■ 課題を小さくブレークダウンする(因数分解する)才能
私は塾なし(外部からの支援なし)で、幼稚園から大学までのお受験を制してきたので、何が得意か?というと当人にとっての問題(できない理由)を細かくブレークダウンする、ということなのです。
■既成のアルパイン教育には適さない人が増えている現実
例えば、アルパインクライミングの教育(”本格的な登山”の登山教育)は、懸垂下降からスタートです。(これがフリーのクライミングにも欠けています)
ですが、一般の人、つまり初心者、に、いきなり懸垂下降させても、怖がってできません。
私も山岳総合センターで、1日目でやらされましたけど、これは無理と思いました。高さも、たった17mの人工壁ですし、自分でノットを結んで降りるのですが、いくら先生がノットをチェックしても、信頼できないのは自分、ですし、何しろ高さがミスを許さないわけなので。私はこの恐怖体験を乗り越えることができましたが、その日で辞める人もいました。
言っておきますけど、山岳総合センターのリーダーコースって誰でも、は、入れませんからね。冬山経験値がそれなりに蓄積している人しか、入学すらできないです。(つまり、九州岳人は誰も入れないかもしれませんね)
そんな学校に来ている人でも、初日に脱落者が出るのです、従来の教え方だと。
これは、現代の人が昔の人とは、異なるからです。それは当然のことなので、相手に向けて教育法が進化していなくてはならなかったのに、していないということなのです。
■ 私の教え方
ワタシなら、立てるところでロープに体重を預ける感覚を最初に覚えさせます。
そうすれば、セルフには常にテンションしたほうが安心なのだということも最初から分かります。
■ self-teaching
こんな調子に、ずっと自分で自分を教育してきました。
その知識をタダで分かち合う上に、出来ない奴呼ばわり(登攀力がない奴はダメな奴だ)される。それはさすがに、いかに仏の私でも嫌です。
無料でもらってありがと~というのは、まだ許せますが、無料でやって、追い銭取られるのは誰だっていやですよね。
例えば、私が長野で得ている人脈を提供させられたり、することです。
登攀力というのは、別にクライマーの能力の評価基準ではないです。大体の分かっている人は登攀能力なんて後からいくらでもついてくると分かっています。
■ 善意の悪用
私が荒木さんと一緒にパートナーを組んで登っていたのは、山梨時代から知っているクライマーは、彼一人だけだったからです。
彼が来る以前にも、福岡では、福岡山の会の女性クライマーや、ジムで登ろうとしてみたり、長野に登りに行ったりしています(サブガイド扱いされて嫌でしたが)が、ピンとくることがなかったのです。
福岡山の会では、終了点の結び替えは教えず、直がけで良いと教えていたようで、それを教わった若い人がジム店長になり、それを一般の人に広めるという流れになっていました。
山梨でそんなことをしたら、岩場で即注意を受けるでしょう。
つまるところ結局、名誉ある山岳会でも教える技術は別ということです。
なので、当時、荒木さんと登ることの方が私にとって安全でした。ので、彼には感謝しています。
が、荒木さん自身もきちんと教育を受けたクライマーではありませんから、一般男性並みにクライミングができるのは、男性の筋力があれば普通のことですから、私が登れないところにロープが掛けれて助かりますが、ロープ掛けるだけなら、ビレイヤーが必要なのはお互い様であり、全然、私にとっては得るものがないのは同じになります。私はリード練習が必要なクライマーで、別に初心者体験コースは要らないからです。(ちなみに九州の岩場は初心者がリードデビューするには適した課題が非常に少ないです。だからみなRPクライマーになるんですよね)
つまり、相手から学び取るということはできないということです。
師匠を持つこととはそこが違いますね。
師匠を持てば、その在り方、から盗み取ることができます。例えば、米澤さんは栄誉あるクライマーですが、なんとビレイループですら二重に加工されていました。福岡山の会の安全管理のずさんぶりとはエライ違いです。
山梨時代から私を知ってくれているクライマーからは、私と荒木さんが一緒に登っているのは、
”私は荒木さんはあなたが言うことを聞いてくれて、どこにでもついて来てくれてビレーしてくれるから組んでいるのかなと思っていました。”
だそうでした(汗)。
なぜ、私は荒木さんと登り続けていたのか? もちろん、弟のこともありますが、基本は、私には、彼にどうしても伝えたいことがあったのです…。
それは、ニードルや白亜スラブでフォローして分かったのですが、
彼の思う実力が彼自身が思っているより下だ
ということです。男性は自分の実力を客観的に判定できないことが多いです。だいたいコンペとか、出るの嫌いな人、実力が分かるようなもの…例えば都岳連のロープワーク講習会とか、そういうのですね…出るのが嫌いな人が多いです。
ロープがジャムして登攀に時間がかかるなど、師匠たちと登っているときには全くあり得ませんでした。懸垂でちょっと長さが足りないとかもなかったです。(彼とは頻発)
ロープアップがなされないなどもなかったです(仕方がないので自己確保で登りました)。
■ 無知が原因
ショートしか知らないと、リードが上でセカンドが下、みたいな価値観に陥り勝ちです。
しかし、このようなリード内容では、どちらかというと、セカンドが下手くそリードにおつきあいしてやっている、というのが正確です。
基本、先輩というのは後輩のけつを歩いてやるもの、後輩のミスを拾ってやるのが仕事なのに、後輩の私が、ケツ拭いてやってる…(汗)。
立場が逆転している上、彼は私がビレイが必要な時にしてくれませんでした(岸良)。理由はそこの登攀が自分には簡単だから。彼に簡単でも私には面白いのですからこれはフェアではありません。結局、私には得るものがないです。
この人は山梨時代から何度も、ロープに対する敬意の無さを指摘されていましたが、全然身につかない、というのが周囲の人の共通認識でした。
それは本人が身につまされないからです。
そもそも、”危ない人”と称されたら、普通はクライマーとしては不名誉なことですが、それが逆で、名誉だと思っているので、指摘が堪えないのです。
そりゃそうで、現実にも、自己確保で2,3ピッチ登る羽目に陥るのは相手であり、自分ではないので、本人は自分の行為で、一向に危ない目に合わず、人を合わせるだけなので、フィードバックが働かない。
さらに危ない人と言われたら、負のフィードバックが働いて喜んでしまいます。
■ 逆のフィードバック
個人を事例にしましたが、この傾向は九州全体の傾向です。
ただし、全国レベルでの講習会などに出れば、自分のことがもっとよく見えると思います。見えるのが嫌だから、出たがらないのかもしれませんが。
私は、大したグレードは登れませんが、セカンドの人が自己確保で私のリードに追いつかないといけないような羽目に陥らせたことはありません。
そんなリードをしたら会の先輩からおしかりが飛んで来るのが普通でしょう。自分で自分を危険な目に合わせるのは当人の勝手ですが、人を合わせたら迷惑行為です。
リードクライマーとしての責任を持つというのはそういうことになります。
それを教わっていないと解釈が逆転します。
私は、自分に対する安全より、パートナーに対する安全を拡大するように登っています。逆に言えば、自分は当然リスクをとるけど、相手にはリスクや無理を取らせないということです。
■白亜スラブ
白亜スラブの登攀は、私にとって、ゴールと定めていた5.11まで登れるスキルを身に着けたとしても、アルパインルートの選択肢は増えないと分かったので、その意味で行って良かったですが、私にとっては、活動全般のモチベーションの低下になる山でした。
前の山岳会の先輩たちが、全員11は楽に登れるのに、山にやる気を喪失している理由がわかったのでした。何も安全が増えない。 つまり、広がらない。
自分にとって得るものがないのに、人の引率登山的フォローをしてやる理由は、私の中にはありません。
しかも、感謝されるべきところで老い銭取られる(ダメ呼ばわりされる)など、トンデモ、の部類です。
■ 私にとって簡単なこと
私にとって簡単なことがほかの人に難しいことは別にいいので、頼られても教えますが、自分で身に着ける方法を模索する前に、誰かに教えてもらおうとしてしまう人は、結局は遠回り、なので、教えません。
20歳のころですが、海外も私は身一つで行き、運転免許を取得したり、銀行を開設したり、住居捜したりも、自分でしました。日本人の多くは、最初はどこかのサービスを利用したいという人が多いですが、そういうのにおんぶに抱っこされる人は、一生自分で出来るようにならないんですよ。
つまり、自分の願いをかなえるために必要なスキル、と位置づけられるべきことが、面倒なこと、に位置付けられてしまうから、です。
ロープワーク、ノットや結び替え、登り返し技術、危急時講習は、みなさんが安全にフリークライミングを実践するにあたって必要なスキルです。
結局、どれだけ怖くても、最初から、懸垂下降も四苦八苦しながら自分で試行錯誤で覚えたほうが、その後応用力もついていいということです。
悲劇とは、コンペクライマーで高難度が登れるのに懸垂できないとか言うやつです。小川山で逢いました。そういうクライマー。 ロープがスタックして登れなくなるリードクライマーも似たようなものです。普通は、セカンドにごめんなさい、という場面ですよ。
ただし、受験勉強や海外デビューと違い、クライミングは、懸垂下降など、身に着けるプロセスで、致命傷になっては死んでしまい、元も子もゼロですから、最初は立てるところで自分が安心できるところからスタートします。
体重をロープに預ける安心感というのを覚えることが、
現代初心者クライマーの第一歩の課題
です。今のクライミングジムでは、赤のホールドを追っかけてください、しか言っていないので、それで外岩で登れるはずがないですよね。これが登れてもリスク管理ゼロのクライマーができるカラクリです。
昔のクライマーは大学山岳部で先輩について屏風岩がスタートの定番ですから、それと比べると、え?という低レベル。公園でロープに体重預けるところから、ですから(笑)。
でも、それが一番早道なのです。
私は、38で山をスタートして、阿弥陀北稜、初見単独で行けるようになりましたから、私が見本です。大学山岳部では、阿弥陀北稜、一杯遭難者出していますね?
■ ちゃっかりしている初心者はおよびでない
一方、プロというレベル、そのスキルを得るために、学校に行ったり勉強したりして得たもの…を、ただで貰おうとしたら、それは、盗み、ということになります。
私のスキルで言えば、山岳総合センターで教わったこと、私が有料で教わったことをタダで貰おうとすることなどですね。
雪上訓練なしで厳冬期に雪山行くとか、雪崩講習を受けていないパートナーとか、私にはありえません。 夫とはGWの仙丈レベルで終わりですが、その夫ですら雪崩講習は、受けています。
雪上訓練は数万円の講習、雪崩講習は4,5万円の講習ですよ?
お金がないなら山に来るなという話がかわいそうというのは、ズルしたい人の思想かもしれません。なんせ独学でやれないなら、人から教わるしかありません。
師匠らから私が教わったことをただで貰いたい人もいます。例えば、インスボン行きたいとか。私の海外登攀にパートナーとしてついてきたいとか。
海外のスキルも同様です。私はプロとして有料級でアテンドとして仕事をし、ジョン・ノイマイヤー氏の通訳もしています。タダでくれ、と言われて、ハイという人、世の中にいるんですか?
もちろん、レベルが色々で、福岡に来てからの驚きは、私が日曜プログラマーレベル、初心者レベルと思える内容をみなが有料で売っていることですが。
80代のクライマーはそうです。比叡山のボルトをカットアンカーでリボルト仕掛けていた時は驚きました。現代クライミングではボルトはグージョン以上ですよ?100円以下でボルト打ちたいとか勘弁です。
九州のクライマーは、トラッドは危ないと思っていると思いますが、
・赤の他人がいつ設置したとも分からない5~15kNしかないボルトと、
・自分が設置した5~14kNのカム
では、どっちが安心ですか?
しかも、ボルトはランナウトしていても、カムなら、自分の都合で設置できます。
これが、(より下のレベル感の人)が、(より上級の人)をそうと判断できない、ということが起こっていますよ、という内容です。
みんなマルチ行きたがりますけど、宙づり登り返しとか、自己脱出とかできないのに、羨ましいからと、連れて行ってほしいと、そう言います。
そんな技術は、本に載ってるレベルの技術ですので自習してから来るべきでしょう。2年もフリークライミングをしていて、5.12が登れるのに、マルチの確保のセットが分からない、と言われたら、普通は、はい、サヨウナラですよ。
自分で勉強しようとして、なかなかうまく獲得できないでいる人には、親心で教えたくなりますが、おこぼれ貰いたいと言われても、ぜんぜんやる気になれません。それは本人のためにならないからです。
海外でもいますよね、何年海外生活しても、英語しゃべれるようにならない人。日本人グループで固まっています。そして、日本人の序列に守られて生きることを選びます。
九州は国内なのに、リードやマルチのクライミング、冬季登攀では、その縮図みたいになっています。井の中の蛙ということです。
山の技術と関係がないボルダーのほうは良いのではないでしょうか、よく分かりませんが。
その原因は、アルパインの教育、クライミングの教育機会のなさ、です。若い人は、都岳連まで行って講習を受ける価値はあると思いますよ。そうすれば、自分を客観的に位置づけ出来ると思います。
■ ボルトルート=練習台
みんなが行きたいというルート…ニードルや白亜スラブなど…は、ボルトルートですので、本当のアルパインのルート、つまり、ボルトレスの、支点自前のアルパインルート、は、九州にはほぼないも同然です。
前穂北尾根には、九州でボルトルートのマルチを登っても、登れるようにはならないでしょう。
大事なことは、易しいルートでも、自分で支点を作って登る経験値を高めていくことです。
つまり、本州のきちんと登れるクライマーから見たら、ボルトがあって登攀は簡単で、ランナウトしていたら、ただスリルを味わうだけのルート、という意味で、”実力が上のルート”という意味ではないです。
”実力が上のルート”というのは、行縢のマルボーさんの開拓を見ていれば、現代は、ピオレドール賞を貰うようなクライマーでなくても、一般クライマーレベルであのような登攀…5.11レベルのクラックのマルチ…ができる時代なのだ、と理解できるでしょう。
5.7でランナウトさせて初心者をビビらせ、俺はできると胡坐をかいているのが、およそどんなことなのか、想像も着こうかというものです。
まさに40年遅れの九州クライマーが、現代レベルのクライミングを理解できないってのと、はこれです。
ショートなら、フェイスで5.12が登れるクライマーなんて関東では普通に一杯います。その程度で他の人を馬鹿にする資格が生まれることはないです。せめて13登ってくれないとブイブイは言わせられないですよ。
ま、登れない私が言うのもなんですけど。登れないのではなくて登る気がないので、あしからず。
フリークライミングは、私は余禄でやりたいだけで、命をかける気にはすらすらなれないですし、スポーツクライミング(ボルト)なら、なおさら、なのです。
これは阿弥陀北稜での、私のアイゼン歩行の足跡です。達成を感じました(笑)