クライミングによる地域おこし活動 経緯

 ■ ~2016 山梨時代

当方、遅咲きのクライマーです。山梨には、2009年のリーマンショックによる転勤(夫の仕事)を機に移住、甲府7年でした。現在は福岡市にいます。7年目です。

甲府時代は城東にいました。内6年ほど、今は閉店してしまったホットヨガスタジオリコで、ヨガのインストラクターとして仕事をし、山梨放送YBSで、声の出演でヨガの講師をしていたことがあります。

ロッククライミングや登山は、山梨に来てからスタートし、個人で雪の山に登り始め、本格化したのが41歳の時です。雪山からアイスクライミング、その後、基礎力として必要だと言われて、ロッククライミングへ進み、46歳で海外のクライミングにラオスに行ったことが大きな開眼となりました。

海外に行ったことで、海外にはクライマーの町、というのがあることを知ったためです。

ラオスのターケークは、コンビニすらない未開拓の町ですが、西洋人のクライマーでにぎわっており、アジア人は、めったに見ない希少人種になっていました。

日本にはクライマーの町と言うのは、現在、おそらくありません。

クライマーの町と言えるかどうかは微妙ですが、小川山のある川上村は、ナナーズと言う地元のスーパーをはじめ、地域の人たちから、クライマーが認知されている町で、もしかすると日本で唯一かもしれません。

他に笠置もボルダリングでは有名で映画にもなっています。

参考: https://www.kasagiclimbing.com/situation

■ 2016年以降

折悪しく、2016年に再度の夫の仕事の転勤で、アイスクライマーとしてはともかく、ロッククライマーとしては、いまだ、ひと段落しないまま、福岡在住、となりました。

福岡ではアイスクライミングはできません。いたしかたなく、ロッククライミングに専従することに…。

福岡に来て1年目に、山梨での活動の集大成として、積雪期ガイドステージ2という資格を取得しました。しかし、利用はしていません。私の知っている山は、山梨の山々である上、ガイドとしては私は体格が小さく、自分の命がかかってしまうためです。

福岡では、山梨時代のように、岩場が近いわけでもなく、またクライミング文化的にも大きく異なる環境だったので、自分がクライマーとして登るという趣味の活動をあきらめる形で、別の形でのクライミングとのかかわりを模索することになりました。

模索の結果が、クライミングによる地域おこしのプロボノ活動です。

私には、2008年あたりで三井物産九州支社の新事業開発室と言う部署に勤めていたという経験があり、2度目の九州ということで、その経験を生かそうか、ということで、より社会的な活動へ、クライミング活動の幅を広げることになりました。起業を含め、地域おこしを検討しました。

理由は、九州での岩場の様子が、大きく山梨時代の経験と異なったため、です。

【山梨】

・岩場で事故はご法度とされている

・クライマーには若い人が多い

・クライミング界で知らない人がいないレジェンドクラスのクライマーが多い

・5.13を登るような凄腕クライマーは結構頻繁にいる

・ボルトが古いと危険だと認知されている

・新しく開拓されたところは、FIXE社のボルトが普通だった

・終了点は縦にオフセットしている

・クライマーがやっていないクライミングジムなんて聞いたことがない

・外には外の岩場の登り方、ルールがある、と認知されている

・3ピン目取るまでは落ちてはいけないと指導される

・新人が無謀な試みをしようとすると制止される

・事故があったら、すぐボルトが増えたりしている

【福岡】

・わざと事故を誘発するような課題の作りが前提になっている

・事故が起こると、年配の人は今時の若いもんは、という態度になる

・クライマーは年配の人が多い

・リードクライミングは流行っていない

・トラッドは際物扱いされているが実際はボルトルートでもアブナイ

・5.13登るような人はめったに聞かない

・ボルトが古いこと自体が理解されていない

・終了点は横に2個並んでおり、しかも近い 

・新しく開拓されたところでも、ホームセンターのプレートが付いている

・クライマーがみな、インドアみたいにバンバン落ちる

・事故があっても対策されない

・クライマーがやっていないクライミングジムが流行している

・ジムの淘汰が始まっている

■ 2016年~2018年

九州に来て、最初の2年は九州の岩場事情がよく分かっていなかったので、山梨時代と同じノリでクライミングライフを九州で味わおうと思っていたのでしたが、その中で、びっくり仰天の経験を重ねることになりました。

このころ、びっくり仰天した内容をSNSにアップしていたところ、本州方面のクライマー業界から多大なご支援をいただきました。

たとえば、日本フリークライミング協会の方がリボルトと言って、ボルトを新しくする活動をしに、九州まで来てくれたりしました。

■ 2018年~2020年

この時期は、インバウンドが国内で盛り上がり、民泊業者などが雨後の筍のように出てきた時期です。

平和な山梨では誰も気づいていなかったインバウンド需要がマックスに。山梨では富士山弾丸登山で今も迷惑しています。

この時期、九州の岩場がある地域に、クライミングによるアウトドアツーリズムの可能性をお知らせするという活動をしていました。

その間、九州でも物件見学し、時には小川山のバイト帰りに山梨や佐久まで物件見学に遠征し、見る目を養っていました。

余談ですが、行政が行っている空き家対策ですら、定住に適さない土砂災害通り道だったり、集落のはずれで誰も欲しがらない場所だったりを移住者に押し付けようとする行政もいます。今地方行政は、移住者の取り合いです。

海外では、来訪したクライマーが定宿にするような特定の場所があり、例えば、台湾の岩場では、Bivyというゲストハウスがクライミングインストラクターによって運営され、岩場のゴミ拾いなども、日常的に実践されています。

九州でも庵・鹿川などが同じような位置づけで、宮崎のクライミングには定宿です。

https://mainichi.jp/articles/20221026/ddg/041/070/004000c

しかし、一般社会は、いわゆるインバウンドで一儲けしよう、という流れ。誤解を生みそうでした。

クライマーハウスは、そうした流れとは一線を画した、岩場に長期滞在するクライマー向けに、長期滞在が可能になる滞在場所を提供する、という感じです。実需です。AirB特需のようなラグジュアリー消費ではありません。

ロッククライミングの課題と言われる登る対象は、登るのに、場合によっては、一か月、2か月と時間がかかるためです。取り組み、ではなく、楽しみで訪れるにしても、1週間、2週間の滞在は、普通です。

この時期、私は九州各地の岩場に、ロッククライミングの岩場が存在することをお知らせする活動を、リボルトを支援するための活動と合わせて行っていました。

大変時間がかかる調査力の必要な仕事です。ガソリン代などの経費も結構大変です。

これができているのは夫のおかげです。

さて、一般に古い岩場では、ローカルクライマーの会が結成されていたり、しなかったりしますが、現実の岩場がある地域に住んでいる人がローカルクライマーと言うことは少なく、最寄りの都市部に住む人で、その岩場を気に入った人が、自然発生的に、岩場の主、みたいになることが多いです。

例えば、福岡八女の日向神は、半分くらいの敷地が黒木という集落にありますが、この集落でロッククライミングをする人は一人もいません(笑)。近所の都市である久留米から通ってきているクライマーがほとんどです。また隣の熊本からのほうが近いため、福岡の岩場と言っても、主体は熊本のクライマーが多いです。

そうした状況なので、誰に話せば、リボルトなどの岩場関連の改善活動が可能になるか?は、岩場に通って、岩場の主を探し出すところから、みたいな感じです。

このように例えば、福岡ではなく鳥栖にある四阿屋や佐賀の背振山脈の見晴らし岩などもどちらかというと、福岡の岩場みたいな感じで、開拓者は福岡の人です。

…といっても、多くの課題が開拓されたのは、何十年も前の話で、そのメンテナンスを誰がするか?というのは、基本的には知らんぷり、みたいなのが業界の通例です。つまり、誰に話を持っていけば分からない状態のことが多いということですね。

地権者の許可と言うのも、口約束で、その辺の草刈り中のおじさんに、ここ登っていいですか?と聞いて、OKもらった、みたいなもの(笑)。

昔は、ポケットマネーで開拓できた、という牧歌的な時代で、そうしたやり方で事故があると、登った側の”自己責任”で、片付けられ、要するに事故った側の泣き寝入りで終わってきた、というのが実態です。

しかし、これでは、国際的な岩場としてデビューするのは難しいでしょう…

なので、時代的な制約が結果として現れているのが、クライミング事故であり、その事故の結果として、岩場の登攀禁止です。このことをアクセス問題と言います。

岩場の地権者が怒って登攀禁止にしてきた、という歴史が積みあがっているのが、山梨や奥多摩の岩場ですが、そうした経験がないのが九州で、地域との連携というより、地域とは無関係にクライマーが存在しているような状況になっています。クライマーの高齢化も激しく、ジム上がりクライマーは岩場に関心がなく、岩場の主体者はいるのか?いないのか?みたいな場合も多いです。

一方、都市部ではクライミングジムが全国500店舗を超え、オリンピックでクライミングが種目になったことで、若い人の間には、クライミングジムでのクライミングブームが起こりました。

結果として、旧来の山岳会経由とは違う形で、ロッククライミングに参入して、立派な実績を残す若いクライマーが出てくるようになって、本州ではすでに20年くらいたっています。

これも余談になりますが、近所の小川山で難攻不落と言われたマラ岩課題を登った若い方…倉上慶大さん…が最近亡くなりました。残念な死でした。

瑞牆での千日の瑠璃という課題が大きく評価されているクライマーです。

https://www.climbing-net.com/news/passiton_201129/

■ 亜流人種です

たぶん、私自身もそうした新しい流れの亜流に位置すると思います。

とにかく私は一般的とは言えないクライマーです。女性で、43歳でクライミングを始めるというのも変ですし、アイスクライミングからスタートしているというのも、かなりユニークです。またボルトルートではなく、トラッド志向というのも、山梨らしいというか、一般的には本格的、と言われる志向です。(山梨ではトラッドが主流だと思うのですが…汗)

女性でも都会でクライミングジムで登っている人は大勢います。しかし、女性で健康を目的に登っている人、趣味の人は、10代や20代が主流で、より安全性の高いとされるスポーツクライミング派です。

トラッドをやる人は少なく、アイスクライミングになれば、もっと少なく、片手で数えるくらいかもしれません。

というわけで、クライミングによる地域おこしを別にしても、異色の存在です。

その上、海外クライミング経験がある、となるとさらに少ないかもしれません。と言っても、私の海外クライミング経験は、ラオスと台湾、韓国の3国のみです。

世界のクライミングメッカ、ヨセミテにはハイキングでしか行ったことがなく、他にオーストラリアでもハイキングに行った経験があります。コロナが開け、今年から海外クライミングを再開できると思って楽しみにしています。

この時期は、海外クライマーを九州の岩場に案内するなどの活動、子供体験クライミングなどの地域活動、もしています。

■ 2020年~コロナ禍 23年

2020年にコロナ禍が起こってからは、移動が制限されたので、クライミングは一般的に自粛されました。

ので、私自身もコロナ禍でもできる活動ということで、

 自然農 畑作3年と稲作2年

 林業就業者支援講習参加で、チェーンソーとユンボをマスター

 Wwooferとして自給自足生活を各地で体験(天草、和歌山、下川など)

という活動にシフトしています。というのは、クライマーが地域に移住するにしても、生業が必要だからです。一般に、地域移住が成功できないのは、その地域で仕事がないから。ここの解決を目指しての活動です。

できるだけクライミングとご縁がある地域を選ぶようにしています。

 和歌山=有名クライマーの南裏さんのご親友の方の自給自足を勉強に@那智勝浦

 北海道=故・吉田さんゆかりの名寄の隣下川町

天草は、クライミングと関係ありませんが、野岳の岩場がある大村市で議員をやっている友人が養豚業だったので、大村で活動することになった場合、放牧の豚の技術が生かせるのではないか、というので天草まで豚の放牧方法を学びに行きました。結構楽しかったです。豚の放牧には可能性を感じました。

同じ農業などをするにしても、外の岩場を登るロッククライマーなら、自然環境をより傷つけない循環型の農業を目指すことのほうが、既存の暗礁に乗り上げた慣行農業に就業するよりも未来があると思っています。

もし地域おこしにクライミングを使うならば、人の人生の破壊につながるような、無責任な職業案内はしたくないと思っています。

例:植えても植えても鹿が苗木を食べてしまう植樹

個人的に自給自足的な暮らしが好みということもあり、趣味的なものの延長線ではあります。

オフグリッドなどに興味がありますが、クライマーが旅するのは一般的に見れば秘境で、ラオスでも、非常に限られたインフラを使う生活でした。(たまに町のホテルに降りて、リラックスデーを設ける)

そういう素朴な生活を好むのがクライマーと言う人種である伝統だと思います。ポルシェで岩場に乗り付けるようなのは含まれないという意味です。

■ クライマー界から来た支援 (みなさん、ありがとうございました!)

これは、私が勝手に支援されてうれしいと思っているだけで、クライミング業界はただ自律的に動いているだけで、私を支援しようとしているのではないかもしれません(笑)。なんでもよいほうに受け取る、おめでたい性格ということで、勘弁してください。

1)JFAによるリボルト@四阿屋&八面

JFAの泣く子も黙るリボルト職人の井上さんが福岡の岩場のリボルトに来てくれました。

JFAは日本フリークライミング協会の略ですが…クライマーから会費を取り、それらを資金に優先度の高い岩場から順繰りにリボルトを行っています。

しかし、九州は日本の端っこなのでいつまでたっても後回しだったのかもしれません。圧倒的にクライマー人口も少ないです。

2)黒田論文

日本には国立の登山研究所と言うところがありますが、そこが登山やクライミングにかかわる重要な知識や経験値をまとめています。

黒田さんの論文は、カットアンカーを現代のリボルトで使うのは辞めようという趣旨で、私の論説のバックアップのような位置づけになっています。

黒田さんの論文:クライミングをこれからも楽しむためにhttps://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/images/contents/syusai/2021/tozankensyu36/2-7.pdf

当方の記事集積

https://allnevery.blogspot.com/search?q=%E9%BB%92%E7%94%B0%E8%AB%96%E6%96%87

3)奥村講習 ×2回

佐賀の樋口先生の計らいで、福岡重鎮たちのビレイが悲惨だということで、西日本のドン、日本フリークライミングインストラクター協会の、奥村さんが、講習会を開き、その講習会が一般クライマーにもシェアされ、大変良い機会になりました。

https://allnevery.blogspot.com/2022/01/2022.html

奥村さんの講習会は、公費で開いても価値があるものだと思いましたが、山梨では奥村さんのようなクライミングガイドは聞かないので、山梨でも奥村さんに来てもらうのがいいのかもしれません。

https://allnevery.blogspot.com/2022/01/blog-post_9.html

それとも、ユージさんが奥村さんの対抗馬なのかなぁ?

関東方面でのご意見番は誰なのでしょうか?

4)UIAA

こんなの山梨にはないよ
九州でのアンカーと呼ばれるものが、変なのではないか?というのも、実は私はクライミング歴が浅く、山梨でのクライミング以外を知らなかったため、よくわからなかったのです。

助け舟を出してくれたのが、世界のUIAAでした。

クライミングの世界的組織です。クライミングロープの規格などを決めたりしている組織です。

この事務局長さんは、日本の状態を危惧しておられます。

ただ日本人クライマー界の側は、UIAAとお近づきになりたい気持ちはないようで、せっかく私が事務局長と知り合いになっても、海外で開催される定期的な集まり…世界的に見ても日本は、毎年、遭難者過去最高とか言っていて、特異な発展をしているそうです(汗)。

その世界組織の輪の中に入りたくないみたいで、経済団体に例えると、G20にも入りたくないのかな?みたいな感じです。

多少残念に思っています。でも、誰に紹介していいのやら、私も分かりません。

ついでの紹介になりますが、日本の山で遭難者数が毎年過去最高を更新しているのは、日本だけで使われている

 標準コースタイム

なんて、日本の誰にもフィットしない不思議なコースタイムなのに、高齢化で、その標準と実態が毎年ますます離れていくため、のようです。数値で分かる、距離や標高差を使い、自分に置き換えて何分かかるか、計算するほうが現実的だ、という指摘を無視している状態にあります。

以前、熊本の地方自治体の方に非公式にお会いしたとき、このことを伝えて、非常に感謝されたことがあります。

5)山野井さん

UIAAの関連で言うと、事務局長さんが日本を来日されたことがありました。当然のように私に連絡が来たのですが…現在九州…

九州から関東に車で移動すると、大体高速道路代で6万円くらいかかります。さすがに、山梨在住時代だったら、甲府駅まで来てくれさえすれば、いくらでも地元の移動費用は持って上げれるのですが、福岡から顔出せって?無理です。

でも、相手は外国人で、九州がどんな位置づけか?分からないでしょうし、お偉いさんです。私が車もなしで出て行ってもクライミングにも同行できるわけでないし…岩場に車なしって無理です。

困っているところで助け舟を出してくださった東京方面のクライマーがおり、山野井さんの奥さんの妙子さんが事務局長さんの訪問を迎えてくださったそうです。

良かった。日本で失礼のない、おもてなしと言うか、接遇が出来て…。ありがとうございました。

しばらく前に山野井さんには直接会って、お礼を言うことができ、胸のつかえがとれました。

6)菊池さんの日本アルパインクライミング協会設立

菊池さんは泣く子も黙る?怖いクライミングガイドで、非常にクライミング倫理に厳しいことで有名だった方だったのですが、私が湯河原幕岩で講習会を受けたときは、すっかり最近のクライマーに慣れっこになっており、初心者はカム(安全確保の道具)をいっぱい使うように指導していました。

菊池さんこそ、日本クライミングの歴史の生き証人で、実際に、クライミングの歴史本も書かれています。

菊池さんの活動で、瑞牆で明日の日本のクライミングを考える会、みたいなのが今年開催されましたが、開催後の報告書はとんと聞かない…

何が話され、何が起ったのでしょう?謎です。

どちらにしても、瑞牆山でのトラッドのクライミングというのは、日本クライミング界で最も倫理感が厳しい、日本全体の規範となるような岩場です。

厳しい規範というのは、クライミングにおいては、より危険である、というような面があります。自己に厳しい人しか耐えられないかもしれません。

7)ユージさんのデイドリーム再登

私は、日本で初のフルタイムクライマーと言われた故・吉田和正さんの最後のビレイヤーの一人です…(汗)

吉田さんはデイドリームと言われる課題に挑んでいました。ロッククライミングの課題って、最初に登った人が、この課題の難しさは、5.14である、と思っても、他の人もそうおもうかどうか、が大事なのです。俺も思う、俺も…となってグレードが確立し、そうしないと本当の難しさは分からないです。

なので初登してくれた人のプルーフリーディングみたいな形で、第二登、三登の人は大事です。特にユージさんは世界のユージで、海外での経験も豊富なので、ユージさんが与えたグレードには説得力が違います。

というので、ありがたいなと思いました。

8)故・村上先生

福岡に来てすぐ参加したかった山の会が行っていたクライミング講習会がイマイチだったのと、その会の冬山合宿がド素人さんレベルで(例:赤岳)、山梨クライマーだった私には会に参加する意義が見いだせない、ということがありました。

でも、正しい山岳会は、GWなどに雪上訓練をするのです。私は山岳総合センターと言うところで、有料でこの講習を受けていますが、山岳会なら、雪崩講習と合わせて知っていて当然なのが、雪訓。しかし、これが九州だと難しいですね。

でもしないと、一生ド素人さんの山から出れないし…というので先生に相談中でした。しかし、ロケーションが九州にはなく、やはり九州から一度は遠征して七倉沢まで行くのが適切と思われ、そうなると、行きたい人、行く意義を理解できる人が、そろわないのでした。

考えてみたら、山梨のクライマーでも、雪訓がないまま、高度な山にステップアップしているような気がします。

以上のようなクライミング界の支援があり、本当にありがたいことだったなと思っています。

■ 2023年~

私は40代後半に入って福岡に来たくらいから、更年期に入り、ケガが重なり、そこからの回復中です。

2018年 右ふくらはぎの肉離れ 岸良海岸トラッドにて

2019年 右ひざ亜脱臼 日向神ボルダリングにて

2022年 悪性貧血による鬱 ヴィーガン化によるB12と葉酸の欠乏症 2~3年回復にかかる

2023年 アキレス腱断裂 テニス中 全治2年

23年は、なんと車いすでのスタート。アキレス腱断裂は回復に2年程度かかるので、現在も回復の途中です。当然ですが、クライミングは自粛なので、代わりにトラウマ克服もかねて、水泳をしていました。

■ トラウマのこと

2018年に、宮崎の比叡という岩場に白亜スラブと言うマルチピッチ(ロープを何回も繰り返して登るルート、普通のクライミングは1ピッチだが、繰り返して登るのでマルチピッチという)を登りに行き、そこで、パートナーの無謀な行為を目撃したときに、幼少期のトラウマがフラッシュバックで復活、以後、そのトラウマ解消のために心理学を勉強するなどして、回復に努めることになりました。

考えてみれば、九州で別にしなくてもいいロッククライミングと言う、命がけみたいな活動に、なんで惹かれ続けるのか?謎でした。

というのは、山梨時代、私は、雪山をメインに活動しており、ロッククライミングは、たしなみ程度、だったためです。ロッククライマー界とは別世界に住んでいました(笑)。

というわけで、ここ数年は心理学と自分のトラウマ解消に取り組んでおり、子供が親を愛すその愛がいかに偉大か、無意識化でいかに人の行動を操っているか?について知見を深める結果になりました。

また、うつ病が再発したため、分子栄養学という最新栄養学で克服しました。そのため、分子栄養学による栄養サポートも可能です。栄養相談の窓口を近く開こうと思っています。

最後、散逸になりましたが、以上が、当方のクライミングにおける地域おこしの現在地、です。

■ 急がず、たゆまず、着実に

”地域おこし”というくらいなので、岩場がある地域の役に立つ、もしくは、日本社会の役に立つ、ことを目指しており、そういう結果がもたらされないのであれば、普通に趣味の範囲で登って行けばいいだけだと思っています。

なので、この活動は急いでも仕方ありません。また主体者である地域の人々が、そんなの興味ない、金だけくれ、みたいな話でも、何のための地域おこしなんですかね?みたいなことになります。

日本では成果を金銭で測る時代は終わってしまったようです。

こういうことなので、この活動がライスワークにはなるわけがなく、地域おこし協力隊の制度利用が最も適切なものかな、と思いますが、私の場合は、転勤先で、手ぶら状態のため(誰も辞めそうな人を雇いませんよね?)手弁当で行っています。

実際、個人が持つ力は大きく、福岡ですが、海外クライマーの訪問も、ぽつりぽつりとあります。

点が線になるための活動としては、細く長く、急がず、たゆまず、みたいな路線で活動しています。

例えば、この5月には、台湾のクライマーで知人の瑞牆訪問がありました。瑞牆のベータを求められましたが、紹介したのは、ナナファテの跡地を引き継いだ北平さんです。瑞牆は、今まで日本国内でしか知られていない岩場でしたが、ReelRock18に取り上げられたので、その効果かなぁと思ったりしました。余談ですが、私が甲府にいる間も、昇仙峡など、海外クライマーが訪問して初登したりしています(キャンディクラッシュ)。

そうした人たちは元がワールドツアーをスポンサードされている有名クライマーなので、現地の案内者付きです。

そうした人たちではなく、一般のクライマーは、アメリカ人でもドイツ人でも、タイでは普通にトゥクトゥクに載って岩場まで移動しています。

一般に日本に来る、海外クライマーは足がないので、湯河原幕岩や城ケ崎など電車でアプローチできる岩場を好むようです。ある海外の友人によると、日本の高いレンタカー代がボトルネックだそうですが、阿蘇などで会ったオーストラリアの一般旅行者男性などは、レンタカーで普通に旅していました。

実際はレンタカー代より、右ハンドル、左ハンドルの違いが問題なのかもしれません。

クライミングは国際言語ですが、運転は下手すると大変な事故になるので。私自身はアメリカでの運転経験もあるというか生まれて初めて運転したのがアメリカですが、日本の運転に慣れた今、アメリカで運転するのは、やっぱり不安です(笑)。

そんなこんなで、瑞牆には、クライマーの宿があればより良いだろうと思います。

クライマーがやっている宿ではありませんが、五郎舎という宿があったと思います。


       山梨勝沼のブドウ畑をお手伝い中 2015年ごろ