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2024/03/18

【水泳】嫉妬の社会学=クライミングの社会学

■今日の水泳

今日は、振替で月曜に水泳。

金づちだったが、めちゃ上手になったので、いつも3番目を泳いでいるが、今日は、1,2番の人がいなかったので、一番で泳ぐことになった。

ほとんどドリルなので、競争ではなく、先生たちは別にスピードは問題にしていない。

むしろ問題にしているのは、生徒の側で、嫉妬のまなざしはやはり、感じる。

80代の女性ですら、30歳も年下の、金づちの女性が自分よりも、泳げるようになると嫉妬を感じるのだから、男性なら、どれほどの強い嫉妬を感じることだろう…

■ 横並び日本はアメリカの有利に働く

しかし、このような嫉妬を持つのは、日本人特有だなと思う。

ラオスに行ったとき、私と同じ程度を登れるのは、20代の男子でも普通に始めたばかりの人で、別にそれが恥ずかしいことでも何でもない…。

もう6Aは全部登り終わったから、6Bへ…とか誰でもやっていることで、ちょうどよく相手がいたら、ラッキーと組むだけの気軽な関係だ。そこには年齢差別もなく、性差別もない。

グレードと個人の価値が、強固なつながりを持つ日本。つまり、登れない俺には価値がない。登れなくなったら俺はクライマーとして価値がなくなってしまう…という恐怖。

このまま年を取れば登れなくなってしまい、誰からも価値を認められなくなってしまうのではないか?

そこにあるのは強い洗脳。

給料の額と個人の価値が、強固なつながりを持つ日本。

家のサイズと個人の価値。

金玉のサイズと個人の価値。

そんな風に男性たちは洗脳されており、それは一体、結局は誰を利してきたのか?

■ ラウンドアップ、牛肉、オレンジ…

アメリカの巨大な在庫処分市場になっている日本… 

息子よ、母さんをバカにした隣の家の鼻をあかしておくれ…と親のプライドをかけた戦いに巻き込まれる子供たちが、死ぬまで働いて、結局のところ、誰の懐を豊かにしてきたのか…というと?

DS。

皆の血と汗と涙は、ロスチャイルド家その他の少数の家庭にすっかり搾取される世界構造になっている…。

皆さんも、戦後史を少しかいつまむと分かりますよ。

それもこれも、みなが己の自己承認欲求を満たすのに忙しく、”世界の金の流れ”を勉強する時間すら取れないからだ…とは…。

嫉妬を利用する=競争社会を作る=テレビとセックスと消費で明け暮れる国民を作れば御しやすい、ということを思いついたアメリカが一枚上手だったということなんでしょうかね?

さしづめクライミングに置き換えれば、コンペと浮気とクライミングブランドで高い消耗品を購入すること…に明け暮れるクライマーを作れば御しやすい、になるかなぁ…

後世の歴史家は現代の日本をどういう時代と位置付けるのだろうか?

いや、日本は3000年の歴史を今後の50年続けることができるのだろうか?

2023/10/17

【ルサンチマン対策】Ninja5.14a 3便と30便?

■若者と老人

5.12が登れる=男性の一般的能力

というのは、昔も今も変わっていないんだなぁ~と思いますが、現代だとジムがあるからでしょうか?

若者は、Ninjya5.14 a は、3便みたいです。

小西大介、NINJA 5.14aを3トライで完登

  https://www.climbing-net.com/news/ninja_201126/

年配の人で、同じNinjaを30便で登った人がいるそうです。すごーい!

■ 俺の時代にはジムなんてなかったぞ!というルサンチマン?

さて、ルサンチマン、男性の嫉妬と言う問題ですが… 要するに

 なにぃ?3日だとぉ?俺の時代には、クライミングジムなんてなかったぞ?俺だって若いときにジムさえあれば…

な感情なのでしょうかね? その辺は、私は女性で全く理解不能なエリアですが…

年齢を行った人が30便でNinjya5.14aを登ったこともすごいので、その人もロクスノが取り上げてあげたらいいんではないですかね?

例えば、その30便の人と3便の若い人がお話会するとか…。

■ 登れるか?登れないか?ではなく、どれだけ短い期間で登れるか?の戦い

シュテファン・グロヴァッツ、吉田和正、千葉隆、原田亮介、平嶋元、兼原慶太、菊地亨、日野雅之、渡辺海人、橋本正寿、京屋仁、佐藤裕介、横山勝丘、平山ユージ、山本大貴に続く第16登。

前の山本さんは、15トライ。今回の小西さんは3トライ。おじいちゃんクライマーは30トライ。

 15→3

と、どんどん、短くなっているっていうのがポイントです。

■ マスターズ枠創設?

でも、高齢で、5.14もすごいので、

 マスターズ枠みたいな価値基準を高齢者のために作ってあげたらいいんでは?

65歳以上、みたいな…。障碍者のクライミング枠ありますよね。年齢だって、ある意味ハンデですよね。

■ アプローチもオンサイト必要?

気になったのが…11月21日アプローチで3時間以上も迷いのところです。

記録にこんな風に書かれるということは、

 とりあえず岩場まで行って、課題の在りかを確認してこよー

ってのは、オンサイトをみすみす逃す、みたいなことになるんでしょうか?

誰かにアプローチを聞いて言ったり、連れて行ってもらったら、フラッシュになるってこと?

そういう価値観になると、フリークライミングの人たちも一発で目的の課題にたどり着けるよう、読図能力などを磨こう、と思うのかもしれません。

まぁ、岩場って地形が読めても、全然役に立たないことが多いですけど…。

私はアプローチの時間まで入れる記録の良しあしの基準に入れるのは、良い考えのように思います。

それに、海外に行くのに、誰かに連れて行ってもらお~というのと、自分で行くことの違いも出てくるのは…?

■ オールドクライマーお断りしました…

実は、年配の方がおひとり訪ねていらしたんですが…一緒に見晴らし岩へ行こう!と言う話になっていましたが、お断りしました…。

というのは、ちょっとロープの話をしたら…

私は、相方が35mと25mのピッチをつないでしまった後で、「やっぱロープは60だね~」と言ったので、「え?!足し算もできないのか?!」と思ったという話をしたかったのですが、年配の方、曰く、「俺たちは40mだから問題にならない」と言ったんですよね…。

なんかポイントが違う…っていうか…。

40mロープは、60や70よりより優れたロープって意味にはならない。

別に長いロープが優れているわけではないですが、50が標準になってすでに20年くらい経っています。

そういえば、前穂北尾根に行ったとき、先輩が40mの11ミリで、なぜ私の軽量シングルを使わないのか謎だったんだよなぁ。あの時は確保器持っていたけど、入らず、懸垂下降はカラビナ懸垂になったんだった…。

余談ですが、普通のフリーの人はカラビナで懸垂する方法は教わっていないことが多いです。それどころか、懸垂下降自体ができない人が多い。

■ 古いギアが優れていることはほとんどない

そういえば、以前、一緒に登っていた方で、棒フレンズの方いたっけなぁ…。

しかし、同じころ、私が慕っていた御坂の先輩は、棒フレンズもキャメロットも持っていましたが、不要の棒フレンズを誰かにあげようにも、今の時代、棒フレンズをもらってくれる奇特な若い人はいない…と嘆いていました。

たぶん、ギアが古いほうが、より上、と言う価値観も、

 リスクをわざと上乗せするほうが上、

というアルパインクライミング?エイドクライミング?を端緒とする価値観なのではないでしょうか?

 ナッツ>棒フレンズ>現代のカム

の順で、すごい!みたいな…。

でも、私が知る限りですが、トシゾーさんとか、現代のアルパインをやっている人でも、わざと古いギアを選ぶなんてことはしていないと思います。普通にギアにはお金をかけていると思う。というか良いギアが出たら教えてくれると思う。

昔の不自由なギアで登ってきた人はすごいし、大変だったろうなぁと、同情しますが…。

例えばストレートシャフトのアイスアックスだとスラブだって登りにくいし、ハングならなおさらです。

しかし、今のアイスクライマーで、ストレートシャフトやセミチューブの人はいないです。買おうと思ったところで売っていない(笑)。棒フレンズも同じですよね。

すでに市場から淘汰されている。

■ リスクの酌量感覚が大いに違うかもしれない

ギアの問題よりなにより、問題は、岩場での常識を何と思うか?の差です。

見晴らし岩は、一応フリーの岩場なので、普通のリードが前提の岩場です。ただ終了点へ歩いてたどり着けるので、トップロープ限定で登ることが可能。

しかし、米澤先生の岩場なんで、めちゃボルト遠いうえ、グレードは辛辛で、5.10cでも、まともなクライマーで登れた人見たことありません。リードするのに背が高いことは必須条件です。

以前の相方は5.12登っていたけど、真ん中へんの5.10bで落ちてしまいましたし…。それも登りだしてすぐ。

つまり、ビレイ技術へのニーズは、シビアです…。(盲点1)

そんなに簡単に登れる岩場ではないんですよね。そこを”俺でも登れそう”、とその年配の方が評価したので、たぶん、無理と思いました。なんせ年に1回しか登らない方だそうだったので、それだと、たぶん5.9も登れないです。見晴らし岩の5.9はフリークライミングの5.9で、アルパインで出てくる5.9ではないです。

(そう、同じグレードでも二つ種類があるんですよ。インスボンで教わりました。フリーの5.9のほうが難しいです。アルパインの5.9はリスクはあるけど、簡単です)

しかも、アルパイン出身なら、トップロープで登ることを潔しとしないかもしれない。

となると、ゲストではなくホストの私がリード担当で登ることになるかもしれず、現在私の足首はアキレス腱断裂後の病み上がりです。普通はトップロープで取りつくのが穏当です。

私がリードに追い込まれるとなると、ビレイヤーは年配の方。年配の方のビレイは、ほぼ100%壁から遠く、墜落をキャッチする経験値がない場合が多い… です。

つまり、私にとってリスク120%。これは比叡で起きたパターンです。

■ 盲点 2 コールが違う

さらに、アルパイン出身の人だと、終了点でのコールの仕方が違うことがあります。

フリーのクライマーは、ローワーダウンの声掛けをする前に、いきなり全体重を預けます。まぁビレイされているのが当然なので、いいのですが、アルパインの人だと、終了点で何か言ったりする。

リードフォロー(マルチのコール)と日ごろゲレンデクライミング主体の人では、コールの掛け方について常識が違い、それが事故の原因につながったりします。

例えば、以前、後輩のO君に、別のクライマーが登っているビレイ中に、ローワーダウンですっぽ抜けの危険を予測したので、「ロープの末端結んで!」と言ったら、彼、自分のハーネスにエイトノットでアンザイレンしたんですよね…(笑)

私は単純にこのままだとローワーダウンですっぽ抜けそうなので、今ビレイで手が離せないから、ストッパーノットを結んでくれ、と言っただけなのですが…。

ペツルの解説 https://www.alteria.co.jp/sport/rope_too_short/

これは、かわいい事件ですが、「セルフ取りました」と終了点で言ったときに、「解除して!」って意味にとる人もいます。そうなると、ビレイ解除してしまったロープに「テンショーン」とコールすることになります。もちろん、私は、反対側のロープを持った状態でしか、テンションコールはしないように、教わったんですが…。

相手はどうか分からない。

こうしたすでに経験がある問題点よりも、見つかっていない盲点になるコミュニケーション由来のミスが起こる可能性が高い… 年配の人だと、自分が絶対的に正しいという気持ちが強い人が多いので、怒り出すことがあります…。こんなこともお前は知らねえのか、と言ったりします。しかし、それをすり合わせよう…と言う意識がないことが多い。

その上、月曜…岩場には誰もいない…

いくらゲレンデでも、下界まで、遠く、怪我が起こる確率も今回は高い…初心者だったら、絶対に私のいうことしか聞かないのでむしろ安全です。

…という考察が走馬灯のように私の脳裏を流れ、これは

 もう一人誰かクライマーがいないと、私一人ではリスクを負いきれない、

と思いました。なんせ、岸良で肉離れしたときは、他に地元山岳会のクライマーが2名もいたのに、病院に行くことができなかったんですから。

まぁ、その方はたぶん、ちゃんとしている方なので、あと一人福岡のクライマーがいたら紹介したらいいような感じの、私にはもったいない人でしたが…。

なにせ、平出さんがその方にヒマラヤの様子をききに相談に来たそうなので、福岡でヒマラヤ方面のクライマーがいたら、知り合いになっておけばよかったのかもしれません。

しかし、私が接待クライミングするには、病み上がりで荷が重すぎました。

米澤さんの岩場なんで、見晴らし岩は、見かけより難しいんですよね…

という思考が私の中を駆け巡りました…

結局のところ、私は、確実にフリークライミングを志向中なんだなぁ… と思いました。

なんか自分が客観視できてよかったです。



2023/09/23

【心理学】往年の開拓クライマーが自分の課題のリボルト(再整備)で直面することになる痛み

 ■ 変化(再整備)を拒んでしまう原因

ーーーーーーーーーーー 

1)【復讐できなくなる痛み】(復讐と被害者のポジション取り)

「あなたのせいでどんなに苦しんだかを、自分を不幸のままにすることで見せつけてやりたい。いつか謝らせたい。」という痛みです。自分が不幸な被害者でい続けることで、親や自分を傷つけた相手に復讐しようとする人もいます。

2)【自分と向き合う痛み】

・「自分とまともに向き合ったりしたら、耐えがたいほど恐ろしいものが出てくるのではないか。」という痛み

・長い間、自分の感情を見ないようにして生き延びてきた

3)【反抗エネルギーを手放す痛み】

これは、「見返してやる!今に見ていろよ!という怒りをエネルギーにがんばってきた。それを手放せば、もうがんばれなくなるのではないか。」という痛みです。

4)反面教師

親などを「反面教師」にして、「私は親のようにはならない」と生きてきた人は多い。また、何かやだれかを「敵」にして「私はあんな奴みたいにはならない。」「アイツらは、私とは違う人種だ」と叩いたり、蔑んだり、排除しようとしている人ほど、実はその「敵」と同じ部分を自分の心の中に飼っていることも多いものです。 敵や反面教師にしてきた存在を赦してしまうと、自分も同じ人種になり下がる」という痛みが出て来て、自己受容や統合にブレーキをかけてしまう

5)不公平さへの痛み】

「私はこんなに苦しんでいるのに、私を苦しめたアイツは今も何食わぬ顔して生きているのが許せない!」という恨みや不公平感を長い間かかえて生きて来た人もいます。「なぜ自分が変わらないといけないの!そんなの不公平だ!」

6)【過去を否定する痛み】

これは、「これまでの苦しみが無意味だったことにしたくない。本当はもっと幸せに生きられたはずだなんて、そんな風に思うのはつらい。」という痛みです。

これまで「これこそが私の生き方だ!」と強い気持ちで生きてきた人ほど、それが今、皮肉にも生きづらさや心身の症状の原因になり、人生を阻害しているという事実に直面するのは、ほんとうに耐え難いと感じるのです。 

7)【アイデンティティを手放す痛み】

これは、「苦しめられる被害者や愛されない自分というアイデンティティにしがみつくことで、これまで心配してもらえたり、プライドを保ったり、構ってもらえていたのに、それを手放すのは耐えがたい。」という痛みです。 

8)【救世主願望をあきらめる痛み】

「いつの日にか救世主が現れて、私の人生を100%変えてくれるという望みをあきらめるのは耐えがたい。」という痛みです。

100%願いをかなえ、自分を気持ちよくしてくれる「完璧なお母さん」を求めて子ども返りし、無力な自分のまま依存的な生き方を続けてしまう人もいます。

そうした人が、精神的な大人へと成熟する過程で直面することになりやすい痛みです。

ーーーーーーーーーー

以上、南ユウタさんのメマガより引用。

■ 往年の開拓クライマーが自分の課題のリボルト(再整備)で直面することになる痛み

は何だろうか?というので、思い当たるのが赤字にしてみました。

1)自分と向き合う痛み

 現代のボルトは、カットアンカーではなく、グージョンですよ。それを20年以上知らなかったという事実に向き合うのがつらいのかもしれない…。

2)反抗エネルギー

九州人のそこぢからを見せてやる!→ 5.10cに5.9をつける、みたいな?

3)反面教師

東さんみたいになってしまったら終わりだ!みたいな? なんか九州のクライマーの中には、適正ボルトで知られる東さん蔑視の差別意識がありますよねぇ?

4)不公平感

俺らは怖いボルトで何とかやってきたのに、若い人が自分たちと同じ恐怖体験を経ずに登ることを純粋に楽しめる環境になってしまうことが許せない

5)過去を否定する痛み

ホントは40mランナウトは怖かったんですよね‥ だから、成果として自慢になってきた
わけで…。それを手放すのがつらい。過去の栄光を手放したくない。

しかし、年を取ればだれでも怖くなってくるもので、本音は自分もランナウト辞めたいが、栄光がそこにあるので、それも言えない。

6)アイデンティティを手放す痛み

自分の課題に過度の自己の投影がある。有名課題ではなくても、課題自体がアイデンティティになっているので、手を入れられることに耐えられない。

7)救世主願望

いつか、自分のアイデンティティを脅かさず、心から自分を理解してくれると思える後進が現れてきて、開拓者としての自分を立てつつ、岩場を整備し、課題を保存してくれる人が出ると思っている。(しかし、それはこの20年起こっていない。)

しかも、その救世主を得るのに、何人にも到達不可能な課題を与えて、無意識に救世主を拒否している。


というようなことかなと思います。なので、よりよい方向へ行くためには、

 開拓者自身が人間として成長すること

が必要ですね。年を取ると人は頑固になる、の反対へ行くということです。

このことの悲しい点は、すごく頑固な人は、死を待たれるということになってしまうってことです。

開拓クライマーの障害克服については、沖縄のBoが成功事例を持っています。



2023/09/22

【心理学】クライマーコミュニティのルサンチマンを治療する

■ ルサンチマン = 嫉妬

どうも、登山やクライミングって、”男性性”の発露、的な面があるらしく、男性に人気があるのは、登れた!ということが、自分の男性性に強烈な肯定感をもたらしてくれるからのようです。だから、突破力のクライミングであるボルダーが大人気なわけです。

しかし…

かつては、会のエースで、「リードはお前に任せた!」と言われたような人も、年を取れば、次々に格下なのに、自分より登れる奴、が出てきます。(九州では出てきていないという別の問題があるが。それは別件)

そうなると、”皆のために俺が…”という特攻隊気分でリードしていた人は、気が付いていないで、自尊心が肥大しているので、別に何をしたわけでなくても、

 自己愛の傷つき

を体験することになります。

■ 自己愛の傷つきを癒すことは公共の善

往年のクライマーは、そこでジタバタする人と、そうではなく、現在の自分を受け入れることにする人と2手に別れます。

ジタバタ派は、たぶん、八ヶ岳の入門バリエーションに一升瓶持っていき、結果、凍傷者3名…みたいな、傍から見たら、意味不明の行動をとります。

あるいは、自分よりも登山歴が明らかに浅い人に向かって、「なんで、どのボルトを使うべきなのか教えてくれないの!」となじるとか…。開拓者名リストに載っているのは、あなたの名前であって、私の名前ではないですよねぇ?なんで私に聞くの?

さて、世間はこのような事情ですので、そうなると、自己愛が傷ついている人を癒すのは、

 公共の善

です。クライミング界全体の福祉です。

■ 自尊心が傷つきやすい人への処方箋 【自己愛の傷の癒し方】


自己愛性パーソナリティ障害には、顕示型と非顕示型があり、顕示型の例は、三島由紀夫。取り巻きがいないと、レストランに入れなかったそうです。

治療は3種類。

1)ハインツ・コフート 自己心理学
2)マスターソンアプローチ
3)ウィルフレッド・ビオン コンティニング
4)関係性心理学 ツーパーソンサイコロジー

やるべきこと             vs   起こったこと
・ロジャースの共感や傾聴では良くならない。→ 傾聴・寄り添い、頑張ってしまった…
・自己受容の練習を行う  → 当時は方法論を知らなかった
・その人の”お気に入り”になってはいけない → なってしまった
・「可愛くないけど、害もない」と思われるのが良い →「可愛いから許す」と言われるようになってしまった…
・プライドを傷つけると、倍返しにされる → ただクライミングが上達しただけなので倍返しされる意味が分からなかった

(今気が付いたが、こういう人は、相手がクライミングが上達する度に、無意識で嫌がらせっぽいことをする…例、朝、起こしてくれないと文句を言う…ケガをした相手を引きづり回す…ので、たまりかねた相手が去っていくことになり、その去っていった相手に対して、「こんなに良くしてやったのに今時の若いもんは…」と文句を言うという繰り返しのルーティンになっているだろう…)

■ 自己愛の傷つき経験

自己愛性パーソナリティ障害の人は、老いを経験する前から、

 等身大の自分が受け入れられない

みたいなんですよね。老いを経験し始めると、老いそのものが恐怖体験になってしまうかもしれません。

実は、自己愛性パーソナリティ障害の人って、最も精神科から縁遠いというか、めちゃ自信過剰ですので、世間的にみて間違ったことをしていても、まったく意に介しません。

例えば、明らかに韓国人の入国申請ラインなので、こっちが外国人ラインですよ、と教えても、意志を曲げない、みたいな、明らかに子供みたいなことが起こります。

その様子は、二子山でのクライマー間の訴訟、係争による、往年のクライマーらの行動とそっくりです…。

■ マチズモの傷つき=自己愛の傷つき

マチズモ=自己愛、になってしまうのは、日本では、男であることが価値、みたいな時代が長く続いたからです。

男に価値があるのではなく、人間はすべからく全員価値があります。

サバージュ・ババージュの件にしても、実際に守っているのは、
 
 マチズモ

であり、リーチの短い者を排除することによって、間接的に、女性や子供を排除している、という指摘は的を得ています。昔は30代男性が主役でしたが、今では老若男女登時代。時代は変わったのです…。

例えば、日本のアイスクライミングでは女子のほうが世界ランキング、高ランキングなんですよ? 

まぁ、こんなことを知ると、さらに男性性による自己愛が傷ついてしまうかもしれませんが…。

”今が受け入れられない”、というのが症状で、原因が精神疾患、ということです。

■ 今が受け入れらないという症状

何としても、俺様(自分はすごいんだ=自己愛)である証拠としての岩場の課題に、しがみつこうとするということは、もはや現代では、根拠の希薄になってしまった、開拓者権限を盾に、周囲の迷惑もかえりみらず、俺のルートに手を入れるなんぞ許さん!と主張する、という固執行為です。

普通の人の感性でみれば、ただ見苦しいだけ。でも、精神疾患があるとそれが分からないんですよね。

それが、世界の名作であるような有名課題であっても、開拓者が世界的に超有名な人であっても、現代では、ボルト位置修正されているんですよ?(例:Ninjya)

なら、無名の人の開拓した課題で、安全とは言えない位置にボルトがあれば、それに修正依頼が来るのは、名誉の否定ではなく、ただの事務手続き、です。

クライミング界における社会問題みたいになっていますが、たぶん、精神病理、と言う面で説明がつく現象だと思います。

■ カサンドラ症候群


もっと、深刻なのは、このような主張があるおかげで

 周囲の人がカサンドラ症候群に陥る

ことです。

というのは、ADHDにしても、自己愛性パーソナリティ障害にしても、本当にその人と親しくならないと、この意味不明な混乱感は、パブリックには伝わらないからです。

例えば、

  集合時間を間違う→「なんで朝起こしてくれないんだ!」と責められる

とか。俺はリーダーだ!と威張っている人が、「朝、俺を起こしてよ」って言うことの明らかな矛盾などに全く気が付かないみたいなんですよね…。

同じことで、山岳会も、「当会は、60年の歴史がある会で、当会を知らない人はモグリです」と言っている会が、どのボルトを使ったらいいのでしょうか?とか、こそこそボルトを抜きました、とか、動くものに道標をつけてこれで良し!とか、全くの矛盾した行動です。その威信?に見合う行為をしておらず、自慢になるどころか、恥と言っていい行為です。地に落ちたことを、わざわざ自己宣伝するなんぞ…。

しっかし、そのことが分からないみたいなんですよね… 

ということは? 精神的な病の現象ですね…。

ADHDなどの発達障害は、現代では診断が発達して、子供で診断されることは少なくないです。しかし、昔は、ちょっとくらいの異常は、なぁなぁで通っており、そのプロセスで障害を理解されず、その結果、社会に出て普通を要求されて、普通のことができず、自己愛が深く傷つき、自己愛性パーソナリティ障害になってしまった人は多そうです。そういう人が集まっている率が高いのが、登山やクライミングなんですよね。

本人が、もう70代などであれば、放置が適切な処置かと思いますが、問題は、

 後世の周りの人への二次被害

です。

■ 周りの者は、カサンドラになる

標的にされた側は、カサンドラ症候群ということに陥ります。

これは、他にクライミング仲間がいても、その人のお気に入りになってしまった人には起こります。他の仲間からは、起こっているおかしなことが見えない、です。

例えば、私の師匠は、インスボンで私は膝が脱臼して登れない、と訴えているのに、ステミングがメインムーブのワイドに連れて行き、それをおかしな行為だとは思っていなかった上、登れないとお断りすると、腹を立て、ホテルからいなくなりました(笑)。これ、倍返しって技ですよね?腹を立てるべきなのがどっちなのか?と言えば、明らかでしょう…

同様に、岸良でも、肉離れの怪我をして、立つのも、やっとこさだと何度も訴えているのに、連れまわされ、医者にかかったの3日後。こっちは老いが引き起こしたことのように結論していますが…。

こんなひどい目にあっても、

 そのパートナーを選んだお前が悪い、自己責任だ

と言われるのが、クライマー業界なんですよ。

ボルト欠損ではなく、欠損した岩が外れて5m下に落ちた、など、当然自己責任でしょう…。

なんせ、当代のトップアルパインクライマーは、みんな岩をたたきながら登っているんですよ?

フリークライミングに来たら、みんな岩が欠けないのが当然のように、信じ切って登っていますが、ただの平和ボケでしょう。

クライミングとは知れば知るほど、リスクが分かって怖くなるものです。ダイジョーブ~とか言っている人は、そう言える程度の山しかやっていないだけです。

高難度になればなるほど、安全性が高まるというのが、フリークライミングの作り、なので、フリーのグレードでその人のリスク管理能力は測れるか?というと逆相関な感じです。

■ 診断

診断は、精神科医に行けば付きます。

しかし、カサンドラのほうは、診断がつきづらいうえ、うつ病を引き起こした場合、その治癒には長い時間がかかります。

なので、小鹿野の件で心配してあげたほうが良いのは、虚偽の事実で、訴えられた側のほうです。

うつになる可能性大です。

訴えた側のほうは、なんせ自分を顧みるって能力自体が欠けている場合が多い(自己愛性パーソナリティ障害の特徴)なので、どんなに周りが間違っていると教えても、そもそも理解自体ができず、単にせいせいしていることでしょう。

ケアが必要なのは、そういう障碍者の標的になってしまった側のほうです。

最近の若い人は思考力が低下しているうえ、情報弱者のまんまの姿であるので、新聞うのみ、で、結局、若い人本人に不利になる選択肢を正義だ!と思ってしまいがちです。

マスメディアも嘘を平気でつきます。

ホント、上も下も、思考力の低下で日本社会は大変なことになっていますが…日本だけの問題かと思っていたら、海外でも同じようでした(汗)。ATC持ってこないクライマーってねぇ…