■ 真空状態
インスボンから、1週間、しばらく次のステップへ移行できず、ぼーっとしていた…
…というか、思索の時間だった。
クライミングも、山も同じだが、行く前、行っている時、行った後の3度楽しい。
振り返れば、振り返るほど、幸せをかみしめていた…
■ ただ楽しむこと
課題だと思ったこと…ランナウトの恐怖の克服…は、実は全然課題ではなかった…
だって、ランナウトの恐怖を乗り越える、ってことは、クライミングが楽しくて仕方ない、って気持ちになる、ってことなんですよ(笑)?
それって課題?
楽しくて仕方ない、って、それって、そもそも、乗り越える、ってタイプのことじゃないんじゃない(笑)???
つまるところ、どうも、私はいよいよ、もろ手をあげて、クライミングを楽しんだらいい、という時期に入ったようだ…
■ おっかない…
怖いことは嫌だった… 雪なんて、すごい傾斜でも一度も怖いと思ったことがない。
この傾斜なら、ロープなんていらないなーって、私が思う場所で、師匠が「この傾斜はロープ必携です」なんて言うと、「…そうなんだ」と思うほど。
それは誰に教えられたわけでもなく、ただ最初からそう。
だから、もしかして、岩って私には適性自体がないのかも…と自信を喪失していた。
だって、楽しい人は、何を教わらなくても、最初から楽しいみたいなんですよね。
でも、私の場合は、いまひとつ、岩って何がいいのなぁ…おっかないだけだなぁ…
って、感じ。
でも、フリークライミングは、すべての基礎と言われる。
基礎をすっ飛ばして行くつもりはないし、そんな手抜きな山、好きじゃない。ビレイすっ飛ばして登っているクライマーなんて、クライマーと言えないのと一緒でしょう。
野田勝さんが、亡くなった時…山野井泰史さんが書いた『アルピニズムと死』を読んだ。
野田さんのことを「岩は苦手意識を持っているって知っている」と山野井さんが書いていて、あら、と思った。
野田さんみたいな、将来を嘱望されている山男でも、岩苦手って人いるんだ、と。山男って言うのは、誰でも岩大好き人間なのかと思っていた。
ジムや外岩で登れず、ケッて顔をされると、なんで私は、こんな顔をされてまで、クライミングしているんだろう、と思ったりした…。
クライミングのために犠牲にしたものは多い…、時間、お金、情熱、人間関係…ありとあらゆるものをクライミングに捧げてきた…なんでそこまで?
私は何でクライミングしているんだろう????
まぁ、いまだによく分からないのです… でも、クライミングという先行きが不透明で何が成功なのかもよく分からない世界で、暗闇を手探りで進むように、苦労しながら進んでいく…という大冒険、…むしろ、探究に近いですかね?…の中で、私が知り得たことを、ノートに印す。
…すると、それで、共感してくれたり、勉強になった、と言ってくれたり、役立ったと言ってくれる人たちがいる。
それは、確実に励みなのです。…一人がそう言えば、この世の中は100人がそう思っているって意味なのですから。
そして、私は物書きなので、書いたものが誰かの幸せに貢献すると、とても役割を果たした気になれるのです。
人生の目的(ダルマ=使命)は、その人が与えられた本来の役割を果たすことだと言われている。
私という歯車がなければ、実現しなかった喜びや幸福がたくさんある。
もちろん、それは他の人も同じで、物語の登場人物が一人でも欠けたら、物語は成立しない。
私が紡いでいる心の歌…は、今まで、山で出会って師匠と仰ぐようになった、たくさんの人たちや、ブログにコメントしてくれた人たち、一緒に登ってくれた人たち、なくしては紡げない…
そればかりか、陰で支えてくれている夫や、夫がラッキーにも岩場に近い地方に転勤があるお勤めについていたこと、そんな偶然さえも、欠くべからざる要素だったのです。
不幸なこと、アンラッキーなことが起こった、と思っていたら、そうではなかったのです。
…というか、偶然の出来事を不幸にも、幸福にも変えてしまえるのが、発想の転換力、人間の力なのです。
そう言う意味では、、グロービスで知り合って、私にいつもインスピレーションをくれるみんなにも感謝しています。
ただ取引先で知り合っただけなのに、いつも見守ってくれる、あの人もこの人も、そんな人たちがなくしては、成り立たない、クライミングを紡ぐ歌…
それは私だけではなく、実は誰もが奇跡の歌を紡いでいるのです。
そして、その歌を単なるフレーズから、メロディーへ、メロディーから、ハーモニーへ、ハーモニーから、オーケストラへ、発展させていくこともできれば、音楽を辞めてしまうこともできるのです。
指揮者がいないと、そうなります。
今回のインスボンは、一緒に行ってくれたパートナーが紡いできたシンフォニーの大きさを感じた旅でした… 彼の情熱をいっぱい注いだ岩場でした・・・
私はその歌を引き継げるのかなぁ…
ありがとう、という言葉は、有難う、つまり、有ることが難しいと書く。
私が紡いできた山の歌は、本当にそういう奇跡の連続の結果だ。起こりえないことが、いつも数珠つなぎに起こってきた。
今日はまた、自分の登攀での成長が、とても理想的なスタイルを辿ってきたことを知った。
私は、人工壁でビレイをマスターした後は、入門はスラブでした…それは、当時は、分かっているわけではありませんが、理想的なクライミングデビューだったようです。
人工壁で、どっかぶりがクライミングだと思ってしまった私にとっては、足で登れるようになるまで、だいぶかかりました。たぶん、2年かかっています。
スラブから入門するのではない入り方もあるとは知りませんでした…。
ある意味、私はモデルケースになっているかもしれない…
そう言う意味でも、自分自身が成長することと、この世に貢献することが、同じベクトルを向いている今、とても幸せだなぁと思います。