”山をする”という”山ヤ道”には、あちこちに心理的トラップが仕掛けられている。
それらを避ける、ということには、ある種の自信がある。
最大の心理的トラップは、
俺(私)のことを世間に認めさせたい!
という名誉欲を起源にしている。これは、一昔前の山のスタイルでは、肯定されている。しかし…
そんなことが重要か?
答え) 全然、重要じゃない。
世間に俺を認めさせるためなら、死んでも結構!と思う人でない限り。
なので、私は、ほんの少しでも、
競争心
を煽られた場合は、その山をお断りすることにしている。ラジャスな山はしない。
パートナーの競争心や名誉欲に付き合っていたら、自分が死ぬ羽目になるのは、歴史どころか、身近な友人の死が証明している。
しかし、自分を認めさせる相手として、重要な人が、一人だけいる。
自分だ。
自分で自分に負けないということは唯一重要。なので、
闘争心
は、多少必要かもしれない。と最近、考えを改めた。
強い心
と言ってもいいかもしれない。
その(強い心)と(適切な判断力)のバランスが、山の醍醐味。
平たく言えば、ただの無謀になるか?チャレンジになるか?ということだ。
■ 事例
トレーニングはしていない、すでにメタボ、酒は飲む、予習のゲレンデでは、3手で腕アップ、みたいな人が、阿弥陀北稜というのは、ただの無謀。
それを止めない山の仲間。これは、心が広いのか?それとも、仲間としての役割を果たしていないのか?
どちらか知らないが、私自身は、相手が自滅的な行為を取ろうとしたら、それを指摘するのが最低限、パートナーとしての務めと考えているタイプのクライマーだ。悪しからず。