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2019/02/22

自動化

■クライミングの自動化

スピードクライミングは、実は、フリークライマーの中では人気がない。

現在のフリークライミングの価値体系の中では、自動化するよりも、限界グレードを上げるほうが重要だからだ。

それは、基本的には全くオンサイトではなく、未知という要素がないからだ。

しかし、クライマーが憧れるフリーソロ…つまりロープをつけないクライミングで、本当に命がけであり、落ちたら100%死ぬ…のだが、実は、フリーソロの世界は、

自動化、

の世界である。

■ スピード=自動化

自動化の世界に最も近いのが、スピードクライミングの世界…なぜなら、自動化によりスピードが達成されるからなのだが…。

最近、知見が広がり、トップロープソロで持久力トレーニングをスタートして理解。

早い=自動化。自動化=省エネ化。省エネ化=距離。

エルキャップを2時間とかありえないと思っていたが、毎日10本はありうる。一日10本も、休憩を入れての10本だから、今の体力でも20本はありうる。

となると、200m連続登攀は、ありうる。

仮に、登攀にスピードが出て、半分のスピードで登れたら、400mはありうる。

8時間400mがありうるなら、それを短くしていくこともありうるのかもしれない…


2017/06/04

愛で紡ぐ山

最近学んでいること。愛というのは、受け取られることで倍増するということ。

インスボンへ行った報告を、何人かにして、反応は、人それぞれ。嬉しかったのは、ある一人の女性の後輩が、私の好意を受け取ってくれたこと。沢ヤを紹介した。

インスボンは、パートナーの愛だった。

実は私が行く前にガイド中、墜落して踵を骨折したみたいだった。骨折だろう、と言うか、内部にひびが入った状態だと推測。ガイド中だったので、すぐに病院に行かず、翌日はレスキューの講習などをしてお茶を濁したそうだ。すぐに病院、行ってほしかったな。

ビレイがまずくて、距離的にだいぶ落ちたそうだが、ビレイヤーを責められない。ガイドというのは、顧客のビレイの質を期待してはいけないので、落ちた方が悪い。落ちない登りを普通はする。

登攀が楽しくて、ちょっとチャレンジ精神を出してしまったそうだ。チャレンジ精神はガイド中ではなく、プライベートで出さないといけない…。私は彼のビレイには慣れていて、繰り出しの幅も知っているので、出しすぎは、そうないと思う。私と彼は体重差があり、落ちられるとビレイヤーは大変で、どちらかというと、ビレイヤーのほうがリスクにさらされる。だから、あまり大胆な登攀は私とではできないのだ。彼の立場では。

彼本人が落ちないタイプの登りをする人なので、1年ちょっと組んでいるけど、墜落したことがないので、したがって停めたこともない。おなじくらいの体重の人を何度か止めているので、大丈夫とおもうんだけどな。

私が到着した時には、すでにだいぶ良くなっていたそうだ。山やの事故っていうのは、いつも不思議だが、町は歩けないが、山は歩ける。町ではビッコだったが、山に着いたら、ちゃんとしてた。登攀も、なんだか私に遠慮して、易しいのに限定しているみたいで、ホントは、もっと難しいグレードのに登りたそうにしていた。だから、ハヌルキル、行けてよかったな~。

ルートの素晴らしさは、まだ私には分からないが、私はとっても楽しく、あんまりパートナーの不調については、登攀中は気が付かなかった。週の中ごろ、欲を出して、結構遅い時間まで登ったら、二人とも疲れてしまったくらい。たぶん、向こうも、山では、不調ではなかったのかも。町では、なんだか青い顔。私は、目新しい街の様子にキョロキョロしていたんだが。ソウルは大阪の韓国語バージョンでした(笑)。

私たちは体質が似ており、つい熱中し、どかーと疲れる犬みたいな性質なので、どちらかが休憩を言い出すべきで、本当は水曜日は夕方レストだったのだが、月、火と私も調子が良く、すいすい登っていたので、水曜はチャンスのように感じられ、難しいのに行き、遅くまで登った。…ら、木曜は調子が悪かった(笑)。木曜も調子をこいて、ハイグレードにチャレンジしたからだ(笑)。やっぱり水曜はレストを入れるべきだったのだ。

韓国は、予想以上に楽しかったので、夫もハイキングで…と思ったら、夫はソウルより、台湾に行きたいと言う…彼は今、中国語を勉強中だから。台湾って岩場あったっけな?

今回は、彼が自分が長年かけて通い、地元の有名人になるほどに愛した岩場に、初心者の私が楽しく登攀し、白く輝く、砂浜のような岩場に感動して、そして、それが彼にとって一番の栄養、という山だった。

”愛”と言うのは、この場合に当てはめるには、大げさな言葉かもしれないが、岩場を見せてあげたい!とか、困っているなら教えてあげたい!とか、そういう思い…思いやりを発揮したり、受け取ったりの連鎖で、山行というのは、出来上がっていくもの…。

そうでない場合、ちょっと危ない。

例えば、一番簡単な例としては、自己顕示欲、というのがある。これくらいできるってことを示すために登る山。そうなると、プライドで登っているので、判断に一抹の不安を残してしまう…。シビアな判断が必要な時に、プライドによる判断に偏ってしまうとリスクが増える。

■ 後に続く人に…

人はみな、それぞれに、それぞれの戦いがあると思う… その、それぞれの戦いに真摯に向かっていること、それが人生で一番大事なこと。

私の課題の克服に、色々な人がメッセージをくれ、とてもうれしい。…愛を感じる。

…と同時に、その人たちは、もしかして同類ではないか?と思う。

私と同じような苦難を感じているということは、私がそれを乗り越えた経験(まだ乗り越えていないけど…)が、お役にたてないかな~と思うことも多い…。

競争と欲望が支配する、この世の中で、愛に動かされて、山行を紡ぐのは、とても難しい。愛を見つけること自体、稀有なことなのだ。

それを克服(まだしていないけど…)していくには、経験が必要だし、経験は、経験則に落とし込めるハズだ。

まだ、全然発見していないけど…。経験則。でも、私のパートナーは、その経験則を私に伝えようとしていると思う。

例えば、楽しく登攀すること、とか。 これは、登攀自体が内的な褒賞であり、そのものが楽しくて仕方ない、という状態のこと…アーサナでフローに入っている時、みたいなこと。チクセンミハイのフロー、ゾーンと同じです。

最近の成長で、一つ言えることは、今では誰にも理解されない…という孤立感は、なくなったということ。

振り返って、私は、自分に相応しくない人たちのところへ行ってしまっていた。選んだ私の自己責任だ。

人はただ単純に言って、自分に相応しい人たちと一緒に過ごすべきなのだ。私は単純に無知で、一緒に過ごすべきでない人たちのところに行ってしまったらしい。だから、受け入れられもしなかったし、私の側の貢献しようという努力は、ありがたがられもしなかった。

私は、その集団では、向うが正しくて、私の側が間違っているという攻撃を受けて孤立したり、傷ついたりした。が、その攻撃を”受け取る”必要はなかったのだ、ということが最近、分かった。

どちらが正しいと言う問題ではなく、単純に、違う人たちだったのだ。彼らは彼らで、各自の戦いを頑張っていたに過ぎない。

分かりやすく言えば、競争と損得を行動原理とする場に、そうでない人が行くと、嫌な目に合うのは、ただの必然で、原因と結果の法則に過ぎないということです。

多分、今メッセージをくれている人たちは、同じように苦しんでいると思うけれど、孤独のようでいて、ちゃんと同じ人たちは、木がホルモンを出して、好ましくない植物を入れないようにしているのと、同じになっていると思う。

くじけず、皆で、それぞれがそれぞれの課題を克服しつつ、愛の山を紡いでいきましょう!


2017/05/30

A void time

The last week was a void time for me... I was kind of owe struck... realizing how lucky I was and how blessed I was.

Insubong was such climbing.

I was reflecting my past few years of climbing... did I do such something that I deserve this fortune?

I had spent so many hours and so much passions to my climbing these days... and that was kind of intense.   That came from knowing the situation that allows me to climb natural rock so easily, i.e., nearby rock was only 30min from my house then...is NOT permanent conditions.

People do not appreciate what they already have.

So visitors are fortunate to escape from such mind trap. I was aware that I don't live there forever so I DID what I can maximally, which was proceeding free climbing and alpine climbing.

Now thinking about how I should overcome the fear of runout, the main point is that I SHOULD enjoy climbing.

It is not exactly that I did not enjoy the climbing so far. The joy of climbing is not like you laugh at each other or like when you watch TV.

It is more like joy of meditating... you'd forget everything else but climbing.

And when you come down from the rock, the world looks so fresh and new, and beautifull...  soooo beautiful that you can help thanking that you are still being alive in this world. You realize you are let live.

You can live your life thinking of what you don't have. Wanting more and more and more... never feeling enough.

Rock is not like that, it definitely makes you focus on what you already have.  You manage. and you strive. and you survive.

So when you are down on the ground again, you've accomplished something.

This is such a feeling that gives you a confident and good feeling of self acknowledgement. You can do it, if you had to!! such feeling.

Ever Since I started the mountain and climbing, a lot of miracles and synchronicity had happened and this Insubong is one of them. A great one.

Not a one person missing in my climbing story... could not make this story realized.  I had met so many angels! I am also the angle to someone... I try to be and I know I can be.

This is actually same as what happening in normal life but we just don't realize it since everyone else is takeing it for granted. Why should I appreciated and express gratitude what everyone else too have? is the too common feeling...

but truth is not that.  Every one of us are living the life of miracles.

My life was miracle... so example, a girl who had no dad, no parent to support, DID go to the U.S. all by herself and stayed two years to master English. How could it be done without a miracle? I had only 200 dollars in my pocket!

Someone said he spend so much money on getting the TOEIC score and you know how much I spend for my TOEIC?  Very minimum. I took my first test and it was 850. The second test 925. so I stopped taking. I gained money while I was working in the states. So the net is plus not minus. The same thing is my university life. I had a hard time but I was lucky, that I could finish the uni.

So life is a series of miracles and everyone should know that. Even what seems negative at first, is often a blessing.

When my husband got a first job transfer, it brought us together. The second transfer, it brought me the activities that I can be passionate.  The third transfer this time,  can, of course, bring us something nice.

The same with all of my climbing mate. Someone gets far away from you only means you have another vacation home.

Now I am at the stage of really being able to just enjoy climbing... which somehow I did not allow myself to do...

Climbing was more like obligation and practice... like what I have to do to be a "better me".

Yoga teaches importance of practicing and fulfilling obligation.  Usually that means you do daily yoga pose... but for me what exactly feel like training and obligation was learning to climb.

Something stated bitter takes time to get sweet... which is exactly what happened to me... climbing was at first so bitter but now getting to be sweet.

Now I perhaps focus on just sweet part.

so what happen was that I was congratulating my achievement last week.






真空の1週間

■ 真空状態

インスボンから、1週間、しばらく次のステップへ移行できず、ぼーっとしていた…
…というか、思索の時間だった。

クライミングも、山も同じだが、行く前、行っている時、行った後の3度楽しい。

振り返れば、振り返るほど、幸せをかみしめていた…

■ ただ楽しむこと

課題だと思ったこと…ランナウトの恐怖の克服…は、実は全然課題ではなかった…

だって、ランナウトの恐怖を乗り越える、ってことは、クライミングが楽しくて仕方ない、って気持ちになる、ってことなんですよ(笑)?

それって課題?

楽しくて仕方ない、って、それって、そもそも、乗り越える、ってタイプのことじゃないんじゃない(笑)???

つまるところ、どうも、私はいよいよ、もろ手をあげて、クライミングを楽しんだらいい、という時期に入ったようだ…

■ おっかない… 

怖いことは嫌だった… 雪なんて、すごい傾斜でも一度も怖いと思ったことがない。

この傾斜なら、ロープなんていらないなーって、私が思う場所で、師匠が「この傾斜はロープ必携です」なんて言うと、「…そうなんだ」と思うほど。

それは誰に教えられたわけでもなく、ただ最初からそう。

だから、もしかして、岩って私には適性自体がないのかも…と自信を喪失していた。

だって、楽しい人は、何を教わらなくても、最初から楽しいみたいなんですよね。

でも、私の場合は、いまひとつ、岩って何がいいのなぁ…おっかないだけだなぁ…

って、感じ。

でも、フリークライミングは、すべての基礎と言われる。

基礎をすっ飛ばして行くつもりはないし、そんな手抜きな山、好きじゃない。ビレイすっ飛ばして登っているクライマーなんて、クライマーと言えないのと一緒でしょう。

野田勝さんが、亡くなった時…山野井泰史さんが書いた『アルピニズムと死』を読んだ。

野田さんのことを「岩は苦手意識を持っているって知っている」と山野井さんが書いていて、あら、と思った。

野田さんみたいな、将来を嘱望されている山男でも、岩苦手って人いるんだ、と。山男って言うのは、誰でも岩大好き人間なのかと思っていた。

ジムや外岩で登れず、ケッて顔をされると、なんで私は、こんな顔をされてまで、クライミングしているんだろう、と思ったりした…。

クライミングのために犠牲にしたものは多い…、時間、お金、情熱、人間関係…ありとあらゆるものをクライミングに捧げてきた…なんでそこまで?

私は何でクライミングしているんだろう????

まぁ、いまだによく分からないのです… でも、クライミングという先行きが不透明で何が成功なのかもよく分からない世界で、暗闇を手探りで進むように、苦労しながら進んでいく…という大冒険、…むしろ、探究に近いですかね?…の中で、私が知り得たことを、ノートに印す。

…すると、それで、共感してくれたり、勉強になった、と言ってくれたり、役立ったと言ってくれる人たちがいる。

それは、確実に励みなのです。…一人がそう言えば、この世の中は100人がそう思っているって意味なのですから。

そして、私は物書きなので、書いたものが誰かの幸せに貢献すると、とても役割を果たした気になれるのです。

人生の目的(ダルマ=使命)は、その人が与えられた本来の役割を果たすことだと言われている。

私という歯車がなければ、実現しなかった喜びや幸福がたくさんある。

もちろん、それは他の人も同じで、物語の登場人物が一人でも欠けたら、物語は成立しない。

私が紡いでいる心の歌…は、今まで、山で出会って師匠と仰ぐようになった、たくさんの人たちや、ブログにコメントしてくれた人たち、一緒に登ってくれた人たち、なくしては紡げない…

そればかりか、陰で支えてくれている夫や、夫がラッキーにも岩場に近い地方に転勤があるお勤めについていたこと、そんな偶然さえも、欠くべからざる要素だったのです。

不幸なこと、アンラッキーなことが起こった、と思っていたら、そうではなかったのです。

…というか、偶然の出来事を不幸にも、幸福にも変えてしまえるのが、発想の転換力、人間の力なのです。

そう言う意味では、、グロービスで知り合って、私にいつもインスピレーションをくれるみんなにも感謝しています。

ただ取引先で知り合っただけなのに、いつも見守ってくれる、あの人もこの人も、そんな人たちがなくしては、成り立たない、クライミングを紡ぐ歌…

それは私だけではなく、実は誰もが奇跡の歌を紡いでいるのです。

そして、その歌を単なるフレーズから、メロディーへ、メロディーから、ハーモニーへ、ハーモニーから、オーケストラへ、発展させていくこともできれば、音楽を辞めてしまうこともできるのです。

指揮者がいないと、そうなります。

今回のインスボンは、一緒に行ってくれたパートナーが紡いできたシンフォニーの大きさを感じた旅でした… 彼の情熱をいっぱい注いだ岩場でした・・・

私はその歌を引き継げるのかなぁ…

ありがとう、という言葉は、有難う、つまり、有ることが難しいと書く。

私が紡いできた山の歌は、本当にそういう奇跡の連続の結果だ。起こりえないことが、いつも数珠つなぎに起こってきた。

今日はまた、自分の登攀での成長が、とても理想的なスタイルを辿ってきたことを知った。

私は、人工壁でビレイをマスターした後は、入門はスラブでした…それは、当時は、分かっているわけではありませんが、理想的なクライミングデビューだったようです。

人工壁で、どっかぶりがクライミングだと思ってしまった私にとっては、足で登れるようになるまで、だいぶかかりました。たぶん、2年かかっています。

スラブから入門するのではない入り方もあるとは知りませんでした…。

ある意味、私はモデルケースになっているかもしれない…

そう言う意味でも、自分自身が成長することと、この世に貢献することが、同じベクトルを向いている今、とても幸せだなぁと思います。