2021/09/01
膝の治療にマンサンダル
■ 膝が痛い
亜脱臼した膝が痛い。整形も行ったし、鍼も打った。
自分で治すには歩くしか治す方法を知らない…というので、新しい方法論を試そうと、マンサンダルを試してみることにした。
■ マンサンダル
マンサンダルは、ワラーチと似ているが、基づいている理論が違う。ゆるふわりん、ということだった。パラコードとビブラムソールで作るが、紐で締め付けるのではなく、足裏とソールは密着はしない。
今回はそのテスト歩行が目的。あんまりシビアでない道で人目を気にしないで良い場所が良い。
■ 久しぶりの油山
今日は朝から素晴らしい晴れで、背振の稜線が私を誘ってくる…というので、背振山へ続く車谷登山道をルンルン気分で歩こうと思っていたのに、なんと雨で林道が崩れているそうで歩けなかった。林道途中で、先行していたおばちゃん登山者にとても歩けないと教えてもらった。
ならば、というので、花乱の滝コースに転身したら、こっちも駐車スペース、せま!林道悪!というので、滝を見て納得してから、とっとと脱出して、通いなれた油山に転進した。
なにしろ、今は夏。北面で沢沿いなら歩いてもいいけど、稜線とか、南面とか歩く気になれない。その上、歩こうというモチベーションがマンサンダルのテストだから、余計な心配がない場所を選びたかった。
それで出だしに時間がかかってしまい、せっかく早出したのにスタート10時以降…早良更生園の人が駐車させてくれてありがたかった。入口の土嚢の高さがアップしていたので、無理に入るのがためらわれたため。
油山川の岩場の開拓者、米澤さんと通った岩場は、油山にあるので通いなれた道だが、心配だったのは、壊れた古い林道の染み出し…。いつも小川のようになっているからなぁ。案の定、マンサンダルで歩くにはイマイチだったが、まぁなんとか。
この道を歩く用事はクライミングくらいで、夏はクライミングに向かない時期だ。というので、人通りが絶えたようで、やぶが閉じかけていたので、次回は鉈を持って行かないと誰もホントに来なくなってしまうかもしれない。
油山山頂までは結構険しく、やぶ蚊にやられながら、頑張る。ロープもかなり出ているが、こんなとこにいるわけない、みたいなところ。一般ハイカーの人が困る傾斜と山やが困る傾斜はだいぶ違うからなぁ…。
山頂ではおばちゃん登山者たちが、物珍しそうに私のサンダルを品評会。おばちゃんたちがしたい山は、おしゃべりの親睦だから、マンサンダルは関係なしだ。”あなた、物好きね~”という感じ。
その後、荒平山へ縦走したが、荒平山への道の方がうんと歩きやすいので下りのほうが楽勝だった。途中に新しいベンチが設置されていた。
下りは、読図ができれば、安心な、上級者向けコースをたどるはたどるが、テープもあるし、まぁ誰か一度歩いたことがある人は大丈夫だろうと思う。森に帰りつつあるし、渡渉が3回くらいある。一度盛大に濡らしてしまい、サンダルが中で滑るようになり歩きにくくなった。渡渉点では、このところの雨で、山腹から流されてきたのだろう、打ち捨てられた間伐材が折り重なっていた。
山では、白いキノコが出ていた。長雨の後の晴れなので、もっとキノコたっぷりかと思ったのに、そうでもなかった。あとで調べたら、シロオニタケというキノコで、食べれないらしい…。残念。野生のキノコ食は九州では盛んではない。もっと美味しいシイタケが楽にできるからなぁ…。
今日は、とにかく、歩かれていない下界の里山道で、クモの巣とやぶ蚊との格闘…。久しぶりに、汗で臭くなって山を降りた。
■ 荒廃の原因は無関心 無関心の原因は自分への関心
…この道は、もはや登山道とは言えなくなってきているかもしれない荒廃具合だよなぁ…
駐車までのアプローチの途中にも、耕作放棄された畑や田んぼがそこかしこに見える。
森林限界、ならぬ、集落限界が下がって来ているんだなぁ…。
わざわざ椎葉村くんだりまで行かなくても、余っている土地は、福岡市内の自宅から30分のところにこんなにいっぱいあるのに、都会ではまだ、”奪い合いの資本主義社会”だから、そこに稲作をしたり、畑作をしたりすることは許されない…。誰も使っていないから、使っていいよ、とはなれないのだ…。欲が先行しすぎて。
林業という目で見ても、油山は、近郊だから枝打ちはされているが、適当なサイズに玉切りされた間伐材は、山から持ち出されずに、打ち捨ててある。そのため、今度の長雨でだいぶ流れたみたいだった。
堰堤類もほとんど土砂で埋まっているから、流れを緩和する役目は果たしても、もはや貯水能力はほとんど果たしそうにない。
山をやって、山を見る目が養われるということは、ある意味、見た景色から色々なことが読み取れてしまうということで、辛いものだ…。
クライミングをしていてクライミングにしか興味がないと、ロープドラッグで登れなくなるということに気がつくのにすら10年かかる。
だから、山の荒廃に気がつくようになるには、ほとんど無限に時間がかかるだろうと推測できる。つまり、我こと…エゴに囚われた人間は周囲の環境変化に、ほとんど気がつかないで過ごせてしまうということだ。
朝から沢で癒されたのが収穫だった今日の山。
一見ネガティブに見える膝の亜脱臼だが、このようにして、人としての充実や多面的な視野を与える機会となる、ということなのだろう。膝を悪くしなければ、マンサンダルとの出会いもなかったであろうと思うから。
2021/08/31
他者評価と自己評価
昔に自分で書いた記事がFBからアップされた。自分でもよい内容だと思ったので、あげておこうと思う。これを読んで、誰かほかの人の”登れる判定”で登らなくて良かったと思った。
何が登れて何が登れないのか? あるいは、何を登りたくて何を登りたくないのか?それを決めることが自己責任、ということだからだ。
一般に
アルパインクライマー=登れるところを登るのが自己責任、であり、
フリークライマー=登れないところを登りたいと思うのがクライマーに足る情熱ある態度
とされている。その混乱が日本では見受けられ、アルパインの流儀でフリーのルートが開いてあって、フリーしか知らない現代初心者クライマーを危険に陥れている。多くのクライマーはそこを理解するのに時間がかかるので、一定数が事故ったりなんだりで亡くなっている。
■他者評価と自己評価
私が自分で思っている登れる感(自己評価)と師匠が思っている登れる感(他者評価)が、大幅に違うので、そこに少しリスクを感じています。
例えば、アイスですが、私はまだ醤油樽の滝のリードも終わっていないのに、相沢55mのリードが来て驚きました…
一応、断っておくと、先輩や師匠と言うものは、登れる!と思わない限り、後輩にリードを勧めないものなので、55mリードできると思ったんでしょう。
一方で私が満足したリードは広河原沢の中央ルンゼに行ったとき、勝っちゃんのビレイで登った滝。4級でそんなに大きくない、たぶん20mくらい? ロープだいぶ余ったので。
上手にロープの流れを作ってリード出来たよな~と自画自賛中でした(笑)。大した滝でないので、シラケた顔してたよなー 青ちゃんは。
乗鞍の滝に行ったときも、こんなの、何がいいの~くらいなノリだったよな~
というので、安全マージンというか、何に達成感を感じるか?というのは、
初心者は先輩が思うより、すごく小さくても、しっかり達成感
なのかもしれません。私は10m→20m→30m→40m→50mと成長していくつもりだったというか、それが死なないための秘訣だと思っているので、10m→50mになると、喜ぶというより、”んなわけないじゃん!”という反応です…すいません。
先輩に、「その場合は楽勝そうに登ったらだめだよー」と言われたんですが、アイスって、登るための苦労の90%が、スクリュー打ちなので、それがないトップロープだと誰でも楽勝モードっぽい登りになってしまいます。
ので、私は疑似リードがしたかったのですが、それはできなかったので、いつまでたってもリードに必要な技術が身につかないということに…
岩に置き換えると、やはり、クライミングの初期から、5.6でいいので、リードしてプロテクションやランナウト等を学びつつ、傾斜をきつくして困難度を上げて行くのがいいのかなと思います。登攀距離は自然に伸びると思いますし…
大変なのは、フェイス、スラブ、ハング、クラック、ワイド、とタイプの違うクライミングのすべてで、それをやって、苦手の部分がないクライマーになることで、一般に現代クライマーは、フェイスやオーバーハングは人工壁で登れるので得意で、スラブやクラック、ワイドは下手くそになりがちだということです…
苦手克服には、簡単なところから
登れる自信&落ちない自信
を積み上げるしかないんですが、土地柄や環境に左右されます。
2021/08/30
ターニャの冒険譚とその日本版の冒険の進捗
■ 日本にもグリーンクライマーズホームを
”登ってさえいれば後は質素な暮らしで十分…”、そんなグリーンクライマーズホームに感動して早4年。
日本版グリーンクライマーズホームを作るという夢は、非常に遠い。
とはいえ、ココは日本、歴史が長い。人々のクライミング認知も低い。いたし方あるまい。
■ 日本では首長の理解次第
私のストレングス(強み)の中で最も強いのは、戦略性、という資質で、その資質によると、日本では、トップを巻き込んだ、つまり、
鶴の一声
がないと何も動かない…。私の三井物産時代の経験もそう告げるし、実際に最近見聞きしている事例、例えば、学校給食のオーガニック米導入にしてもそうだ。
もっと簡単な例でいえば、自転車を観光用途にプロモーションする地図作り、というような簡単なこと…ですら同じで、阿蘇の方では素晴らしい地図を見かけたが、どうもあれも、ほとんどトップダウンの作りだった…。
日本では、市井の人々、つまり、ボトムアップで、何か整合性が取れ、社会の変化に適合するようなものを作るのは難しい。
のは、市井の人たちが小さなこと…メンツだとか、各県の競争だとか、そういうものに目を奪われ、大きな目標(大志)を抱きにくいからだ。ここに来るコメントでも、そういう小さな視野に囚われているものが多い。
教育もあると思う。日本では、藩校制度の名残で、最初から公共の視野でモノを見る癖があるエリート教育と、そうでない自分の事だけを考える一般教育に強烈に分かれてしまっている。
大学に進学するような、限られたエリート教育を受けた、視野の広い人たちの資源は、一般の人たちの利害調整…メンツの調整、に割かれて、肝心の大局をどう動かすべきか?と言う思案に使えない。時間も能力も。そこに日本のアキレス腱がある。
■成り行き任せ
クライミングで言えば、
どういうクライミングがそもそも皆にとって望ましいのか?
という発想ができない。だから、成り行き任せになる。クライミングで当然知っているべき、結び替えも教えずに、終了点ロープ直がけで降りてきなさい、というようなことになってしまい、終了点は痛む、コストはかかる、交換する要員はいない、という悪循環が始まる。
それを分かっている老年のクライマーは黙々と残置ビナ交換に励み、若い方は何も知らずに間違った技術を使いづづけ、結論としては、日本の常識=世界の非常識、となる。
■ 目の前のことに翻弄される
望ましい未来の姿が分からない、となれば、即席で得られる喜びを得ることに終始するのが人間だ。
一般社会生活なら、とりあえず食える、こと。クライミングなら、グレード競争。
単純なものさしによる、単純な勝利に簡略化される。
しかし、考えてもみたまえ。1000人のクライマーがいれば、そのうち勝者は1人の世界なんですよ?まぁ、金、銀、銅のせいぜい3人しか幸せにしないシステムで、残りの999人は、”挫折と敗北”を味わうことになるシステム…そんなところで勝負したいですかね?
そこは改めて考えることが無くなるわけだ。特にクライミングは、体重や身長でのグレード区別もなく、老若男女を一列の序列に並べているだけのため、基準自体、ものさし自体が公平でない。
誰でも分かることだが、手が届けば5.9、届かなければ、グレードはいくらでも困難化する。
そんな、そもそも公平でもなんでもない基準で、自分が最下位でないことにホッとしたところで…だ。特段に優越…真の意味での…をもたらすわけではない…。たまたまの偶然で自分に優位性があった、ということだからだ。真の自信や自己信頼にはつながらない。もちろん、自分の中の基準で成長幅に感動するというような喜びはいつでもあるのだが、それにはグレードはほとんど役立たない。
ので、裏を返せば、そこで敗者に分類されたからと言って特に何も意味しない。
■ 戦略1
私の最も強い資質…戦略性という資質にとっても、日本にグリーンクライマーズホームを作るという夢は、かなり困難だ。そして深淵なる戦略が必要だが…
現在のところ、
1)地域おこし協力隊の職枠を使い、各地の岩場による地域起こし事例を増やして、岩場の認知を高める、のが良いのではないか?
と思う。
理由としては、
・日本ではクライミングは、過去50年間、市民権を得ていなかった
ので、
・地域の人すら岩場の存在を知らない
で、
・クライマーはコソコソと勝手に岩場を登ってきた…
だが、
・オリンピック種目にもなったことだし、どこでクライマーは登っていたの?っていう話で、実は〇〇という地域では各県からクライマーが集まって登ってきたんですよ…と、地域の首長らに、
カミングアウト
しても良いのではないか?と思う。それが地域の振興につながるのだったら…。
(正直、地域振興につながらないで、ただの迷惑につながるという事実があるから、今まで隠れてコソコソしてきた訳だが。これは今までクライマーたちは、いかに国内資源にフリーライドしてきたか…ということなんだが…。これは元を正すと長くなるので割愛)
というわけで、日本は、グリーンクライマーズホームの建立に至る以前に、何歩も前段階にあるわけである。
残念ながら…えーそこから~?!というような状況であるわけだ。
■ ターニャの冒険譚
ターニャたちの素晴らしいラオスでの冒険が、本にまとめられたそうである。
これは、本のホームページを日本語に訳したもののスクリーンショット。現代ではグーグル翻訳でここまで読めるので、別に私のような高度な英語力はイラナイ。普通の人でも、誰でも簡単に情報を得ることができる。
2021/08/28
異物混入・総裁選・アフガン撤兵 多事多難
2021/08/25
草食獣に闘争心を持て!とか言っても…
闘争心を持て!
と御坂山岳会の先輩からも、山梨アルパインクラブの先輩からも言われて、
?
だったんだが…。食の面から見ても、
”わたしに闘争心を求めないで”
っていう状況だったんだなぁ…と理解。
持続性が必要な農耕生活 ⇒ 植物性
瞬発力が必要な漁民 ⇒ 魚
肉=攻撃性
”歩き”メインの登山や、耐寒メインの雪山は、必要なのは耐寒性と持久力なので、べつに肉を食べないような人でも全然いいのです…
ところがクライミングは? 闘争心がメインのドライブになっているスポーツ…というので、やはり私がクライミングを続けるのは、なかなか畑が違い過ぎて難しいのではないかと思う。
なんせ18歳で進学した時から、肉少な目生活です…外食以外では食べないような生活していましたから…
闘争心を持つんだ!と言われても、”何、馬鹿なこと言ってんの”、としか感じられなかったです。
私にとってクライミングは、
集中することによるゾーン入り、
が快感だからやっていただけのことで、
ブイブイ言わせたい、という承認欲求
は全くありません…ブイブイ言わせて怪我したいっていうのは、なおさらないです…。
違う私になれと言われても無理…。この資質のおかげでクライミング、海外に一人で行くまでになれたのですから…。
去年の今日は感動の日を送っていた
■以下去年の今日の日記
自分でも感動する…
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以前は拒否していたけれど、今は受け入れている物事
一番はクライミング。
私はずっとインドア&文系で(実際かなりの読書家)、アウトドアに関しては、「アタシ、虫、大嫌いなんです~!!」と言っている系でした。意味は私を誘うな!です。その期間が38年…。
山梨へ行く前に、OLしていたころに、出張でウェリントンに行ったとき、波止場に巨大なクライミングウォールがありました。それをボケーっと見てたら、ウォールのお兄さんが、登ってみる?と声をかけてくれた。…のですが、当然のように、ブンブンと首を振って否定しました…。見ていたのは、ただ初めて見るものだったので、どういうものか?分からなかったから、というだけなのです…。
でも、登ってみる?と言われたのに、やらなかったのが心残りではあったのかな?今思うと。
山梨になり、38歳で失業&相当色々探し東京と2点居住したりもしたけど、山梨では仕事がなく、ヨガの先生になった。それでも時間があまるので始めたのが、登山でした…お金がかからない活動はそれしかなかったから…。
登山していても、別にクライミングが必要とは思ったことがなく、ただ山が嵩じていくと、どうしてもクライミングが避けて通れないのです…山岳総合センターのリーダーコースに行くことになった時は、まさか、クライミングが必要とは知らず。
のようなことだったので、人工壁を始めて見たときは恐怖で固まっていました…。3mで落ちていました…。ああ、あの頃からすると、本当に5.9がスイスイリードできるって、なんていう成長なのでしょう!!しかもスタートしたの43歳ですよ??
私はアイスクライミングはリーチが関係ないので、適性があって、暇なので週2回、1シーズン3か月で35回も登りに行き、ぐんぐん成長して、しまいには、ホントにアイスクライマーになった…。の図が、以下です。
20mちょっとくらいの氷瀑で6本のスクリューなら適正だな~とか感じて、見るたび、にんまりしてしまいます。
でも、スクリュー1本=1万円…(笑)。いいお金の使い方したなー。
プロテクション高いから、他のものにお金を使う気になれないですよ。 岩もそうなったらいいんじゃない?
私は、ちょっとしたきっかけから、登れるようになった自分が誇らしいので、そういう小さなきっかけをほかの人にも作ってあげることに興味があります。
感謝しているのは、
1)ウェリントンの波止場のウォールのお兄さん
2)山岳総合センターとの出会い
3)山塾の松本講師との出会い
4)山自体…
5)アイスの師匠との出会い
6)雪山との出会い
7)人工壁3m落ちる時代の講習仲間との出会い
運転片道3時間で、甲府から、安曇野まで通っていました…
落とされて頭を割ってもめげず、誠実なる努力を続けた結果 |