■ 尽くすというコミュニケーション
私は、無意識で、
・できるほうがやればいい
・気になるほうがやればいい
・ゆとりがあるほうがやればいい
という信念を持っていました。これは、人格を作る際、おすすめの戦略ではありません。
なぜなら、自分が優れる、人より秀でる、ということに対して、ブレーキとして働くからです。裏を返せば
・できる人はより多く負担せねばならない
・気になる人は、より多く負担せねばならない
・ゆとりがあれば、常に助けねばならない
となるからです。より多く負担しなくてはならないなら、優れたくない、という気持ちになるでしょう。
また、他人に厳しくなる、ということも副作用で起こります。
■ なぜ、この信念ができたか?
「おねえちゃんでしょ」に対する知的合理化、です。
子供のころ、私は、なんとか、「おねえちゃんでしょ」を飲み込まねばならない立場におり、なおかつうちは母子家庭なので、ありのままの現実、という意味でも、合理的に見て、私が最も問題解決者にふさわしかったのです。
親がいない家に、8歳、6歳、4歳しかいないとき、ご飯を作るのは8歳で、食べるのは6歳と4歳になるのは自然の成り行き…。
しかし、普通は、子供はその家庭から逃れれば、そのような役割からも逃れられるのですが、私の場合は最悪で、学校でも10年以上、級長&生徒会&キャプテン等…、生徒会では県の連盟まで仕事がありました。つまり、役割から降りれない、ということです。
その上、母が、「ディスコクイーンになっちゃったの★」と言うような性格なので… 夜中に帰ってこない母を、心配でハラハラとしている娘=親役…という…(汗)。 私の、
子供らしさ、
は、子供時代に、どこでも育つ機会がなかったのでした。
それで、クライミングで育てました。山梨時代です。楽しかった☆
■ 相手の要求がエスカレートしたら要注意
子供時代に、母は私への要求がエスカレートしました。
私はスーパーウーマン路線で家事を一身に担いつつ、学業トップを維持しており、「玄関の靴が並んでいない」にはそうかな?と思って並べるようにしましたが、さすがに「リビングのモノの配置が昨日と同じだ」と言われてビンタを張られたときには、これは違うと思いました。私の中には、本で仕入れた準拠枠ができていたからです。
おねえちゃんだから他者を助けなくてはいけないというビリーフは、大学で学生寮に住んで、一番年下になり、先輩がいっぱいかわいがってくれたことで外れました。
九州のクライミングでは、クライミング界からの要求が、一般クライマー、まだ入門が終わった程度のクライマーである私に対する要求が、高すぎました。
庵メンバーが私に向かって、「なんでどのボルトが適切か教えてくれないんですか?!」とシャウトするんですよ?
長老、なのは、あなたであって、どう考えても、クライミングを43でスタートした歴数年の私、ではないですよね??
これがどうもクライミング界では分からないようで、過剰な期待をしたうえで、それを私が満たせないと、平たく言えば、九州クライミング連絡会のFBグループを私が管理したがらないと逆ギレして、私をグループから追い出しました。その後、新しくグループが作られましたが、仲間外れ状態です。大人げない、とはこのことですが…。これも私が作った現実なのです。
https://youtube.com/shorts/YB133bIloJc?si=YKSkTRVZlDRO6Yi4
人を使った自己肯定、というのがある人たちです。
■ 健全な男女の感覚
20代の初めに、渡米で、私の中には
健全な夫婦関係への準拠枠
ができました。初めてできた恋人はアメリカ人のデイビッドだったからです。
しかし、夫と結婚し、私が職業を持ち、夫以上の稼ぎを持っている間は、うまく行っていました。
しかし、夫の仕事の転勤で、私の収入が抑圧され、さらに自分を生かす場である趣味のクライミングやヨガの指導者という役割も奪われると?夫はまるで赤子のようになりました。
家のことは私にとって大した負担ではないので、自宅で勉強しながら家事をこなすことは大した負担ではない、と思い、それを担ってしまったからです。そこには
できるほうがやればいい
がありました。しかし、私が肉離れ、膝の亜脱臼、アキレス腱断裂と、
深刻なケガで家事すらできない私(ピンチ)
になっても夫は、僕のごはんまだ?です。それだけでなく、パッシブアグレッシブで攻撃してきています。理由は自分が養っているから…。
このモンスターは、どこかで見覚えがある。母、妹、祖母、です。
尽くせば、相手はモンスター化するのです。
■ 相手はモンスター化する
クライミングの師匠の青ちゃんも、韓国で駄々っ子になり、私をコントロールしようとするあまり、捨てる!捨てる!と言うようになりました。捨てられて困るのは、私ではなく、自分のほうなのに…です。
もう一人のクライミングの相方も、セカンドの私にしりぬぐいしてもらった登攀を、”俺、登れた♪”と判定してしまうダメ男に…。
これは、私が男女限らず
ダメ人間製造装置
化しているってことです。
私は、自分の”ゆとり”や”頑張り”のパワーを、
人を良くする方向、人を助ける方向、に向けたい、とずっと願ってきたにも関わらず、全部裏目に出ている
のです。それは、尽くすことが善、という行動様式に落とし込まれてしまったからです。
■ ”尽くす行動”の裏面交流
これは、交流分析によると、「私が代わりにしておいてあげるよ」には、
「あなたにはできないから」
という裏面交流があるためです。
私の意図としては、「私がしておいてあげるよ」には、「今だけね」とか、「人は欠点があっても許されるもの、ダメでも許されるもの」というメッセージを込めたつもりでしたが、そうは受け取られていなかったってことです。
問題は恒常化です。一時のかたがわりなら良いのですが、人というのは、一度得た安定的な楽な立場を返上するのは難しいのです。
その上、九州に帰ってくると、妻(女)が夫(男)に尽くすべきという社会規範が主なので、楽な対場が社会によって強化されてしまいます。
そのため、男に女が尽くすは、正常ではない、と社会に向かって、シャウトしないといけない羽目に… 男尊女卑だけでなく、クライマー界にある、わざと危険なことをやって粋がって見せる文化にも、通じるところがあり、ここ5年シャウト中でした。
■ 私は別に上級クライマーではありません
優れることで、相手を依存状態にしてしまう、というのは要注意です。
そんなことになるくらいなら、優秀さは要らない。
優秀である、ということは、基本、ほとんど否めず、何にもしなくても、にじみ出ます…。クライミング歴3年で一人でラオスや台湾へ登りに行きました。それだけで私の基準がどこにあるか?は伝わります。
それが伝わると、それだけでも、おこぼれをもらいたいという依存者が集まります。
その上、相手に必要以上に親切だと?もうお子様化決定です。相手は自ら学ぼうとせず、すべてを教えてもらって当然だと考えるようになります。
村上先生がそんな教え方したか?吉田さんがそんな教え方したか?清高さんがそんな教え方したか?全部NOです。
誤解なきよう言えば、私は肉体的に登攀能力が優れているわけではないです。
単に先が読める、から、このままでは、死に一直線と分かるだけです。
つまり、先が読めて自分が危険にさらされているのが自覚できるにもかかわらず、上級クライマーではないので、チーム内で意思決定権はない。自分の運命が人の手にある。
ある意味子供時代と同じです。くどいようですが、私は上級クライマーではありません。当然ですが。
しかし、その辺の男性一般クライマーよりは、頭2個分くらい賢いです。そんなの仕方ないでしょう、大学を見てください。成績優秀者のトップ10人を集めれば、7人まで女性です。
さて、私は、自分が危険にさらされているのにもかかわらず、事態をコントロールするけんりはあたえられていない。不平等な条約のまま、その立場を誰からも理解されていない。
その状況を誰にも分ってもらえず、鬱病になりました。大体、私は、怒りを相手ではなく、自分に向けがちだからです。
これがこの5年の九州暮らしで起こったことです。
しかし…私は今カウンセラーになりたいので、このこと…尽くさない対等のコミュニケーションを伝えることこそが、私の生きる道なのではないか?とうすうす感じています。