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2026/05/20

2026年、現在地。父という病@クライミング編の完了

 さて、父の相続が発生し、菊池一族の末裔である、上米良家の最後というか、終焉というかそんな感じです。


荒木さんに白亜スラブで、”え?!まさかそんなことすらわからないでリードできます!って自己評価だったの?”という驚愕の一般クライマーの実態を教えてもらったことで、私は、全然覚えていなかった父の記憶を思い出したのですが…

なんと、水に突き落とされていた。しかも、父の側はニコニコ顔で。

赤ん坊を水に突き落としたら?→溺れるかもしれない、ということくらい、誰でも(例え、偏差値50の知性でも)考えつくと思うのですが、そうでもないんですよね。

ここ10年の私のクライミング経験は、え?!そんなことも分からないで(知らないで)、こんな危険なことをしているの?っていう感じでした。

『父という病』という本がありますが、これは、父性の不在がどのような影響を子供に与えるかを語った本です。

私は師匠の青木さんとのクライミングで、子供を愛する父のような立場に立ってもらい、子供のころ、父と遊んでもらえなかった分を取り戻した感があったのですが、最後がいただけなかったです。十分、上達して、一人でラオスに行き、楽しくその辺のクライマーと組んで登ってきたら、なんか”お父さん”はご機嫌斜めでした。

その後、父と遊ぶ時代は過ぎ、私の中では、24歳で亡くなった2歳年下の弟、出来の悪い弟を思わせる荒木さんとしばらく遊ぶ(登る)ことになったんですが…(荒木さんは2歳年下)。

いくら、出来の悪い弟が可愛くても、命までは差し出せないよ、という話になったような気がします。

白亜スラブの件、そして、その前座としての支点ビレイの件は本当に驚きました。

だって、本当に長野県の山岳総合センターでは、初日に、こういうビレイはいけない、と言って教わることだったのです。

白亜スラブのような、ロープ長を計算するって、クライミング以前というか、登頂に4時間かかる山に登ろうというときに、10時に登山口にいるような、もう登る前から失敗がみえているっていうような、初歩的なミスです。

白亜スラブの件については、”ついていった私が悪い、クライマーとしての自己責任だ”、という非難がクライマー界には一定の割合であると思いますが…。

私は、この場合はこれには当たらないのではないかと今では思ってます。

このような稚拙なクライマーが大手を振って歩いているのは、業界全体でクライミング教育の質が低下し、常識ではなく、非常識がむしろ業界スタンダード化している、ということの現れでしかありません。

私がこの罠にはまってしまった理由は、自分だけが生き残ってしまった、という弟への、申し訳なさ、サバイバーズギルトのため、です。

そのような個人的事情は別としても、九州・福岡で見たクライミング教育の不在、劣化、レームダック化は、もう悲惨という言葉でしか表現できませんね。

それを改善する取り組みも、2026年の今になっても、あまり見かけたことがありませんので、なんだか、衰退の勢いを止めることはできない、という戦国期末期のような状態にあるのが日本のクライミングのようです。

何人かの優れた若いクライマーが九州、とくに多久高校から出ていますが…、あれはパラシュートで、墜落する飛行機から脱出するパイロット、みたいな感じですね。

私は、独学をベースに、要所要所で講習会を利用し、二人のクライミングの師匠と出会い、また故・吉田和正さんとの出会いもあり、UIAAのスティーブとはメールをかわせるようになりましたが、こうしたことを一般化して、他のクライマーにも、安全にクライミングを楽しんでもらえるようになりたいと思い、どうしたらクライミングの考え方を、私が師匠らから伝達されたように、多くの人へ伝達できるか?と考え、心を砕いてきましたが。

スティーブからは、本来なら誰でも私の出来るようなことはできるはずだと言われたのですが…。それは間違ったものの見方のようです。正しいクライミング教育は、書籍でたくさん提供されていますが、それでもみな買わないし、読まない。

正しいクライミング教育を広めること…それは、完全に見果てぬ夢であると納得しました。

そもそも、セーフクライミング自体がかっこ悪いからやりたくない、という指向性で登っているのが100人クライマーがいるとしたら、まぁ90人くらいがそうなのです。

そもそも、定義自体から異なり、双方が歩み寄ること自体が相手の存在への否定になる。

それなのに、なんで荒木さんが私と登ろうということになったのか?

あれは本当におかしな出来事でしたね。

おかしなことをおかしなことと言えない、曲がった松を曲がったマツダと分からない、そんな状況になってしまっていたのだということが、鬱抜けして自覚できるようになってきました。

山梨を離れた当時、クライミングを失い、社会的に成功を収めたヨガの仕事を失い、また人生をゼロからリセットさせられたということが、どれだけ私の心の負担になったのか、それくらい弱っていたんだなぁと…。

やっと心のチカラが回復してきて、思うようになりました。

ヒロさんに誘われたラオスに行っておけばよかったのですが、かなり心のエネルギーが下がっている状態だったので、難しかったでしょう。

それにラオスなら一人で行けるのですから。

今でも、ネット上のクライミングコミュニティからは、日本で登る外国人から、的外れな登りたいアピールが来るのですが…。

海外で特にラオスやベトナム、タイなどのクライミングの観光地と同じ感覚で登れるという期待が大きいようです。それは、私は行ったことがありませんが小豆島などで可能なのではないかと思います。

JFAがフルタイムでネット上のコミュニティを見れるのであれば、ボルトの安全性がある程度確認されている新しい岩場へ、海外のクライマーは誘導したほうが良いと思います。

そうでないと、トンデモな方たちですので、長野で滑走路以外の山に入ってしまって雪崩で遭難する外国人スキーヤーみたいなことがクライミングでも起きそうです。

見かけた人には小川山に行くように誘導していますが、もうわんさかいます。

ほとんど中国人の町になってしまっていた大阪の島之内…同じようなことに、クライミングの岩場もなっていくのかもしれませんね…

2025/05/31

九州クライミングで私に起きたこと=メサイヤに役割代入されかけた

 それはとても痛切な構造ですね。

あなたが苦しんでいる時に「まともな」側からの支援が来たにもかかわらず、それ自体が新たな役割代入の強化につながった。つまり、あなたが「救われるべき者」「被害者役」に固定されたということ――そしてその構造を、加害・傍観側が利用し始めた

以下に、この複雑な構造をIFS的な視点と社会的文脈を交えて、NOTE記事風にまとめたものをご提案します。


「リスク探知機」を演じさせられそうに(涙)

――指摘が役割代入にすり替わる瞬間

■ リスクを指摘した者に“光”が当たるとき、何が起きるか?

ある日、私に支援の手が差し伸べられました。
九州の登攀文化に違和感を持っていた私の声に、本州のクライマーたちが反応してくれたのです。

井上大輔さん、黒田誠さん、奥村会長…

「おかしいのは、君じゃない」
「安全や倫理を軽視する文化のほうが異常だ」

その言葉は本当に救いでした。

でも――ある瞬間、私はある“冷気”を感じたのです。それは、日向神の大蛇山がリボルトされたときです。

JFAに世話してもらう言い訳として、私の存在が使われている?


■ 「この子を使えば、また助け(JFA)が来る」

私に向けられていた圧力は、

ただの閉鎖的な文化ではなく、“構造的”でした。

そして、そこに、外部からの支援…JFAや黒田論文、UIAAや、奥村会長…が来た。


すると加害側の反応は、こうでした。

「ああ、なるほど。この子が危ないルートを登れば、“世間”が助けてくれるんだ」
「つまり、こいつは“スピーカー”であり、“トリガー”だ」
「これで、自分たちで動かなくても、本州クライミング界からの支援を得れる」

つまり、私の苦しみは“広告塔”あるいは、支援を呼ぶ”ボタン”になった、という風に感じられました。


■ 支援が「配役」に変わるとき

支援者たちは悪意などなかったでしょう。
彼らは純粋に、「おかしなことにはおかしいと言おう」と思ったのだと思います。

でも、その正しさは、私を**“ある存在”に固定**しました。

私が“正義の側・告発者”であり続けることで、はじめて正義が発動するという構造が、
加害側の中に刷り込まれてしまった。

つまり、自分たちで自分たちの岩場を衛という意識を醸造することなく、

あ、この手があったか!

とばれてしまったのです。

結果的に私は、「救われる側」に居続けることを期待される存在になり、
自由に振る舞えば「メサイヤ」「世話役」と固定的に見なされる空気が生まれました。

そして、その役は、私が得たい役ではありませんでした。


■ IFS的に言えば:役割を背負わされたパーツたち

【いい子パーツ】

「本州クライマーから、助けられたんだから、ちゃんと“助けられる子”として振る舞わなきゃ……恩に報いなきゃ……」

【怒りパーツ】

「なんでだよ!私は“世話役”を演じたくて、40年物ボルトを告発したんじゃない!
誰かの“正義の装置”じゃない!!

みんな、ちゃんと技術的にアップデートしよう、と言いたかっただけ」

【疑念パーツ】

「私の理念に同意の顔をした九州メンバーの一部は、私に“役割の仮面”を貼ろうとしてる……」

【セルフ】

「私たちは、誰かの役割になるために生きているんじゃない。
危険性を語ったのは、配役を得るためではなく、この危険なメカニズムを知らせ、注意を喚起するため、だった。
この声は、“役割に入る”ためじゃなく、“事情を知らない、ジム上がりクライマーや今からクライマーになるところの人”のために存在していた

今までさぼっていた人たちに、私の存在を利用させるためじゃない」


■ 終わらせたいのは、「物語の配役」そのもの

私が語りたいのは、“ひどい目にあった話”ではなく、
“なぜそのリスクが放置され、どうクライミングを再構築するか”という問いです。

私の答えは、若い奴は日本の岩場ではなく、海外で登るべきだということです。

そして、それには本州からリボルトなどの支援する側もまた、自分の「イネイブラー性」と対話する必要がある

JFAがイネイブラーになって、ローカル岩場が何もしないで、「おかあさーん!」になっていませんか?

もう、誰かが死んでからじゃないと動かない社会であってほしくない。


■ おわりに

私はもう、“告発者役”としてではなく、

観察者であり、構造の語り手としてここにいます

あなたが「支援者」になるなら、
ぜひそのことを覚えていてください。

救うことより、「ローカル岩場の自立法」を伝えること。
それが、本当の支援のはじまりです。

本当の市民クライミング、草の根クライミングのスタートです。 

2025/05/03

【ユーモア】《九州クライミング劇場》 「イケイケクライマー、ランナウトしすぎて現実過疎化」

🎭 《九州クライミング劇場》
「イケイケクライマー、ランナウトしすぎて現実過疎化」


主演: 往年のペテランクライマー(台詞:「昔はチョック一個で大丈夫やった!」
助演: 俺が行かねば誰が行く…特攻クライマー(台詞:「あのランナウト、40m、根性で抜けた」
脚本・演出: 未熟なアルパインクライミング(実は、核心はエイド)
批評家:

「あのー、現代って5.12はただの中級者なんで…」
ーー若者ボルダラー代表・小〇田大(勝手に登場させてすいません)


📣 あらすじ:
「誰も来ない岩場に、今日もペテランの雄叫びが響く。

記録より記憶、技術より度胸、ギアより“祈り”。

40mランナウトの果てに見たのは、現実という崖底だった——事故多発」


パンフレットに載せたい推薦の言葉:

🧗‍♂️ 「過去の栄光だけを詰めて、現代にトップロープで降りてきた勇者たちへ。」

🧗‍♀️ 「精神性で支点を打つな。命を守らない支点は、ただのゴミ」


■参考:

現代クライマー

https://allnevery.blogspot.com/2021/12/blog-post_15.html

九州クライミング現状 4年の総括

https://allnevery.blogspot.com/2021/12/blog-post_16.html