以下は、南ゆうたさんのメマガより引用です。
当方、HSP。
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アダルトチルドレン(AC)や愛着障害、HSPの方の中には、過去の怖いお父さん、厳格過ぎるお父さん、自己中心的で支配的なお父さんのトラウマ記憶に悩まされている人も多いです。
トラウマ記憶は、「思い出している」という感覚抜きに蘇りやすいです。
だから、最初のうち、アダルトチルドレン(AC)や愛着障害、HSPの方の多くは「これは過去のお父さんを重ねてしまっているのだな」と気づいていません。
例えば、あなたに上から目線で話しかけてくる子どもっぽい男性の同僚。
例えば、短気でわがままな上司の男性。
例えば、無口でぶっきらぼうな喋り方をする男性。
人により引き金は異なりますが、過去のお父さんとよく似た人に対して、無自覚にトラウマ反応が出ている人が多いです。
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■ 私がトラウマ反応を起こす相手
1)ナルシスト男性
2)子供っぽい男性
3)無責任で酒飲みな男性
■ トラウマ反応を抽出すると?
1)自力で何とかしようとする
2)相手を助けようとする
3)相手に同情する
4)相手に近づこうとする
5)相手のせいで自分がこうなったと糾弾する
なぜなら、本来、親であるべき相手が、ナルシストで、子供っぽく、世話を必要としている場合、子供である自分が、
世話が得られず → 自力で何とかするしかない
親のほうが助けを必要とし → 助けようとする
それを正当化してあげないといけない → 親にはそうせざるを得ない理由があるんだ、と合理化しようとして同情する
子どもの立場は親を必要とする → クライマーはパートナーを必要とする
■ 事例
事例1: 子供が6人もいるから俺は被害者だと嘆く登山ガイド
事例2: ジムで5.11が登れるから北岳バットレス四尾根
事例3: 阿弥陀北稜へ一升瓶担いでいき7人凍傷
事例4: 40年登っているのに新人と比べて俺のほうがすごいというベテラン 比べるならトップクライマーと比べないと意味がない
事例5: 25+35=60が計算できないでツッコんで行ってしまい、やっぱりロープは60だねと的外れな反省をしてしまう人
事例6: 現代の記録とならないようなしょぼい記録を気づかずに公表してしまう若い人
■ 反応の仕方
以上の事例で、ぜんぶ、”私が何とかしてやらねば!”と反応(境界線侵害)してしまっていたのでした。
私の責任かというと?
全然違う。全部、単に相手の知性が足りないんじゃないの?という事例だ。
しかし、その知性の足りなさ、に対して、本当に何ともやりきれない、すごく嫌な気分がするのだ。ヤレヤレ感もそうだし、再教育しないといけないんじゃないの的な。誰か何とかしてやって!的な。
しかし…
心理学で明らかになったところによると、これらの人々は
脅迫的な自己中心性
をもった
ほとんどパーソナリティ障害
に近く
自ら、メンタルクリニックやカウンセリングに訪れることは、ほとんどない
のだから
自ら、クライミングの教科書を読んで自学自習することはほとんどない
のだ。
クライミング×SNSという活動が、彼らのナルシスティックなエゴのエネルギーの供給源になっている。(賞賛をエネルギーとして彼らは行動する)
賞賛が、自分に向かっていないと、誰に対しても攻撃するのだ。
それが明らかに表れたのが、私がアイスクライミングで韓国に行ったときだ。私が登れるようになってしまったら、師匠はなぜか怒り心頭、だったのである。普通は組んでいる相手がより上手に登れるようになれば、うれしいはずだ。
まぁ、その所作で、私はすごく上手に登っているんだなぁということが、明らかになって、私の側は自分の動画などを確認しなくても、エライ自信になった。
■ 離れられなさ =トラウマ反応
相手のメンタルが通常状態ではない=自分が窮地に置かれる
その上、相手や状況が変わる可能性がない場合に
このような状況は、相手のせいだ!と糾弾・指摘する行為から、離れられない
のがトラウマ反応だ。
一回の指摘なら普通だ。しかし、繰り返しとなると?
離れられなさ…が一般の人との違いだ。普通の人は、ここまで執着しない。とらわれない。さっと手放すことができる。
■ なぜ手放せないのか? 理性での正誤の判断に囚われているため。
親であるはずの親が親として機能していないのは、実際に、事実
であるので、指摘は間違っていないからだ。
指摘が、事実か?事実でないか?正しいか?正しくないか?で判断すると、事実であり、正しいのである。
つまり、理性で判断すると正しい。私は間違っていない。強い理性の力が、自分を不利にするという逆効果になっている。
クライミングで指導する側が間違った指導をしている、のも事実
であり
クライミング教育が不在
というのも、全く事実の指摘なのである。(やってもあいつらは来ないが)
■ 社会性
また、社会的に正義かどうか?で判断しても正義であるので、変に正義感や使命感を刺激する社会背景…社会にとって役立つこと、正しいことをすべきだ…があると、手放せない。
社会的に意義があるか?ないか?で判断しても、間違いを辞めさせ、正しいことを広めるのは、社会的に意義があるのである。
そもそも、私が2歳で親に殺されそうになった、というのは事実であったし…
・クライミングパートナーに殺されかけた、というのも事実であるし…
・クライミング界が、新人さんを庇護していないというのも、全くの事実である。
これは、したがってクライミング界への指摘というのは、最初にスタートしたところがトラウマ反応であったとしても、客観的で正しい指摘、だと思う。
■ なぜ40年も放置されていたのか?
というか、トラウマ反応を起点にするくらいの人でないと、こんなしょぼいヤレヤレ感満点の、バカっぽい行動に対しては、間違いが明らかすぎて、大人なら自分で直せよ、みたいな感じなので、まともなクライマーは
誰も指摘する気力すらわかなかった
んじゃないだろうか?
それが何十年も、間違いが放置された理由で、その放置によって、間違ったクライミング技術や自己顕示欲だけのクライマーがイネイブルされてきた理由だ。
■ 立場の考察
では、だとしても、クライミング世直しをするのに、私が適した立場か?
いや違うだろう。
クライミングをスタートして3年でフリークライミングのレベルに来たが、まだフリークライミング自体をスタートすらしていないのだから。
もっと楽しんでどっぷりつかった人たち、このような文化をイネイブルしてきた、放置してきた人たちこそ、世直しの責任者にふさわしいだろう。
平たく言えば、なんで私が?である。
楽しんでもいないのに、最初から、世話を焼かされる羽目になるのはいやだ。
子供役をやっていないのに、親役をやらされるのは、いやなだけでなく、そもそも無理であるのは、だれしも当然である。
しかるに、私は適任者ではない。
そう私の理性が言うから、今立ち止まっているわけだ。
■ 癒し&対策
さて癒しについての考察。
本来の友情で結ばれた、クライマーとしてクライマーらしいクライミングをする。
それ以外はスルーする。
同情はするけど、手助けはしない。