事例: 「グレード至上主義を擁護する」
登場人物
- Aさん(グレード更新至上主義者): グレードを追いかけることだけがクライミングの本質と考えており、安全性の議論を利用して自分の意見を正当化しようとする。お買い得品を探すことに血道をあげている。
- Bさん(ターゲット): 中級クライマーで、安全性に配慮された課題にも価値を見出している。グレードよりも、バランスや美しいラインに魅力を感じるタイプ。
場面
Bさんが比較的安全性が高いラオスの岩場の課題について話をしているが、Aさんがそれを否定し、「グレードの追求」こそが重要だと主張する。
Bさん:
「ラオスの課題、初心者グレードが多くて、ラインがすごく美しくて登りがいがあるね。ボルト間隔が適切で、安全性も高いし、挑戦しやすいよ。」
Aさん:
「うーん、俺は、正直、あんまり価値を感じないな。ただのエンジョイクライミングじゃん?クライミングは、やっぱり高難度に挑戦してこそ意味があると思うよ。」
Bさん:
「でも、安全性が確保されるからこそ、課題も楽しめるって時期が誰にでもあると思うんだけど…。誰でも最初は初心者だし。初心者でもチャレンジしやすいよ、ラオスは。」
Aさん:
「いや、安全性が高い課題っていうのは、結局、クライマーとしての能力を鍛えるには物足りないんだよ。例えばさ、グレードが高い課題っていうのは、そもそも安全性を考慮したら設定できない場合が多いんだから。」
Bさん:
「でも、安全性がある課題でも、技術やメンタルを磨ける部分はあると思うけど。」
Aさん:
「それは甘い考えだよ。本当にクライマーとして成長したいなら、安全性に甘えず、リスクを背負ってでも、高いグレードに挑むべきだ。それがクライミングの本質じゃないかな。」
Bさん:
「そっか…。でも、みんなが楽しめる課題も大事だと思うんだけど。」
Aさん:
「いやいや、そんなこと言ってたら一流にはなれないよ。最終的に重要なのはグレード。だから安全性を重視する課題なんて、本当の挑戦とは言えないんじゃない?」
心理ゲームの分析
- 表向きの目的: Aさんは「クライミングの本質」を伝えようとしているように見える。
- 本当の目的: Aさんは「グレード至上主義」の意見を正当化し、議論で優位に立つことを目的としている。このため、安全性や価値観の多様性を軽視し、自分の考えを絶対視する態度をとる。
- 結果: Bさんは、自分が楽しんでいた安全性の高い課題に疑問を感じ、自身の価値観を否定されたように思う。一方、Aさんは「議論で勝った」という満足感を得る。
正当な議論との差異
正当な議論では、安全性が高い課題や低グレード課題の魅力を尊重しつつ、それぞれのクライミングスタイルの意義を認めることが求められます。
しかし、この事例ではAさんが議論に勝つことを重視し、他者の意見や選択を一方的に否定することで、自身の優越感を満たしています。
「勝つためには何でもする」という心理ゲームが展開されることで、本来は多様性が重要であるはずのクライミング文化の中で、特定の価値観(グレード至上主義)が押し付けられる結果となります。