最近、クライミングを知らない人に、クライミングを紹介する機会がありました。
私は英語だとクライミングを上手に紹介することができるようです。
"I can't climb because I am afraid of height"
My answer: "For me, climbing is all about security. You are in 6th floor now, but you are not afraid of height. Because you know you are secure. The same thing, I know I am secure when I am climbing."
"I think climbing is definitely not for me."(by a monk)
My answer: "For me it is meditation. I can not think anything but "be here now" while climbing."
■ あなたにとってクライミングとは何ですか?
私にとってクライミングとは、
安全を積み上げる活動
”今ここ”へ自分を戻す瞑想
知的探求の場
クライミングの伝統との接点を感じ、歴史の流れの中の一点、役目を感じる場
愛と絆を感じる場
自分を信じる練習をする場
です。
自分の能力を感じられる場、ではないし
強みを感じる場 でもありませんね。
体力を自慢する場、でもないし、
命知らずな自分に陶酔 ということもないです。
達成感に吠える、ということはやったことがないです。
名誉や知名ということが、捨てきれないクライマーは数多いなと感じます。
Dawn Wallをオールドクライマーと見ました。一言目が「でも、これ初登じゃないでしょ」でした。いや初登です。
オールドクライマーには、現代の初登の作られ方が分からないのではないかと思ったので、見せたかったのです。ヌンチャクエイドで行ってしまえば、なんちゃことないところを、フリー化するのが最近の初登なのです。なので、自分に厳しくないと何も達成できないです。
私たち凡人にはあり得ない自己規律の高さを、最前線のクライマーは持っているということで、昔のように、○○会の××さんが登れたんだったら、おれらも登れるんじゃないか?っていうのはないってことです(笑)。
■ 私のクライミングの歴史
私はクライミングは、愛の歴史にしていくことが大事と思っています。縁もゆかりもないところは登らなくていいかなって。
例えば、私がフリーに進んだのは、南アルプスで敦子さんに会ったからです。当時、普通の登山者だった私は、クライミングのことは知らず、敦子さんに”ぬんちゃく”とか言葉を教えてもらいました。初めてできた女性の先輩でした。
敦子さんはフリーで悲しい事件があり、クライミングを辞めたそうで、敦子さんにフリーを登ってもらいたいと思って、クライミングを始めました。
八ヶ岳西岳で、山を始めた私にとって山とは雪の山でした。ので当然目標は、八ヶ岳の積雪期全山縦走になります。それで、これは仲間や技術が必要と思って、山岳総合センターに行きました。
すると、フリーはアルパインの基礎力ですと言われ、さらにフリーをすることに。
インドアで5.11が登れるからのノリで、北岳バットレス四尾根に行きたいという相方に翻弄される結果になりましたが、二つの会に属して、命からがら逃げ帰った、と言う感じでした。
会には感謝していますが、会に属す方が危険と言うのは真実です。ペテランさんが主たるリスクです。
今では初級アルパインルートはリードできるようになりましたので、会不要。
…途中、山の友人を3人、山での死で失いました。
そうした中、私の山を助けてくれる方たちが現れて、恩人、と思っています。そうした方に、”恩返し”したくてやっているのが私の山です。
なので、自分自身の達成感とか名誉とか言うものは、特に求めていません。
山での死は、やはり、過信、山に対する価値観というものが混乱するのが死の原因のように思いました。
精神的に大人である必要がある、ということです。
アイスクライミングは、最初から好きでした。白い世界が好きなのです。白い世界が(笑)。
なので、フリーは夏の遊びに過ぎませんので、フリーで死ぬなど、あってはならない無駄死にです(笑)。
私の本番はあくまで、雪の山ですが、九州に来てしまったので、雪はしばらくはお預けです。
山を”執着”にしてしまっては良くない。
わざわざ、無理をしてまで、しなくて良いと思うからです。
九州には九州の良き山があることでしょう。
相変わらず、若い男性には人気です。