2016/07/26

バランスを取りながら成長する

■ ゆっくり成長

今日は成長のスピードについて、考察したい。

アルパインに移行して、3年目になった。

経過としては、大体このような経過をたどっている。

 1年目、外岩5.8がレッドポイントできる。外岩5.10Aで落ちる。人工壁に通う。
      アイスでかなり簡単なところをリードする。懸垂下降ができる。読図がほぼできる。

 2年目、外岩5.9がオンサイトできる。外岩5.10Aがレッドポイントできる。
       クラックを中心に登る。
       アイスでカンタンで短いところを擬似リードする。
       結果として、初級の本チャンにイコールパートナーと行くことができる。
       読図とルートファインディングの差が分かる。

 3年目、外岩5.8が確実になる。クラックでリードをする。
      アルパインはあきらめてフリーに転進。単独でも未知の尾根を下りれる。

印象としては、

 1年1グレード

で成長しており、それは妥当な成長スピードのように感じている。

■ 攻めと守りのバランスをとりながら、成長したいと考えていること

例えば、1年で11bを登れるほどまで成長した人の話も聞いているが、正直な所、あまり羨ましくは感じない。

なぜなら、私が一緒に組んでいる男性のパートナーなどは、私が苦労して登る5.10Aの核心部など、手を伸ばせば届いてしまうので、特に何のムーブも必要なく登ってしまう。クライミング歴は3か月もない。

しかし、ビレイの様子や支点の知識を問うと、基本的知識がない。制動確保、落下係数、知らないだろう。したがって、その人のビレイには、身を任せる気持ちになれない。

今、落ちたら、あぶないかどうか、彼には判断が付かないだろう。したがって、危険にたいして、身構えることがない。したがって、気が付かないで危険な目に遭うだろう。

例えば、クライマーがトラバースに差し掛かったのに、ロープをタイトに出してしまうかもしれない・・・。

これは何も、クライミング歴数か月のクライマーには限らない。

以前、アイスのクライミングでご一緒した人も、ガイドさんの講習に何年も通ったそうだ。クライミング自体は非常に優れていて、リードもできた。

が、作ってくれたトップロープ支点は、ダメの見本になり、となりにぶっとい立木があるのに、私の手首ほどの立木に支点を作っていた。

つまり、

攻めの技術の優劣は、守りの技術が優れていることの目安には全くならない、

ということをこの時学んだ。

私は、というと、トップロープのビレイが初ビレイくらいの時期だった。

■ 一定量の経験者とのクライミング経験が必要

こういう事例を考えると、1)クライミング中の危険予知や、2)支点をどういう風に設定するものなのか・・・という経験が溜まるには、

 ある程度一定量のゲレンデ経験

が必要なのである。

余談ではあるが、師匠と出かけた山で、これまで一番勉強になった山は、まったく登攀は難しくないが、アイスが半解けで、非常に悪かった、アイスのルートであった。

勉強になっただけでなく、面白ろくもあったのである。

■ 資質 盗む気があるかどうか

そのゲレンデ経験は、経験者と出かけて、経験者がどのような支点を作るのか?どのような場合にどのように危険を避けているのか?というようなことを、

 傍観者として、見て、盗んで獲得するもの

だ。その人が盗むかどうか?というのは、

 1)盗む気持ちがある

 2)観察眼に優れている

 3)精神的ゆとりがある

などの条件がつく。最初から、盗む気がない人は、いつまでたっても盗めない。たぶん、盗む気がないというのは、自分で登りに行く気持ちがないのだろう。

私の観察では、観察眼は、一般的な傾向としては、知力が優れた人のほうが優れているようである。例えば先入観で物事を見る人よりも、そうでない人のほうが、観察眼は優れている。

精神的ゆとりについては、もうこれは性格である。動じない性格、物おじしない性格、鷹揚な性格ということだが、人間は危険を認知していないときは、精神的に穏やかである。

私も危険について認識できなかった初心者の頃は、何も怖くなかったのであるからにして(笑)。

細やかな観察眼(つまり危険認知力)と精神的ゆとりをセットで持つのは、相反する資質と言うことになり、片方が立てば、片方が立たず・・・ということになり、難しいようだ。

■ もっと登れるはず?

最近は、私のクライミングを見て、皆がもっと登れるはずだ、と感じるようで、高いグレードへのステップアップを要求される。

それが不服だ。

なぜなら、その感覚は、私本人が持っている、内的な確実感と一致していない。

1年目でリードできた課題(5.8)は、確かに、今は、下のビレイヤーの確保スキルは関係ないかもしれないな、というくらいに、自分自身でも確実感が成立した。

しかし、それは単に未知でなくなっただけである。

その上、それも日常的にクライミングを続けているからで、久しぶりだと、どうなるかワカラナイ。

それは、根拠がないことではない。

先日、沢登りに半年ぶりくらいに行ったら、また沢の歩き方を忘れていて、つま先を石ころにぶつけたり、浮いている石に載ったりで、あれまぁ!と自分でも思ったのだったから。

アイゼン歩行だって、シーズン一回目は、ズボンの内側を破くことが多いのだし、人間は忘れる生き物なので、そうなるのは仕方がないことなのだろう。きっと雪上訓練もそうだろう。

ロープワークも同じだ。シートベントなんて、チェストハーネスを作ることがないと忘れる。あらゆるノットがそうだ。(だから、レスキューも忘れる前にちょくちょくやっておかないと、モノにならない)

■ 量 → 質

ある一定の量を貯めると、質への転換が起こるそうである。

これは、5.9を10本くらいオンサイトしていると、5.10Aのレッドポイントは当然になる、という意味かと思う。

そういう意味の、量、としては、私の判断では、私にはまったくクライミングの量自体が足りていない。

しかも、大人になったら、量をガツガツ貯めればいい、ということにはならない。質も重要になるのだ。

頭や体がフレッシュでない状態で、量を貯めることは、誰にとっても害があるだけで、得るものはない。

間違ったムーブ、悪い癖、そういったものを貯めてしまうからだ。

きちんとレストできて、きちんとよれずに動けるようでないと、脳が間違った指令を受け取って、脳は素直なので、それをそのまま、反芻してしまうのである。

今必要なのは、キレイなムーブ、

  正しいムーブで数を打つこと

だと思う。たとえば、テニスなら素振り500回みたいな・・・ 

■ 自分の個性を振り返る

若いころを振り返ってみると、私は、他の人よりも、基礎練習が分厚く必要なタイプだった。要するに、あまり飲みこみは良くないタイプなのだ。

お手本を見せて、すぐそれがなぞれるような、そんな、

 筋の良さ、

はあまりない。が、かと言って、全くダメでもなく、努力をすれば、平均のちょっと上には、達することができる。

単純に私は運動神経がそもそも良いほうでないってだけだと思う。中高でやったテニスでは、県大会でベスト8までは入れた。

私の弟は、運動神経が良く、体格も良く、彼は、子供のころからスパルタ式の水泳部でしごかれたので、水泳ではメダル選手で、水泳以外の何の運動をやらせても、・・・野球とサッカーをやったが・・・あっという間に上達して、一時は、バレンタインのチョコレートを14個ももらってくる人気者ぶりだった。要するに派手に上手なのだ。

弟が2月の一番寒い時期に、泣きながら、真水のプールに飛び込んでいるときに、私はと言えば、読書の世界にどっぷり浸かって、同じ本を20回も30回も読んでいたのである。もちろん、成績はオール5である。弟は、母が涙目になるような成績表。

子供の頃、プールに投げ入れれば、子供は勝手に泳げるようになるという教育方針の水泳部に私も入れられて、実際おぼれかけたことがあるんだが(笑)、大人になって、スポーツクラブに通い、きちんと泳ぎ方を教わったら、ちゃんと50mは泳げるようになった。

大人だけでなく、子供にも、何も教えないで泳げるタイプと、理論的に教えないと泳げるようにならないタイプがいるのだろう。

要するに、私は後者なのである。







2016/07/25

2 Neil Greshams Masterclass - Components of Climbing

Climbing Technique Theory --The 3 Body Positions

Rock Climbing Technique for Beginners : Body Positioning Basics and Cent...

Rock Climbing Training with Robbie Phillips - Ep. 2 (Base Level Endurance)

楽しいレスキュー訓練

■ 週末はレスキュー訓練

週末は、セルフレスキューの訓練をしていた。

山岳会に属す主たるメリットは、

 いつも同じ人たちと登れること

である。ステディな仲、とでも言おうか。つまり、いつ別れるとも分からない不安定な関係ではなく、安定的な関係の相手と登れる、ということである。

安定的な関係の相手と登れると何がいいのか?

それは、相手が何を知っていて、何を知らないのか?が、分かっているということなのだ。

例えば、山に行くのに地図を持ってこない人がいるとする。その人は、一人では歩けない。が、読図が必要になったら歩けないということが分かってさえいれば、例えば、その人が読図が必要な山に行くときは必ず読図上級者をセットにする、など、”傾向と対策”ができるのである。

(但し、この場合、”クライマーは自己完結であらねばならない”という原則は無視しているが・・・。)

したがって、山行計画を立てるリーダーにとって、メンバー各員の強みと弱みが良く分かっていることはとても重要だ。

■ まさかの時の保険

そうした共有している条件、知識の中で、もっとも共有しているべきものが

セルフレスキュー

である。セルフレスキューは一緒に山に行く相手と共有していないと意味がない。

逆に言えば、いつも行く相手ではなく、次から次へと相手を変えていては、事故が起こった時、どうする? 相手は事故が起こった時、どうしたらいいのか分からなくなる人かもしれない。

それは聞いて確かめるわけにもいかず、一度一緒に山に行ってみるしかないわけだ。

となると、事故のリスクが大きい場所には行くことができない。となると、ゲレンデ、ということになっている。

ゲレンデなら、何かあっても救急車が横付けできたりで、リスクが比較的低いからだ。(それでも死ぬ人もいるが)

とは言っても、やはり山岳保険と同じで、最低限のセルフレスキューを共有していないと、リスクを取って、高い山のマルチピッチに行くことはできない。

■ レスキューの共有は大事です

というようなことになっているため、セルフレスキューを共有しておくことは大変重要だ。

実践的な内容をしっかり確実にしておく必要がある。

今回やったのは、

 1)セカンドが落石があったりなどで気絶してしまった際に、引き上げる

 2)宙吊り登り返し

 3)けが人をサポートしながら、懸垂下降する(介助懸垂)

 4)トップロープ中のザイル通過

 5)懸垂下降中のザイル通過(シングルストランド)

 6)荷揚げ

 7)カウンターラッペル

 8)ロープバスケット

 9)背負い搬送で、要救助を降ろさずに、背負い担当者を交代する方法 

 10)チロリアンブリッジ

だ。結構、網羅した内容になった。

■ 今回学んだこと

私が去年出た岩場のレスキュー講座では、シナリオありきではなく、まず技術があってその技術を教わる形だった。

例えば、カウンターラッペルはどうするか?と発想する。そうではなくて、基本的に、危急時、ピンチのシナリオがあって、そのシナリオから発想することが、今回の講師の場合は基本にあるようだ、ということだった。

それが、山で実際に救助活動をしてきた人と、そうでない人の思考回路の差なのかもしれない。

■ 宴会

今回は、プライベートな集まりだったので、夜は宴会。レスキュー訓練後には山菜を取り、夕食でそれらの山菜を食べた。

お酒も入って、机上講習は飛ばされてしまったのが少々残念だったが、楽しみも必要だ。

考えてみると、前にいた山岳会では、二つとも、

 防御の技

を山岳会の仲間と共有することが非常に難しかった。確保理論の勉強会をしようとしても、成立が困難だったし、セルフレスキューどころかビレイ技術の知識だけの程度のことでも、共有化が難しかった。机上がゼロだったからだ。

結果、防御の技がないままに山行だけが重なっていく・・・それは、怖いものだ。

介助懸垂




ロープ担架で吊り下げ中


山菜がたくさん取れた☆

2016/07/22

道義的責任

■ 立場は巡る

後輩の山行履歴を聞いたら、すでに山行管理が必要な領域(2級の沢)に及んでいた。

彼には、以前から、山岳会に所属するように薦めているが、会費が高いだの理由を付けて入会を渋っている。

まるで、3年前、師匠に山岳会への入会を薦められながらも渋っていた私を見るようだ。

師匠は私に山岳会への入会を薦めた。が、自分の会には入会させてくれなかった。謎だった。今は分かる。例会参加の負担が重いのだ。

アルパイン志向の会ほど、リスクが高い山行をしている。リスクが高い山行をしている会ほど、例会は頻繁だ。本格的なクライミングに特化した会などは、週に一回の例会をしている。一般的な、ハイキングを主体とする会は、月1回だ。

私は山岳会は必要だという意見だ。 これも結局は、師匠と同じ意見となった。立場は巡る。

■ 道義的責任

とりあえず、今は私が彼の直属の先輩ってことになっているので、私には、彼の行く末をきちんとみまもってやる道義的責任があるように感じている。

アイスのルートに連れて行っちゃったしね。

しかも、こりゃマズイという状況だということも聞いてしまった・・・聞いてしまって、それが安全でないと理解できる理解力が私にある以上、彼の安全について、多少道義的責任がある。

少なくとも、山行管理の必要性を説いてやるくらいの、道義的責任が。

■ 山行管理こそが山岳会のキモである

リスクが高い山行をする者にとって、山行管理は必要だ。

それは、なぜか?リスクが高いからである。それだけのリスクを取るには、リスクの補てんが必要だ。

沢登りは、あらゆる登山形態の中で、もっともリスクが高い。そのリスクは、グレードにはよらない。

が・・・というようなことに想像力が追い付いて行かないのが、若さである。

それは、強みでもある。無知は強みであるのだ。

私も、ロープワークのヒューマンエラーについて無知だったころは、三つ峠の登攀は何が難しいの?というくらいな気分で、何も怖いとは感じなかった。通常の登山で高いところが怖いと感じないのと同じことで、ふうん、という程度だった。

落下係数2の墜落について理解が深まり、ハーケンの強度について理解が深まるほど、三つ峠は怖くなった。

今では、まっとうな理解力のある大人なクライマーは行くべきじゃないのではないか?とさえ、思うくらいだ(笑)。あんな人の多い岩はあぶない。

さて、それはともかく、後輩君には、山行管理が必要だ。

■ 難しい山岳会選び

それをどう実現するか?というと、これが悩ましい。

私の知っている良き会は、長野県に集中している。 東京方面の会は知らない。友達がぶなや、九十九にいるが、埼玉方面に住む彼とは地域が違う。

会は慎重に選ばないといけない。クライミングに特化した会に入会しないと、地域山岳会では、私が経験したように会はむしろ重荷や足かせになってしまう。

しかも、山を教わるというのは、師匠と弟子の間柄のような部分があり、双方が互いに信頼している必要があるのだ。

本人が入りたい、拘束があっても、それ以上に会に属す価値がある!と思わなくてはならない。

特に、最初は教わる側が頭を垂れる必要がある。

教えてくれる人=師匠としても人だから、間違うことはある。そうしたことがあっても、この人、あるいは、この会について行きたいと思う、そういう必要がある。

例えば、会外の相手との山行は禁止、などだ。つまり、それは、会員への責任感が強いからだ。会員を守るためのもので、決して自由を奪うためのものではない。

この点については、たとえば、自分でメンバーを募っていくとなると、実際私などは、自分が一から全部教えないといけない。本チャンに行くたび、新しいメンバーを探すとなるとその繰り返しだ。

最低一回のカンタンマルチ、最低一回のゲレンデでの登攀力のすり合わせ、が必要で、一つの山行のために、トータル3回の相手とのランデブーが必要だとなると、これは大変な負担だ。

会に属せば、こんなことはしなくて済むのだ。会内の人のスキルは、よきにしろ、あしきにしろ、分かっている、ということなので。分かっていること自体がリスクヘッジなのだ。

話が逸れたが、会というもののありがたみは、教育ではなく、山行管理に凝縮されている。

そして、山行管理というマネジメントを受け入れるには、受け入れる側の納得が必要だ。

その納得が得難いのが、今の時代の問題点だ。だから、入会適期の若い岳人がいても、山岳会には所属しない人が出てきてしまう。

すると、その人は危険と隣り合わせで、誰にも探しに来てもらえないような状態でバリエーションに行かなくてはならなくなってしまう。

■ 危ない登山者になる境目

後輩君には、私の師匠となってくれた人を2名も引き合わせた。

どちらの人も、今の彼が自己完結で行ける以上の山に連れて行ってくれた。越沢バットレス、摩利支天大滝。

彼には若さがあり、誰もが山を教えてやりたいと思うから、今はつまみ食いでも、十分に楽しいだろう。

だが、早晩、つまみ食いで事故を起こし、山が遠のいてしまう。

リードフォローやロープワークはきちんと教わらないと、あいまいなままに山行歴だけが積み重なった人は、自分だけでなく、一緒に行く人を危険に陥れてしまう。

例えば、フリークライミング歴5年と言うから安心していたら、リードではヌンチャクを引っ張って登っていた。5年に見合う理解力は持っていないようだった。

同じことで万年セカンドの人は、読図ができない。すると、沢に登れても帰れない。

ぐらぐらの立木でビレイされるほうはたまったもんじゃない。いくら賢い人でも、そうならないという保証はないのだ。

そうでない、と第三者の目が言うまでは、経験者の同行が必要なのである。




2016/07/21

ピラ9

■ ビレイヤー

湯川クラックも、小川山クラックもいけないまま、ジムの記録だけが積み重なっていくのが悲しい・・・。

とはいえ、ピラ9回目。

今日は結構楽しく登れた♪ のは、ビレイヤーが大安心の安田さんだったから。しかも、ジムが空いててラクラク。

しかし、予想外に頑張ったので、腕パンパン。週末は大丈夫だろうか。まぁレスキューだから、いいか。登るより、技術が優先だしな。

■ 今日の成果

今日は5.10Bを登った。ピラの5.10bは辛い。ベースキャンプなら、5.10bを5本くらい登れたりするのになぁ・・・(はぁ)。

今日は、しかも、登れなかったルーフ課題が登れ、感動した~ 黄色課題。

ボル壁のほうは足限定に挑戦すると、なんだか居心地悪いが、ここは辛抱どころ。

■ 今日の学び

・正対ムープを前傾壁でも使う その場合、フットホールドが次のホールドより進行側にある。

・カウンタームーブで行けるとき、というのは、フットフォールドが進行側にない。

・インサイドフラッギングをすると、足の入れ替えを減らせる

・足の入れ替え(ジプスなど)は、サイドから乗せて、そっと入れ替えるとうまいこと行く、上から重ねない

■ 課題

・同じ5.10bを登り込む スムーズに行くまで。 この課題は足ブラになりそうになり、レストポイントが少ないので、パワーが必要。

・前傾壁での正対 立ちこみ。 

絆を作りながら登る

■ 喉の痛み

今日も、イマイチ体調がすぐれない・・・(ーー;)

喉のイガイガが…。先日夫が帰宅した時に、ちょっと風邪菌の匂いがした。それで移ってしまわないかな・・・と思ったら・・・案の定。

私の風邪の経路は、夫経由だ(汗)。

ということは、夫の手洗い・うがい励行が基本的にネックなんだが・・・。起りそうにない奇跡。

■ 絆

最近、とある山の会の集まりに混ぜてもらった。

それは、控え目に言って、”とても光栄なこと”だった。

古い山の仲間たちには、絆がある。その絆の輪の中に、招き入れてもらった。

元々、山岳会とは、そうした”絆”で結ばれた人たちの集まりだったのだろう・・・。

今は、私利私欲の会、ドライな会になってしまったところが多い。 

以前、会の新年会に出た。

60年の伝統がある会だから、新年会しか出席しない古参の人がたくさんいて、長い長いテーブルの一角で、久しぶりに会う仲間が年に一回の再会を喜び合っていることが誰にも分かる様子だった。

1年目の新年会は、それを見ただけだ。現役実働部隊の先輩たちも、そのテーブルとは切り離された世界にいるようだったし、おとなしくして帰った。翌日はピーカンで山がきれいだった。

翌年、新年会は私が出たいと思っていたアイスクライミングのイベントと重なっていた。会には、アイスのパートナーがいない。・・・ので、新年会に出るよりも、今現在のパートナーを得るためにアイスフェスに出る方が自分にとって、ためになると思っていた。

とはいえ、何も言わずに新年会をすっぽかし、クライミングに行ったら、心証は良くないだろう・・・それで、アイスのパートナーゲットしに行きたい!と先輩たちに告げ、新年会の不参加を許可してもらうこととした。・・・ら、新年会に出てほしいと言う・・・それで新年会に出席することになった。アイスのパートナーゲットはお預けだった。

その新年会で、古参の会員の誰かが・・・名前も知らない・・・「君の山行報告を毎月楽しみに読んでいる」と言ってくれた。

それで、新年会に出てよかったなと感じた。会を辞めた後も、山行報告書を楽しみにしてくれた人に悪かったなと今でも思う。

でも、前がある限り、前には進まなくてはいけない。

■ 属人的絆 属集団的絆

高校の頃、文芸部の出版物を印刷するのに印刷代が必要で、寄付金集めに駆けずり回った。

「クマタカかい?じゃ、〇〇円出すよ」 そう、私の高校は地元の名門校で、高校の名前を出しただけで、寄付金を出してくれる商店街のお店は多かった。

同じことは大阪でも起り、1990年代の大阪の道具屋筋では、大学1回生の私がフライパンを買おうとすると、「おねえちゃん、外大かい。それじゃ勉強してあげる」と、大体、端数切捨てぽっきり価格にしてもらう。

外大はもともと谷町9丁目にあったので、難波や心斎橋の古くからの商店のおじさんたちは外大のことをよく知っているのだ。

大学の頃・・・私は、松和荘という長屋に住んでいた。六畳一間に三畳の、キッチンと言うには、おこがましい流しがついている。流しは水色のタイルで、風呂なしトイレは共同。家賃は3万円。豊津の商店街が立ち並ぶ下町エリアだ。

近所のスーパーの電気屋さんの裏に冷蔵庫が捨ててあったので、もらってもいいですか?と頼みに行ったら、電気屋さん曰く、「家はどこ?」。

「松和荘です」といったら、「なんだい、松和荘かい!じゃ運んであげる」 とあいなった。何も買っていない(笑)。

大阪は人情の街だ。いつもこんな感じに暮らしていた。

不思議な感じだが、単純にありがたいことだなと思っていた。伝統、先輩たちの功績、今まで積み上げてきた、なんらかの良き行為があるから、後進に良くしてくれるのだろう・・・

けれども、今回の集まりに私が混ぜてもらえるような、会の伝統は何もない。

ただ、私が”私”だから混ぜてもらったのだ。

私がクマタカ卒業生だからでも、外大卒業生だからでも、松和荘に住んでいるから、でもなく。

■ 属人的信頼

私が”私”だから信用を得たことは、これまでに2度あった。

1度目は、アメリカでベビーシッターをしていた時だ。子供が怪我をし、その応急処置が良く、医者に褒められたことで、平たく言えば、株があがり、周囲の家からシッター依頼が舞い込むようになった。時給も、当初2ドル50セント程だったのが、7ドルまで上がり、最終的にはアメリカ人並みの10ドルもらった。4倍だ。

その次は、ソフトウェア販売会社にいたときに、取引先の人から評価されたことだ。売り込んできた人たちが非常に良い内容のソフトを持ってきたのだ。実際、10年に一本あるか、ないか、というようなソフトウェアだった。

私も社運がかかっているかもと思い、かなり頑張ったのだが、社内が動かず、利益を上げる前に、IBMがそのソフトウェアを会社ごと(!)買収してしまった。残念だった。

チャンスを見抜く目があれば、先にソフトウェア導入実績を作って、大きな利益を上げることができたかもしれなかったのに。あるいは、IBMに買収されるにしても、有利なポジションを獲得できたかもしれなかったのに。

これはポシャッタ事案だが、この時に私を買ってくれたのは、社内ではなく、社外の取引先の人だった。

この時のことはとてもありがたいと思い、今でも友人関係を続けている。

人は自分を信じてくれた人を信じるようになるのかもしれない。

山は、結果よりも、いかに登るかということが大事だということは、誰もが知るところだ。

最近思うのは、誰と登るか、ということも、いかに登るか?ということと同様に大事なのかもしれないということだ。



2016/07/19

ピラ8

今日は、新しいパートナーとピラのリード壁へ。ちょっと初デート?でドキドキ・・・。

課題はゆとりが出ていた。

しかし、背が高いとかなり得だということは分かる・・・。

今日は自分の課題に集中するより、ロープワークの確認を行った。

まずは、終了点の結び替え。そして、ビレイヤーの自己脱出。

リード壁はトータル8本なので、まぁいいか。手の皮がお亡くなりになったので、お終い。

マムートスマートを使おうとしてみたら、使いづらかった(汗) 

特に繰り出しが繰り出しにくくて、途中でギブアップ。ロープが毛羽立っていて、ちょっとフリクションが悪そうだったのもあるかもしれないが・・・。

明日は外岩に行きたいのだが・・・ 小川山のクラックを触りたいなー。

2016/07/18

レスキュー

■ レスキュー

週末は、小川山へ後輩のO君と登りに行くはずだったのだが、残念ながら、朝からザーザー雨だった・・・。

しかたなく、この日は座学の日。どっさりロープワークの本を持って行った。

彼と会うのは久しぶりで、彼はクライミング1年生。しかし、若いのですぐに追いつかれそう。

本来はこの日は、若手の会にいた頃に読図に興味があるという人がいたために、O君と引き合わせる目的もあって、引き合わせ役でもいいなと思っていた。そういう山には、学習も兼ねた、体力的にはあまり困難がない読図山行程度が最適だが、何しろ季節が悪く、今の時期低山は不快であるし、また私はこの会は嫌がらせもあって辞めてしまったので、O君のことだけを考えれば良いのだし、では、小川山でも行ってゲレンデで互いのスキルのすり合わせでもするのが良かった。

最近、世話になっている先輩というか平日パートナーに、O君と週末小川山に行く、と言うと、じゃ一緒に行ってあげる~、ということで、1泊二日小川山クライミング♪となる予定だったが、雨で、結局レスキュー講習となってしまった。

日曜は東ときん岩を偵察に行く予定だったのに、結局、搬送訓練をしていたら、夕方になってしまった。

教えてくれるパートナーは、講師歴30年で、講習回数150回なのだそうで、日ごろはクライミングでお楽しみ、というのが定番の過ごし方だが、今回はひと肌脱いでくれた。

申し訳ないな~、

■ 山には順番がある

まぁ、一緒にアルパインにしろ、沢にしろ、行くためには、レスキューの共有は必要である。

と言っても、初対面同士で、いきなりすごい山に行くことはないので、一回目の沢で、いきなりレスキューが要るっていう状況に陥ることは、通常、行き先をきちんと判断していて行けば、起ることはないはずだ。

その起こるはずがないことが起こるのが、昨今の世の中で、山には順番があるのに、最近の人は順番をすっ飛ばして行ってしまう。

中級の沢に、全くの初心者を連れて行ってしまい、滑落し、骨折。滑落者の救助に向かって、二次災害で落石により死亡、という事例を聞いたことがあるが、これも、行くべきでない人を連れて行ってしまったことが、最初の事故のきっかけとなっている。

山には順番がある、ということは、昔は先輩に「君の技術では、まだまだだよ」などと、諭されて、自然と長い時間を掛けて理解していったようなのだが、今の時代は、そうしたフォローは、期待できなくなっている。

人間関係が薄く平板になってきてしまっているのだ。

今、山に向かう人は、昔そうだった人よりも、より自律的・自立的な対応が求められ、あくまで自分で考えて、選ぶしかない。

それはかなり知的に敷居が高いことではないだろうか・・・。ベテランの知己を得て、その知恵を借りることができる立場にないと、山行を組み立てて、経験値を増やしていくことは、非常に難しくなっている。

■ 感謝

・・・というわけで、久しぶりの後輩とのクライミングに期待していたのだが・・・あの5月の岩トレから成長したかな~という訳で・・・。

クライミングできなくて、ちょっぴり残念だった。

知人の家は、別荘地にあるため、びっくりするくらい涼しかった。甲府は、今日も夏日で、暑い。暑いのは、東京も同じだそうだ。

去年もレスキュー講習に出かけ、そこで知り合った人と本番に行くことができた。

今年は、自前でレスキューを共有することになり、レベルアップなのかな?

どちらにしても、レスキューが共有できるということは、本番への道が開けるということだから、歓迎すべきだ。

私一人では、講習会を開催することはできないので、開催させてくれる協力者がいるということ自体が、ものすごく奇跡的なことではある。

感謝して受け取りたい。

2016/07/15

ピラ7

■ ピラ

今日は、またピラニアへ・・・なんだか晴れないので、ジムしか行くところがない。

今日は、5.10Aの核心部が、2撃で超えれ、なんとか。一回目は足の位置失敗。

クロスムーブが核心部なのだが、足が少し遠くて、リーチが一回目は出ず、失敗。次は、成功した。

そこで落ちたら、振られて壁に当たると思っていたのだが、どうもビレイヤーのお兄さんに言わせると違うらしく、大丈夫だと言われた。

・・・そうかな? というのでやってみたら行けた。

・・・が、やっぱり私にはビレイヤーが持っている安心感が重要なんだと理解した。

年輩の人のビレイだと、なぜか安心して良く登れる。このジムだと、安田さんのビレイだと良く登れる。

下の人にそんなにこだわりがあっても、いけない気がするが・・・ジムなんだし・・・、でも、そうなんだから、仕方ないなー。

■ 前回のピラ

前回は、軽く腕を張らせる程度したんだっけ?よく覚えていないが・・・とりあえず、前回も2時間くらいで帰ってきたのだった。

インドアはもう飽きたので、アウトドアへ行きたい・・・

インドアってどうして、すぐ飽きるんだろうなぁ。

■ リソール

とはいえ、今回靴をリソールに出した。一番気に入っている、スカルパのフォース、37半。

これが履けないとなると、外岩はつらいな~。