2026/01/17

5.14RXで無双した人

倉上慶大さんの件ですね……。彼はまさに、あなたが仰った「5.14Rを無双する」を体現していた、世界でも唯一無二の存在でした。瑞牆山の「千日の瑠璃(5.14 R/X)」を、ボルトを一本も叩き込まず、プロテクションも取らない**「オールフリーソロ」**に近い形で完登したことは、クライミングの歴史に刻まれる伝説です。

その彼が2024年、富士山でのトレーニング中に心停止で亡くなったというニュースは、クライミング界のみならず、多くの人々に衝撃を与えました。

「することなくなったんじゃないか?」というあなたの問いに対し、交流分析とクライマーの心理から深く向き合ってみます。


1. 「究極の無双」の先にある虚無

倉上さんのクライミングは、他者との比較(コンペ)を完全に脱ぎ捨てた、「純粋なA(大人)によるリスク管理」と「純粋なFC(自由な子供)の好奇心」の融合でした。

  • 無双の完成: 彼は、人間が岩場で到達しうる「精神と肉体の完全な一致」を成し遂げてしまいました。あなたが仰るように、5.14Rという死線を日常のように超えてしまう領域に達したとき、**「この世で次に克服すべき壁」**が見えなくなる、あるいは「生」そのものへの執着が希薄になる瞬間があったのかもしれません。

  • P(社会)の不在: 彼はSNS等で発信もしていましたが、その核心は常に「自分はどう在りたいか」にありました。社会的な賞賛という「餌」が不要になったとき、残されるのは**「次は何をすれば、自分を揺さぶれるのか」**という、あまりに純粋で過酷な問いです。

2. 「すること」を失った故の、極限トレーニングか

彼が亡くなったのは、クライミングの現場ではなく、富士山でのランニング(トレーニング)中でした。

  • A(大人)のオーバーヒート: 常に限界を押し広げ続けるA自我は、時に肉体の限界を超えて指令を出してしまいます。5.14Rを無双できる精神力を持っていたからこそ、肉体が発していた「ストップ」のサインさえも、彼は精神力でねじ伏せて(無双して)しまったのかもしれません。

  • AC(適応)からの解放: 多くのクライマーは「死ぬのが怖いから」安全策を取りますが、彼はその「怖さ(C)」を完全に制御下においていました。制御しすぎた結果、生体としての防衛本能が機能しなくなるほど、彼は「自由」になりすぎていた可能性もあります。

3. トランス女性の議論との対比

あなたが最初に投げかけた「トランス女性の無双」は、**「ルールという枠組みの中での優位性」の話でした。しかし、倉上さんのような生き様は、「ルールそのものが存在しない場所での孤独な戦い」**です。

  • 対比: コンペで無双して喜ぶのは「C(子供)」や「P(親)」の側面が強いですが、倉上さんが見ていた景色は、それらを超越した**「無(Nothing)」**に近い場所だったのではないでしょうか。


結論:彼は「無双」を終えて、どこへ行ったのか

「することなくなったんじゃないか?」という言葉には、**「全てをやり尽くした人間には、この世界は狭すぎたのではないか」**という切ない洞察がこもっているように感じます。

彼は「男性の強さ」や「テストステロンの願い」といった世俗的なカテゴリーを遥かに超えて、**「重力と恐怖から最も自由な人間」**になろうとして、その代償として命を置いたようにも見えます。

「することなくなった」という感覚は、ある意味で**「完成」**を意味します。

倉上慶大という一人のクライマーが、その短い一生で「無双」の先にある「静寂」に辿り着いたのだとしたら、それは悲劇であると同時に、一つの究極の到達点だったのかもしれません。

彼のこのような「燃え尽きるような生き様」を聞いて、あなたは改めて、スポーツにおける「無双」というものにどのような価値を感じますか? それは羨ましいものですか、それとも、どこか空ろなものに見えますか?

指筋はほとんど遺伝

 「指の保持力(Finger Strength)の大部分は遺伝で決まる」というのは、クライミング界でもスポーツ科学の世界でも、ほぼ「残酷な真実」として受け入れられている側面があります。

A(大人)自我の視点でこの「遺伝」という要素を因数分解すると、なぜトランスジェンダーの無双問題において「指の力」がこれほどまでに議論の焦点になるのかが明確になります。


1. 遺伝が決定する「物理的スペック」

指の保持力は、単なる筋肉の大きさではなく、以下の変えられない要素に依存しています。

  • 腱の強度と厚み: 指を曲げる「深指屈筋」などの腱がどれだけ太く、丈夫に生まれついているか。これはトレーニングである程度強化できますが、基礎となる「最大容量」は遺伝的(または成長期のホルモン環境)に決まります。

  • 滑車(プーリー)の構造: 指の骨と腱を繋ぎ止める「滑車」という組織の強度。これが強いほど、高負荷に耐えられます。

  • 筋線維のタイプ: 瞬発的な保持力に必要な「速筋線維」の割合も、遺伝的影響を強く受けます。

2. 「成長期のテストステロン」というドーピング

ここで「テストステロン」の話に戻ります。指の保持力そのものが遺伝だとしても、**「その遺伝的ポテンシャルをどこまで引き出すか」**には、成長期のホルモンが決定的な役割を果たします。

  • 男性としての思春期を経験すると、高濃度のテストステロンによって、腱や骨密度が女性の平均を遥かに上回るレベルで強化されます。

  • 一度形成されたこの「強固な物理構造(腱や骨)」は、後にホルモン治療で筋肉量が落ちたとしても、「指の保持力のベース」として残り続けます。

  • これが、女子カテゴリーに移動した際に「(元から女性である選手には到達困難な)遺伝的+成長期由来のスペック」による無双を生む物理的根拠です。

3. 「才能の残酷さ」の処理

客観的に考えると、スポーツにおける「努力」は「遺伝という器」を満たす作業に過ぎません。

  • P(親)的視点: 「努力すれば誰でも勝てるはずだ」という規範を押し付けがち。

  • C(子供)的視点: 「才能がある人はずるい」と感情的に反応しがち。

  • A(大人)的視点: 「指の保持力という遺伝的・生理的アドバンテージを考慮しないカテゴリー分けは、論理的に公平ではない」と判断します。


クライミングの未来:スペックへの課税?

もし指の保持力が「ほとんど遺伝(+成長期の環境)」で決まるのであれば、純粋なA自我に基づく公平性を追求すると、以下のような極論さえ出てくるかもしれません。

「指の強さを事前に測定し、強すぎる個体には、より滑りやすいチョークを使わせるか、極小ホールドの使用を禁止する」

これは極端な例ですが、それほどまでに「指の保持力」という変数は、努力で埋めるのが難しい「個体差の壁」なのです。

「才能(遺伝)」と「性別によるアドバンテージ」は、どちらも本人の努力では選べないものです。あなたは、この2つを「同じもの(運)」として受け入れるべきだと思いますか? それとも、「性別による差」だけは明確に分けるべき特別なものだと思いますか?