2018/03/02

海外クライミングのススメ

10年ほど前は、キャリアウーマンみたいなことをしていました。

で、日本では海外駐在のおじさんというのは、アメリカ>イギリス>その他欧米>中国>東南アジア>みたいな序列があり、あくまで日本で出世の階段を駆け上がるための、箔付のための駐在で、駐在先を訪ねていくと、所長は何もしないで、現地採用の部下が実質回している、ということを良く目撃しました。

私が会社訪問をしたのは、日本の駐在支局以外にも、欧米の外資の支所もあったのですが、欧米では、MBAを卒業した若造が一旗揚げる場所となっており、日本の出世の階段とは全く意味が違っていました。日本の場合は、箔付でなかったら、罰ゲームかご褒美です。どっちにしても、あんまり実質的に働かないで、駐在費だけどんともらえるポジション。

そこには日本での出世が一番という、なんとなく封建主義的な、江戸時代みたいなノリがありました。みなが東京を見ていて、それは、世界の経済成長や可能性を目の当たりにしても、意識としては変わらないのです。たぶん、男性は、群れの中での序列がそれほどに重要なのではないかと感じました。

最近、私のクライミングも、戦場がグローバル化してきました。まだ2か国だけですが、思うのは、これは、日本国内だけに視野があるときよりも、選択肢が多く、成長も加速するということです。

一般に日本の感覚では、日本を卒業してから世界、みたいなノリがあると思いますが、その考えは、そうした前時代的な年功序列に代表される考えに根を発しているように思います。

世界が下で、日本が上、っていうのはなく、今の時代は多様性の時代なので、いろいろな国にいろいろな強みがある。むしろ、早い段階から、世界の岩場に行ってもいいのではないか?と思います。

2018/02/28

2度目のラオス

2度目のラオスから、帰ってきた。

去年ラオスに行ったとき、来年は1か月いたい!と思った。その思いは、ラオスだけではなく、韓国のアイスクライミングとセットになって実現した。

ラオスは、どうしても行きたい場所だったが、ビレイヤーがいなかった…。去年の感じから、単独でも行けるとは思っていたが、やはり、安心できる、いつものパートナーがいてくれると心強いため、彼がいることが優先だった。が、相方は、行かないと心を変えた。タイと日本の国際線はいいのだが、タイの国内線移動は、各自がとったほうが、手続きがシンプルだ。というのは、カード決済で金額が判明するのが遅いから。相方は、自分で飛行機を取ることができない、というか、自分で手配しなくてはならないくらいなら、行かない、ということらしかった。一緒にやろうと誘ってみたが、やりたがらなかった。

ということで、一人で行っても、手持ち無沙汰かもしれず…と、11月に予定していたラオス行きが、1月へ遅れ、現地にいる友人との都合も合わせたり、と、今年は3月や4月にずれ込むかもしれない、と考えていたところ、正月に帰省した大阪で、行く人がいるらしい…と小耳にはさみ、それでは、と、リスクを取って、急遽、予定した。

期間は、不本意だったが、去年より短い12日間で、それは、ラオスの帰りに長野でアイスクライミングをしていくように、という相方の誘いがあったからだった。1週間の予定だった。アイスも年に一回くらいはしておかないと、身に着けたスキルが落ちてしまう。なので、快諾した。泊りは相方の家ということで、ありがたかった。

このアイスクライミングは、急遽、同じ日程で韓国行きになった。韓国の人が誘ってくれたらしい。が、急だったので、手配がまごついた。私が最初、飛行機を取ったが、宿泊も同時に取るべきだった…と反省。

あまり詳細を詰めずに行ったので、4日間のうち2日間しか、クライミングに充てることができず、ほかは市内観光をして過ごすことになった。外国だから、それでも面白いから良いが…。

帰国後は、友人に会う予定があり、またモンチュラカップへの出場も考えていたこともあり、2月いっぱいクライミングに充てることに。

虫の予感というか、念のため、寒い家の中に張ろうと、持っていったテントで結局、厳冬期のテント泊縦走もすることになった。

2月というのは、アイスのクライマーにはハイシーズンなのだ。

岩を登るにしても、乾いていて登りやすい。雪も厳冬期で一番厳しい。つまり、やりがいがある。

結局、モンチュラカップは、岩根が宿泊いっぱいで、今年はトレーニング不足も目立ったので、参加しても、参加賞だけだと思っていたところ、友人が城ケ崎でのクラックに招待してくれたため、そちらに変更し、充実した。城ケ崎ではたくさんの友人に再会できてうれしかった。

大阪ー関東は、そう遠くないため、夜行バスで帰り、大阪の自宅へ。大阪の自宅に立ち寄り、正月中に済ませることができなかった、電子レンジを入れる用事を済ませた。

今回は、試しに直行直帰スタイルではなく、世界を股にかけてみた(笑)。

タイ、ラオス、東京、ソウル、長野、山梨、城ケ崎、大阪、池田、と多くの土地を訪ねることができた、面白い旅だった。

ラオスとアイスクライミングの気温差も激しかった。

今回のアイティナラリーをまとめておく。

1/31 出発 関空へフライト 深夜タイ入国 タイ泊
2/1 ラオスへ移動 フライト
2/2 ~ 2/10 グリーンクライマーズホームでクライミング
2/11 移動日 前夜移動でターケーク泊
2/12 移動日 ラオスからタイ、タイから深夜便で成田
2/13 移動日 早朝成田から長野
2/14  湯川アイスクライミング
2/15 韓国移動
2/16、17 韓国アイスクライミング
2/18 レスト日 韓国で友人と会う
2/19 レスト日 韓国アイスクライミングのショッピング
2/20 移動日 早朝 韓国成田 石和泊
2/21 レスト日 八ヶ岳前夜泊
2/22~23 八ヶ岳縦走 城ケ崎泊
2/24、25 城ケ崎クライミング 25夜行バスで大阪移動
2/26、27 レスト日 大阪の用事を済ませる
2/28 早朝便 帰着

宿泊等
Shinkansen to KIX 15000 JPY
rail way 1300JPY

Flight to Thai

Hopper’sGuestHouse  THB 426.70
Green Climber's home 18,1800 Kip
The Inthelar Hotel 30 USD
Amada Hotel short stay 1700THB

Narita to Tokyo 1200 JPY
Tokyo to Nagano 5560 JPY
Onsen 600JPY

Bus 2600 yen 
Bus 1000 yen
Korea flight 20000JPY
taxi 50000 won
Korea hotel 680000 won
Korea hostel 454000 won
Korea Bus 10000 won

Isawa Onsen 1550 JPY
Yatsugatake Sansou 2000JPY
Akadake kousen Tent 1000JPY
dinner 2000JPY

Night bus 7400 JPY
Taxi 2000JPY

train 1150 yen
Flight 7000 yen

ラオスへのフライトは往復で4万円前後だったと思うが控えをもう処分してしまった。



2018/01/28

第二ラウンド



こちらは、馬目さんのヒマラヤ未踏峰初登攀の様子。最後、ボルダーで落ちてる(笑)。なんか、かわいいです。

■ 長者原へ

週末は、ガイド講習でした… アニマルトラッキングとか、冬芽とかすっかり過去の話になっていることを実感。

私は地球環境とか、地球学みたいなのは、とっても興味があったので、だいぶ本も読んだのですが、そういう知識も、きっとお留守になっているよなぁ(笑)。

ここ4年は、山小屋にも泊ることがなく、テント泊か車中泊だし、縦走よりはクライミング、という風になって、山の形態がまったくクライミング寄りになり、内容が変わってきて、山ではなくなってきていたんだよなぁ…

振り返って思う。 山小屋ってホント使わなくなった。とは言え、いろいろと考えると、自然は自然でそこにあるものだし、関心の矛先が一巡して、第二ラウンドに入る、みたいな感じなのかなぁと。

うん、第二ラウンドってことなのだろう。

2017/11/22

昨日は、井原山山頂で出会ったK美さんと、油山に出かけた。油山は、遊具のあるような山でどうってことがない山だが、私は、ほかに用事でもないと、わざわざ出かける気持ちにすらなれない、標高500mほどの小さな山だ。

井原山であったときはK美さんは50代の男性と連れ立っており、その男性はK美さんに山を教えられたそうだった。が、その男性は、あえて彼女を置いてきぼりにするように歩いていたりして、あら、どうしたのかな?と思った。

集合に行くと、K美さんはだいぶ着ぶくれて真ん丸になっていた。着すぎだ、と思って意外だった。山慣れた人が着るものを着すぎていることは少ないからだ。着すぎているのは、たいていは、山を教わらないで独学してきた人だ。独学していると、用心が多くなるからだ。まぁ、歩きだしてから脱げばいいので、黙っておいたが、ずいぶん着ていた。

朝の空気はキリリと冷えて冷たく、快晴の秋の青空をバックに並木の黄色い紅葉がきれいだった。季節の移り変わりを感じることは人間には大事なことなのだ。

油山周辺は、自然学習の公的施設が集まっているようで、最初はゲートが閉まっていたが、慣れた人は、南京錠が閉じていないのを知っているようだった。守衛さんが出てきて開けてはくれたが、南京錠の空いているのを見せてくれた。そういうことだったのか。

山頂まで、お話ししながら、のんびり歩く。K美さんは、先頭を歩きたがらない…のだが、私が先頭を行くと、どうしても距離が自然に離れてしまう。当然だ。私のほうが彼女の娘と言っていいくらいの年齢なのだから。歩調を一緒にするため、「ザックを重くしてくればよかったかな…」とも思うが、してこなかったのは、これ見よがしの体力自慢は、嫌らしいなぁと思うからだ。

K美さんは歩みはしっかりしていたし、自分で歩く場所を選んでいた。本当に依存的な人は、男性でも女性でも、前に歩いた人とぴったり同じ位置に足を置く。

それに、K美さんの知識量はすごい。山を愛しているんだなぁということが分かる。それで、二人でお会いしてお話してみたくなったのだ。山を初めて8年ということだった。

山頂についてお昼にしようかと思うが、まだ早いと言うので、下山する。下の谷あいのところで、ランチとして、コッヘルを出し始める。今日は前回と同じくラーメンを作ってもらうことになっている。「上だとストーブ使うと文句言われるかもしれないから」

なるほど火器を使ってはいけない山だったのか。長い間一般ルートの山をしなくなって、火器を使ってはいけないなど、すっかり忘れていた。日本では、未熟な登山者が増え、火を子供に禁止する親と同じような意味合いで、火器禁止が多い。焚火もほぼ、アルプスと名の付く山では禁止だ。それは火の扱いを知らない人が多いからだ。

私は、日帰りの山では、ほとんどまとまったランチタイムを取らない…のは、たいがい歩いているのは、一人だし、大休憩は、、体が冷えてあんまり快適ではないからだ。今回も、日陰で寒いので、ダウンを着る。

K美さんとテント泊の話をする。テント内でストーブは使えないと思っているそうだ。それは、取扱説明書にはそう書いてあるが、実際は、テントの中で、火器を使わざるを得ないので、だれもそんなことは言わない。彼女は、テント泊縦走したそうにしている…しかし、担げない、という思い込みが強そうだった。歩きもしっかりしているし、山の計画にも抜かりがない。

が、道迷い経験があるそうだ。若い男性登山者について行ったら、道がなかったのだと。それは、自分の判断よりも、他者の判断のほうを上位に見なす、自動思考、という癖だ。
もし、その男性がいなければ、彼女は遭難しなかったのではないかと思った。

なぜ日本の女性は、女性自身の判断よりも、ほかの人についていくほうが正しい、という考えを刷り込まれているのだろう?

私の考えによれば、それは社会規範、というもので、社会規範を山に持ち込むと、よくない。山では、山とだけ対話すべきだ。つまり、山だけを判断の根拠とすべきだ。

年齢や性別だけで、相手がより優れた判断をするとは限らない。それはベテランで合っても同じで、だれだって、思い込み、という刷り込みに多少なりとも侵されているものだ。だから、よりベターな判断をするためには、自分が侵されているかもしれない刷り込みに意識的でいなくてはならない。

男性だったら、女性の前でかっこつけたいという刷り込みは非常に克服するのが難しい刷り込みなのだ。強さを誇示したいという刷り込みも、だ。

K美さんが団を取るためにウエアを着ようとすると、だいぶウエアが汗で濡れているのが見えた…やっぱり着すぎだったんだなぁと思う。

ランチを終え、コーヒーを沸かす。今回は私がデザート担当しますと言ってあった。私はランチはほぼ行動食で済ますが、K美さんの山の楽しみは、ランチだそうだったから。前の同行者の男性のことを尋ねると、山岳会ではないそうだった。それもすごいと思う。彼女の年齢で、10歳も年下の男性登山者をゼロからパートナーにするのは、やり手だなぁ。

その彼は、あまり彼女に親切でなかったので、どうしたのかな、と思っていた。歩くときは、歩みの遅い者に合わせるのが普通だ。が、彼は彼女を置いて行ってしまう。

寒いですね、とK美さんが言うので、「ここは沢だから風の通り道なんですよ」と答える。尾根も吹き曝しで寒いし、沢も風の通り道で寒い。

南アルプスの話をする。仙丈は行きたいのだという。仙丈は、南アが初めての人が行く一発目の山で、それで彼女にとって本州のアルプスが憧れの山なのだと知る。北岳とか行きましたか?と前回も聞かれたから、きょとんとしてしまった。北岳は、地元の人にとっては、日帰りの山だ。だが、特に難所がない、と感じられるのは、それが、一般ルートの山だから、であり、一般ルートの物差しで行くと、そう易しい山でもない。一般ルートの物差しでいうならば、難しいほうに入るだろう、特にもし八本歯を経由するならば。

九州から遠征で行くなら…と聞かれるので、伊那側で入って、北沢峠泊で仙丈ピストンを勧める。頂上山荘はお勧めできないと感じたからだ。彼女はそのまま北岳に縦走と思っていたようだが勧めなかった。9時間のバカ尾根があるからだ。9時間小屋がないというのは、彼女の年齢の人にとってリスクではないだろうかと思う。特に食住を担がない(担げないのであれば)

北岳の泊りで肩の小屋は汚いと言う。肩の小屋のほうが、山ヤ好みの小屋で、昔ながらの小屋なのだけどなぁ… 森本さんという小屋番さんだが、今は息子さんに代替わりしている。K美さんは白根三山の縦走を従っているようだが、テントは担げないと思っているようで、仙丈、白根三山縦走だと、一週間の度になってしまう、









2017/10/20

維持

■ 維持期

クライミングは、低成長期、つまり維持期、にいるわけですが、とりあえず、週1回くらいは、壁に触らないと維持もできない(?)ので、アクシオンへ行ってきました。

一緒に行ってくださった方には、感謝☆

普通のボルダリングだと数時間レベルで登らないと腕がパンプしないのに、スポーツクライミングの壁は、1本で腕、張りますねぇ…。大変(笑)。しかし、今日は5本登って結構満腹です。

■ 振り返る

小瀬の壁でも、5本をノルマにしていましたが…スポーツクライミングと外岩クライミングは全然違う…

前回は、私よりは体格が良く、筋力も当然上のはずの男性と言ったのですが、人工壁は5mくらいでアップアップ、ジムのどっかぶりも、彼は落ちていました。あれ?

垂壁ではリーチがあるので、私ができない課題に届いていましたが… 

クライミングは、個人差がある。得意不得意もあるようです。私は得意不得意で言うと、やっぱり、前傾壁は苦手なようです。

しかし、前傾壁が急速上達したのは、YouTubeでビデオを見てからなんだな(笑)。クライミングムーブと言うのは、下から言われても、もしかして、運動が分かっていない人には分かりづらいのかもしれません。 

前傾壁に関しては、私は体がフレッシュな間、1本目、2本目が一番、調子が良いです。

しかし、このグレードだと、全然、数年間はグレード更新していないハズですが…(笑)、実際は、スラブ、ワイド、クラックと、登れる幅も、グレードも上がっているので、スポーツクライミングの人工壁に関して、グレード更新が滞るのは、別に気にしなくてもいいのかもしれません。

カラダは確実に反応している(=腕太くなりました…^^;)し、海外にクライミングに行くと、成長を感じます。小川山では登れない課題が、まだ登れないですが(笑)。

基本的にリーチなんだろうな、そういう課題は。

私はリーチが短いクライマーなので、その部分の克服がない限り、クライミングそのものが上手になっても、なかなかグレードへの反映は遅いのだと思います。

今日も、登れそうに見えると言われましたが(笑)、体は動くんですけど、短いリーチの分、デッドで取る羽目になって、パワーを使うので、結構、消耗が早いんです。

消耗すると、なかなか大人は回復しない。パワーセーブすることと、デッドは相対する関係にあり、なんだか、克服するには、時間を掛けるしかないみたいです。

どんだけ太い腕になるんだろうな~ (笑)

課題は下半身痩せかなぁ(笑)

2017/10/19

クラックの成長の仕方

■ 今日の発見

スタバで、『岩と雪』を読んでいたのが、前から気になっている記事で戸田直樹さんの記事を読んだ…

インスボンでクラックとスラブを修業してから、ヨセミテに行っている…ヨセミテのあとは、コロラド。

今私はインスボンで修業中なので(笑)、流れが似ている。5.7とか5.8で苦労している姿が描かれていて、親近感が持てる(笑)。というのは、現代のジムクライマーは、5.12をレッドポイントのほうが、長い5.9をずっと登るより楽しいみたいだからだ。

私は、レッドポイントで、高グレードを落とすような登り方は、まだ先かなぁという感じなので…

とりあえず、何をするべきか?という情報収集の一回目。

インスボン → ヨセミテ → コロラド みたいな(笑)?

ラオスは、ホントに快適だったので、毎年行きたい。

2017/10/12

時間さえかければ登れるようになるのかも

■ やってみる前にできないと言わない

私のクライミングは、一体どういうことなのかなぁ…ということを、ここしばらく考えている。

私は、新しい経験に対して、あまり抵抗がない。
初めてのことに、臆するタイプではない。

先日も登攀で行った韓国で、一夜の宿を見つけるのに、現地で飛び入りで見つけた。同行者はびっくりしていた。でも、聞くのはタダ。聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥…。ちょっと違うか(笑)。

そういう面で、あまり私自身は、臆病だったり、人見知りがだったり、ということはないが、それは、後天的に獲得した資質だ。

食わず嫌いをしない、というようなことだ。

やってみる前にできないと言わない!何事も挑戦!という教育を受けた。

なので、私のクライミングは、初めてのこと、自分に適性があるとは、到底、思えないこと、そういうことにも、心を開いて、思い切ってチャレンジしてみた結果、のことだ。

その結果、思いもかけない幸運に恵まれた。海外クライミングにまで行けるようになってしまったのだ。

これは予想以上のことで、本当に運命の不思議としか言いようがなく、とても感謝している。

■ 運動嫌いの人ほど

新しい経験、というのは、誰にとっても、ある意味、自己変革であり、成長しているという、大きな喜びをもたらすのではないだろうか?

ちなみに、クライミングというのは、もともと運動嫌いだった人の方が、なぜか意外に上達することが多い。

実はランもそうなのだそうだ。運動が苦手の人に適しているのだそう。

だから、運動が苦手だった人ほど、クライミングから受ける恩恵…身体的にも、精神的にも…は、大きいのではないか?というのが、私の想像だ。

自分にはできるとは思ってもいなかったようなことが、できるようになる…ということは、世代を問わず大きな自信になるのではないか?と思う。

■ 非日常的な動き

クライミングが、一般的な運動能力とあまり強い相関関係がない、というのは、どういうことだろうか?

たぶん、クライミングに必要な動作が、ほぼまったくと言ってよいほど、日常に含まれていないから、ではないか?と思う。

だいたい、普通の生活で、よじ登ることなんてあります? 子供ならいざ知らず、大人になれば、かぎりなーくアリエナイ、シチュエーションです。

なので、逆に言えば、普段の運動能力のいかんにかかわらず、ほとんどの人のスタートラインが同じだ、ということなのでは?と最近は思うようになりました。

20歳も、40歳も、初めてすぐはたいして変わらない、という現実を目の前にしたからです。

もちろん習得には、若さの有利があるとは思いますが、やったことがない動きをスムーズにできる人は、まぁほとんどいない。

つまりクライミングは、クライミングに接している時間が長ければ長いほど、不慣れではなくなるということなのです。単純に累積時間がモノを言う。

ということは、運動神経が鈍い人にとっては、時間さえかければ良いとも言える面があると思います。

■ 細い尾根

ランの継続は、細い尾根、なのだそうでした。つまり、やりすぎはダメだし、やらなくてもダメ、という…つまり、続けることが大変難しい。 

ある意味、クライミングも、”細い尾根”かもしれません。一気にわー!と、上達する方法はないって意味です。

最近借りてきた、古い岳人(2007年9月号)に菊地敏之さんが寄せた記事で、

「いまどきの、なんともせっかちな人々」

という記事があります。記事の要旨はこうです。

ーーーーーーーー
物事を考えるスパンが短い。あれができたらすぐにこれ、というだけでなく、ある物事にもたった一つの経験ですべて納得し、すぐ次、という発想の人が、あまりにも多いということなのだ。



平日は週に1日はジムに行くとして、ビレイやそれに伴うクライミングのあれこれが理解判断できるようになるまで1年、それから外岩でもリードを始め、もちろん最初は支点のしっかりしたスポーツルートから始めて、やがて小川山などの「あれやこれや」が混じったルートのおおかたでそつなくできるようになるまで3年、さらにクラック系で3年、同時にマルチピッチルートも人に連れられて、20~30は経験し、トータル5年でリードが取れるようになるなんて、随分早いほうだとおもうんですけどね。



ジムでトップロープすら危うい状態なのにリードし出す人
ジムからいきなり外岩に向かう人
小川山などのトラッドルートに「ジムで5.11が登れたから」のノリでとりつく人

など見ていて、ええ!?と驚かされるような人たちは、決して少なくない。



(10年、5年が)本当に必要な事なら、あるいはその時、自分では必要性が分からなくても、「必要だ」と実際に考える人がいるのなら、それが「クライミング」というものだと、思うのが普通のような気がするんだけど…。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

クライミングも、ランと同じく、細く狭い尾根で、習得に時間がかかる活動、と言えるのでは…と思います。

元々、私がクライミングを始めたのは、時間がかかるから、というのが理由でした。

時間があるときに、その時しかできない活動をしよう、と思ったためです。

大体において、人の人生は、時間がある時はカネがなく、カネがある時は時間がないものです(笑)。

カネがあるときにはカネを使い、時間があるときは時間を使う遊びをするのが、正攻法かなぁと思ったら、それは外岩豊富な土地では、クライミング。

■ 登れそうに見えた…

始めてアイスクライミングをしたのは、岩根山荘ですが、岩根の氷瀑は、ごく至極まっとうに登れそうに見えました…。

とはいえ、それは、”見えた”のと”登れる”のは違い、初めてアックスをふるった時は、3本で腕が参ってしまいましたが…。

けれど、登れるんじゃないかと思った。 実際4年かけて、登れるようになりました。

私のクライミングは、自分が登れそう…と思った気持ちを起点にしている。

今回インスボンの登攀に行って、インスボンも、スラブなら登れるのかもしれない、と言う気が、どこかでしました。

しかし、それはきっと数年くらいはかかる話なのだろう…。

アイスだって、体験クライミングから、大滝をピンクポイントするまでには、4年かかっているのだから…。

クライミングは時間がかかる。けれど、時間さえ掛けさえすれば、誰だって登れるようになるんではないだろうか?

それがクライミングの魅力も言えるんではないだろうか?

何事も即席の成果は喜びが少ない。 大きな喜びには、大きな努力と時間の長さが必要なのであるから…

2017/10/11

海外クライミングのリスク

■ カントリーリスク

さて、グリーンクライマーズホームの所在地はラオスである。

万が一の怪我の時、一体医療機関は整っているのか?

それは、当然至極の、疑問である。

私の知り合いに、パキスタンで雪崩にあった人がいるが、肋骨が折れてもそのまま無処置で日本に帰ってきたそうである…(汗)。

つまり、パキスタンで医療処置を受けるくらいなら、受けないで我慢し、日本で受けた方が良いという訳だ…。

このようなリスクは、カントリーリスク、という言葉でくくられている。

言うまでもないが、カントリーリスクは、個別、固有だ。国ごとに違う。

■ 在留日本人との交流

たまたまであるが、ラオスでの登攀中、現地の医療機関に勤める日本人の女性と知り合いになった。言葉の面で苦労されているようだが、例えば、注射針の使いまわしなどの、非衛生的な処置は聞いていないそうである。

またかおりちゃんのお母さんたちと知り合いになったため、もあるが、現地日本人のコミュニティとも、つながりを持てた。

一般に…であるが、現地の在留外国人が定着しているような土地…もともと植民地であったような場所が多い…は、伝統的に外国人向けの医療機関の蓄積があるようである。

一方、内戦などで世情が落ち着かず、在留外国人がいないような国だと社会の余力が、そのような部分にまで巡っては来ていないかもしれない。

たぶん日本でも、長らく在留していた外国人に対しては、外国人向けの住宅、外国人向けの医療、言語サービスとお抱えだったと思う。

以前、大阪で勤務していた会社は外資だったが、本国から派遣されている経営幹部は、日本人の常識では考えられないような金額のマンションに住んでいるのが普通なようだった。

これは逆も真なりで、東南アジアなどで、日本から派遣されている支店長さんの事情を聴くと、現地では考えられないような、いわゆる豪邸にお手伝いさん付で会社から住まわされる事が多い。

どちらも派遣元からの配慮、という事情だ。在留外国人と言う歴史には、このような企業からの派遣という歴史がある。一般的にそうした歴史が確立している国の方が日本人にとって住みやすい環境が、時間的積み重ねと言う財産に寄り、確立されている。

ラオスでは、GCHのトポの後ろに、緊急時の病院リストが掲載されている。リストというほどの量はないが。

■ 事後処理の充実より、リスク回避の充実が重要

しかし、どんなことにも言えることだが、事故や危険が起こってしまってからの処置の重要性より、予防のほうが大事なことだ。

これは、例えば、病気への対応などでも言えることで、そもそも、予防の方が大事で、起きてから治療する、ということのほうがより重要度が低い。

レントゲン技術があり、縫合技術があることも重要だが、そもそもヘルメットをかぶるという知恵がきちんとあるほうが良い。

あるいは、分かりやすい例で行くと、滑落停止技術があるよりも、そもそも、滑落しない歩行技術がある方が良い。

クライミングに当てはめると、これはなんだろうか?

そもそも、自立したクライマーになること、だ。

私がラオスで気が付いたことの一つに、日本のクライマーは自分の力量を相手に正確に伝えるコミュニケーション力をあまり持っていないということだった。

普通、クライマー同士は、夜の食事の場で、交流し、今自分が取り組んでいるのはどんな課題か、グレードは何か、どういう課題が好きか?クライミング歴はどれくらいか?
そうしたことを話しながら、いっしょに明日登るパートナーを見つける。

一方日本人は、そうしたことを話さない… どちらかというと、交流をせず、仲間うちで偏り、孤立していることのほうが多かった。

そして、クライミングでバディを組むときも、パートナーチェックから、クリッピング時の声掛けも、相互コミュニケーションになっていない。

  分かっていて当然

という前提で話が進んでいくのだ。 これは、コミュニケーションの失敗である。

海外では分かっていて当然と言う形では、コミュニケーションは進んで行かない。むしろ、

 分かっていないかもしれない可能性を取り除くためのコミュニケーション
  (Trust But Check)

となっている。初めてロープを組む人と、クリッピング動作をするときは、「ロープ」と声に出すが、日本の人は、これをしない人が多い。

日本では、人工壁に行ってもそうで、ロープと声に出さないのはなぜなのだろうか…

というわけで、海外でのクライミングの適性は、たぶんコミュニケーション力にある。コミュニケーション力がないと、悪気がなくとも、ビレイヤーは、どのようなビレイをしてほしいのか、ワカラナイだろう。

大事なことは、コミュニケーション力をも含めた自立したクライマーになることである。

最初は誰でも知らない人である。そういう状態から、信頼関係を徐々に築いていく、ということが、一般に日本人は苦手なのかもしれない。

 ・事前に自分の経歴と相手の経歴を合わせて、いっしょに登る場合の安全管理について、想像を巡らせることができる。 例:どちらが先にリードするか?

 ・言語のすり合わせ 言葉は微妙に各国で違う

 ・初めてビレイしてもらう時は、落ちないグレードを選択する

 ・パートナーチェックは当然

 ・ビレイヤーを振り返って、ロープのたるみ、立ち位置などをクライマー側が指示できる

 ・クリッピング動作をするときは、ビレイヤーのために声を掛ける

 ・終了点に来たら、ロープをごぼうにもったまま(下のロープ)、ビレイヤーにテンションしてもらってから、体重を掛ける

 ・落ちてはいけないフラれる、箇所では落ちない

 ・ギリギリのところは、信頼関係が築けたクライマー(墜落を止めてもらった経験がある)クライマーとのみ、チャレンジする

 ・Trust But Check

上記以外にもあるかもしれない。クライミングで、墜落や怪我をしないためのリスク管理は、クライマーなら出来て当然のことである。

ちなみにこれは、グリーンクライマーズホームでは、誰もがこうしているようだった。

人は、朱にまじれば赤くなる、と思うので、リスクについてやみくもに恐れるのではなく、うまく回避しつつ、楽しくクライミングをするという、文化的影響を受けることができるということも、ラオスでのクライミングが楽しかった理由だ。


2017/10/09

初級クライマーへ グリーンクライマーズホームのススメ

■ なぜ海外が安全か?

ずばり、危険回避のためです。

国内岩場では、小川山がフリークライミングの聖地と言われていますが、その小川山ですらも、クライミングの初級者がリードするに適した課題…つまり

 ・ランナウトしていない課題
 ・1ピン目のクリップが遠くない課題
 ・ボルトの位置がよく考えられている課題
 ・そもそも課題数が少ない

という理由からです。これは、それだけクライミング(外岩)が、日本では愛好者人口が少なく、したがって、初級者向けの課題がないからのようです。

私が最初に登れるようになったのは、3ピッチ、5.7の”春のもどり雪”ですが、そこもランナウトしていることが核心、と言われていました…(汗)。

日本の場合は、例えば、5.9の課題だと、5.12を楽に登る人が初登者であり、プロテクション、つまりボルトの間隔は、その12の人の感性で適切だと考えられる間隔、になっています。

つまり、5.9がやっと登れるようになった人にとっての感覚と異なります。結果、5.9が精一杯でオンサイトしようとしている人に、大変危険、ということになってしまいます。

一ピン目も届かない場合すら、稀とは言えない頻度であります。

初心者時代と言うのは誰もが通る道なのに、その、もっとも危険な時代を安全に通ることができない。チータースティックなどが出てこざるを得ないのも、このような事情に寄るのでしょう。

特にリーチがない人にとっては、1ピン目が遠い課題など、非常に危険です。

結果、初見の者同士で、岩に行くことが、とても危険なことになってしまいます。

■ 旅行者ですら、楽しめるクライミング

ラオスで、去年私は初めての海外クライミングをしました。

驚いたことに、現地では、一般の観光旅行者が参加する、日帰りツアーの一環として、ターケーク、グリーンクライマーズホームでのクライミングは位置づけられていました。

確かに、安全管理がバッチリされていれば、トップロープでショートを登らせることには、あまり大きな危険はありません。落ちても、びよんとぶら下がるだけなので。

そのためか、非常に簡単な、5.4なんていう課題から、用意されています。

5.4なんて、日本ではみたこともありません(笑)。あっても誰も登らず、その課題を登ることが不名誉なことか、もしくは、課題として成立できないほど苔苔だったり。

一度、ためしにラオスで、5.4を登ってみましたが、登山道の鎖場のレベルでした。普段、鎖場の鎖を使わないで上り下りしている人には、何が難しいのかしら?となってしまうレベルです。


しかし、そのレベルから、5.5⇒5.6⇒5.7⇒5.8と一つずつステップをあげていくと…、クライミングでのリードという活動が、なるほど、と分かっていくのではないか?という気がしました。

私はすでにフリークライミングの経験があったので、フリークライミングで、もっとも易しいと考えらえているレベル、5.9から、一つマイナスした5.8からスタートしましたが、5.8だと使えるホールドやスタンスが多すぎて迷い、どうしてよいか分からなくなる、ということが分かりました。

という易しさですが、大抵の人は、どんなに立派な体格をしていても、このあたりのグレードからスタートです。

生まれて初めてリードした、と言っている西洋人の男性に会いましたが、5.8でした。

ちなみに、フリークライミング歴、何十年であっても、だいたい5.10代が一般のフリークライマーが登って楽しいレベルで、それは、まったくの初心者が登れる、5.8や5.9とそう大きく離れたグレードではありません。

それだけ、フリークライミングの場合は、グレードとグレードの間の難易度の密度が濃いです。

つまり、日曜クライマーレベルから、12が5本オンサイトできるというような、脱・日曜クライマーレベルへ行くのは、非常に大変で、大きな努力や献身、もしくは、才能が必要になるということです。毎日登っても、数年係るようなハナシ。

ですから、フリークライミング(含むボルダリング)を経験している人は、まったくの観光客レベルで、日帰り観光気分で、クライミングが楽しめる、と言うこと自体に、疑問を抱いてしまうかもしれませんが、実際、ラオスではそのような実態がありました。

■ かおりちゃん

そのような実例として…出会ったのが、かおりちゃんです。6歳、幼稚園生だったと思います。

かおりちゃんはお母さんともども、クライミング初心者で、グリーンクライマーズホームに登りに来ていました。日本語が聞こえたので、私が気づき、それでお友達に…。

とっても楽しくお友達になりましたが、彼女が与えられていた環境は、初めての岩場が外岩。

しかも、洞窟気分満点、鍾乳洞みたいな、石灰岩の岩場です。

きっと、初めて接するクライミングがこのような岩場だと楽しくて仕方がない!でしょう。

想像するに白石アシマちゃんは、外岩ばっかり登って楽しく成長したのではないかなぁ?

ちなみに、初心者はギアなどは一切持っていないし、ロープなんて言われても謎だと思いますので、一切のギアは、施設からの貸し出しです。

体一つで出かけて行っても、大丈夫。すべてがレンタル可能です。しかも、体験クライミングだから、トップロープを掛けてくれ、楽しく登らせてくれます。

これは、大人の初心者も子供の初心者も同じです。

ひるがえって、日本の岩場では、施設側が岩場管理者であること自体がめったにないので、このようなサービスはありません。

ので、日本に来た外国人観光客が、身一つでクライミングでも体験してみようか、とはなかなかいかない。

これは、例えば、韓国のインスボンでも同じです。クライミングを愛好者以外が登るということは、めったにないので、日帰りツアーなども出てはいません。(韓国語で読めればでているのかもしれませんが…)

これがヨセミテとなると、現地ガイドが雇えたりもするそうですが、それは、その施設の人というよりは、日本と同じように無料で開放されている岩場を現地ガイドが案内する、というような状況だと思われます。

一方のラオス、グリーンクライマーズホームでは、基本的には、その施設の宿泊者のみが、その岩場で登っている、という状況にあり、現地の人はほぼ皆無。

一泊二日で来ていた英語圏の人が現地で働いているそうでしたが、現地で働いている外国人であってラオス人ではなかったです。

つまり、そこにいる人達は、基本的にみな、同じ宿泊地で宿泊している仲間ということでした。

■ 課題数が多い

そして、課題数が大変多いのです。

一般に、同じグレードの課題をたくさんの量登ることで、より自然な形で、無理なくグレードを向上させていくことができる、と言われています。…が、問題は、日本の岩場は、課題の量が足りないことです。

5.10Aへ進む前に、5.9のオンサイトを10本登りためする…というようなことは、日本ではとても難しいです。

これは、北海道などでは、とても顕著らしく、難しい課題しかないため、レッドポイントが主体にならざるを得ないのだそうです。

レッドポイントと言うのは、同じ課題を何度も何度もトライして、やっとこさ落とす、という方法です。

レッドポイントでのグレード更新は、9割落ちている登り方、というわけです。落ちることを前提に登らなくてなりません。

それは、他に登る課題がないから!

本来、オブザベーション(観察)で、これなら登れるのではないか?と思われる課題を登ってみて、その目論見が外れ、登れなかったなぁという経験を積み重ねることで、落ちないで登れるグレードやルートファインディング(オブザベーション)能力がつくと思いますが、課題数が少ないとそれもできないわけです。

その点、ラオスの場合は、課題数がたくさんありすぎて、同じグレードの課題をつぶすだけでも、だいぶかかりそうなほどでした。

しかも、ランナウトしていない。ボルト間隔が適切で、私は背が低いリーチの短いクライマーですが、それでも怖いと感じさせられることが少なかったです。

■ スポーツクライミングが根付いている海外

思うに、クライミング文化と言った時、死を意識せず、ファンクライム、楽しいクライミングとしてのクライミングが根付いているのが、海外、特にヨーロッパのクライミング文化のようです。

ラオスは、ドイツ人が開拓した岩場ですので、ドイツのクライミング文化が根付いているのかな?と思いますが…

ラッペルダウンで作られたボルト式の岩場、つまり、ボトムアップの、ヨセミテ風ではなく、ヨーロッパ風の岩場は、日本では、どちらかというと、あまり尊敬を受けない文化的気質があります。

つまり、危険でないから価値が低い、ということなのですが…。より危険な方がより大きな敬意を受けるという伝統は、もしかして、エルキャピタンをフリーソロしてしまったアレックスオノルド君を輩出したアメリカ的伝統が、日本では先に浸透した結果なのかもしれません。(余談ですが、それが、一般登山者の価値観にも影響して、一かバチかの賭けごとが登山の本質だと誤解されているかもしれません。)

記録を狙うような先鋭的クライマーにとっては、その価値観でいいかもしれないですが…一般大衆がその価値観だと、タダの趣味なのに、初心者時代に墜死してしまいかねません…

何しろ初心者と言うものは、何が登れて、何が登れないのか、よく分かっていないものなのですから。

というわけで、初心者ほど、海外の岩場へ行ってみるのが良い、と思います。そこには、”死を覚悟しなくても良い岩場”があります(笑)。

ちなみに日本では、アルパイン的な三つ峠でも、フリークライミング的な小川山でも、ある程度、死を想定しなくては、リスク回避できないです…。三つ峠では、”セルフを取る”というクライミング界の常套句を理解できないまま、自ら外してしまって、自分自身のミスで亡くなってしまう人がいますし、小川山では、一般的な普通の墜落に因る事故が後を絶たないです。死は、高山のアルパインルート…一般にフリーよりかなり易しいが総合力が必要…では、より顕著です。日本の岩場では、大なり小なりの死がついて回ります。

その点、ラオスのクライミングは、ボルト間隔にせよ、グレーディングにせよ、終了点の整備にせよ、安全ということが第一になって、純粋にクライミングそのものを楽しむ、ことが大事にされているのが分かります。

もしかしたら、世界には、グリーンクライマーズホームのようなクライミング初心者に適した岩場とサービスがあるのかもしれないのですが…。

私はまだ、クライミング初心者なので、もし、そうした岩場をご存知でしたら、教えていただけると嬉しいです。