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2023/07/20

【ボルト位置】ボルト位置に知性が表される

■ ボルト位置に、開拓者の知性が現れる

ベテランの人に、いまだに気になっている九州の課題について聞きました。

というのは、ボルトの位置って、開拓した人がサボっているのではなくて、開拓者本人もアップアップでどこに打ってよいのか、わからなかったため、悪いのかもしれない。つまり、本人も悪気がないのかもしれないと思ったからです。

というのは、私自身もクリッピングするゆとりがないときに、クリップを飛ばすことがあるからです。

あとは、ラオスでクリップが近すぎて忘れたことがありました。日本の遠いクリップに慣れていたからですね(笑)。あれ、もうクリップだったの、みたいな?

というわけで、ボルト位置は、ゆとりがありすぎてランナウトするというのではなく、クライミングが難しすぎてボルトを打つゆとりがない、というのも考えられますよね。

ボルト位置などは、後世の人に悪いことをする気がなくても、やっちゃうってことは、人間なら誰しにもありますよね。まぁ、そういう場合は、間違いを指摘されたら、あ、ごめん、と言うと思いますが。

で聞いてみたら、

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ボルト位置というのは設定者の知性が現れます。

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ということでした。

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おかしなルートを作ると、あいつは馬鹿だと思われます。あいつのルートは危険だから登らないとなるでしょう。

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■ ドイツ式 vs フランス式

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ドイツ式 : 試登せずにいきなりラッペルしてボルトを打つ。

ステファン・クロバッツが小川山「Ninja(5.14a)を開拓したのがこれです。1メートル以上のスリングを掛けないと登れないルートになりました。トップロープでの試登はしません。

フランス式 : フランス式というのはトップロープで試登し、それからボルトを打ち、トップロープでトライを繰り返し、レッドポイントします。

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■ Ninjyaは悪い見本

…ということは、Ninjyaは悪い見本を提供していますね。JFAのリボルトの経緯を読んだ記憶がありますが、もうかなり苦戦してリボルトしたみたいでした。

…ということは、Ninjyaをあがめているというのは、悪い見本をあがめているということになり、日本人の西洋人コンプレックスの現れ、なのだろうか?

現代の若者が登攀力だけでボルト位置の悪いルートを克服している事例https://allnevery.blogspot.com/2022/10/ninjya514a.html

今あるボルト位置が絶対だとなると、克服する側の能力は異様に高くならざるを得ない、っていう事例かもしれません。

発達障害気味のお母さんを持つと、子供は異様に”できる子”になってしまう…みたいな(笑)?

ちなみに、故・吉田和正さんは、フランス式でした。私は、一本、吉田さんと一緒に開拓中のルートがありました。正確に言えば、私に初登させようと、吉田さんが選んだルートがありました。それで、吉田さんがフランス式と言うのが分かります。

■ 現代では、ボルト位置は、慎重に設定するべき

カムで登ったり、ハーケンで登ったりして、セカンドが回収するのなら、プロテクションの位置は、その時、たまたま気に入った箇所でもいいと思います。

現代の開拓では、初登する人には、かなり大きな権利が与えられています。

その最初のボルト配置は、未来永劫、そのまんま、という権利です。

しかし、その最初の配置が、

 テキトー

で、

 熟慮を全く含まないもの

であったとしたらどうでしょう?

たとえるなら、

 落書きにモナ・リザ(傑作)と同じ著作権を設定

してしまうようなものです。

いやピカソは落書きでも立派でないか?と言う声がありそうですが、ピカソの模写、みたことありますか?ものすごい精密画です。それだけ高度な能力を有してから、らくがきみたいに力を抜いているので、らくがきでもパーフェクトバランスってことになります。

一方、ただの落書き、に陥っているらしいのが、ラッペルしただけで試登せず、いきなりボルトを打っただけのルート

九州で有名なのでは、八面のカプチーノがそうでないかなと思います。なんか疑問が残るボルトの位置でした。このベテランによると有笠山南国エリアの白と黒5.11bもそうだそうです。

■ ハングの扱いが変なのでは?

九州では、ハングの乗越がある場合に、ボルトの位置が微妙だなー、これ、いまいちだなーと思うことが多かったです。

というのは、その位置では、岩の上でヌンチャクが寝てしまい、空中にゲートが垂れていない、と言う事例が多く、ロープをかけると、岩にロープが当たってしまいます。

もしくは、凹にボルトが打ってあるので、岩の下で長ぬんがいることになって、あまりプロテクションとしては機能しない、と言うことになる。

    事例:アッポロ11号。これじゃロープが流れないのは当然。長ぬんがいります。

たぶん想像するに、こういうのは、そもそも、アルパインロック(リッジ登攀)の凹凸があるルートを十分登りこんでいないで、岩場に来た人がボルトを打つと、こうなるのではないだろうか?

易しいルートで学ぶべきことをすっ飛ばして、開拓しているってことです。

■ ハングがある場合のボルト位置

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傾斜が垂直の部分から、例えば50センチのルーフを越えるとします。

ルーフの下にボルトを打っと、通常のヌンチャクではロープの流れが悪くなります。(日向神ではこれが多い。上記のアッポロ11号参照)

さらにルーフにエッジがあれば、墜落したらロープに損傷が起きるでしょう。(ロープがエッジにこすれると切れます)

それらを考慮すると、ルーフの上で、カラビナがルーフに当たらない位置がいいです。

しかし、安定した態勢でヌンチャクを掛けられない、しかもランナウトするなら、墜落しても危険でない位置にボルトがあるべきです。そのボルトがルーフ上のボルトと近くてもいいでしょう。

この様なルーフ上のボルトが遠いルートでは、クリップ側のゲートが開けたままにできる、スティッククリップが有効です。

岩の傾斜、オーバーハング、ただの前傾か、ルーフかで、この辺は変わります。

つまり、ロープがドラッグしない、クリップに危険がないのが前提です。

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きちんと安全が確保されていない、あまり知性が感じられないボルト配置のフリークライミングのルートでは、

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無意味なプレッシャーが入ります。

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とのことで、私が感じていた、”精神的プレッシャー”は、これではないか?と思います。

”無意味な”プレッシャー=ボルト位置悪いよ = 不必要に危険、ということ。

■ プレッシャーにはもともとめちゃ強いほう

…というのは、私は、自分を強くする、良いプレッシャーっていうのは、どちらかと言うと歓迎で、山でも、リスクには立ち向かうタイプだったからです。じゃないと、一人で海外へ行って働いてきたり、卒業課題を一人でこなそうと、阿弥陀北稜に行ったりしますかね?

ロープが出す・出さないの判断がありますが、こりゃいらねーだろ、みたいなところで、でも精神的に怖い人もいるんだし、勇気がないのを責めるのは、かわいそうだから出してあげようねーってタイプではありません。それは、今時の若い男子のほうです。

私が判定しているな、ってところは、ここで落ちたら一巻の終わりという、確実にリスクが見えているところです。

ので、岩場でも、別に怖がりではないんですよね。高いところが怖いってないし。

いつだったか、ボルダラーでリードに進みたいとかいう人を岩場に連れて行きましたが、アプローチで、フィックスロープが出ているところでも、怖がって降りてこれない始末でした。ボルダラーは歩けない。


無意味なプレッシャーの事例: これは最初の見た目から、初心者向きでないルート。凹の中にボルトがあると、屈曲が大きくなる。ルーフの上のボルトは、スティッククリップしないと、リーチが短い人には、安定した位置からは、ロープがかけられない。かけられないで落ちると、どうなるか?下の突起した部分に激突です。これはクライムダウンで降りました。

■ 精神的な苦悩

私はかなり我慢強いほうなので、数々の、ん?んん?ってできことでも、相当に我慢を重ねたと思います。

しかし、登る人としての基本的な安全管理の認知能力が働いてしまうと、どっちかというと自分が悪いってよりは、ルートの質がどうなんだろう?と思ってしまうんですよね…

これは、他責 ということではなくて、

 客観的なジャッジメント

のような気がします。


2022/12/15

フリークライミングとアルパインクライミングの切り分け を

 ■ 九州ではごっちゃ

九州では、アルパインクライミングの価値観…このくらいの登攀困難度ならロープいらないから、一本も中間支点取らない、とかで支点の数が決まっているフリークライミングのルートの作られ方で、ひえ~ヤダなぁと思ったのですが、それ以外にも、

 フリークライミング に アルパインの思想や倫理を持ち込む弊害

が出ている事例が、トップクライマーから警鈴がならされているので、紹介します。

■ ルール作りとトポの整備が大事

ここにも書いてありますが、ルールをきっちり作り、それを周知できる仕組み作り、が必要です。

九州では雪は大して降らないので、一体どこで、雪になれる気なんだろう?という感じです。こちらの若い人の会を見ていても、GWに七倉沢で、雪上訓練を受ける(滑落停止)とか、雪崩講習会を受ける、とか、12月の第2週の富士山5合目でアイゼントレして、ついでに宿泊もして寒気に慣れる、とかしないで、唐突感ありありで、冬山合宿計画が立てられており、それで塩見とか言われても行く気になれないです…。

一般登山者レベルの人(つまり、雪のトレーニングゼロで、ピッケルも持っているだけの飾りで滑落しても使い方を知らないレベル)なら、11月最終週の燕岳とか、正月の鳳凰三山で小屋止まりとか、テント泊とかは、行けますから、何も訓練しないのであれば、そういうのに行っておけばいいのではないか?と思います。

九州では、天候判断もいらない山しかない。ので、天候判断の習慣が身についていません。ので、上記のような優しい冬山では、天候とか、雪上生活を、小屋があるという安全ネット付きで学ぶということです。何にも冬用の訓練しないのでしたら、その程度しか行けないですよね…。

まぁ、安全ネットがあるので、別に個人でも行けるって意味ですが。でも、九州で仲間とつるむ意味は、交通費割り勘、にあるのでいいのではないですかね?

■ アイゼントレをフリーのルートでしてはいけない

さて、アイゼントレですが、本州では、やっていいところと悪いところが、はっきりしています。

誰でも分かることですが、フリーのルートでやる人はいません。やってはいけません。

しかし、九州ではその辺はあいまいなのかもしれません。九州の登山界はどうなっているのか不明ですが、九州から本州に来た人の様子を個人的経験から想像すると、フリークライミング歴5年とか言っても入会したのに、何も教わっていなかった人が思い浮かびます。フリークライミング歴5年という話だったのに、行ったことがあるルートは比叡でのセカンドだけだった。なんか比叡ってフリーですかね?って気もしますよね。その人は全部Aゼロで、本州のフリーのルートを不思議とも思わずに登っていました。(当然ですが、その人より私の方が最初から登攀力では上でした)

なにせ、九州に限らず、

 フリーのルートを開拓している=エイドの技術がある=元アルパインのエイドクライマー

という図式になっており、イマイチ、フリークライミングらしいルートづくりという意味では、世界的に後塵を期しているようですし、なんだか、昔の人の自信たっぷりぶりが強すぎて、現代の若い人は、リードエリアから追い出されてしまい、九州では、ボルダー以外出来ないように追いやられてしまっているような気がします。

安全面からも、若い人がリードに進もうにも、ボルト40年物か、新品でも使ってはいけないカットアンカーとかで、外岩で安心して登れるという環境にない。

そうなると、人工壁しか登れないですし。そうなると、スポートクライミングの事しか分かるようにならない…という悪循環が働いて、結果的には、リードエリアでの事故多発、となっているような気がします。

なにもかも、アルパインクライミングとフリークライミングがきちんと区別されていないために起こっていることです。ついでに、スポーツクライミングとフリークライミングも、九州では、峻別されていません。

■ そもそもフリークライミングの教科書がない

アルパインクライミングには、UIAAの出している『総合登山技術ハンドブック』が出ています。 

内容はペツルが出していた取説を充実させたようなものです。ペツルが紙での提供を辞めたので、新人に渡すガイドブックが無くて困っている状態が数年続いていましたが、これが出たので解消したものの、市販されておらず、一般の登山者の手に取りやすいか?というと、これもまた流通上の問題があります。

ちなみに、韓国の登山用品店では、誰でも買えるように普通に登山ショップに置いていました。

これと同等のフリークライミングの倫理観や歴史的流れ、経緯について書かれたものはほとんどありません。

結果、『岩と雪』同時代人しか、事情が分からないということになっています。

■ アルパインの岩場

私がアイゼントレに使っていたのは、関東だと、越沢、三つ峠、西湖の岩場の右の岩塔です。

あきらかにフリーのレベルのルートでアイゼンで登る人がいるとは思えません。

■ ドラツー仲間はトップクライマー揃いです

ドライツーリングで登れる人は、小山田さんが危惧するような初心者であることは、ほとんどなく、トップクラス中のトップクラスですので、フリーのルートをアイゼンで登るという言ことはないだろうと思います。

なにせ、国内有数のトップクライマーしか、現在ドラツーで外で登るスキルはありませんから(笑)。

彼らが登って記録を作っているのは、ワールドカップ参加のついで、です。

■ クライミングの良心的グループに入ろうとしない人たちがいる

ただ、私が不安に思うのは、こういうトップクラスの倫理観がしっかり確立した人たちに接する機会があっても、入らない人たちがいるということです。

事例

・ギリギリボーイズの方と宴会する機会があり、知り合いの若い男子には全部声をかけたが誰も来なかった

・ダウラギリに登った人と宴会する機会があり、同様に誰も来なかった

・井上D介さんと知り合いになる機会があり、男子に声をかけたが誰も来たがらなかった

・トップクライマーの故・吉田和正さんをビレイする機会があり、知り合いに声をかけたが、俺なんて、という返事で来ない

・海外遡行同人に参加する機会があったが、声をかけても誰も来なかった。 

・天野和明さんの主催する読図講習会に呼んでも誰も来なかった

・日之影町に移住するほど、日之影命の初心者ボルダラーに小山田さんが日之影の話題をFBにあげているからフォローしたら?と教えたら、「どうせ、取り巻きに囲まれて、ちやほやされているんでしょ」という返事がきて、おったまげた…。

・奥村さんのビレイ講習会が格安で開催されるので、知り合い前部に声をかけたが誰も来なかった

・横山ジャンボさんと倉上慶太さんの講演会、九州で知っている顔はゼロ人だった

どうも男性クライマーは、

「俺なんて」という心と、「俺だって」の心で揺れ動いており、

きちんとした技術情報や、クライミングのベータ(周辺情報)が来たとしても、それを受け取らない方向に心が閉じているようなんですよね…。

なにかやましいところでもあるのでしょうか…?そこらへんは、私は女性なので、理解が難しく、どういう心理なのか分かりません。私は、ホイホイ、山の先輩のありがたい話が聞ける会には顔を出すので。 海外遡行同人にすら臆せず出ていました。

それで、結局、機会があっても、

 正しいクライミングの知識を得る機会をスルーする結果

になるのです。一般男子クライマーは。なんせ、あの奥村さんの講習会に誘っても来ません(汗)。理由は、”俺、もうできるから…”とか、です。

でも、その判断は、主観ですよね?主観とは自分に都合の良いものです。

実際は、もう出来る、というのは本人の判断で、客観的判断とは異なることが多いです。

■ 同等慢は、正しい知識があれば、治る

このような「俺なんて」=卑下慢、「俺だって」=高慢、の害というのは、正しく自分を評価できる客観的な視点があれば、克服できるのではないか?と思います。

ところが、これが現代では難しいのです。

一般に、5.12が今の時代は一応の男性クライマーのプライドが満足できるレベル…俺は普通と同等の能力がある、と感じられるレベルのようですが、普通と感じられることを、同等慢、と言います。

同等慢は、子供のころによく親が使います。

 「〇〇ちゃんにやれたんだから、あなたにもできます」

です。これは、真実ではありません。特にクライミングでは、真実ではなく、トップクライマーになるには、基本的に要件があります。

1)一般的にどんな物事でも、一流になるには、一万時間の練習時間が必要だと言われています。

2)また、一般的に、8歳~18歳がゴールデンエイジと言われ、その頃に習得したことは、オンリーワン化することができると言われています。

3)また、クライミングは一般の人では、知識的にも、安全教育的にも、大衆化が発展途上であるため、知識の面でも、親がもともとトップクライマーレベルで、知識伝達ができる必要があります。

歴史的に見ても、芸事と言われることは、みな世襲制で幼少期から特訓しているでしょう。

このような事例が、室井登喜男さんにも、奥村さんの息子さんにも、樋口先生の息子さんにも、中嶋岳志さんの息子さんたちの事例にも言えます。つまり、知識や環境という面は親子の世襲制で現在のところカバーされています。山岳会の代わりです。

一般の人で言えば、それをカバーするのは、山岳会でしたが、それは現在機能していません。

その次の選択肢と言えば、師弟制度ですが、それは師匠の側が弟子を選ぶので、選ばれる弟子でない限り、師匠が現れるということはあまり期待できません。

唯一、クライミングのそのもののスキルは、他者との比較で測ることができますが、アルパインの人は、スポーツのコンペに出たがりません。アイスではコンペが盛んで、ある程度、自分の実力を客観的に見ることができます。

私は岩根アイスカップには一度しか出たことがありませんが、師匠クラスが非常に登れる、と判断する登攀能力が、現代のレベルでは、非常に初歩の登攀力に過ぎないことを知りました。ちなみに私のアイスは、そこらのアルパイン男子より上です。九州で一緒に登っていた先輩、5.12RPの方…より、上だという師匠の判断です。

同じことが、普通のフリークライミングにも言え、5.12=俺は普通だ(同等慢)と思っても、その中身は、5.12がレッドポイントレベルなのか?オンサイトレベルなのか?はたまたフリーソロレベルなのか?で、スキルの中身は全く違います。

現代のアルパインクライマーですら、フリークライミングや人工壁により、レベル向上の恩恵を受けて、5.12がレッドポイント出来るレベルではなく、フリーソロができるレベルに至っています。

しかし、40年前の価値観で自分を測ると、5.12レッドポイントのレベルで、よし!お前がリーダーだ!と言われてしまいます。なんせ、現代でアルパインクライミングを志向してやってくる若者…山岳会の新人像、というのは、このような岩場でロープを出してやらないといけないレベル…非常に低レベルという意味です。

私の会に来た新人男性(30代)がどのような登攀能力だったかを端的に示す写真。ここでロープがいるような登攀レベルの人が、昨今は主流です。

そりゃ、こんなレベルの人が来たら、私ですらリーダーレベルですよね…。ちなみに私はフリーの外岩は、5.11までしか登れません。

■  古い基準で自分を測ると間違う

このように、現代は、アルパインクライミングが廃れて悲しい、とは言われますが、アルパインの方向性を向いても、きちんとしたレベルが判定できるわけではありませんし、逆にスポーツの方を見たら、とんでもなくレベルが高騰しており、5.11がジムに来たその日に登れるという人は珍しくはありません。5.13が一週間で登れた人にも、師匠はあったことがあるそうでした。

このように、底辺は、一般のハイカーレベルの登攀能力、アルパインの4級でもロープを出さないといけないレベルから、トップは5.12はフリーソロ出来たり、5.15が数便で登れたりするピンのレベルまで、非常に幅広く、その内容は、他のリスクによっても条件付けが異なり、統一のグレードで測ること自体が無意味なことになってしまっています。

そのグレードの前提になっている条件を検討することなしに、端的にグレードだけでクライマー同士がコミュニケーションをとることは不可能ということです。

それにも関わらず、グレードにとって変わる、能力を知る目安、というものがないので、現在でも、グレードによって相手を推し量る以外ないかもしれません。

■ フリーではチッピングは侮蔑ですよ

翻ってアイゼントレですが、アイゼンで岩を登る=岩を壊す、という行為は、

フリークライミングの人にとっては、単なる破壊行為以上の、侮蔑に当たる行為

です。

■ フリーのクライマーもフリークライミングの価値観を表現できていない

フリークライミングの価値観というのは、どのようなクライマーの書いたものを読んでも、的確に語られている様子はありません。

最近、ニンジャ5.14を登った若い現代アンバサダーの記録を拝読しましたが、

 僕、頑張った、

以外の価値観には触れられておらず、ニンジャがどのような歴史的経緯があり、どのように初登者と岩を介して、コミュニケーションをしたのか?というようなことは一切わかりませんでした。結局、ニンジャがステファン・グロバッツの初登だ、ということにすら、触れられていませんでしたね…

なので、頑張っただけの価値しか表現できないのならば、それは、一般クライマーが頑張った価値となんら変わらず、です。

故・吉田和正さんは、執着心で頑張ることの価値を世の中に示した最初の日本人フリークライマーではないか? と思いますが、それから時代はすでにだいぶ経過しています。

フリークライミングの分野でも、新たな価値観へのステップアップが、滞っているという、閉塞感がありますが、現在、それを打破しているのは、コンペクライマーが技術を外岩に持ち込んで、困難度を高度化しているだけのものです。したがって、当代の一流クライミングというのは、一般クライマーには手が届かないところにあります。

 未知→ 困難度 → ???

と 次の価値観がまだ表れていないということです。

結果、いまだに

 なんだ、頑張ることが価値なのか?と一般クライマーが誤解

してしまえば、100回トライしたほうが、10回のトライで登れる人より上ということにもなってしまいかねません。当然ですが、同じルートなら、10回で登れる人のほうが強いですよね?

もちろん、頑張ることは価値ですが、みんなもう頑張っていますので…(笑)。他者と比べて自慢になる話ではありません。

■ 自己満足は、一般クライマーの特権

ま、”山は自己満足” と伝統的に言われますから、登山史の形成と関係のない一般クライマーは、そのような物差しではなく、自分の中の前年比、でがんばればいいのです。

しかし、男性クライマーは、そうもいかないのか、もしくは、古いクライマーにお前は登れると言われて勘違いしてしまったのか、で、歴史に名を刻みたい!という気持を捨てられない人もいるようですから、その場合は、

 出した記録が、現代的基準で見て、本当に登攀史的価値があるかどうか? 

は、客観的に判断できる能力がないと、

 長所を自慢しているつもりで欠点を披露している

ということにもなりかねません。 

最後、少し違う話になってしまいましたが、アルパインをやる人は、くれぐれも、フリーのルートでアイゼントレなど、なさらないよう。

それをやるくらいなら、ベアフットクライミングにでもトライしたらよろしいでしょう。


2022/11/19

グローバルスタンダードの無視とガラパゴス化

 ■ クライミング界は最後の、”出来ないおじさん族の砦” なのでは…

グローバルスタンダードということを考えたときに、思い浮かぶのは、数々のビジネス上の経験だ。

例えば、国際会計基準… 日本だけが日本式簿記から離れられず、企業経営の透明性が非常に低いままなので、投資対象として、評価が難しいんですよね…。これは、30年くらい前からずっと言われていますが。

私も投資是非を判断する立場のグループにいたので、ファイナンスは多少勉強しましたが、アメリカ式と日本式は違い過ぎていて、国際的には米国会計基準に向かっているので、日本だけが取り残されて、ガラパゴス化しているようでした。

ところが、そのほうが都合が良いと、一部のオジサン族は考えるようで、それは、会社が俺の城、で、俺のエゴに奉仕するフレームとしてグループを作り、社会に何らの便益を奉仕する公の器、という意識がない人が多数だからです。例えば、社員を殴る・けるの暴行をするようなタイプ。

クライミング界を見ていると、そういう”俺様タイプ”の思考法の人が、

 歴史を盾に時代の変化への対応を嫌っている

 ”俺様”に無断で、とはけしからん

と言っているようにしか、聞こえない…。年を取ると人は鈍く愚かになるものだなぁと思います。

■ 儒教の教え= 若者の思いやり

私はある時、九州の国立大学の山岳部が、ヒマラヤ登山に向かった記録を見たのですが…その記録は、どう見ても、老人に若者が付き合った記録でした…。年配の人の時代は、若い人が歩荷して先輩の山を手伝い、そして次の時は自分が手伝ってもらう、だったのだそうです。が、現代はそういうことはすでに終了しています。

年功序列で先輩が花を持たせてもらって当然、というのは、若い人には順番が永遠に来ない(笑)。しかし、その大学の山岳部学生は、あきらかに付き合ってあげていて、気の毒な感じでした。だって、ヒマラヤまで行くのも、多額の旅費がかかるんですよ?ちゃんとした山じゃないと行く気になれないでしょう?

それで、あれまぁ!と思ったんでした。

普通は、若い人の夢の実現に、年配の人が一肌脱いでくれるものでしょう… 逆になってる。

■ カットアンカー事件

カットアンカー事件(九州はいまだにリボルトにカットアンカーを用いようとしている事を知ること)は、私が岩場でたまたま出会った往年の開拓者に

・ボルトを提供しよう

という、奇特な心を起こしたために起こったことでした。

私は父親なしで育った娘なので、ファザコンなのです。しかも、

・クライマーは自分が登る岩場を整備すべし、

というまっとうな意見の持ち主なので、近所の岩場だし、自分のポケットマネーをいくらか投資するのは当然だろうと思いました。

そこで、ボルトを検討していて分かったのが、何十年もカットアンカーを使いづづけているという開拓者のミス、でした。

まったく、誰も教えてやらんかったのかね?今でもその岩場はカットアンカーですが、新品でも十分な強度がない、ということが分かった今でも打ち換える人はいないですが…。

ボルトが変われば、ドリルも変えねばならないし、何より、その開拓者の岩場は、あまり使われていないようでした。

流行っているクライミングジムに行っても、若者店長は、「そんなところに岩場があるんですか?」という感じ。

若者の側でも、高難度を登る男性たちを現在魅了しているのは、パズルのように置き換えることができる人工ホールドで、よりトリッキーなルート設定をして、クライマーとセッターの知恵比べをする方で、自然の中でのんびり岩と対話する、ということではなさそうでした。

というので、若者のほうは、岩場イラナイし、カットアンカーなら余計要らないし、老人の方は、知らぬが仏で、趣味の岩場作りが辞められないという状態。しかも、本人はそのボルトにぶら下がることはないのです…。ずっとトップロープでしか登らないので。

このような成り立ちで成り立っている岩場だと、九州ではすぐにも藪とコケに埋まって原野に帰ってしまいそうです。

そこは、大学山岳部が手ごろな、ゲレンデとして使っていそうでした。丁寧にぶつからないように使っている曜日まで教えてくれましたが…近くに野北のゲレンデがあり、そちらはカムで登れるので、そっちを登るほうが大学山岳部は、本州の北アなどでの本チャンの練習になると思います。野北は三つ峠レベルでした。懸垂支点は、グージョンに打ち換えたほうがいいと思いますが。

■ ガラパゴス化

そういう風に、九州ではガラパゴス化が進行しています…。

もはや誰も、本州では採用していない先輩後輩システムが温存され、若者が一方的に損をする世界です。

フリークライミングの場合は、部活制度で、コーチが一方的にビレイに徹し、登らず、クライマーの若い人は、スポーツの壁で一切のリスク認知を学んでいないようでした。

コーチに、ココを登りなさい、出来たら次はこれを登りなさい、その次はコレ、と次々に指定され、

 自分が何を登りたいのか? どのようなクライミングが好きだから登っているのか?

という自分軸が失われた状態で登っているということです。結果、

 勝ち負けだけで自分の価値を測る=競技

になるとそうなりますね。そういう人は大人になって、苦悩することになるでしょう。

■ クラック嫌い・アイス嫌い

御坂山岳会では、アイスクライミングに対する深い誤解がありました。それは、アイスは危険だ、アイスは金で登るものだ、という誤解です。なんせセミチューブから、アイス登っていなかったみたい。

本当はアイスは、氷との対話なので、”氷”が”今、登ったら落とすよ”と言ってくるときは、登りません。それが会は分かっていなかった。長年、ボルトルート一辺倒で、トップロープ限定になってしまっていたんだそうです。

同じような誤解に、九州クライマーのカム嫌いがあります。米澤さんという往年のクライマーは、カムの強度がボルトと比べて著しく低いと信じておられました。が、実は現代のカムは結構しっかりした強度があります。出ているカムの種類も増えました。

なにより、カムのセットをしないクライミングしか知らないと、自己を守る能力はつきません。作曲家が自分で曲を作るのと、人の曲を奏でるくらいの差があります。自分でクライミングを奏でているのではなく、 ヒトの作ったクライミングの歌を聴く、ということです。

例えば、米澤さんの作曲は、ガバ=ボルト飛ばしという歌で、それが5.12あたりと思しき、彼の限界グレードまで続きます… それは、アルパインのリッジルートでは、そういう風に奏でるのが当然だから、それをリッジではなく、ウォールに持っていくと、自分の限界グレードまでは、自分にとってイラナイ、と判断したら、ボルトはないです。それでも米澤さんのは、その奏で方はフリークライミングのルールには即していないのではないか?と思ったようで一応、距離的な目安も取り込んでいますが、微妙にランナウトのところもあり、ボルトがあっても、落ちれない箇所もあります。グレードは混乱中です。

そういう感じに、昔の栄誉あるクライマーだって完璧ではなく、発展途上だったのです。人が老いず、永遠に最盛期の筋力を保てるならば、彼だって、ハードフリーから、今日のフリーに進み、まっとうなルートの作りを学びたかったでしょう、たぶん。誰だってユージや、小山田大みたいになりたいんですよ、男性は。だけど、そこは、天賦の才能の差、や生まれた時代の差、があって仕方ないところでしょう。

米澤さんは、評価も確立した、いいクライマーでした。ビレイループ2重にするほどの安全志向がそれを物語っています。

そして、その米澤さんも、現代のフリークライマーがグレードがおかしいと感じるなら、連絡を、と言っていました。そもそも、自分が開拓した岩場を誰も登ってくれないので、悲しい、ということなのです。

昔の人は、全国の岩場を渡り歩いて、グレード感を身に着けるとか、世界の岩場を行き来してグレード感を身に着けるとかできなかったのです。

■難易度の感じ方は老いで変わる

例えば年を取ってから、ボルダー一級の基準のエイハブ船長に行っても、エライ難しく感じ、若い間に行けば、俺一発で登れたぜーとなるでしょう。

これは、アルパインでも同じことで、若い20代に、北岳第四尾根を登ったおばちゃんが、あの頃は簡単だったのに、今ではとっても怖い、と言っていました。若い時は、リスク認知センスも育っていないし、元気いっぱい、怖いという感情をまだ学ぶ前です。だから、何がむずかしいの?と四尾根レベルの登攀は誰だってスイスイ登れてしまいます。が、年を取ると、5.7だって恐る恐るです。

師匠の青木さんは、「クライミングは、知れば知るほど怖くなり、自分との戦いになる」と言っていました。それこそ、かみしめるべきベテランからの言葉の贈り物でしょう。

つまり、怖いもの知らず=単にまだクライミングの円熟を知らぬ未熟者、って意味ですよ。 なんせ、リスクを学習する前の男性の自信の根拠は、お母さん、です。幼児が遠くに行くのと同じ動機なんですよ。

しかし、人が衰えることを、逆に言えば、若い時は楽しめなかった易しいルートでも、年を取れば楽しめるということです。簡単なルートは、入門時と衰退期の両方に使えるおいしいルートってことです。

■クライミングのマナー

私は、米澤さんと、日向神の入門マルチに行っていますが、小川山の春の戻り雪5.7より、うんと易しいスラブで、あれだとオンサイト出来たので、米澤さんがトップには別の男性を連れてきたのが、奥ゆかしく、礼儀正しいと思いました。米澤さんとは一か月以上ご一緒して、登れる力も見極められていたからです。

他の著名な会の人が、初対面なのに私にリードを頼んできたのは、マナー違反なので、ビックリでした。普通は初対面は、リードするにしてもショートですし、その判断も登る本人がし、強要されることはありません。訳も分からない人に登らせたら、その人は落ちて死ぬかもしれないからです。特にランナウトしたルートを登らせるなど厳禁。私は、こちらの価値観で、これをクライミング常識通り断ったら後で難て言われるか分かった者じゃないなと思ったので、うけて立ちました。普通は、常識的に考えても自分より弱いと想定できる女性や、力が未知数の相手に、登って見せろ、とチャレンジして来る男性クライマーなんて、いません(笑)。

その上、後から送られてきた写真によると、二人のクライマーを一人がビレイするという悪習慣で、それを悪とも分かっていないようだった。送ってくるのは、悪いと思っていないという意味だからです。ビックリでした。

しかし、福岡の若い人はこのような指導者しか得れていないということです。若い人が気の毒でもありますが、知識武装していないがために、このような指導と言えない指導を受け入れざるを得ず、

間違った知識の再生産をしている、

ということです。この悪習慣はすぐ改められなければなりませんが、九州にはきちんとしたクライミング教育を施せるクライミングガイドがいません。

さて、以上のように、

 古い、間違った習慣が改められていない、

のは、

 全国岩場巡りできない、海外岩場巡りできない

という

 知見の限界のため、

で、それが正当な理由があるから、ではありません。おそらく、誰だって世界のユージやサチのように

 海外の岩場をバンバン登る経験

があれば、グレードバラバラ状態にあちゃーと思うかもしれませんよね…。その機会がなく、自分の限られた知見…自分の岩場で精いっぱい‥‥が現状ということなのですから。

サボっているのではなく、人には限界がある、ということです。年を取って、パソコンやSNSに疎くても仕方がないでしょう。

私は団塊2世ですが、14歳でプログラミング言語を独習し、20歳で渡米して自活生活し、25歳で開発部に入り、帰国後は外資でお勤め、Google先生使用は28歳からです。最後の仕事は、九州三井物産新事業開発室というところで、ビジネスの投資判断をする部署です。

そういう人と長年大学という世間から隔絶した場所でしかも、鹿児島という奥地にいたら、それは、世間の流れに疎くなっても仕方がないかもしれません。

仮に、引退して日之影町に隠居していたらもっと情報には疎くなるかもしれません。

そいうことですから、年配の人から受けた精いっぱいの岩場を

 どうしたら、無理なく、事故なく、多くの人に登ってもらえるか

を考えるべきです。現代のクライマーは、山からクライミングに入らず、ほとんどの人が、クライミングジム育ちです。

その人たちにはその人たちにあった教育法を授けるべきで、昔ながらの

 18歳男性、山岳部新人

という基準を、

 子供や女性、18歳ではなく30代などの男性もありうる、という現代の初心者

に適用するのは、無理があります。

当然ですが、

 グレーディングは、正確であればあるほど良く、

フレンチかデシマルか?というのは、本題からそれる議論になります。フレンチでも、デシマルでも、

 正確さこそが、グレーディングの命、

なのです。

 またボルトスペーシングについては、

 5.10代のボルト間隔が、5.12の登攀力を前提にしている件

は早急に改めないと、事故は減りません。本来のグレーディングの意味を骨抜きにする、誰が聞いても変な悪習慣です。

 10代を登るのに、5.12の登攀力が必要という意味

だからです。

ステファン・グロバッツが登ったニンジャは、5.14だから、50m3ピンなんです。比叡では、5.9で50m3ピンだと庵の三澤さんは言っていましたが、今はそういう時代ではないともおっしゃっていました。

50m3ピンを5.9でやって楽しいのは、往年のクライマーです。私の師匠だった青木さんも、楽しくて、辞めらないでインスボン30回くらい行っていましたが、初心者の私に適用することはなく(当然)、私が仮にインスボンをリードできるようになるとしたら、5年後だろうと言っていました。私はインスボン、セカンドでも落ちたの2回程度です。ショートなら落ちながら登ることはフリーでは当然なので、リードレベルです。実際、5.12をRPできる先輩をインスボン連れて行きましたが、リードは怖がっているピッチがあったそうです。師匠によると。つまり、ランナウトの耐える力は、ショートで5.12RPする力とは違うということです。

今の時代のジム上がりクライマーは、師匠なしで登るので、5.9 に5.12が必要とは思うはずも知るはずもなく、5.9と見たらすぐ飛びついてしまいます。そりゃ当然ですよね、5.9と書いてあるのですから。しかし、事故は避けないといけないので、5.9 50m3ピンのピッチには、

 Rを付けたらいい

だけです。それで、往年クライマーの名誉も守られるし、ジムクライマーは来なくなるし、八方よしです。 サチさん、大やすり岩、Rつけていましたよね。

 

 


2022/10/09

NINJYA 5.14Aの記録から トポへ反映したらよいラベリング情報を抽出

 https://www.karrimor.jp/ambassador/k-1.html

より、NINJYAを事例に、トポで課題の価値を伝えるときに、何を伝えると良いのか?を考察。

前提: 課題には、ほかよりも意味がある良い課題、と ふつーの課題がある。味噌くそで保存活動するのは、ナンセンス。 

■ 抽出

1)1年間を費やして自分のフリークライミングの限界にチャレンジ

→ 一つのルートを登るだけに、一年間かかる (長時間の法則) 

2)一般フリークライミングの楽しみ方 との差 (こだわり強度の法則)

ーーーーーーーー

これまで1つのルートの為にトレーニングをしたり、何日も通ったりなどはしてきませんでした。簡単なルートでも純粋にクライミングを楽しみたかったし、同じルートをずっとやるよりも色々なルートを沢山登ってみたかったから

ーーーーーーーーーー 

Ninjyaが特殊であるという意味

3)あるルート → 特定のルートへの愛着 (愛着の量=感動の量の法則)

ーーーーーーー

あるルートに出会い、限界に挑戦することの素晴らしさや登れたときの感動の大きさ

ーーーーーーーー 

4)最初に失敗する → 楽でない (簡単な壁ではない法則)

ーーーーー

最初のトライをしました。結果は惨敗。分かってはいたことですが、圧倒的に実力が足りていませんでした。

ーーーー 

5)実力が足りない → 楽でない (自覚の法則)

引用箇所 同上

6)諦めてしまうところを通う → 執着心(不屈の法則)

ーーーーーーーーーーー

いつもならこれで辞めてしまうところですが、どうしてもこのルートを登りたかったので、それからも休みの日は毎回このルートに通いました。

ーーーーーー ーーーー

7)「コスモス」は手段  (ほかのルートは手段の法則) 

ーーーーーーーーー

暑くてトライも出来なくなったので、トレーニングとして、夏の間はマルチピッチクライミングをしていました。この写真はお隣の瑞牆山というところにある「コスモス」というルートです。

ーーーーー

8)ほかの活動は手段の法則

ーーーーーーー

筋力を落とさない為にボルダリング

ーーーーーーー 

9)ちょっと前進 → 自己観察と自己向上の法則

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夏のトレーニングのお陰かちょっとずつ前進し、あと少しで登れそうな惜しいトライを何回もしていました。

ーーーーーーー 

10)このグレードを登るのにかけた日数は → (トライ量の法則)

ーーーー

今回は、この14というグレードを登るのに費やした日数は12日間、

ーーーーーーーー 

■ まとめ

1)長期トライの法則   ★

2)一般フリークライミングの楽しみ方との差(ルートの特殊度) ★

3)特定のルートへの愛着度  ★

4)簡単な取り組み課題ではない法則 ★

5)自分の現在の実力の自覚の法則 

6)不屈の法則 

7)ほかのルートは手段として努力する法則 ★

8)ほかの活動を手段として努力する法則 

9)自己観察による自己向上の実感の法則

10)トライ量によるスタイル向上の自己計測の法則 ★

★がついているものは、開拓者がトポを工夫することで、取り組むクライマーにスタイルへの認知をもたらせそうだと予想できるポイントだ。

■  トポへの反映方法 7法

1)長期トライの法則   

「この課題はじっくり通ってもらいたい課題だ」「〇〇氏が〇日かかった」「季節が夏だった」「夏から秋になってしまった」等

2)一般フリークライミングの課題と楽しみ方との差(ルートの特殊度) 

「○○を登ろうとする人の入門に丁度よい」「中級者の実力試しに丁度よい」「熟達者にこそ味わってみてもらいたい好ルートだ」「雨の日に良い」「これが登れるようになれば一人前」等

いきなりジャック豆に行かず、小川山レイバック、カサブランカの後みたいな。

3)特定のルートへの愛着・思い入れ度  

「開拓中に○○を落としたという思い出のルート」「このルートのために〇〇した」「○○のために何度も登った思い入れのあるルート」「一目ぼれしたルート」等

4)簡単な取り組み課題ではない法則 

「開拓に○○日もかかった難ルート」「コケがひどく○○日」「指皮がなくなり血まみれになって登ったルート」等

5)ほかのルートは手段として努力する法則 ルートの関係性 

「このルートは〇〇へのステップアップに良い」「このルートを登る前にプロテクションを確実にしてほしい」「この課題には正確な立込み技術が必要だ」「○○が終わっていない人には、このルートはまだ早い」「○○が楽勝で登れたら、これを登ってみてもらいたい」等

6)ほかの活動を手段として努力する法則 

「器械体操出身には簡単に感じられる可能性がある」「体幹を鍛えてからトライして欲しい」「指力が非常に必要になる」「特殊なバランス感覚が必要」等

7)トライ量によるスタイル向上の自己計測の法則 

「開拓には〇〇日を要した」「初登には試登を含め、〇〇日を要した」「初登はピンクポイントでリハーサルされ、のちレッドポイントされた」「合計100トライでやっと登れた〇〇な課題」「あまりの難しさに○○が根を上げた」等

■ 感想

これはNinjyaを例にとってみたのですが、ステファン・グロバッツの初登時の記録と比べると、当時のグロバッツと自己の差がより鮮明になって、

 クライミング史に残る偉大な課題を登った

という感動がよりひとしおなのかもしれません。 

■ 余禄

      非常に用心深く登っている事例 これができる前に怠惰でカムを飛ばす人が多い ただの怠惰なのに、勇気があるという正のフィードバックを受けてしまう。ボロが出たときに死に直結することがある。怪我や死亡につながる悪い因果を積み上げてはいけない。



2022/10/08

なぜチッピングがなくならないのか? ラベリング

 ■ 注目を集めたいこころ=愛着障害

ここ2週間ほど、発達障害の勉強をしています。こちらのセミナーを受講。

https://kohaken.net/

それで分かったのですが… 長年、問題になっているクライマーの問題行動…

例としては

 1)チッピング (初登者への冒涜)

 2)ランナウトしているボルト配置を正すことができない (後続者への殺人行為)

 3)終了点のカラビナを持って帰る (窃盗)

 4)敗退を想定しない粋がりでルートに行く (自己破滅)

 5)パートナーがほかの人と登ると怒る、連れてくると怒る (不安障害)

 8)登攀禁止の岩場で登る (衝動性を抑えられない)

 9)どんちゃん騒ぎ (多動性・衝動性を抑えられない)

 10) ランナウト自慢 (自己破滅)

 11)ゴミポイ捨て (衝動性を抑えられない)

など…、反社会的(禁止になってクライミング活動ができなくなるリスクを冒す)だったり、自己破滅的(自分を殺してしまう、あるいは相手を殺してしまう)だったりする事例ですが…

どんなにお目付け役?のJFAが口やかましく、注意喚起しても治らない(汗)…

それは、愛着に問題を抱える人がそういう行動に出ているのだろう…ということが分かりました。そもそも、クライミングには、ビレイヤーが必要なので、ビレイヤーに対する強い愛着(信頼関係)が必要だからです。

そこが確立していないと、イヤイヤ期の子どもと同じ現象を起こしてしまいます。

つまり、俺を見て!行動です。 

愛着が不全なので、自分は愛されていないのではないか?と不安になり、その不安から、

 自分に何とか注目を集めよう!

としてしまうのです。

■ 負のフィードックとなるべきところを正のフィードバックにしてしまっている業界

 このような一文があるとします、

「愛着に問題がある子供は、大人の注目を集めるために、悪さをします。」

これは分かりやすいですね?

「〇〇に問題があるクライマーは、みんなの注目を集めるために、チッピングをします」

○○に入るものは、やはり、愛着、でしょう…。

ですから、チッピングを辞めさせたかったら、基本的に、

 報道しない

という行動を選択するべきなのです。注目を集める、のが目的なので、注目が集まったら、チッピングは、正のフィードバックを受けてしまいます。

■ ラベリングで、善悪を教える

最近のロクスノは、岩雪と違って、熱量のある記事がとても少ないです。熱量というのは、

クライミングの倫理感

という意味です。努力の量、ではありません。

これは、オンサイトが良いスタイルだ、というラベリング が、余りされていないということです。

赤チョークにしても、ロクスノで赤チョークの存在自体が語られたのは、いつ?くらいな話と思いますし、ステファン・グロバッツ、なんて名前を聞いたことがあるクライマー自体が稀有なくらいで、初登情報を知らないなんて、相手を責めることができるような状況にないかもしれません。なぜなら、一般クライマーが見聞きする範囲に、常識、として知れるような情報の置かれ方をしていないからです。

JFAのサイトを見る人は非常に少ないので、クライマーの道徳観の見張り番は、ロクスノ一本と思いますが、ロクスノがあまりクライミングの文化、倫理を伝える媒介者としては成功していません。

伝えるポイントが、スポーツ寄り(安全は前提でしかない上での努力)で、リスクを見極める情報やリスクと成果をバランスの掛けるための情報(スタイル)には、感心を払っていないからです。

うまく、ラベリングを行うには、 

 赤チョークを使わず、丁寧にフリーにこだわって登っている手記を開示して、

 「これが、クライミング倫理的に正しい、かっこいいクライミングですよ」

と提示しなくてはなりません。これがラベリングです。

なぜ赤チョークを使わないのか?その理由を丁寧に語るということです。

 

それがラベリングという手法です。https://psycho-psycho.com/labeling-theory/





2022/10/03

エイドルートはエイドルート フリークライミングのルートはフリークライミングのクライマーが作るもの

■ 届く、届かないはON/OFF

この絵を見て、分からないなら、どう説明していいか不可能ですね。

ホールドに届くか?届かないか?は

能力の問題ではない。

努力の問題でもない。

本人が変えれることでもない。

ってことが、なんでクライミングになると分からないんですかねぇ?

日本のクライミングは、元々、エイドのルートを後でフリーにしたときに、エイドで使ったボルトをそのまま、再利用したという事情があるのかもしれませんが、

フリークライミングの旋律

になっておらず、エイドクライミングの旋律のままフリークライミングを踊る、

みたいなことになっています。最初から、フリークライミング、として開拓されなければならないのです。

なんせエイドクライミングの場合、全部道具に頼って登るわけですから、基本、遠くに手が届くかどうか?の戦いで、岩の形状なんて、眼中にありません。

エイドクライミングの歌を歌っていたルートに

フリークライミングの開拓の栄誉…つまり、完全にロープなし(頼らずに)でグランドアップで登れるカモ?という、かすかな希望を胸にトライしてみて、一撃で登れた

(一撃って言うのが大事ですね。なんせ一撃でないなら、後はスタイル上の差異の戦い)

…を与えるのは、間違っています。 

エイドクライミングのボルト配置をフリークライミングに、そのまま与えること自体が間違っているのです。

そんなことしているから、”フリークライミングの”開拓者の業績が、過小評価されるわけです。 

ちなみにアルパインクライミングをやる人は、基本、”エイドありの何でもOK”で登る人です。フリークライミングというのは、道具をもちいないルールなので、評価の基準が全く違います。

■ 開拓者の業績

自分のボディサイズで、あそこの岩が登れるか? 

それが、その人の岩に対する 耳、です。岩の語る歌が聞ける、そのヒアリング能力があるか?ないか?ってことです。

そのヒアリング能力で、聞いたものを聞いたように後に人に伝えるためにボルトがあるわけです。

チョークをつける、つけない。 ヨーヨースタイルで登る、登らない。

フリークライマーが、ただ叫ぶだけの動画で、岩の歌が聞こえている様子を伝えられると思う理由が分かりません。

雄たけびは、翻訳すれば、怖いよーです。かっこいいと思ってやっているなら的外れです。

ココが核心だよーと言いたくてやっているなら、これぞって時に取っておかなくては。課題で何回もだったら、まだその課題に来るなって意味でしょう。

確かに声を出せば力は出ますけど、その様子で何かを語れると思っているからやるのなら、全然違うでしょう。語りが全く足りません。

ニンジャの動画見せてもらいましたが、ステファン・グロバッツの、スの字も出てきませんでした。それで、初登者のスタイルを尊重せよって無理な話です。 

そもそも、誰も初登者のスタイルを重視なんてしていないじゃないですか… あるのは自己PRです…

2022/09/30

トポに初登スタイルの情報を

■ 赤チョーク

ある投稿…

ーーーーーーーーーーーFBより引用ーーーーーーーーーーーー
Ninjya 5.14a
二子山の美しき流れ5.14dを登って、少しクライミングは休もうと思っていたら 二枚目の写真が送られて来て
もう一目惚れしたルート、まだ写真だから分からなかったけど、いざ会いに行ったら本当に綺麗なラインで僕を虜にした。
大きな25mの一枚岩の真ん中にボルトが4本打ってある、1番簡単な弱点を突いて登って5.14a
めちゃ良いじゃん
初登の @glowaczstefan はグランドアップで落ちる度にロープを抜いてムーブの確認もしてないらしい
僕は2年トライして登れず、やはり週末、しかも1日しか行けないとコンディションに悩まされてストレスにも感じてしまった
なので、天気に左右されない二子山の乾杯5.14cでトレーニングしてから戻ろうと考えた乾杯は予想通りストレス無く毎週トライ出来た
乾杯も2年かかったけど、その後また2年のトライを経てニンジャを完登する事ができた
僕のクライミング人生で登ったルートの中で間違い無く1番綺麗なルート。
チョークは使うし、マークもつけるけどさ、少し考えたらわかるだろーよ
赤で印つけたら目立つしダセー事くらいさー
もうやめてね
せっかくかっこいいラインなんだからさ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

■ スタイル無視… = 無知

何年もクラックを登っていても、スタイルって言うことには、目が向いていないのが、男性新人クライマー。

登れたか?登れなかったか?の白黒思考なので、スタイル、っていう発想は、きちんとフリークライミングの歴史を追求している人しか、分からない発想なのかもしれません…

なんせボルダーは、スタイルはゼロで、何やっても登れればOKみたいな世界になっています…

こうしたクライミング文化の劣化を防ぐには?

  トポに初登スタイルを追加していくプロジェクト


をしたらいいんじゃないですかね? 

■ 失われつつある文化

昨今はジムに岩雪が置いてあること自体が稀です。

https://tamasaka.typepad.jp/tama/2007/05/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E5%B2%A9%E3%81%A8%E9%9B%AA-%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%96%EF%BC%99.html

福岡に来て岩雪があるジム自体を見たことが一回もありません。福岡のジムで置いているところはないんじゃないでしょうか?置いてあっても、かろうじて、ロクスノ、です。現代のロクスノは、全然ロマンもスタイル情報もないし…。

情報がないので、初登時のスタイルを重視しろ、と言われたところで、初登のスタイルを知らない、分からない、のかもしれません。昨今のクライマー君たちは…、現代の若い人どころか、年配で地元で尊敬されている人ですら、動くようなものに道標付けてそれを自慢にしてしまうレベルです…。

しかも、外ボルダーの影響で、どんな汚い手を使っても…例えば、粘着性のあるチョークとか…登れさえすれば、成功と思っているのは、ごく普通のクライマーです。

アルパインを長い間(例:10年とか)やったようなクライマーでも、ロープがスタックして登れなくなったりしても、登れた!と結果オーライの判断になって、反省するどころか、自己肯定感、高くなっちゃう(汗)。

だれかちゃんとした指導者が必要そうです。

結局のところ、

 ニンジャって言って分かる人

が、クライミングを教えていないで、全然そんなのは知らない人が、教えているわけです。

トポに初登の時の、スタイルがどうだったのか?エピソードを書き込んでいく、というようなことをしないと、登れさえすればどんなスタイルでもいい、というボルダーのルールをリードに持ち込むため、本気チョーク、どころか、赤チョークでも、悪気なくやってしまう人が後を絶つことはないだろうと思います。

 

 

画像(ステファン・グロヴィッツの最近の投稿https://www.facebook.com/stefanglowacz から…)

トポがアートで驚いた…

■ ムーブの解説を書いてしまう開拓者達…

開拓者は、のぼってもらいたいという気持が強いので、例えば

 ”核心部は、3ピン目と4ピン目の間”

とか書いてしまいます…。 

核心が1ピン目以下にあるのであれば、ビレイが困難になるので、5.10代などの入門者向けグレードでは、注意事項として書いたほうが良いかもしれませんが…

一般に3ピン目以降は落ちても安全なのが、フリークライミングなので、よほど、3ピン目でランナウトしていて、そこで落ちてグランドフォールの危険があるのではない限り、核心がどこか?を書くことにそんなに意味があるとは思えません。

ムーブを細かく解説しているトポを見ると…過保護系な母親を連想したりします。

そう言う内容ではなく、トポには、

  初登時のスタイル 

ラッペルか?グランドアップか? チョークはつけたのか、ノーチョークなのか?どのような苦労をして登ったのか? 何日かかったのか?

そういうことを書いたほうが良いと思います。

男子は、突破力の1点豪華主義で、5.12が登れると自己申告してきても、その内容は?特定の自分のお買い得5.12だけが登れるという意味だったり、その登った5.12は〇〇日間もうんうんうなって登ってものだったりで、結局、山にある10cで2時間半とか、かかるかもしれません… オールラウンドな自分の実力を正直に申告したいという人は少ないかもしれません。

そういう事情の中では、

 トポにムーブの解説があると、得意で登れそうなムーブのルートだけに行きたい、

というニーズが出てきてしまうかもしれず…ますます、一点豪華主義加速。

 トポにムーブは書かない

というルールはクライミングを提供する側が徹底したほうが良いかもしれません。


2019/06/13

祝!初国際交流クライミング♪ ステファン×日向神×姫ほたる

■ ステファン

ドイツから環境関係の行政機関にお勤めのステファンが来ました。ヒッチハイカーだそうです。

10日から4日間も泊まりたいという依頼でしたが、初めての人は2日以上泊めないことにしています。というのは、こちらが大変ストレスになるようなタイプの人もいるからです。蓋を開けてみないと分からないのです。

基本的に無料の仕組みなので、ただの寄生虫となってしまうことがも多いのです(笑)。

できること以上をしないという練習のためにやっています。

■ 福岡は雨、日向神は晴れ

なかなかスリリングな1日でした。

クライミングの日なのに、福岡は雨…と思いきや、日向神は乾いているとパートナーから連絡があり、急遽、出発。たしかに三瀬を超えたら、乾いていました。

10時スタートで12時までクライミング。目的は、国際交流と、あとお一人、森さんという方をクライミングにご招待(本人は当惑していましたが…やってみないと何が核心か分からないので)、が目的です。

私は、なんとか5.10Aオンサイト。いや~見た目より、苦労しました。松井さんがビレイヤーじゃないと、テンションして回収になったこと、確実。

ステファンに5.7をトップロープで登ってもらいました。その他、体験クライミング。5.7は、落ちないので、別にビレイヤーは誰でもいいのですが、だからと言って、初心者を受け入れることはしないと心に決めています。自分を大事にする活動の一環。

ので、松井さんに来てもらいました。ちょっと無理してもらった。



■ 八女

日向神は、八女にあるのですが、八女は日本の最高級玉露の産地です。

それでお茶屋さんに2件立ち寄りましたが、さすがにステファンは無関心でした(笑)。

とはいえ、うなぎの寝床さんに前回立ち寄った時は、京都、静岡、八女のお茶園でお茶を勉強中の若いフランス女性ルーシーに出会ったくらいなので、八女茶は、世界にとどろく、素晴らしい日本の生産物です。

一般に男性クライマーは、世の中に関心を持たなさすぎ、なのだろうと思いますね。クライミング以外目もくれない人が多く、クライミングから世界が広がっていかない…。でも、クライマーなんだから、仕方がないね。

ただ日本のクライミングだけがクライミングの在り方か?というと違います。私はラオスに行って開眼しました。

ステファンに関しては、グレードシステムも知らないようでしたので、クライマーとすら言えませんが、日本に来てくれた外人さんがクライミングをしてくれた記念すべき一号とは言えます。普段はボルジムしか知らないそうでした。

私たち日本人クライマーが、龍洞やラオスに行くように、ぶらりと台湾やタイのクライマーが日向神へ来るような世界が、いつか作れたらいい、ですね。

奥日向神キャンプ場は、クライマーに開放してくれたら、ベースとできていいだろうと思います。

八女のおいしいお茶でランチと思い、ぶんぶくカフェに行ったのですが、定休日で撃沈。

用事がある、うきはへ。定食屋でいい具合に定食にありつけました。朝ごはんなしだったので、ガッツリ。

その後、巨峰ワイナリーへ行き、バラの花を見ました。ちょっと試飲。ステファンは甘酒が気に入ったようでした。韓国より、日本の田舎がいい、としきりに言っていました。その前が韓国にいたので。韓国は田舎にも大きな建物を作ってしまうのだそうです。

うきはで、ゲストハウスにいいのでは?という物件を見ました。うーん、思ったより改修が大変そうで、物件価格も市場より高く、ダメでした。ただ、お庭の琵琶と梅をみんなで食べました(笑)。

そのまま、直方市の剣岳自然公園というところへ移動。遠かったです(涙)。

直方市には初めて行きました。途中、水害でダメージを受けた東峰村を通りました。窯が多くてびっくりでした。途中、ステキな窯に立ち寄りました。驚くほど窯が多くて、焼き物好きな人は行くといいかもしれません。

福岡では田主丸近辺も窯が良かったような?九州は焼き物がいいところが多いです。

ほたるは、姫蛍という一般に考える蛍とは別の種類でした。源氏ぼたる、平家ボタル、姫蛍と蛍にも色々あるそうです。カメラオジサンたちが一杯。時期は1週間遅かったそうです。

蛍を初めて見て感動しました。
20分ほど、点滅する蛍を感激しながら鑑賞して帰宅。帰りは高速を使ったので、1時間で帰れましたが、高かったなぁ。1400円+首都高650円。

実は蛍は三瀬の石窯でも見れるそうで、そっちは無料です(笑)。

という充実しつつも、くたびれた日でした。いや~、運転、長かったなー。

■ 限界集落?

八女、浮羽、剣岳、西新とぐるっと福岡を大きく一周したような日でした。

八女は廃れていて、限界集落だなーと思っていましたが、他のもっと廃れた集落をいっぱい通ったため、まったく廃れていないと確信しました(笑)。

地域の荒廃の具合は、

 その土地の人がどれだけよそ者を受け入れるか?

によるということを確信しました。既得権を守りたいと思っていると、既得権じゃなくてタダの重荷になるということです。

たとえば、不動産も同じで、不動産って持っているだけでは、財産ではなく、ただの負債です。毎年固定資産税を取られるんですよ? 山も同じですよね。植林の杉・檜も同じで、財産と思っていたものは、ちゃんと管理メンテしないと負債にすぐなってしまうのです。それは、恋人も同じでしょう。財産とするか負債とするか?は、その人がどれだけ心を注ぐかに関わることなのです。

■ 小さな一歩

クライミングで国際交流する、

という願いが初めて叶った、祈念すべき一歩目の日でした。

大変コスト高でしたけれども、松井さんの協力がなければできませんでした。松井さん、ありがとうございました。

そして、ドイツからのステファン。なぜか彼は私と一緒にいたがるのですが…まぁいいけど…台湾のクライマーに日向神情報を書いてくれるそうです。助かります。

ドイツでは、ケルンの近くに住んでいるそうで、ドイツに行くときは泊まるとこ、できた(笑)。

ヨーロッパは価格が高いのでなかなか行きたいとは思いませんが、まぁ世界にクライマーのネットワークを作るという希望が叶った日でした。