2020/06/02

土にいのちと愛ありて

■「土にいのちと愛ありて」を読み終わりました

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いや~驚いたな。何が驚いたって、川上村のことが書いてあったことです。

私の自然界への回帰は、クライミングに結実しましたが、登山が雪からフリーへ軸足を移動したことの理由は、たまたま、住んでいた場所で、登山を突き詰めるとなると、岩がちな土地柄では、クライミングが避けて通れないから、というだけのことでした。つまり、私自身が岩登りに強い適性があったというわけではないです。登山と、一口に言っても、土地柄を生かす、となると、その中身は色々と違ってくるわけなのである。
 
例えば、九州のクライマーにクラックは向かない。北海道クライマーは岩場が少ないのでレッドポインターが多い。

■ メッカ

川上村は、日本のクライミングのメッカ、日本のヨセミテである小川山という岩場がある町だ。しかし、ほとんどのクライマーは、一般に、川上村自体には興味がない。

私は川上村を通るたび、違和感があるなという印象を受けていた。

単一作物…レタスだけというのも変な気がするし、畑仕事をする人の姿を見ることもほとんどないのも変だし、ナナーズで遭う外国人が妙にへりくだって日本人に挨拶するのも変だ。金峰山山頂から見ると白マルチが雪原のように見えたりもする…。全体に、時代錯誤的な感じだ。

クライミングという面でみた小川山の特徴は、多くのクライマーに愛される岩場ではあるが、良くも悪くも日本の岩場らしさが漂っている…。つまり、台湾でシンガポール人に「小川山は怖い岩場として国際的に有名だ」と聞かされるような岩場である。

これが実感として分かってくれる日本人クライマーは少ない。金峰渓谷の美しい山の姿とは対照的に、人間の欲望に翻弄された岩場だったのだと、海外クライミングに行くようになって、分かるようになった。それ以前は、必死に入門課題をこなすので精いっぱいで岩場経験値も少なく、比較するような視点はもてなかったのだった。

クライマーとして成り立つのに、小川山は避けて通れない…けれども、必要最小限でいる方がいいから、山梨から引っ越すことになったのかもしれない…。

小川山は、自然が美しく、いいところだが、岩場としては、

煩悩まみれ

だ。

そして、同じことが、川上村のレタスにも言えるらしい…。

そして、私が感じていた感性は、合っていたらしい…。

■ ずいぶん前から

この本は最近の本ではない…自然農法の草分けというような須賀一男さんの生い立ちで、1988年、出版。88年って私はまだ高校生だ。

私の知っている自然農法の世界が描かれてあった。長い長い遠回りを経て、まぁ、久しぶりに自分の世界に帰ってきたような感じだ。

私は変だな、変だなと思いながらでも、とりあえずはやってみる派だ。だけれど、変だな感は、忘れられないでついて回る。その変だな感は、実は正しいということが後になって分かることが多い。

今回もそのケースだ。

しかし、それにしても、なぜほかのクライマーのみんなは、自然を愛する活動をしながら、自然を蹂躙している…母なる自然も、人間性という自然も…状態に、無関心でいられるのだろうか?

トミー・コールドウェルの投稿

トミー・コールドウェルの投稿

やっぱりアメリカでの影響力のあるクライマーの自覚は違うな~と思った。
保身第一で皆に右に倣えしてしまう日本人とはだいぶ違いますね。

日本では保身は大事です。いわれのない攻撃を受けることで、死に追い込まれることがあるのは、最近どなたかプロレスの方が自死に追い込まれていたことからも分かります。
が、社会を正しい方向、良心が正解と定める方向…それは誰でも分かることであることが多いと思いますが…は、上に立つ者には必要なことではないかと思います。

■ 私の黒人さん体験

私の大学での専門は黒人女性文学です。オモデレ先生は、日本で初の、日本で教えた黒人女性教授で、私がサンフランシスコに行ったとき、先生も帰国だったので親しくさせていただきました…UCバークレーは顔パス。

私は、『カラーパープル』が実感として理解できる子どもでした…。しかし、研究として黒人女性の文学を取り上げるのは、あまりに自分の体験と近くて、生々しく苦しかったので、卒論はポリティカルコレクトネス。

アメリカに行ったら、黄色人種である日本人は黒人と比較して、勤勉で社会の梯子を早く駆け上がる存在として、黒人社会からは疎まれる存在でした…。サンフランシスコでは、私が黒人さんに良くしても、逆はなかったです。

が、のちに出張でカンザスのオーバーランドパークに1か月の長期滞在をしたのですが、その時は、ゲートで囲まれた高級白人居住区で、労働者は黒人かヒスパニックばかり。その実態を見ても何も感じない同僚が大変横柄で嫌でした…私は、同僚がサボタージュしている脇でせっせと業務に励まざるをえなかったですが、そういう私を見て、”あなたでいてありがとう”と言ってくれたのは、勤め先の門番の黒人守衛さんと雇っていたバス会社の運転手さん。見ている人は見ていて、誰が仕事をしていて、誰がしていないか、分かっているみたいでした…私にとって彼らの存在は、神は分かってくれている、というものでした。アメリカのNTTスプリント社のおひざ元がオーバーランドパークシティで全米3位の裕福な土地柄で、黒人と白人の乖離は激しかったです。
私はアメリカの美しさは、アッパークラスではなくワーキングクラスにあると思います。
若いころ、学費が出せない家だったので、夢はやはりアメリカの大学に通うことだなぁ…年を取っておばあちゃんになってからでいいので、学生をやりたいですね。
日本では苦学生で学生していない…高校時代から働き詰めだったなって思うので。
現代の大学生も学費が上がって大変そうですが、意味のない大学に行くより、さっさと自分のしたいことをするのが日本では良いような気がします。日本の学歴は世界には全く通用しないので…
トミーのようなアメリカの良心が、サンフランシスコ近郊から生まれるのは、やはり理由があります。

自由とともに寛容を学ぶ空気観…子供は、所有よりも、シェアすることを先に教えられますし、日本と違い、米国人は信仰厚く、また家族主義です。


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I grew up feeling that humanity was heading in a good direction. Poverty, equality, justice, and environmental degradation were being addressed and slowly improving because of ingenuity of the human mind. We were headed towards an increasingly Utopian future.
Right now, I don’t feel that way. I’m heartbroken and disappointed. The only way I can think of to turn us back around is to harness the pain and let it create action. I’m proud of all those that are speaking out and creating this culture of change. To me this is an act of love. So is advocating for climate policy. So is not traveling and wearing a mask. And today, love for our fellow humans is about social justice. “There comes a time when Silence is Betrayal” Mt Luther king Jr.
Thanks @conrad_anker for bringing this quote to my attention. And thanks @jer.collins for continually using your art to say the things that can be hard to articulate in words.

達成感ではなく、やりがいを燃料に登りましょう

■達成感vsやりがい

今回は、心理学のお話です。今日来た心理学のメールマガジンからの引用です。

クライミングでは、「やりがい」という言葉を使わずに、

「プロセスを大事にする」と言いますが…

普通の言葉である「やりがい」は、とても重要です。

ーーーーーーーーーーー
やりがいとは、このような感情のこと。

・パートナーやチームに対して貢献したいという気持ち
・自分が役に立っているという使命感
・自分のスキルや才能が開花している感覚
・その仕事をしているのが、ただただ楽しいという感覚
・お金ではない報酬(感謝、好奇心、理念、興味……)


なぜ、やりがいが重要なのか?

それは、やりがいの方が達成感よりも
モチベーション(=やる気)の効果が
ずっと長続きする
からです。

ですから、

達成感

を燃料にして行動していると、
すぐにモチベーションが切れて
行動できなくなるのです。

クライミングって、1年や2年で
成功できるようなものではありません。

3年、5年、10年とコツコツと継続して
はじめて成功できるものです。

それゆえ、やりがいを燃料にしないと
成功する前に絶対に燃え尽きて、
ポキっと挫折してしまうのです。

ーーーーーーーーーーー 引用終わり

私は、ほとんどやりがいのためだけにクライミングをしていて、
達成感を味わえることはほとんどありません(笑)。

‥‥というか、達成感は全然重要でない。クライミングは、ある時、突然上達するので。

しかも、私はクイックラーナーなので、
「カンタンにできる系」の事柄では
やりがいを味わえることは、ほとんどないので、
すぐ飽きてしまって続かないのは当然の帰結なのです。

大事なのは、やりがい、です。

2020/05/31

九州自然歩道福岡県内コースマップ

https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/kyushusizenhodo-map.html

自転車で行けるんじゃないかなって思っているルート

2020/05/29

小山田さんのコロナ自粛中のクライミング実話

■ 小山田さんのコロナ自粛中のクライミング実話

が回ってきた。すごくしっくりくる話だった。

私も岩場に行くけれど、パートナーなしでもトップロープソロで登れるし、行く岩場で、いつも、ほかの誰かに遭うことは、ほとんどない。

ちゃんとした山ヤだったら、自己責任で登れるから、こういう時行く、秘めた岩場の一つや二つは、仕入れているものだと思う。

自粛警察を実行した本当の警察の話を聞くにつけ、思うのは、本当に外出自粛をしてほしいのは、たぶん、平地も歩けないようなヨレヨレの状態で山に来る、年配の人のような気がした…。
 
山は、実際、登山口も見つけられないような高齢者が来ている。登山なら、年齢が行っても登れますよ、みたいな宣伝をしすぎたのだろうか?

山は元気になりに行くものではなく、元気な時に行くものなんだが…。
一方で、そんな自粛警察は無視して、普通にしていたらいい、若い人のほうが盲目的に従順で、言われたことしかできないという、金縛り体質に陥っていて、こういうとき、自分の軸を保ちながら、活動を続けていくことができない。

クライミングジムの営業自粛などは、私が思うには、消毒もしつつの、時間割り当て制や、近所の人に特化して行うとか、マーケティングのやりようでいくらでも方法が考えられそうだったのに、横並びで一律閉鎖…。いや~、ジムで一人で壁に向かっていて、どう感染するんです?って思いました…。
私は畑にいたのですが、すごく幸せに過ごしていました…。友人も途中で遊びに来てくれたりして、タケノコ堀したり、フキを摘んだり、楽しかった。

畑は三密とは関係ない職業なので、暇なクライマーはぜひ農業の手伝いでも(笑)。大体、一日中インドアって体に悪いです!

■ 以下、小山田大さんのFBからの引用
 
さて、そろそろ通常の仕事を再開しようかと考えている。
ここで言う通常の仕事とは岩場で行う活動をSNS等を介して世間に発信していく事を示す。
自粛という大変厄介な事態は、例外なくクライミング界にも吹き荒れ、プロアマ問わず各個人のクライミング活動に大きな影響を与えている。
多くの一般的なクライマーは、世間からの圧力や岩場のある地元からの要請、感染の危険や感染を広めてしまう恐れから岩場どころか外出も躊躇していたと思う。
本来ならば、クライマーが登るという権利を守るべき筈の機関でさえ自粛を強く推進していた事には疑問を感じたが、感染拡大の脅威、世間の風潮を考えれば致し方ないことであったと思う。
そんな中、僕自身はどうしていたかと言うと、自粛前とほぼ変わりなく岩場に通う日々を送っていた。
それは僕がプロだからだ。
クライミングは僕にとっては生きていく為の仕事であり、岩場に通う事は決して不要不急の外出ではない。
それでも自分の立場や影響力を考えSNSでの活動の発信は控えた。
発信出来ないという事は僕がやるべき仕事の半分くらい出来なくなってしまう事ではあるが、発信する事からどういう反応が返ってくるのか、余りにも予測がつかない状況だと考えた。

それに加え、一般的に公開され自粛要請が出ている岩場には行かない、岩場への行き帰りは商店等に立ち寄らない、駐車する際は何者であるか、何をやっているのかを簡潔に記したプレートを車に置く等、いくつかのルールを決めていた。

また、僕がツアーに出発したのは去年の12月であり、その後九州から岐阜に直接移動し、関東には帰っていない。
九州から岐阜の借家に移動した時は、宮崎では感染者はほぼ出ていなかった。
以上の理由と考察から岩場へ通った。
そもそも、僕が通うのは公開前の開拓岩場であり、岩場ではほぼ一人で過ごしている。
ひと気の無い山奥に一人、密になりようも無い。

何よりも僕はプロである前にクライマーであり、クライマーとは身体が動く限りは岩場に通い、岩を登り続けるのだという信念を持っている。

仮に戦争が起こったとして、非国民と言われようが、僕は登る事は止めないつもりだ。
そう言うわけで自己責任下において、僕なりの活動をしてきた。
強い信念のもとコロナ禍においても外で活動し、無頼漢を気取っているようではあるが、一般社会に組み込まれている身なのは百も承知である。
世間の流れを鑑み、今このタイミングで発信することにした。
今後はコロナと共にクライミングを続けていく事になる可能性が高いようだが、自分の信念は曲げずに生きていきたい。

2020/05/25

クライミング市場はレイトマジョリティーに解放されつつある

クライミングを市場に例えると

イノベーター 大学山岳部
ビジョナリー 社会人登攀同人や先鋭的山岳会

アーリーマジョリティー 現代のジムクライマー
レイトマジョリティー 女性や高齢者などの一般市民

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初期 市場 の イノベーター や ビジョナリー は、 仮に 不完全 な 製品 で あっ ても、 自分 の 目的 に 合う よう 創意工夫 する 傾向 が あり ます。 一方、 初期 多数派 は、 イノベーション を 採用 する 際 に、 自分 で 創意工夫 し て 不便 な 部分 を 補う という こと は し ませ ん。 これ は 完全 パッケージ の 製品 を 要求 し て いる こと に 他 なり ませ ん。

中野明. カフェ de 読む 図解キャズム理論がよくわかる本 (FLoW ePublication) (Kindle の位置No.729-732). Kindle 版.
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https://amzn.to/3d22B71

2020/05/24

鹿児島大隅半島でのクライミング支点

クライマー諸氏!鹿児島大隅半島でのクライミング支点には、天然の立木終了点は、NGです
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大隅半島花闇岩地帯は天然林でも根が基岩中に伸びない
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https://www.jstage.jst.go.jp/artic…/suirikagaku/…/35_26/_pdf

に記載があります。

立木の強度と崩落の危険度

■ 崩落の危険度

登山も講じると登山道ではないところを歩くことになりますが、そうなると、時折、崩落地形に出会うことがあります。

これらの崩落地は、どれくらい危険なのか?

直観しか頼れません…

ーーーーーーーーー
福井県西谷災害で、無林地は有林地の25~ 7倍 程度、
島根県風化花商岩地災害で、無林地は有林地の 2倍近い崩壊発生
の調査例 も出された。
ーーーーーーー
との記述を発見しました。

クライミングを伴う登山では、花崗岩のことが多いので、無林のところは、木があるところの

 2倍

の崩落可能性です。 クライミングでは松が多いです。

■立木の強度 (抜根抵抗力)

ーーーーーーー
抜根抵抗力は,
根元径10 cm
 針葉樹で 1~ 2 ton, 
 広葉樹 2~ 3 ton,

針 葉樹
30 cm径 で10 ton,
40 cm径 で20 ton程度
が測定された。
ーーーーーー

ええ~?!の真事実。立木をアンカーにすることが多いですが、立木って、カムより弱いんですか?だって、1トン=10kNですよね??? ノーマルカム 13kN、スモールカムだって、4~5kNですけど?!

いや~ クライマーは立木を信用しやすいです。ただ、抜く方向は地面に対して垂直で、ロープの荷重は根を抑える方向にかかりますけど…。それもロープの掛け方によります。

湯川アイスで使っていた終了点の立木は、直径5cmくらいでした…(笑)。みんなで不安を指摘したりもしましたが、結局両手が回せないくらいの大きな幹の木くらいしかとるところがなかったんですよね。

論文はこちらです。https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/35/2/35_26/_pdf

■ 対策 立木は2点以上で!

例えば、ですが、春の戻り雪の終了点の松の木、直径20cmはないくらいですよね?

それで懸垂するって、何kNなのでしょう?

って、前から疑問に思っていました。松は針葉樹なので、10cmの直径で、10-20kNだそうです…(汗)。

カラビナより弱い視点に全生命を預けていたのか…。

いやはや、ホントに生きていてよかったですね~!!木が抜けたりしなくて…岩の上に生えている植生は、たまにガッポン!と岩ごと全体で、はがれたりします。

そうなるか?ならないか?は、前の人は大丈夫だったから大丈夫!というのは、まったく当てにならず、ただの運です。

日本でのアルパインクライミングは、ロシアンルーレットですが、それも、自然との対話の一部だとは思います。

立木は、やっぱり、どんなに太くても2点以上で使わないと!ですね!!

2020/05/19

オールラウンドに円熟したクライマーになるためのクライミング教習手順

クライミングでは、オールラウンドに円熟したクライマーになってもらうには、教える順番が大事です。

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山登り
↓      ← ここでステップアップできない人=一般登山”客”
キャンプ&読図

沢登り

岩登り&アイスクライミング

冬壁

フリークライミング ボルトルート

フリークライミング クラックルート

プラスチック壁       ← 一般の人 ここに一杯います

ボルダリング      ← ここに一般の人一杯います
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このような順番で、進化していかないと、

クライミングの偏った一面だけが分かるクライマーができる。

すなわち、全体像が分かっているクライマーにはなれません。

■ おれ、ホント良かった~

昔のクライマーは皆、この順番です。現代の人は大人になってからクライミングに接するのですが、この順番で学べる人は運が良い人です。

偶然にも、この順番で大人になってからですが、クライミング道を歩んだ先輩がいますが、彼はもしボルダリングから入っていたら、ボルダーしかしなかったかもしれないと言っています。

ロープワークを覚える動機に欠けるからですね。

これは、クライミングに限らないかもしれません。

■ 一部は一部でしかなく、全体ではない

教える順番にこだわらず、どこから入ってもクライミングはクライミングだ!ということも一面の真理ですが、それを実行した結果が現代のクライミング業界の現実。

だとすると?

結果は非常に悪いです。

つまり、ボルダリングだけしか分からないで、それがクライミングのすべてであるかのように、錯覚してしまっている人が多いです。

ので、やはり、全体像が分かるように育てるためには、

教える順番の遵守

が大事のように思います。

■ 事故原因

全体像が分かっていないクライマーがやっているクライミングジムが増えたことが、

クライミング事故の増加の原因

と指摘されています。

なので、クライミングの一部分でしかないボルダーしか知らないのにもかかわらず、全体像が分かっているかのように主張するのは、おかしいです。

ボルダーはクライミングの一形態です。

2020/05/10

何はなくともセルフビレイ

■なにはなくともセルフビレイ

あるとき、九大山岳部と一緒になって、彼らは一番易しい短いところを登っていたんですが、下級生がアンカー作るのに
先輩が「そんなところは簡単だから、セルフはイラナイ」と指導していて、うーん…と思いました。

セルフがいるか要らないかは本人が判断することです。

そして、大体ほとんどの登山で、セルフが要らないような簡単なところで、落ちて死んでいます。

三つ峠でも死亡事故が絶えませんが、登攀自体は5.7とかの易しいルートです。
ので、九州の登山文化、いまいちだなーと思いました。

私は合言葉、何はなくともセルフビレイ、と教わりました。

2020/05/09

プロテクションが外れてグランドフォールしている映像

対照になってくれる人

対照になってくれる人
アルパインクライミング道の追及において、私が本当に助かったのは対照になってくれた人の存在でした。
師匠と登っている間、なぜ私が登りたいと思うルートに登らせてもらえないのか謎でした。まだ難しいから、というのは変で、自分の登攀グレードに適したルートを私は選んでいたし…。ワンピッチもないってどうなのかなぁ。でも、安全マージンが新人というのは薄く実力を過信しがちなので、これは経験の厚みに譲るべきところかなぁと思っていました。
特にフリー出身のクライマーがアルパインへ行くときは要注意で、フリーの5.9が登れるからとアルパインの5.9に取り付くと大変危険です。理由はフリーは落ちてよい前提で、アルパインは決して落ちて行けない前提だからです。ですので、私はアルパインの5.9に取り付ける実力は、フリーの5.10bだと思っていたのですが、違いました(笑)5.11でした。フリーの5.10bだとアルパインの5.7しか取りつけません。
私が謎に思っていた師匠の態度がやっぱりおかしいと分かったのは別の普通の男性のクライマーで5.12が登れる人とでも師匠が自分の行きたいルートばかりを行っていたのを目撃した時です。こ、これは…。
また、私は自分の経験を盗まれないよう、念には念をいれて行きたいルートはここです、とあらかじめ宣言し、さらには足の怪我も相まって、どう考えても、易しいルートを選択するのが合理的であると見受けられる状況にいたのですが…それでも師匠のルート選択となり、私はただセカンドでロープの末端を握るだけの結末となった時、
これは、要するにこの人は自分が登りたいルートを登りたいだけで相手のニーズについてはゼロ配慮なんだ
と分かりました。がっかりという結果です。私が尊敬するのは、相手のニーズも自分のニーズも満たせる解決案を提供できる人だからです。
というわけで、一緒に行ってくれた12のクライマーには感謝しています。彼は自分の行きたかったルートは登っていないですが、初回だからアプローチ確認でいいわけだし、代表的なルートを知ったほうがどのようなクライマーにも有益なので。最初からギリギリへの追及をするというのは単なる自己顕示欲で、往々にして痛い目に合うものですので、その回は、それでよかったのです。
私は、自分の登攀グレードにあったところを一緒に登ってくれるようなクライマーと登りたいな~。自分でルートを選んで自分の意思で登らないと上達しないです。
日本の師弟関係では、クライミングに限らず、下からクライマーが支持を受けて、〇〇を登りなさい、と言われて、ハイ!と登るのが普通です。それだと、独り立ちするのに、何十年とかかり、その間、師匠側から、弟子側への労働搾取が起こります。板さんの世界でもそうだし、学問の世界でもそうです。しかし、そんなことをしなくても、ちゃんとした板さんにも、ちゃんとした学者にも、ちゃんとしたクライマーにももちろんなれます。
盲目に支障に従うという価値観を若い人は早期に手放さないと、時代が変化している今では、昔の人の方法論や価値観は陳腐化して、先に進めません。
例えば、いまどき、世界三大北壁とか言われても、ピオレドール賞の候補になります?ならないですよね?なので、三大北壁へ行くカリキュラムじゃなくて、そこはさっさと通り過ぎるカリキュラムが必要です。
クラックも、ビッグウォール、アイスやドライも同じです。うんと先に行きたい人は、そこ、おたおたしているところじゃないから~みたいな感じです。