書いておかないといけないなーと、ここ1年程度思い続けて、書いていないことがある。
それは、アウトドアと近い生活をここ10年程度続けてきて、
現代人としての在り方に疑問を感じ、そして、方向を転換したいと思っている、
ということだ。
私自身は元々が自然志向で、アトピーなどで自分の肌に、科学的なものが合わないという事実があり、できるだけ、自然なもの、を求める傾向があった。
しかし、都会生活は忙しく、電車の通勤と社内での競争に忙しく、大阪の18年はバレエで健康を損なわないのがやっとだった。
転機がきたのが、登山をスタートしたことで、登山は最初から雪の山に登っている。そうした厳しい環境に身を置いても、まぁ一人で厳冬期の雪山にテント泊して大丈夫なら、まぁ、どんな環境でも大丈夫なんだろう、と思えるようになった。
まぁ平たく言えば、自信がついた、のである。それまでは、基本的に、自然界の厳しさ、と言われても、それがどういう意味なのか?それこそ、見たことも聞いたこともない状態なわけで、自分がやって行けるのか、よく分からなかった、というのが率直なところだ。なにしろ、都会の生活は、日ごろの暑い寒いというところから、???な生活なのだ。
暑さ、寒さもほとんど感じないで済むように、空調され、雨にも濡れずに会社に行ける。
というので、そのような生活に飼いなさられた都会の社畜生活は18年だった。
そこから抜け出したのは、ほんの偶然でしかない…。様々な偶然が重なり、今があるわけだが…。モノの見方が変わっただけで、別に中身も変わっていなければ、立場も変わっていない。
ただ、自然を恐れなくなっただけだ。自分には、色々な困難に耐えて行ける力がある、という自己効用感が自然の中で暮らすこと、について生まれた。
これは山小屋暮らしなどでも同じだ。
■ 自然に寄り添った生き方がしたい
私自身は、自然により深く、密接に寄り添った生き方がしたいと思っている。
それで選んだ職業が畑仕事、というわけで、私は自然界が好きだが、別にクライミングの亡者という訳じゃない。
しかし、妥協というのは、なんにでも必要で、クライミングをしないならば、まぁ、あるもので我慢する、という姿勢が必要なのは分かる。
そこで登場するのが、クライミングジム(笑)。というわけで、私にとってはジムはそのような位置づけだ。
私が追求したいのは、より自然に寄り添った生き方のほうで、
それがどういう形で可能なのか?
ということのほうで、クライミングで自分がどこまで成長できるか?ということよりは、興味がある。
■ 独占されたくない
なので、ジムや外岩など、クライミングをさせてあげるよ~というご機嫌取り?をされても…うーんって感じ。クライミングなら、別に一人でも、まぁできてしまうからだ。
ラオスに行ってあげるよ~も同じで、実のところ、来てもらわなくていい。
むしろ、私一人で行ったほうが、仲間の輪が広がっていい、ということになるのだ…
というのは、男性のパートナーは、できたら二人だけで登りたい、相手を独占したいというエネルギーが強すぎ、どうしても、私の”色々なクライミング文化に触れたい”という願望のほうは叶わないことが多いからだ。
スカートのすそを踏んづけられる方が多く、ありがとう~ということのほうが少ない。
前回の韓国でも、ファン君がソラクサンに誘ってくれたのに、相方がファン君は女たらしだと言い張るので、仕方なく、辞めたのだった。
私はそうは思わなかったんだけど…