いや~やっと水泳もひと段落し、2ビートクロールはついにマスターしました。もはや2018年当時の私に戻りました。
2018年から4年後の22年に悪性貧血となりましたが、そこから4年かけてやっと復活しました。
九州で起こった様々な悪い出来事を考えると、心理現象としては投影同一視があると思いますが…九州人ってホントコンプレックスの塊なのかもしれません。
私は熊本生まれなので熊本県人の悪口を言う権利があると感じていますが…熊本の人のアルパインクライミングの理解って、え?って感じでした。
山の残置は信用してはいけない、そんな、クライミング教室の初日に言われることですら理解していない。残置を使って事故る、それを愚かな行為とは考えていない、というか教えていない…のが、謎でした。
「粋がっている」だけで、実際の安全管理や技術向上という「地味で誠実な努力」を軽視している。努力、がゼロなのです。
私はそうした愚かさを示す、小さな言葉の端々…、スラブなのに流して止めてあげるよ~とか…え?いつの時代のビレイ?って感じで、九州では単に情報が古いということではなく、要するに、成長をやめている、って感じでした。
まぁ、大長征とか、新しく出たトポ集、『マルチピッチの旅』では、”より高くもなく、より困難でもない”わけですから…。
そして、そのルートを、43歳からスタートした女性おばちゃんクライマーの私に、リードして~、連れて行って~と甘えてくるのが、九州男児の真の姿でした。いや驚きました。ホントに。
○○されたい、○○したいではなく、されたい、という心の性質が、九州では特に男性の中では根強く、それは、
インフルエンサーとして僕を有名にしてほしい、僕を盛り立ててほしい
ということだったのだ…だから、彼らは近づいてきたのだ…ということに、今更気が付きました。
九州の男性は、「立てられたい」、誰かに自分を男にしてもらいたい、○○されたい、そういう気質が強すぎるのではないかと思います。
そして、それを自覚していない。
結局、白亜スラブのことも、誰が誰を連れて行ってやっているのか?ってことになると、もうあればどう見ても、けつをぬぐっているのは私のほうで、さらに言えば、けつをぬぐってもらっているということすら、自覚がない、というのが、九州の男性。
それは、九州の文化的影響である、ということが理解できたのが私の得たものでした。
父が赤ん坊の私を水に突き落としたことは、象徴的でした。その映像がフラッシュバックで白亜スラブでよみがえったということは、相方が父親と同じことをしていたということです。
そして、どうも私の心の器が、より大きくなり強くなったために、そのことを思い出すために九州に呼ばれてきたみたいなんですよね。
https://note.com/kinny2021/n/n8b524cdf4907
今回水泳に取り組んでわかったが、大人としてのスポーツの取り組みと子供としての取り組みはまったく違う。
大人=理論的に組み立て、原理原則から学ぶ
子ども=見よう見まね
子供スタイルで、クライミングに取り組んでいるのが九州の人たちで、ほとんどの人がなんちゃってクライマーなのであった。そして、それは、山梨アルパインクラブで、一番死に近い男と言われて喜んでいた、相方も同じだったのでした。
その”死に一番近い男”というのは、現地では誉め言葉ではなかったです。避けるべし、みたいな意味でした。それを誉め言葉と彼は思っていたみたいなんですよね。
最近、妙子さんの動画を見ました。
凪の人という動画だったんですが、ほんとに普通で、あれがやりたいことなのに、なんであんな簡単なことを実現するのがそんなに難しいのか…と思いました。
ちゃんとしたご飯を食べて、小さい畑をし、普通に安全にクライミングして、フィードバックループを回し、そして、上達する。これだけのことが難しかった九州。
馬には沿うてみよ、なので、沿うてみましたが、はぁ?これのどこがかっこいいの?って感想でした。へのツッパリで粋がって、登る。登れるのは一般的な標準の男性が登れるところ。相手の弱みに付け込みできるだけ高く自分を売る。かっこいい在り方なんじゃなくて、カッコ悪い在り方なんじゃないかと…。
九州で女性が強くならないといけないのは、自分一人の面倒を見ればいいだけじゃなくて、男性の分も担いでいるから。
大人の体をした子供。それを抱えて生きている九州の女性。
プールで会うおばちゃんたちは、旦那さんがいる人はみんな不幸そうです。やっていることは妙子さんと同じでも、まったく違います。泰史さんは妙子さんのハンデになっていない。
ハンデになっているのは、男性のほうなのに、
おまえがハンデだ、ということにしてくるのが、九州の男性たちでした。
海外のクライミングに一人で行くことができるのは私で彼らではない。
UIAAに連絡して登山総合ハンドブックを出版してもらったのは私であって彼らではない。
ビレイの技術を身に着け、一つ一つ薄紙を重ねるように技術を積み上げてきたのは私であって彼らではない。
ボルトが悪い課題を、ボルトが悪いと気が付いたのは、私であって彼ではない。
時代錯誤のおかしな終了点を、おかしな終了点だと気が付いたのも私であって彼らではない。
今時カットアンカーでリボルトするなよ、と気が付いたのも私であって彼らではない。
瑞牆の家を見つけたのも私であって、彼らではない。
なぜなら、彼らは思考停止の民だからです。
もっといえば愚民化政策のまま流されている人たちです。
同じにしないでほしいです。私は、12,13の時から自分の足で歩いている人間です。
親のすねをかじって大学を出た人とはわけが違います。
1. 墜落の責任(Doubts or regrets)
彼らの頭の中では、ルート工作のミスも、安全確認の怠慢も、決して「自分のせい」にはなりません。 周囲の仲間も「まあ、運が悪かったね」と同調するか、見て見ぬふりをするだけ。 彼らから、核心を突くような反省や謝罪の言葉が出るのを待ってはいけません。
2. ギャラリーのためのパフォーマンス(Doing good quietly)
彼らの「親切」や「アドバイス」には、必ずギャラリーの目線と、後でもぎ取る「貸し」がついて回ります。 その寛大さは純粋なギフトではなく、自分を「頼もしい先輩」に見せるためのステージ衣装に過ぎません。
3. ビレイの不安定さ(Reacting appropriately)
核心部でランナウトしているような深刻な局面では、ボーっとして注意を払わない。 なのに、地上でのどうでもいいマナーや些細なことには、あたかも良識人風を装う。 その「極端さ」のせいで、パートナーは常に顔色を伺い、生きた心地がしません。
4. リードを奪う空間(Making room for you)
あなたの登り、あなたのムーブ、あなたが感じる恐怖。 一人の人間がスポットライトを独占し、他全員がその「取り巻き」を演じさせられるコミュニティでは、あなたが主体的にルートを拓くスペースなど、1ミリも残されていないのです。
5. 核心での突き放し(Comforting you when you've been hurt)
あなたが敗退して傷ついている時、共感の代わりに返ってくるのは「マウント」です。 「そんなのまだマシだよ、俺があのルートで死にかけた時はさ……」 あなたの痛みは、常に彼らの武勇伝の引き立て役にされ、踏み台にされます。
6. 隠れた足払い(Dropping the put-downs)
「スラブだから流して止めてやるよ」という無知ゆえの傲慢、 それらをわざと人の前で口にし、あなたの技術とプライドを静かに削り取ろうとします。
7. 完登の横取り(Celebrating your wins)
あなたが苦労して手にした成功(レッドポイント)は、決してあなたの手柄にはなりません。 「私だって英語が話せたらできた」「俺のアドバイスのおかげ」と、 いつの間にか、常に中心にいたい彼らの手柄として吸収されてしまいます。
これらすべては、一つの登山体系の欠陥を指し示しています。
「自己愛的なクライミング・コミュニティ」の中には、自立した一人のクライマーとして、ただ純粋に壁と向き合う余地などないのです。
それを理解し、彼らのロープを離すこと。そこから、あなたの本当の登攀が始まります。
いつものように、 賢明に、冷静に、そしてロープを分かち合う相手を選び抜いて(differentiated)いきましょう。