2022/06/21
2022/06/19
クライミング界に存在しないグリーフケア
2022/06/18
グリーフケア
■ グリーフ
肉親の死別に対するグリーフに対しては、一体何をしたらいいのでしょうか?
■ 弟
私は、24歳の弟を突然死で亡くしました。私が26歳の時でした。その前は、8年、弟とは会っておらず、死体の弟は、別人。妹から聞かされていた弟の色々なニュースを基に、弟の恋人という人に
「生前、弟がお世話になって…祖母のところ、一緒に行っていただいたと聞きました」とお礼を言うと?「おねえさん、それ、私じゃない…」とおよよと泣き崩れられ…
彼女がなんと3人。弟め~、お前何しとってん?!って感じになりました…
さらに、なんと靴150足、服は山ほど、という状態で、まるでイメルダ婦人かい…。
子どものころの弟は、ション便垂れで泣き虫ということだったので、全くの別人… しかも、突然死だったので、何が悲しいのか、イマイチ分からずに、私はお葬式を終わりました。
ので、きちんとグリーフケアしていなかったことが、クライミングでは、いちいち、変なパートナーにひっかかる主たる原因になっていたような?!
だって、私自身は、ちゃんと身銭を切って、アルパインの技術習得したのに、それをやろうとしないで、ちゃっかり私を利用する人ばかりにひっかかっちゃうんですよ…
俺の行きたいルートに俺は行く、お前の行きたいルートには俺は行かない、というMYルール適用されたり…とか、
俺のロープは俺のもの、お前のロープは俺のもの、とか…私の新品のロープでクラック登るの、2度目でしたからね…もう確信犯としか思えない。
これは、完治が必要です。でも、弟の死については、悲しみはホントに起きなかったんですよね。
良い思い出を思い出すっていうのは、役に立つのかな?
2022/06/16
普通の人の良識のある判断を知る機会がないこと
■ 『The Alpinist』を地で行って良い人間かどうか?を自分に問いましょう
昨日は、 マークアンドレの物語を聞いて、感動したのでした。いいなぁ、アルピニズム。
私も一人で雪の山に向かう人です。でも、厳冬期甲斐駒、程度ですよ。(言っておきますけど、甲斐駒でも一応ロープ要りますからね)
しかし、私が思ったのは、
すべての男子は、「”俺は、メスナーとか、マークアンドレに続いても、よい人材なのか?”それとも、”普通の人”なのか?」ということが判断付かないのではないか?ということ
です。
なぜなら、多くの男性は、父親不在の家の中で、息子可愛しの母親に可愛がられて育ち、自己中心性を克服する必要が起きないまま、俺のために母親は死ぬまで自己犠牲してくれるもの、母親がいなくなったら妻が自己犠牲してくれるもの、と期待したままというか、その状況のまま、大人になるわけです。
そうすると、母親は常に自分を英雄視してくれるわけで、自分が見る実力が内的には、以上に高騰しており、実力以上のことをしてしまうもののようだからです。
というわけで、解毒剤は、普通の人の普通の判断を見ることです。これが、あまり機会がないんですよね。
昨今、山岳会は高齢化で、大人の男性の適切な判断基準ということを男性でアルパインを学習中の人に示すことができないからです。
■ 普通の人の判断
ということで、これは普通の人のまっとうな判断として、東さんの開拓エピソードです。以下引用。
ちなみに九州では、最後の1mランジみたいなのを、やって当然だ、という空気で押しています。
ジャンダルムに中高年が群がるみたいなものです。
ーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーー太字当方ーーーーーー
服従の下降路
先の広島・帝釈峡でのマルチピッチ開拓エピソード
単独での開拓を試みたときです。2ピッチ懸垂下降して、テラスに着きました。
ギアを出そうとザックを降ろした瞬間、1本のクィックドローが転げ落ちそうになったのでパッとそれを掴むと、その反動でザックが100m下の谷底に落ちて行きました。私の所持品はロープ1本と下降器、それとザックを犠牲にしたクィックドロー1本だけでした。ザックの中には開拓道具・ハンマードリル・車のカギ・弁当が入っていたのです(´Д` ) 。
しばし茫然と立ち尽くしていましたが是非もありません、2ピッチ懸垂下降して谷底に着くと、ザックは湖のようなところに沈んでいました。身体にロープを結んで潜水して、ザックにロープを結んで引き上げました。クライミングに来たのに水泳も楽しめるという素敵な日です。
ただ惜しむらくは春はまだ水泳には適していないということでした。
水没したハンマードリルのバッテリーは放電してしまい、今回の開拓はこれで終了です。T_T
しかし真の冒険はここから始まったのです。(・ω・)ノ
このままつづら折れの坂道を延々登り返すのは気が重いものでした。ふと見ると緩いスロープ状のダムの放水路が目の前にあり、それは岩壁の上部まで続いていました。私はこの直登コースに魅力を感じ、濡れたザックを背負って登り始めました。 ()V
最初は岩壁を削った急斜面でした。そこを登り切ると傾斜45度くらいのコンクリートのスラブです。ガイドテニーなら苦もなく突破出来ます。しかし登るにつれて傾斜は急勾配になり、ほとんどフリーソロのクライミングになりました。そして放水口にあと数mに迫ったとき、いよいよ危険過ぎて登れなくなりました。
最後に1mくらいのランジを決めれば頂上というところでした。下を見るとザックが落ちた湖が50mくらい下に見えます。ザックを背負ったままのランジに失敗して墜落すると、最初はコンクリートの壁を滑落して、そのあと岩の露出した斜面に叩きつけられて、最後に湖にドボンです。おそらく生還出来る可能性はゼロに近いでしょう。脳裏にはさっきのザックの墜落シーンがよみがえります。1m上の頂上を見て、50m下の湖を見て・・・、さあどうする() 。
写真はシークレットギグを登る北山さんですが、その下に例の湖が見えます。ザックを落としたのもこの撮影場所からです。
ーーーーーーーーーーーーーー写真は割愛ーーーーーーーーーーーーーー
2022/06/14
『The Alpinist』
https://www.documentarymania.com/player.php?title=The%20Alpinist&fbclid=IwAR1LpBBY6Jwar1UWK7gLBRBbT4FhH_3qe2XcZtkS8F189StLYJxHmzXFAD4
ここで見れます。
私はドライのルートは、1ルートしか行ったことがありませんが、アイスは落ちないクライミングなのでフリーソロも理解できますが、ドライは… アックスが引っかかっているだけ(フッキング時)など、も多く、イチかバチかの要素が格段に増えるので、フリーソロはないなーという感じです。
ので、ビックリしました。しかし、マークアンドレが、山に喰われたのは、クライミングではなく、下山時の雪崩でした。
やはり、フリーより、山のほうがアブナイ。
2022/06/13
自己責任の解釈違い=イチかバチかクライミング+危急時技術の無さ
クライミングで標語にしたい言葉
■ ネガティブ=頑張る回路
何か困難にぶつかった時に、
・奮起するタイプ
・委縮するタイプ
の2タイプに人は分かれる。私は前者で、特に力が出る。困れば困るほど、力が出るが、逆に言えば、困らない限り、出ない。
これが自分の幸福にポジティブに働かないケースもある。
■ 苦しい時の友が真の友
人生には順境と逆境があるが、友人の価値が分かるのが逆境で、クライミングで言えば、一緒に登っていた人が怪我をしたときが逆境。
そのようなタイミングでポイっと相手を捨てるような人がいたら、それがその人の本性である。
一般に、人というものは、困っているときの縁は悪縁であっても、掴んでしまい勝ちだし、一緒にいたら情が生まれてしまい、悪縁を断つことが、だんだんと難しくなる。それを分かっていても絶てない。
■ 神が出来事を起こす
そういう場合、神は何らかの強烈な出来事を起こして…
例:殺されかけるとか...本人に、”これは悪縁ですよ、断ち切りなさい”というメッセージを送る。
断ち切りがたい度 = それだけ執着が大きい、 ということだからだ。
■現実に当てはめる
私にとってはパートナーを失って福岡に来てパートナーに困るというのが困っているとき、で、その時掴んだ縁が悪縁で、こっちでもクライミングがしたいというのが執着であり、白亜スラブという出来事が起きるまで、情が絶ちがたかった、ということだ。
■ 因と縁を分解する
因は、私のクライミング執着であり、縁が荒木さんというパートナーで、ふたつが揃ったら因縁が揃い、白亜スラブ、が生じた。
しかるに、やはり、因は私のクライミングへの執着、にあったのであり、白亜スラブで死んでいないのは、
神さま、ありがとう!
であり、
”ロープワーク(危急時)のしっかりしたスキルを身に着けていて良ったな~”
であり、
”鈴木師匠、村上講師、岩っちゃん、青木さん、わたくしはこんなひどい目に遭っても、教わったことをちゃんと実践して、地上に生還しましたよ!ありがとうございました!恩に着ます!”
ってことである。
何も学んでいない、そこらの並みのクライマーなら、ロープアップされない時点で、ボケーっとその場に立ち尽くす以外、手立てを知らないだろう。
その状態で、マルチ行きたい!とか言い出すクライマーのなんと多いことか!
しかし、煩悩深し。
そこまでクライミングの楽しさにからめとられ、虎が大きな口を開けている、その口に、いまにも捉えられそうなところまで、うっかり行ってしまったということだ。
■ 自己責任論が、無反省と被害者泣き寝入りにつながっている日本
このように書いても、クライミング界では、
・そのようなパートナーを選んだお前が悪い
・そもそも、フリーソロ出来るくらいのスキルがあれば問題ない
・敗退なしとか言う時点で気が付けよ
とか言って、荒木さんのスキル不足(カムスタック・終了点見落とす、敗退を考慮しない無計画さ)を責めず、私を責めるでしょう。その根拠になっているとされているのが、クライミングは自己責任、という思想です。
この”クライミングは自己責任”という思想は、人によって真逆に働く。
私のように自分の責任を正確に解釈する人(根拠:自腹で山岳総合センターリーダーコースに参加している、各種講習会に自腹で出ている)に適用すると、安全が増す方向になる。
時に、マイナスのポジティブ思考、つまり、どんなにひどい目にあっても、くじけない、ということになる。漫画岳にも、サンポさんが、山でヒドイ目にあっても、下山しないシーンが出てくる。行き過ぎたポジティブ思考は、自分を窮地に陥らせる。
一方、自分の責任を小さく解釈する人は、自己責任を相手だけに適用する。ついてきたのは相手なんだから、今回は切り抜けられたし、と自分のミスを反省しない姿勢になる。
なにしろ、カムの配置が悪くロープがスタックするなんて、竜頭泉のワイドで一度指摘しているし、その指摘を聞かなかったから、こんなことになっているのである。普通はクラッカーなら、クライマー一年生の時に反省して、学ぶようなことを10年登っていても、やっている…って意味で、”どんだけ~”になる。ピンポイントで、分かっていなさを指摘してやっても分からないのである。
相手が死ぬまで分からないのかもしれないということだ。相手をリスクにさらし続けても、ジブンゴトではないという意味の自己責任、で、結論、無責任、って意味だ。
これは、伝統のように、脈々と九州では受け継がれており(九州というと九州人の腹が立つようなのだが、もしかすると、九州だけの現象ではなく、岩場では、全国的にそうなのかもしれないと最近再考中。なんせ、山梨と九州しかしらないしなぁ…)、自分さえよければよい=古いボルト、自分さえよければよい=自己責任、と伝統的に”自己責任”という言葉は都合が良いように、読み替えられている。
■ 悪そのものは正さないといけない
これが、被害者泣き寝入りの仕組みですが、いくら、パートナーを受け入れるのが、一蓮托生の自分の責任だからと言って、この登攀を反省しないでいい理由にはならない。
九州のボルトが、強度がカム並みしかないカットアンカーでリボルトされていい理由にもならない。
またボルトの強度を一般クライマーに知らしめなくて良いという理由にもならない。
なにせ自己責任とは、台湾の岩場のように、ボルトの腐植具合がエクセルシートにまとめられており、そのルートを登るか登らないかを支点のボロさごと判断できるような状態を言うのであり、今の日本の現状だと、何も知らないめくら状態で、つまり、いちかばちかで登っているに過ぎない。
■ 感謝
話がずれたが、ひどい目にあったが、まだ死んでいない。なので、起きたことはすべてありがたい、ことなのだ。良かった、生きていて。
私は彼に捨てられたのですが、捨てられるまで、まだ、この白亜スラブの深刻なスキル不足状態というか、無反省の状態を認識しておらず、無反省のまま下手くそでそれを正す気持ちがないのは、知識がないためだろうと、痛む足を引きづって、韓国に行ったのでした。その理由は、、師匠の青木さんと組ませて、立派なロープワークを見れば、彼も反省するのでは?と思ったためだったのでした。きちんとしたリードクライマーを見たことがないのかもしれない、と思ったのでした…。そのために、痛む足を引きづり、体に無理を重ねたのでした…
神さまの支点で見れば、わたしにこそ、どんだけ~。「こんなに”この男はダメだ”と明瞭に示しても、お前はまだ分からんのか…」と神は嘆いたことでしょう…。
その後、彼に貸したものを返してほしいと頼んだところ、なんと、3か月かかり、なかなか返してくれなかった上、返事も来なくなったので(たぶん、返さないままスルーしようと思っていたのでは?)、仕方なく共通の友人を介したら、「いちいち人に言うな!」と書いてよこし、さらに「こんなもの、役に立たなかったし、一度も使ってない!」と捨て台詞を吐かれたのでした…(汗)。
ここまで、はっきりすれば、いくらなんでも、どんなお人よしでも、分かります。私はいいように使われただけだったのです…。すごく、よく分かった。
神さまごめんなさい。そして、悪縁を断ち切るためにスレスレな事件を起こしてくれて、ありがとうございました。
こんな事件を神に起こさせねば、分からなかったほどの私が愚かでした。
2022/06/11
どんだけ~?に気づくべし
■ おかしいと気が付くとき
私は、”母の私に対する要求が異様なまでに高い”と気が付いたのは、掃除していないと怒られたとき、
リビングのモノの配置が昨日と同じだ (= 粗いレベル、発病レベル)
と言って、怒られたときでした。
玄関の靴が並んでいない、レベルでは、そうね、と思って、並べてあげていました。(=中間レベル)
さすがに、昨日と今日で同じ配置なのは、拭き掃除をしていないからだと言われたときは、はぁ?どんだけ~って思いました。
母は、私にモノを投げつけてしつけを称する人でした(=微細なレベル)
モノを子供に投げつけることが、”微細”と言えるかどうか?は微妙ですが、私は母を許し(母なりの教育なのだろうと)、せっせと母を満足させるよう、母親代わり役をやってあげていたのですが、さすがに、リビングに昨日とモノが配置同じなのは、いくらなんでも、ねぇ…。
■ クライミングバージョン
同じことで、クライミングも、白亜スラブでロープアップされず、次のピッチで、ロープが足りず、仕方ないので自己確保で登ったら、1つのボルトに二人で仲良くぶら下がっていた時には、つまり終了点を見落としていたときには…やっぱり、どんだけ~?って話です。(=粗いレベル)
全然、自己申告と比べて登れていない(過信)。それ以前にも、過信の兆候は、いっぱいあったのでした…
懸垂でロープが少し足りない (=中間レベル)
自分が行動食忘れた時、相手に権利のように要求する(=微細レベル)
自分はロープに座って、ポンプアップによる引き上げを要求するのに、私がぶら下がると数秒で文句垂れ(=微細レベル)
ポンプアップなんてしてくれるどころか、だんだん引き下がる(=微細レベル)
残置のビナを持って帰りたがる(=微細レベル)
母親に食事を作ってもらっていて悪いと思っていない(=微細レベル)
なんで、色々と前兆…微細レベル で出ていたのでした。
私はそうしたミスが起こるのは、うっかりやクライミングの未熟さが因なのかとおもっていたので、許し続けていましたが、そうではなく、”俺様”な自己認識が、因、でした。
岸良で私のクライミングが後回しになった時、これは、
男尊女卑が因
だと切り分けられました。 無知が因なら、有知になれば因は取り除かれますが、男尊女卑が因だと、一生取り除くのは無理ですね。
正しく原因が分かる=治らないと分かる=その人と登り続けるのは馬鹿
です。
■ 因 … マザコン 母親が男性を甘やかしている
最近、女性の農業者に売り先を紹介してあげたのですが、その際に、まだ生産すらしていない息子をつなげようとしていた時も、え?!どんだけ~?でした…(=粗いレベル)
だって、いくら息子を助けたいということでも、自分の畑すら持っていない人に、売り先紹介してどうする?いくらなんでも、誰でもおかしいと気が付くレベル感…。
これくらい、九州では、母親は息子を甘やかしているのです。
子どもクライミングで、母親が14歳の息子を抱っこしているときも、おえ~!って思いましたが(=中間レベル)。
■ 一般化 = 法則化
おかげで、個人的には、私の母が、弟をどう取り扱っていたのか?ということに気が付くきっかけになったのでいいのですが…。
クライミングの事例でも、
”自己申告より、自分のレベルが低いのが分かっていない”という症状は、
”日本男児への甘やかしが常態化しており、男性が母親に甘やかされ状態だから” が、病根です。男尊女卑が病根。
一般の母親は、母親本人が男尊女卑を自覚していなくても、息子への愛というより、女性としての自分の不安さから、息子を取り立てようとします。日本社会では女性より、男性の方が優遇措置なのを知っているからです。どんなダメ息子でも、なんとしてでも助けようとしてくれます。
受け取る男性の側が、それを普通だと思っていると、子供相手なら微細レベルの症状ですが、大人になってからだと、どんだけ~?に発展します。
40代になって親に食事作ってもらっている人と結婚したい女性います?いないですよ?
■ 因は、”甘やかし”
人々は どんだけ~? に、なかなか、気が付けない。
九州のフリークライミングのどんだけ~?は、2020年にもなってカットアンカーでリボルトしようという話(比叡)とか…。
マジ、どんだけ~?です。 いくらなんでも、誰でも気が付くレベル。
それらは、ビレイがちゃんとできている人がいないという目撃事件(=中間レベル)や、山岳会に行ってみて、ロープワーク講習会でもお遊びレベル(=微細レベル)っていうので気が付けるはずなのです。
ちゃんと気が付いていたので、九州の山岳会はすべて避けています(そこまで馬鹿じゃない。念のため)。
気が付かなかったのは、若い人が間違った指導をうのみにしているために、間違った技術がずっと続いているということ、でした。(支点ビレイを指摘したら、ありがとうと感謝されるべきところ、逆ギレされました)
■ 自分を客観視しましょう
そのどんだけ~?に気が付ける機会をどう増やすか?というのが、振り返る心、自分を客観視する心、だと思います。
客観視するには、より高い視野を持つしかありません。
九州を分かるためには、全国で登り
全国を分かるためには、世界で登る。
という必要があります。
今日、紹介した、ユタのクライミングなど、九州の指導者レベルの人が行くべきではないですかね? 俺はトップクラスだ!と思っている人こそ、行ってほしいですな。
英語が話せないので会の人を連れていく自信がない、ということで、日本人は海外クライミングに出れていないようです。
年配のクライマーは海外ではお荷物人材扱いされるのが当然なので、出たとしても日本人だけでまとまり、海外の人と一緒に登るような交流をしないようなので、向こうの技術を伝えられそこなってしまっています。
いっておきますが、私は英語ペラペラ(IELTS7.0/8.0満点)ですが、トップロープのお礼に自分の語学スキルを差し出さねばならないようなクライミング界の弱者ではありませんので…念のため。
海外クライミング誘ってくださる方は同じような自立した方のみでお願いします。協力はしますが、依存されても困ります。下駄履かせてもらったり、助けてもらっているのに、逆ギレとか九州男児はしますからね…マジ勘弁です。
2022/06/10
インディアンクリークのツアー
以下引用ーーーーーーーーーーー
エリアは、世界の岩場のなかでも最高のクラックエリア《インディアン•クリーク》を中心としたアメリカのユタ州の岩場となります。
今回はスペシャルゲストとして、海外でも活躍されている《佐藤裕介》氏と《横山ジャンボ勝丘》氏のお二人をお迎えします。
開催日程
2022年10月31日〜11月10日
※ユタ州ソルトレイクにて10/31集合・11/10解散
※講習期間は11/1-9となります
参加料金
180,000円
※往復航空料金などの移動費、宿泊費などは別に掛かります
※航空券手配についてはご相談下さい
※おおよその費用はお問い合わせ下さい
登るルートグレード
5.8から5.11まで
定員 10名
スペシャルゲスト
《佐藤裕介》インタビュー
https://www.goldwin.co.jp/.../on-the-edge/yusuke-sato_1/
《横山勝丘》インタビュー
https://www.patagonia.jp/stories/the-bond/story-117197.html
ーーーーーーーーーーーーーー
◎◎そのものを好きではない
■ 考察
1)「あなた何個目?」→ 100名山をすることは悪いことではないが、相手が何個登っているのか?自分と関係のないことを気にしたりしている人は、山が好きなのではなく、競争が好きなのであり、競争により、自己承認欲求を満たされたい人。
2)自然農でも、「大変だ大変だ」という人と、「簡単だ」という人に極端だが、「大変だ」派。 大変だということにしないと、自分がスゴイということにならない → 承認欲求 → 自然農が好きなのではなく、承認される環境、が必要なのでは?
3)クライミングでは、ハッキリ言って、フリークライミング、ショートのクラッギングと言われるクライミングでは、アルパインクライミングと比べて、リスクは10分の1以下というか雲泥の差で、まぁ、覚悟的には、大したものが要らない。山の外的リスク…など知らないで済ませられる。
→ そんな中で登っているだけなのに、世間の評価は 無知から来るものだが、異様に高い
→ 承認欲求満たされまくり
→ 世間の誤解をそのままにしておいた方が都合(俺はスゴイと認定されっぱになること)が良い
→ 人間は弱い 誰でも都合が良い相手の誤解には便乗する傾向がある
→ ペテランの増加 (とんでもなく古い情報で若者クライマーがかしづいてくれる。例:昔の〇〇大山岳部、とっくに衰退した社会人山岳会)
→ 被害は、本当にすごい人は日の目を見ないこと(例:吉田和正さん、佐藤祐介さんなど…クライミングのきちんとした本を読まないと目にしない名前の人)
最近思っているのは、なぜ、成功していないリード(例:白亜スラブ)を成功と考えて、鼻たかだかになってしまうのか?ということを考えると、結局のところ、反省しないから、なのですが、反省しないのは、そもそも、山が好きではないのではないか?と思うんですよね。
山が好きなのではなく、俺をかっこいいということにしてくれるクライミングという活動が好き。俺をかっこよくしてくれるなら、別にクライミングじゃなくても、ボクシングでもなんでもいいのではないか?と。たぶん、ボクシングではかっこよくなれなかったのでは?
というので、山がそもそも好きってわけではないのかもしれないです。
■ リスクを数えていき、その数をたくさんピックアップできる人の方がスゴイ山やです。
例えば、沢を見たときに、増水した時のイメージができる人のほうが、何もイメージできない人より、上級の山やなんですが…
そうなると、クライミング活動って言うのは、分かっているリスクはつぶし、未知のリスクに対しては、備える、何が起こっても大丈夫なようにしていく、という活動になります。
何が起こっても大丈夫なようにしていく=宙づり登り返し、事故確保登り返し、トップロープフィックス登り、レスキュー活動、十分なギアを持つ
です。そこがすっぽ抜けて、どうだ!登ったぞ!っていう活動になると、高度になればなるほど、備えゼロで、リスクだけが上がっていくわけなので、いつかは山に喰われるレールの上に載っているだけで、ぜんぜん山とのとんち比べに勝ち続けていることにならない。
ので、そのクライマーの真意はどこにあるのか?というのは、重要ポイントです。
まあ、人生の若い間は、異性を引き付ける、というのが動物の主たる生存本能ですから、かっこいい俺!を誇示したくなるのは、動物の本能と言えるので、別に悪いとは思いませんが、一緒に山で死ぬ気にはなれない。
その人がカッコつけたいがためだけに、なぜ私が命を差し出さねばならないのか?分からない。
ちゃんと山でクライミングすることが好きな人とだけ登りたいものです。
参考:ポジティブ思考&仏教
https://www.youtube.com/watch?v=gqOUpIhoGkE