーと分かる。

大きな人はキョンで狭そうにしてた。

しかし保持力は、やはり優位がありそうだった。

今日はなんだか当たりの日みたいで、友達もできたし、めでたし。

一方、沢の予定は、二つとも怪しい・・・去年はたくさん行けたのに、今年は沢がない・・・

まぁ自分で歩きに行けばいいんだけど・・・少しはあるいておかないと、冬用の体力作りを始めるシーズン開始かな。

ここのところ、少し涼しくなり、まったく体調が違う。6,7月は、だいぶ消耗してしまっていたんだなぁと感じる。

今日は腱鞘炎もあるし、クライマー肘も心配なので、ボルゼミ前にアップでいくつか登った以外は、あまり執着せずに帰ってきた。


What turns you on?

■ ラリーキングライブ

アメリカで有名なトークショーがある。ラリーキング、ライブスペシャル。アメリカ版徹子の部屋と言ったらよいだろうか?

そのトークショーで、かならずゲストにする質問がある。

What turns you on?あなたをその気にさせるのは何ですか?いうことだ。(文脈に気を付けないと、エッチな気にさせるの意になる)。

Turn on の反対は、Turn off。 あなたをゲンナリさせるものは何ですか?

■ What Makes me turn on?

人生で大事なことは、何が自分に火をつけるのか知ることだ。

私の場合は、知的探究。 

クライミングも、登れるようになりたいのではなく、登れた結果、知ることができるだろう、その心境を知りたい。

最初の頃は、山自体をあまり知らなかったので、地理的な探究心が大きかった。北アってどんなところかな?とかそういうこと。

でも、行ってみたら、人で大混雑でゲンナリのお祭り騒ぎの場所だと分かって興味が一気になくなった。山小屋泊まりの山には、もう全然興味が湧かない・・・。

ベテラン、ルグリのドキュメントを見ても、まだダンサーの卵のドキュメントを見ても、心を打たれる。
だから心打たれるのは、生き方であって、”成功”にあるのではない。

そのような生き方が素晴らしい!と感じる。子供のころは修道院に憧れており、中学の頃は海に生きる航海士の生き方に憧れた。ヨガのグールーの生き方にも素晴らしさを感じるし、料理家もそうだ。

一つのことに自分をささげ、突き詰める生き方、ひたむきさが好きだ。実際バレエを習っていたときはそうしていたような気がする。価値基準がひとつの指針に収れんされるのが好きなのだ。

海の生活は、海が掟だから好きで、山が好きなのは山が掟だから。基準が明確。人を基準にしてはいない。

良い意味でのアマチュアリズム。現代は、職業バレエダンサーではなくても、それができるラッキーな時代だ。趣味だから才能の有無は関係ない。

それが素晴らしい点なのに、それでも職業ダンサーの階級制と同じ思考で考えて、報われないと言って、つぶれてしまう人が多いのは残念なことだ。

仮に報われてしまったら、職業ダンサーにならないといけなくなってしまう・・・報われないからこそ続けることができるのだ。

それは子供からやった人を見れば分かる。みな三羽の白鳥まで行って終わり、二度とバレエをしない。三羽の白鳥が踊れて5年でバレエを辞めるのと、踊れなくて、20年ずっとバレエしているのとどっちがいいだろうか?

同じことがアルパインに言える。バンバンやっていた人は引退が早い。

というわけで、ここしばらく、私の人生は山一色で、幸せだった。

今はフリークライミングを基準に生活を組み立てようとしており、それはそれで、幸せ。

個性。個性的な人が好きだ。変わった人のほうが興味がわく。芸術家連中はみんな好き。これは母が芸術家で、東京女子美卒の人だったから。

クリエイティビティ。創造性と想像性。そのために必要になる基礎力は地道だ。


■ What makes me turn off?

逆に、萎えてしまうのもある。

自己顕示欲。ミーハーリズム。ナルシシズム。競争。名誉への渇望。嫉妬と羨望。結果至上主義。悪いアマチュアリズム。過保護。偏狭。群れ意識。損得勘定。階級主義。

クライミングしていて、後ろから、カッコいい~と言われると萎える。カッコよさのためにクライミングしているわけでないからだ。

バレエの時も、キレイですよ~と言われると、なんだかうまく行かなくなっていた(^^;) 私の場合、他人の目を意識させられるような言葉を掛けられると、途端に下手くそ化するのだった(笑)。

つまり、そもそも、みんなに見られているから頑張る、という報酬体系にないわけなんだな。

”誰もいなくてもやること”が、その人が本来好きなことで、やるべきことだ。

クライミングで後ろから、ごちゃごちゃ言われても萎える。瞑想中なんで、黙っていてください、な感じ。

誰もいない山が好き。山とだけ向き合っていたいから。大勢でわいわいってのは大の苦手だ。だから、おばちゃんといく山はうるさくて嫌い。

でも、バレエのコールドで踊って揃うと気持ちがいいなと思うんだけど・・・ バレエを習っていた女性はみんな、男っぽい性格の人が多く、付き合いが楽だった。

登山の女性は湿っぽい性格の人が多く、イチイチ面倒を見てやらないといけないので疲れる。

クライミングも同様で、曖昧な言い方だが、女っぽい性格の人とは疲れる。そして、なぜか女っぽい性格の人はクライマー内にもいる。嫉妬心の多い人、人のモノを取りたがる人、楽しそうにしていると混ぜてもらいたがる人、つまり他人の芝は青いってタイプってことだ。

■ 考えられる欠点

物事には何でも、二面性がある。

というわけで、求めるものを得ても、副作用と言うようなことはある。

副作用として考えられること

・飽き 
・早とちり

飽きと早とちりは、どちらも頭の良い人に見られる欠点だと言うことを、非常に頭脳明晰な師匠から学んだ。すぐ理解するから、すぐ飽きるし、その”すぐ”には誤解がかなり含まれるのだ。

・偏り

一つのことしかしないと言うことは、偏るということだ。バレエはバレエダンサーの形を作る。水泳をしていれば水泳選手の体格になる。つまり、言い換えれば、奇形を作っている。

なので、偏りを取り除くための カウンターバランス的な活動 が必要になる。

・一歩進んだ理解

偏りについては、肉体的な方よりだけでなく、考え方も偏る。職人も同様だし、サラリーマンも同様で、物事の味方も偏ってくる。男性か女性かという事でも同じで、男性は女性の視点に立つことができないし、女性は男性の支点に立つことができない。

ので、包括的な理解、鳥瞰図的な理解、相互理解、など、より一歩進んだ理解が必要だ。

・寛容と謙虚さ

そのためには、小さな相違点にとらわれない寛容の精神が必要だ。なにしろ、相違と感じられたことは、誤解に基づく可能性もあるのだから。そう思うことは謙虚さの表れでもある。

・ヒューマニティ

相手の立場に立つ、気の毒に思う、そういう心が必要だ。ヒューマニティは子供にはない。子供は自分のことしか考えられないから、とても残酷。

というわけで、ヒューマニティ(慈悲の心)は、精神的成熟に基づく。

・純粋さ

一方子供から学ぶべきは純粋さだ。単純であることは美徳だ。

頭が良いと言うことは思考が深いということであり、思考が深まれば、複雑にもなりうる。

思考と感情が切り離されることも起こる。そういう場合は、羅針盤とすべきは、純粋さをもとめることだ。

基本に立ち返る、という言葉で表現されることが多い。

■ 外発的モチベーションは本来の姿を現さない

人間が持つモチベーションには、内発的なものと外発的なものがある。

大人はモノで子供をつるので、「100点取ったらおもちゃを買ってあげる」式に教育された人は、なにか得がないと動かない人間になる。

山でいうと、いま行っておくほうが得、というようなケース。せっかく来たのだからも入るかもしれない。

そうではなく、内発的なモチベーションで行うことが、その人がやるべき真の活動だ。

思うに、内発的モチベーションを山に感じている人が山ヤであって、それは会えばすぐ分かるようなことなんでは?

今までこの人は・・・と思ってくれた山ヤの先輩は常にこの点でつながっていると思う。













2016/08/25

ピラ21

■ 毎日1時間作戦

今日もピラへ。暑い日だ。途中夕立があり、買い物帰りには、すごく大きな虹の柱が見えた。なかなか消えない虹だった。

短い時間で、同じことをする、という作戦の初日。毎日1時間、同じことをする。というつもりで出かけたが、いまいち何をしたらいいんだかなーな感じだった。

今日も15本くらい登ったが、あまり痛みは出なかったので、アイシングしてお終い。2時間弱

6級 スターウォーズ ムーブ不明
6級 愛の16号    ムーブ不明 どうもヒールフックとマントリング?

7級 初めてなんです 易
7級 寄せてあげて 普通
6級 ムービング芋 易
8級 ビビリブラート 易
7級 鮭タバコ UP課題 易
6級 飲む信玄餅 UP課題 易 ルーフ
トラバース
7級 凸角のお手本 易
6級 人間失格 易
7級 しゃけバター 易
6級 ロールケーキ星団 前回できていない→3便 150度
9級 贅沢に仕上げた逸品 フラッギングムーブ練習
7級 モノタロウ 易 クールダウン

ストレッチ

大体、何回かやっていると簡単になっていくので、今回は、150度傾斜の壁の6級ロールケーキ星団ができたのが、良かったかな。

6級 ムービング芋 もカンタン化していた。

以前はアップ課題は、9級の課題にしていたが、今はアップは6級のルーフでいいような気がする。

 調子が悪い=足の位置が低くなる 

ということに私の中ではなっているようだ。

 毎回同じことする=調子の差が分かる。 

私は毎朝太陽礼拝をしているので、今日の調子が分かる。同じことをしなかったら分からないのではないだろうか?

■ 上腕三頭筋の硬縮

故障がある。左手薬指の腱鞘炎とクライマー肘。

肘は、内側が痛いので、調べていたら、どうも上腕三頭筋の硬縮が原因のようだ。

なんだか、思い当たる節があるぞ。

ということで、必要なストレッチは、

・上腕三頭筋のストレッチ
・リバースプッシュアップ

■ 関連の読書

スポーツ障害については、ちょっと勉強したいと思い勉強中。


http://hide-yamamoto.com/pare-stretch.html




強みを生かす

■ リスクフリーは退屈人生

20代のころから、ちょっと思っているのは、人生が退屈なのは、リスクがないから、ではないか?ということだ。

これはアメリカに行っても、そう思った。海外へ単独で出かけて、ゼロから生活を作ったことがある。

住むところを探し、銀行口座を開き、電話を買い、免許を取り、仕事を探す。全部、自分でするのだが、日本でするのとは大違い。

何もかもが難しい・・・。だが、日本でのんびり暮らすにはない、生きている実感、というものがあった。

自分の人生を作り上げている実感と言うもの。

なぜ、アメリカでは、”生きている実感”があり、日本では”ない”のか? 

それは、リスクフリーだからである。要するに、日本は過保護すぎ、安全過ぎ、守られすぎていて、その上、さらに保身を身上とする生き方を当然のものと受け入れて、皆が生きている。

選択肢があれば必ず安全な方。であれば、これはまったく選択肢として成立していないのと同じだ。

その結果、退屈が蔓延している。

・・・ということに、9割の人が陥っている。毎日同じことをして、毎日平凡、使命感もなく、何のために生きているのだろうか?と自分の人生にため息をつく。

■ 登山 = 人生の縮図

私が登山を気に入ったのは、登山にはリスクがあるから、である。

リスクを取る、それが、そのまま、私の人生の縮図であったので、あんまり登山が難しいことはなかった。

リスクに対しては、避けるのではなく、それを具体的に知ろうとする、これがコツだ。

一般登山には、ごく正常で常識的な知性が備わっている人、体力が平均の人には、リスクはほぼない。

休憩したら反対に歩き出してしまうような、平和ボケ&天然の人もいるが、そういう人は、生き方が山に現れていて、人の後ろを金魚の糞のようについて歩く山をしている。

一人で歩けない。一人で歩く意思もないから、地図も持たない。そもそも精神的に自立が出来ていないので、一人前の大人であっても、メールの一つも打てない。挨拶一つきちんとできず、社会的にも個として確立していない。

このような人たちとは、一緒にいる方が山ではリスクで、あれがないとこれができない、とうるさいので、思わぬレスキューをしてやらなくてはならなくなるかもしれない・・・。

ガイド業をやる人は、よくやるよなと思う。子供をベビーシッターするのは楽しいが、大人をベビーシッターしなくてはならないなんて。

私はそんな選択肢取らないなって感じだ。

■ ヨセミテ

登山が気に入ったのは、自己責任で人生を歩んできた考え方をそのまま生かせるからだ。

私の子供としての経済的自立は早く18歳だ。これは母への愛情の証である。大学進学以降、1円も、母には出してもらっていない。

これは、私から母へ、あるいは後へ続く弟、妹への、姉としての愛情の表現であり、子育ての経済的負担に苦しむ母と、私同様に経済的には恵まれない立場である弟と妹への、平たく言えば、”口べらし”のための自立だ。

やってみたら、意外に簡単だった。もちろん、時間が大変だ、というのはあったが、それは他の人と同じだった。力が余ったので、ついでにアメリカくんだりまで行ってしまった。

その頃、私はヨセミテに誘ってもらったのだが、どうせベビーシッターさせられるのかなぁ・・・と思ったので、行かなかった。

その後、もう一度ヨセミテの誘いが来て、それは、碧眼のボーイフレンドのデイビッドと行くヨセミテだったが、仕事の都合がつかず、行けず終い。当時、84歳のメイおばあちゃんのお世話をしていた。無理しても行けばよかった。

それで、ヨセミテを断ったことを残念だと思っている自分に気が付き、後年、夫と結婚してから、再度、ヨセミテにでかけた。積み残し課題の消化だ(笑)。

とても楽しいヨセミテだった。

■ ウェリントン

その後、仕事で、1か月間ウェリントンに出かけた。総勢20人のエンジニアを連れて行く、副キャプテンのような立場で行ったのだが、リーダーが全く使い物にならない男性だったので、ほぼ私が指揮をとらないと行けなかった。

その証拠に、この仕事では客先のテレコムニュージーからヘッドハンティングが来た。私が私室へ招かれ、ヘッドハンティングされている姿を見て、無能のリーダーは、会社に私が秘密保持契約を守っていないと告げ口した。昼間っからビールを飲んで仕事をしていなかったのは、彼のほうだった。

まぁ、この件は不愉快な事件だったが、客先で仕事をしていると、誰の目にも誰がボスか、一目瞭然らしく、下っ端―ずのエンジニアの人たちは、私に仕事をもらいに来て、報告も私にしていたし、あとで感謝状みたいな言葉ももらったので、完全無視。

その男性の嫉妬もいたしかたないなと思った。何しろ、態度と図体が大きいだけで、必要な能力は何も身につけていない人がリーダーに祭り上げられているだけだった。英語も話せず、仕事も理解していない。職場経験の長さだけが買われていた。山岳会と似ている。

能力がないにも関わらず、責任だけがあって気の毒だと思った。が、多分、私がその次に備え付けられていた理由だ。上もそのようなことは見て取れるものである。私が見て取れたのだから。

まぁ、会社は帰国してすぐに買収されて解体されてしまったので、問題そのものも消失した。

何が言いたかったかというと、ウェリントンでは、インターコンチネンタルに1ヶ月泊まり、朝は波止場に散策に出かけ、そこで長ーいクライミングウォールを毎日見た、ということだ。

朝から運動している人は、開発チームでは私一人だった。

クライミングウォールを知らなかったので、何だろう?と眺めていると、そこのお兄さんが一度、「登ってみる?」と私に声を掛けてきた。

私はびっくりして、「No Way!」 と返事をしてしまった… 

ウェリントンでは、店は17時に締り、スーパーは19時に締ってしまう。飲食店も20時くらいで締るし、仕事するだけの退屈な日々だったので、クライミングでも試してみたら良かった、と、今になって思う。

あのクライミングウォールの印象が残って、今リード壁しているような気がする。

この時は、ミルフォードトラックについても学んだ。バックパッカーが多い国柄なので、会社に飼われてる羊の身だったから、バックパッカーがとにかく輝いて見えたのかもしれない。

ウェリントンは30年前のイギリスのような感じらしかった。韓国好きの日本人が、韓国に魅かれるのと同じような感じなのかもしれない。

余談だが、オーストラリア、ニュージーランドは、ヨーロッパ、英国圏の人にとって、Iターン先になっている。東京から長野に移り住むように、スローライフを目指しています、みたいな人が多い。

■ サンフランシスコ

他にも外国は色々行ったが、主に仕事で、だ。数えてみたら10か国ほど。

外国には、以前は行きたいなと思っていたが、今ではあんまり外国に行きたい気持ちにはならない。

サンフランシスコは、私の心の町で住みたい。住むのでなければ、あまり興味がない。

ただ住むだけで良ければ、飛行機券を買って、一泊のホテルだけ予約して行けば、明後日にも生活が開始できるのを知っているが、そのような形で生活をスタートしても仕方ないと思っている。

住めればいいってわけでもないからだ。中身が重要だ。

日本のような、何もかもお膳立てがされて、ぬくぬくと生きて行ける環境で、自分らしく生きる、ということができない人が、外国で出来るわけがない。

私がソフトウェアエンジニア職を目指したのは、数年日本で仕事をしたら、またサンフランシスコに戻ろうと思っていたからだ。

当時、婚約していた人がいたので。ただ彼は待つことができず、日本に来てしまった。豊津。大阪の下町だったが、下町は人情味があふれる街なのに、日本社会に適応できず、困った結果になってしまった。結婚の予定も狂った。ので、私のサンフランシスコ行きは実現していない。

が、そもそも実現しなくて良いから与えられないのかもしれない。

今与えられているのは、クライミングとヨガで、それを頑張るべしなのだろう。

前もこのようなことはあり、何かを頑張っていたら自然と運が開けるものである。

■ 女性の強み

小さいころ、弟と一緒に並んでいることが多かったので、よく男の子と間違われた。

さらに、小中高と、先生たちには「お前が男だったらなぁ・・・」とよく言われたものだった。母もそう思っているらしかった。祖母もそうで、常に女の子であることを残念がられたように思う。

でも仕方ないじゃんね。生まれ持った性は、変えることができないし、変えることができないものを嘆いても、無駄だ。

子供のころは、大人の嘆きを理不尽に思うだけだったが、社会人になって、世の男性たちの実像を見るにつけ、私自身も、かつての周囲の大人がそういう感想を持ってしまうのを理解するようになった。

例えば、私はロボット開発部が最初の職場で、ロボットを操作するには1週間の講習を受けないと触ることさえできないのだが、1週間の内容を3日で終って、講師には、「今まで1000人くらいに教えたが、1番か2番くらいに覚えが早いから自信を持って取り組むように」と言われた。そんなに難しい講習ではなく、これまでの講習生はどんな人たちだったんだろう・・・と思った。

大学の頃は、一昔前のフェミニズム的な成功した女性像を私に求める人も多く、辟易させられたのだが、あんまり、そうなりたいとも思えない。あんまり楽しそうな生き方に見えない。闘争的な生き方だ。

とはいえ、私もそういう生き方をした時期があった。男性並みに有能であることを証明しないといけない、と感じさせられる職場もあり、市場調査の職にある時は、周囲に脅威を感じていた。まわりはみなすごい学歴で、イギリスの大学院帰りとか、コロンビアユニ卒とか、で萎縮した。

でも、女性には女性しかできない役割があるだろうに、なんで男性と張り合わないといけないのだ?と思う。

ので、強みを生かした道は模索中。山ではロングな山歩き。クライミングではイマイチ分からない。

■ 5.11

クライミングのグレードについても、頑張れと発破かけられると、「ああ、めんどくさいな~」とそういう気持ちになる。

クライミングは、強い男性は強いので、同じように強い女性がいても、役割分担にならないじゃないか。役割の取り合いになってしまうだけだ。

ある一点のグレードへの到達で見ると、男性が到達するのに必要な努力と女性に必要になる努力では、倍以上の開きがあり、そのような負け戦をしたいとは思えないのだ。

それは強みを生かす道ではない。

それにそもそも、時間的に短時間で、到達してしまうこと自体が、味わいにかけ、面白みに欠ける。

ただ5.11というのは、男性・女性関係なく、山ヤの最低限ラインな気がする(その辺はベテランが知っている基準だと思うが・・・)ので、そこまではいかないといけないな、とは思っている。

5.11へ到達するのに、男性なら指の強さや腕力の強さを生かすだろうし、私はそれらは生かせないから、ムーブの巧緻性を利用する以外ない。

でも、この先20年も山をやるのだから、急いで達成してしまうと、やる山が自体が無くなってしまうかもしれない・・・。と危惧している。

■ 強みを生かす

山でも山でなくても、担いだり、危険個所を突破したりは、男性の仕事で、女性である私の強みを生かした仕事とは思えない。

だからと言って、私の分まで担いでもらおうとか、自分が突破できないところを突破してもらおうとかは思わないが、どっちがやった方が効率的か?とみると、要救助者が出たら、私が背負うより、男性が背負い、私が先導した方が効率が良いのは目に見えている。

クライミングのパートナーシップにおいて、女性の私はどんな役割を担うの?と言われると、強みを生かした役割は何か?と頭を抱えてしまう・・・が、以前の上司は、私とだと男性の部下とよりも、仕事が大変やりやすいと言ったものだ。

同行者のリクルートには、女性のほうが向いているような気がする。これまであまり同行者が切れたことがない。男性同士だとつい競争してしまうが、女性はそうした緊張の場を和ませる効果がある。

とは言っても、私固有の強みではなく、女性なら誰でも、というような話だが。

女性がパーティに混じると、雪崩遭難にあう危険が増すと言われている。つい良い恰好を見せたくなる男性心理がその理由。

というわけで、鎧兜を脱げる間柄、であることが、男性女性が組んだときには必要なことなのだろう。










2016/08/24

ピラ20

■ 子供達

今日は、腱鞘炎もあるので、一時間くらいのつもりで行ったら、3時間近くもいてしまった。

かわいい4歳の女の子が、小学校二年生のお兄ちゃんとパパに連れられてきていた。私はとりあえず、子供には受けがいい。

20歳のころ、ベビーシッターしていたのは、マシュー6歳とダニエル11歳。二人とも大きくなっただろうなぁ。20年足すと、26歳と31歳・・・ああ、月日が経つのは恐ろしい・・・。

6歳が26歳になる伸び率と、21歳が41歳になる伸び率はだいぶ違うだろう・・・が、やっぱり私の20年での成長も、かなりすごいと思う。全く別人と言って良いくらい違う人になっている。

過去、7年を考えても、違う人だと言える・・・。山梨に来た頃は、まったく登山も知らず、クライミングは登山をしなければ、一生することがなかっただろうと思う。

■ 今日のまとめ

今日は、勘をにぶらせないために、1時間程度で帰ってくる予定にしていたのだが、結局、漫然と色々な課題を触った日になった。子供がいたから、ちょっと楽しかったというのが理由。

全部、書き留めたわけではないが・・・

黄青 自分探し 最後の1手のみちょっとクラムジー

黄青 人間合格 一撃

黄青 愛の16号 意味不明

黄青 ミス信玄 よく分からない

黄青 ムービング芋・・・ 1手目だけ最初苦戦したが、カラダの向きを変えたら楽勝化

黄青 ミス漬物石 一撃

黄色 私のマイナンバー・・・一撃

黄色 エリカ様  意味ワカラナイ 後回し

黄色 ひとりバックドロップ 一撃

黄色 初めてなんです

ピンク黄色 自分に易しく 易

黄色 チョーミフー 易

黄色 アレで行こう 易

トラバース、アップ課題、フラッギング練習、1手飛ばし練習 

これくらいしても、あまり疲れていないので、疲れるのは、やっぱり精神的課題と言うか、リードの時は、

 技術に裏打ちされた自信

が不足しているのだろうと思う。

今取り組んでいる黄色青課題では、かぶっている課題の方が、足が自由で易しく、かぶりが深いだけであり、垂壁の方が難しい。

垂壁の方が苦手になってしまった・・・。7級はゆとりがあり、6級は半分くらいはできる。6級の垂壁のほうが難しい。

そういえば、今日は、佐藤さんも来ていた。先日はミキヤツさんにも会ったし、クライミングの世界はどうも狭そう。

幸せが先で、結果が後

■ 幸せが先

クライミングをする人は、クライミングが楽しいから、クライミングをする。バレエをする人もバレエをするのが楽しいからバレエをする。

楽しい=幸せ

「なぜ幸せになりたいのですか?」

この質問にはもう答えはない。誰だって幸せになりたい。 

幸せになるための方法や手段として、クライミングや山がある。

つまり、本当の夢や目標は、〇〇山、例えば、エベレストではない。山は

「(自分が)幸せになるためには、この方法がいいんじゃないかな」

と思っている一つの手段にすぎない。

■ 楽しい人と楽しく登る

私たち・・・クライマーが、本当に欲しいものは、何だろうか?

高い登攀能力や優れたパートナーではなく、実は‘一緒にクライミングしていて楽しい!って感情’だ。

ただ、”感情”を手に入れるための手段・・・山行、あるいは、そのためのパートナー確保・・・を最終目標(幸福)だと勘違いしないことがすごく大事なのです。

クライマーだから普通にしていれば楽しいはずの山を楽しくなくする元凶は

 ・勝ち負け偏重 
 ・取引的な考え方

だ。

■ よくある間違い

たとえば、「結婚したら幸せになれる」と思って多くの人が結婚する。

ところが、結婚している人の何%が今でも幸せを感じ続けているだろうか?

そう思うと、結婚は幸福の条件ではない。

つまり、結婚する(した)ことで、その後ずーっと幸せでなければ、幸せという目標達成したとは言えない。

同じことが山にも言える。

■ 自分で自分を満たし、その後に満たされる

すごい山歴なのに、それで、まだ満足していない。自尊感情が満たされていない。

だから、嫉妬します。幸福な人に対して、嫉妬が辞められない。

有名ガイドを悪く言うとか。

ですが、嫉妬の元凶は、自分が満たされていないからなので、どうしようもない。

どれだけ山に行っても満たされない。

多くの人は手段を達成することに多大な時間やパワーを使います。

一般的には、金銭、名声、、女性なら結婚、山なら、すごいルートや、海外遠征のような人にすごい奴だと印象付けるためのもの・・・そういう何かを手に入れても、手に入るのは一瞬の幸福で、持続的な幸福感を手に入れることはできないです。

幸福は、他人が自分をどう思うかにはなく、自分が自分をどう思うか?にあるからです。

■ 永遠に足りない

今、「これが足りないから幸せではない」と考えている人は、どんなに恵まれた環境になっても、今と同じように足りないものを探し出して幸せを遠ざけます。

どんなに素晴らしい山に行っても。どんなに素晴らしいパートナーを得ても。

他の人から見たら苦境であっても、幸せを見つけ出して幸せになれる人もいます。必ずしも潤沢と言えない資金の中で進学した時、多くの人が助けの手を差し伸べてくれました。

今私に助けの手が差し伸べられているのも同じ理由からです。

人は与えられて当然と思っている人ではなく、困っている人を助けたいと思うもの。

ないことではなく、あることに集中しましょう。

内面を磨くということは、持てるものに満足を感じられる自分自身になることです。

いいことがあったから一瞬幸せになる、というだけの感情の応報反応ではなく、

周りの出来事に関係なく自分自身で幸せになる。

いわば、意図的に幸せを見出せるということ。ありがたいと言う気持ちが土台です。

■ ありがたいを連続していたら、

幸せを作り出していたら、勝手に夢や目標を実現してしまった・・・

というのが私の過去のパターンでした。

楽しくて本を読んでいた → オールAになってしまった
海外に憧れていて、英語を勉強していた → カリフォルニアから仕事のオファーがきた
海外で楽しく暮らして帰ってきた → TOEIC925点。
元々パソコンが好きで中学の頃プログラミング自習&エナメル線クラブ → 開発者
英語&開発&マネジメント → 海外出張
仕事が楽しい → ビジネススクール
ビジネススクール → 商社の仕事
バレエを楽しく続けていた → ヨガイントラ
商社の仕事 → 自由快適&登山快適

いつも、なんだか、わくわくしていただけのことで、”わらしべ長者”。

山も同じで、素晴らしい師匠を得てしまいましたが・・・勝手に素晴らしい相手が向こうからやってくるってのが私の印象です。

まぁ、危なっかしいから心配、ということもあるかもしれませんが・・・(笑)。

いつも素晴らしいパートナーが得れて、私はホントに幸せ者だなぁ~と思っているからかもしれません。


ウォームアップ

■ ウォームアップ

大体やっていることは同じだった。

この人がやっているダイナミックストレッチはもっと質を上げることができるが、そうなっていない。

トラバースは毎回やっている。ジプス練習はしていなかったので入れようと思った。

まぁ、ウォームアップよりも、パワーアップしたいところだなぁ。クライミングで、山みたいにヘトヘトになるまで、オールアウトするまで登ったことってあったっけな?小川山のクラックだけかな。

パワーとテクニックは相反する

■ クライミング原則 

で、クライミングの原則だが・・・ま、誰でも知っている知識だと思うが・・・

 パワーとテクニックは相反するということ

だ。

 1) テクニックを使わずに登ればパワーがつく

 2) テクニックがあれば、パワーが要らない

カンタンに言うと、手だけで登れば、パワーがつく。キャンパシングを考えれば分かるだろう。男性クライマーの懸垂回数と同じ。

一方、登れるクライマーは最小限の力しか使わない。だから、筋肉ムキムキにはならない。

私が知っているクライマーでも強い人で筋肉ムキムキタイプはいない。

■ スタミナ

しかるに、スタミナがないのは、パワーがないのではなく、無駄な力を使っているという意味。

課題は脱力であって、パワーアップではない。脱力するには、ムーブの洗練が必要。

 1)腕を伸ばす

 2)足はできる限り切らない

 3)完全に脱力クライミングをマスターするまで易しい課題を登り続ける

ムーブの解決が不要で楽に登れる壁にできるだけ長居するのが正しく、できない課題をできるようになる(突破力をつける)はいらない。

■ パワーを付けたい時

 1)足を切って登る

 2)ダイアゴナルを使わないで登る (つまり正対&デッドになる)

 3)マッチ禁止