2019/02/15

敗北と失恋

”正しく山と向きあう、対話する” ということは、どういうことだろうか?

福岡に来たとき、背振山全山縦走をするべきだと分かっていました…。

山ヤのあるべき姿として師匠に教わったことをする…山には順番がある…山の全体像をまずは掴むような山をする。つまり縦走だ。それから沢。そして岩。そして冬期。

清く正しい山ヤのあるべき山をするのが本来すべきこと、でした。

しかし…やらなかった。

標高が低い山なんて、いまさら、やる気になれないという訳だったのだろうか?

縦走の始点と終点で舗装路を歩かないといけないのは嫌だとか、幕営適地が分からないとか、イノシシが出たらヤダとか、もう暑くてやってられない!とか、色々と言い訳が出てきて、やろうと思えば、できることをする勇気が出ないでいました。結局のところ、言い訳をして先延ばしにしていたのです。

公平に見れば、新しい生活に慣れるのにも忙しかった。アシュタンガヨガとクライミングジムと遠征で手いっぱいだったのも情状酌量の余地はある…が、たかが数日が、ひねり出せない言い訳にはならないだろう。

そんな中、先輩が後を追うように引っ越してきた。おかげでパートナー不在の状態から解放された。先輩が来てくれて、再び岩を頑張れるようになった。

一つの挫折が訪れた。それは、白亜スラブというルートで、地元のクライマーたちの尊敬を集めるルートだ。

白亜スラブに行き、どんなに頑張っても私には白亜スラブはないと分かった。一種の敗北だった。

1ピッチ目から、とんでもなくピンが遠い…。

ジャンダルムの奥様の話をご存じだろうか?ジャンダルムに西洋人のクライマー夫婦が来た話だ。奥さんの方が頑として動かなくなるのだ。なぜなら、そこはロープなしには危険で、落ちたら一巻の終わりだから、である。困り果てた旦那さんが、レスキュー要請し、レスキューがロープをもって行ったら、その奥さんは華麗なムーブでスイスイとジャンダルムを超えて行ったのだと。

私自身も、”ロープを出すか出さないかの判断は、登攀の難度ではなく、そこで落ちたらどうなるか?である”と教わった。

なので、落ちたら死ぬところではロープを出す。しかし、たとえロープを出したとしても、ランナウトなら意味がない。ランナウトというのは、ノーザイルと同じという意味だからだ。

しかし、私の目の前に広がる景色は、大ランナウト祭りばかり…。

そして、私はランナウトによるアドレナリン分泌に強いタイプではなく、どうも真逆のタイプみたいだった。

”取れるところで取らないプロテクションは、馬鹿っぽい”とも習った。そして、目の前に広がる景色と、そして、それを是とする文化が…私を非国民扱いする。

アルパインを始めて1年目で、残雪期の易しい時期を狙って行ったジョーゴ沢で…オールフリーソロで抜けたら、師匠に「そんな山は教えていません」と叱られた。

そんな師匠が見たら、なんというのだろうか?と思った…。

インスボンの大ランナウトを見たときも、私にはリードは無理だと思えた…セカンドでも落ちたのは、ほんの1、2回だけで、実際のところは、ほとんどノーテンションで登ったんだけど…。

開拓者の三沢さんは、神風特攻隊とランナウトを重ねているようだった。

「男にはどうしても行かねばならないときがある」…そうだろうか? 肉弾三銃士となって死んでくれた人の死を否定するような発言はしたくないが、戦没者の犠牲の上に保たれた命はない。日本は、結局のところ神風特攻隊がいてもいなくても、広島と長崎の原爆をもって外部から強制的に止められるまで、全員が死に尽くすまで、集団自殺を辞めることができなかったのだ。沖縄戦では、自ら死を選んで死んでいった人たちが大勢いる。

ランナウトにおける”やらねばならぬ時”は、神風特攻隊の心情的な風情と似ているのだろうか?

でも、岩って、好きでやっているんだしね…。特攻隊は真実かどうかは別として、心情としては、「お国のために」と思って死んでいったはずである。

が、クライミングのトップが登るのは、「お国のため」でもなく、「パーティのため」でもなく、「セカンドのため」ですらなく、「自分のため」だ。しかも、やっても一円にもならない、「娯楽のため」でしかない。

100歩譲って、「俺がやらねば誰がやる」という心情であるとしても、現代では「誰も頼んでいない」と言われるのが落ちだろう。

例え戦争になったとしても、一個人が死をもって全うするほどの大義はないというのが現代人の大方の考えなのではないだろうか?

今でも社会問題の抗議に焼身自殺などというのが、第三世界ではたまにあるが、現代日本ではただの自殺とされてしまうだろう。義憤とすら判断してもらえないかもしれない。

軍人さんは知らないが、日本兵に良く例えられる会社員は、もはや誰も「滅私奉公」なんて信じない…。会社は個人を守ってくれない。国も個人を守ってくれない。誰が守ってくれるのか?それは親しい仲間以外にないだろう。

いまや、会社のために「死」を含む、一か八かを敢えて選ぼうとする人などいないだろう…

そのようなものは、”誰も頼んでいないヒロイズム”、なのではないだろうか?

「ザイルのトップには責任がある」と言っても、一か八かに出て、落ちてしまい、そして怪我でもしようものなら、敗退するよりも、多くのロスとなってしまう。

「度胸のある人はいいけれど、度胸だけの人はちょっと…」と言われるのがオチだ。

男はやらねばならないときがあるかもしれないが、やるんだったら100%成功させないと、度胸だけの人だったね、で終わられてしまうのである。

それは女性だったら、なおさらなのではないだろうか?

■ 失恋

私は、登山のスタートが遅く、アルパインのスタートも42歳と遅い。真剣にフリーに取り組み始めたのは1年後からだ。

だから、最初から初級ルート程度を射程範囲におくつもりで、そもそも、山ヤの仲間内で尊敬を得るような、すごい山を志向していたつもりはない。初級ルート程度が楽しめれば、と思っていた。

のだが、それでも、この白亜スラブを経験する前までは、なんとなく、私も、あと数年このペースで頑張れば、5.11くらいなら登れるようになり、5.11が登れるということは、日本中のクラシックルートは、たぶん、どこでも登れるようになるのではないだろうか?と、ぼんやりと捉えていたようである。Ⅴ級A1なら、行き詰まれば、A1すればいいって話なんじゃないかと思っていた。

まざまざとそれは真実味のない空想だと白亜スラブに行ったことで、理解でき、夢が打ち砕かれた訳だ。

どこでもスイスイといくには、5.12が必要で、5.12は私にはない。

ただ、楽しい台湾クライミングトリップ目前だったので、台湾から帰ってくるまで、そのことについては、一旦保留ボタンが押され、よく消化できないでいた。

しかし、やはりよく考えると、私は一度ここで失恋をしたのだと思う。

一度ではなく、2度か…。一度目は山を失ったとき。そして2度目は岩での挫折。

自分の限界を知るという経験だったということだ。

■ 引っ張りだこ

あまり登れない私がクライマーとして人気がないのと違い、先輩のA木さんは、どこに出しても引っ張りだこだ。特待生が来たと言われている。私はお荷物が来たと思われている。

ある時、彼が後輩の私を気遣って「彼女はアイスをとってもきれいに登るんですよ」と、誰かに言ってくれた。涙が出そうになった。かばってくれているのだ。

私なりに精いっぱい頑張ったのがアイスクライミングだった。それを見て知っているのは師匠のほかは、彼だけだった。最初のころの端にも棒にもかからない初心者当時の私の登攀を見て知っているのは…。

登攀は、正直、私には微笑まない。

雪では、あんなに心を開いてくれた山も、岩では、にこりともしない…。

私が単独で阿弥陀北稜をやったときは、この先輩だけはとても喜んでくれた。

たぶん、他の人は、私が失敗したほうが喜んだかもしれない。私の山が向上していくことに協力的だった人は、ほとんどいない。それでも向かい風の中を進んできたのだ。

しかし、山が懐を開いてくれないという考えは、傲慢であり、自分の能力を高く見積もりすぎているからだろう…。真実は、ただ努力が足りていないだけの話なのだろう。

それは、登山歴50年というほどの人でも、この地にきたら、やはり背振の尾根と沢を歩きつくしたのだから。何もやっていないのに、文句垂れなのは私の方だろう。

私は今、その人が汗みず垂らして歩き、地図にはどこにも毛虫マークがない岩場を発見し、開拓して掃除して、コケを落として登れるようにした油山川の岩場を、ただ道標に導かれて、歩くだけで登りに行ける。

どれだけ恵まれていても文句を言う人は文句を言うし、恵まれていなくても、文句を言わずにコツコツと積み上げる人には、世界はそれなりに答えてくれる。それが見て分からぬか、というものだ。

つまるところ、山を愛してやっていないから、山が愛し返してくれないだけだ、たぶん。

山を愛することは最初のうちはたやすい。難しいのは、逆境においても、山を愛し続けるということだ。尊い行為というのはそういうものだ。

一緒に登ろうよと言ってくれる人がいて、本当に涙が出そうになった。

もし、すべてを捧げたら、岩は、私に微笑んでくれるのだろうか?

というか、私はそもそも、そこまでの献身をできるのだろうか?

何より、それをしたいのだろうか?

それすら分からないが、それは誰かが分かっているのだろうか? 

私には、あのようなルートはないと分かった今、岩を続けて、これからどこへ向かい、どこへ行こうとしているのだろうか? 

自分自身が最大の謎だ。
比叡、大ランナウトを登攀中の私