2020/04/10

MERU 再度見ました☆

■ Meruにおける登山というゲームの描き方

”芸術作品として、登山、を描く際に必要になる要素はなんだろうか?”という問題意識で、『メルー』を再度見ています。

Meruという山のゲームの本質が最初に説明されているのが、特徴だと思いました。

1)Meruには登山のすべてがある
2)誰も登っていない
3)アイス、ミックス、ビッグウォール、体力(標高)のすべての要素がメルーに詰まっている
4)エベレストとは正反対
5)標高6100mで460m花崗岩のビッグウォールを登る
6)パートナーシップの難しさを伝える
7)例外を伝えることで師匠の権威の絶大さを伝える

■ 登山のすべてがあること

登山の色々な面のうち、例えばショートのフリークライミングには、登頂、という喜びはありません。終了点について終わり、ということになっています。ボルダーには、規模、はないです。 

歩き、担ぎ、宿泊、雪山タクティックス、岩、氷、ナチュプロ、エイド、高所、要するに、全部の要素があります。

このメルーの山の要素の中で、私にとって未知なのは、標高とビッグウォール(壁での宿泊)ということかなぁ…アイス、ミックス、は知っているので。

■ 誰も成功していない なおかつ 初登争いではない

誰が最初に登庁するかの初登争いではないので、ベータ(情報)を別の登山隊に全部渡したりしています。人類代表っていう意識と思われます。

■ エベレストとは正反対

シェルパが背負ってくれ、ルート工作してくれ、危険がほとんど排除されたエベレストとは意味が違うということですね。

■ パートナーシップの難しさ

師弟制度、メンターシップで登っていますが…私も最初のころ、なんで師弟制度が必要なのかよく分からなかったんですよね…。

ジミーはコンラッドが推薦した人としか登らないと言っています。レナンが初々しいです。フリーから、いきなりアルパイン…雪と氷の世界って、違いがありすぎ、とは思いましたが…。

■ 登攀という物語…

登攀を描くときに、その特定の登攀ゲームの本質、を伝える必要があります。

なぜ、その山に登らないと行けなかったのか?そこです。

コンラッドにとってのメルーは、師匠から受け継いだ山です。その師匠は山で雪崩で亡くなり、その師匠の妻をコンラッドは妻としています。

弟子であるジミーにとっては、メルーは、2度目のチャレンジの山で初登頂、最初に登頂した山です。

さらに新人であるレナンにとっては、自分がすべての判断をジミーにゆだねてしまったために大怪我をして、そして、そこからの復活…起死回生をかけた山。

レナンの事故にジミーは自責の念に駆られます。ジミー自身も雪崩からの奇跡の生還を果たしています…

■ 特定の行動様式

山ってピンチになってからが本番ですよねぇ…。4日の嵐が去って、超やる気になる師匠に、降りるつもりだったので驚く弟子。

■ パートナーに求める要件

ベストパートナーというのは

1)モチベーションを後押ししてくれる人
2)自分が気が付かないリスクに気づかせてくれる人
ということでした。