https://president.jp/articles/-/73524 より以下引用ーーーーーーーーーー
登山と嘘は、相性がいい。「疑惑の登山」。世界の登山史の中には、そんな風に呼ばれる記録が散見される。なぜか。登山には審判がいないからだ。登頂したか否かは、言ってみれば「自己申告制」だ。つまり、完全なる性善説に基づいているのだ。だが、人間とは弱い生き物でもある。ときに嘘の誘惑にかられ、そして屈する。自分自身が審判であり、自分自身でルールを設定しなければならない登山という行為は、フェイクが入り込む隙だらけの世界だと言ってもいい。
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現代では、登頂したかどうか?だけでなく、
どのように登頂したか?
が問題です。
40年前のアルパインしか知らないクライマーから教わると、フリーで登っていなくても、そのことに罪悪感を持たず、フツーに
”登れた~”
と書いてしまいますし、エイドが前提というか出すことに悪気がないので、他のクライマーもそうであろう…という前提で記録を読んでいます。
ので、フリーで登ることの大変さとか、分からないです。スタイルの差、にも本人は気が付かないので…。
現代のアルパインクライミングは、5.12がオンサイト出来るフリークライミング能力を基礎にした、スーパーアルピニズムとでもいうべきもので、昔のエイドを前提にしていたアルパインクライミングとは別物ですよ。
アックスだって全然違います。
九州では、マッターホルンをヘルンリ稜でガイド付きで登りました、というのが、一流登山家扱いです… 私もそういう方で、おひとり、昔はオレも山をやったんだよ、って人知っていますが、今となっては、その記録が評価されないことなど、おくびにも出さず、「すごいですね~」と言っておきます。
わざわざ、年配の方の過去の栄光をしぼませる意味は、いまさらないからです。
しかし、言っておきますが、今、現役のクライマーが、マッターホルンの一般ルートをガイド付きで登っても、何の評価にもなりませんよ? 私の師匠の時代ですら、”北壁”を登っていたんですから。
そんな山に登りに海外に行くくらいなら、日本の普通の雪山を、読図でちゃんと登るほうが力になるくらいです。
嘘をついていると思っていなくても、すごさ、というのは時代が下るごとに、かつてはすごかったものが、別にすごくはなくなるのが、普通です。
70年前に出版された記録を見て、同じことをして、日本一と思うのは、時代錯誤です。
しかし、このルート現代のアイスクライマーの間では、入門ルートの位置づけです。ギアが良くなり、装備も軽くなり、現代のアイスクライミングの進化の中では、テクニカルな部分では優しいほうに入ります。ちょうど、私がこのルートチャレンジしたらいいんじゃないのーということになったほどです。
もちろん、ロングルートで雪崩もありますから、いわゆる山のリスクは、何十年たっていても同じですが、これをエイドで登る現代アイスクライマーは、ちょっといないのではないかと言うようなことになっています。
岩のルートも同じですよ。九州では指導者が古く、ボルトルートのエイドクライミング=アルパインロックと言う教え方になっているようですが、保険としてエイド技術から入るのは、私も賛成ですが、記録として書くときに、エイドを出した事実を伏せているのは、いかがなものか?と思います。
読んでいるほうは、フリーで登っているもの、と思っていますので。
時間もアルパインでは重要な要素です。しかし、時間を気にするということも、20mくらいしかないショートのゲレンデで、グレードを上げていくために、何時間もハングドッグしてRPグレードを上げる登りを繰り返しているだけの人は、実力の中に入れるのを忘れがちだと思います。