1. 個人的動機の文化的転換
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クライマー個人の「舐められたくない」「格好をつけたい」「都会の人間に負けたくない」といった劣等感や見栄
→ 課題の難度操作や危険なランナウトなどの行動に反映
→ そのままでは単なる自己満足や子どもっぽい行動 -
しかし、時間と文化の中でこうした行為は「伝統」「挑戦」「美学」として正当化される
→ 個人の小さな感情が、文化的に神聖化・美化される
2. 結果としてのリスク
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美化された伝統や哲学は、表向きは「クライミングの価値」「精神性」「自由」を語る
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しかし、底流には「命懸け」「淘汰・選別」「権威・誇示」といった暴力性が残る
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結果として、他者の生命が軽んじられる行為が文化的に許容・奨励される形になる
3. 問題の核心
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個人の小さな心理的動機が、文化の力で他者の命に直結する行為に転化してしまう
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表面的には「哲学」「伝統」と呼ばれるが、実態は「暴力性優位の文化」
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これを洞察できる者(HSPや敏感な観察者)から見ると、クライミング本来の自由性や哲学性が侵害されていると感じられる
💡 結論的に言うと、クライミングの世界では 「個人的な子どもっぽさ」+「文化の美化力」=「他者の命の危険」という構造 が生まれている、ということです。