■ 美咲と山
最初のころは、心を癒すために山に出かけていた…家の中に閉じ込められていると、苦しい… もうこれ以上耐えれない!となると、山に出かける。
山は静かで、いつでも、受け入れてくれるみたいだった… 誰もいない山の中で静かに山頂から下界を眺めていると、自分の問題など、本当に些末な、小さなことだと思えてくるのだった。
そうして、一年、2年がたつと、美咲は気が付けば、一年に128日も山に行っていた。足腰も強くなり、すっかり体も強くなったようだった。雪の山にも一人で出かけていた。美咲は雪の山を特に気に入り、ゾーン体験を経験するようになっていた。
そこで、美咲は、「これは、自分の道なのかもしれない」と感じ始め、本格的な登山を教える日本で唯一の登山学校で、「リーダーコース」に申し込んだ。誰でも受理されるわけではなく、登山経験のリストを提出させられた。
初日は驚くことばかりだった。35人の講習生の内、女性は5人しかいなかった。開校式でそのことに気が付いた女性たちは2名が、受講を辞退した。残った3人の内、一人は講習初日に辞めた。
美咲は残った2名になったが、上から1~10班に分けられた、その一番下の班になった。ところが、2度目の講習日である雪上訓練の日、一緒になった男性3人と美咲のチームでは、講師の高橋さんのペースについて歩けるのは美咲だけだった。そして、滑落停止訓練でもっとも上手に滑落停止ができたのも美咲で、雪上生活も美咲のほうが慣れているようだった。チームメイトの一人は、6人用テントに5人で寝ているのに、狭いと文句を言った。美咲は「テントが広すぎると寒いのよ…」と心の中で思ったが、黙って彼にスペースを分けた。
そんな美咲は、紅一点として、チームの中でも、大事にされているはずだったが、結局、チームメイトたちは、美咲を大事にしてくれようと意思で思ったとしても、そもそも、その能力自体に欠けているのではないか?と美咲は結論するに至った。
例えば、重たいザックを担ぐにしても、美咲は体重が48㎏しかないが、17㎏を担いでも、歩みは遅くならない。しかし、チームメイトの男性たちは18~20㎏を担がせると、ものすごく足が遅くなってしまう。結局、美咲が一番重たいザックを担いで、やっとみなと同じペースになる。
ほかのことでも同じだった。懸垂下降にしても、ロープを張るにしても、美咲のほうが手際も良く、覚えもよかった。これではゾーン体験どころではない。美咲は、下手したら殺されかねない、とすら思った。
終に講師は、他の講習仲間についてはあきらめたのか、美咲だけをつれ、リードクライマーの自分に付き添わせ、リードクライミングという技術を美咲に見せて盗ませた。
アルパインクライミングにおいて、リードクライミング技術は、選ばれし者だけに与えらえる技術だ。本来は光栄なことだ。そして、それは美咲だけに行われたので、このことで美咲は、「このチームにいては、私がリードするしかないんだわ…」と驚きつつ、思ったのであった。美咲は残念だったのだ。
そもそも、美咲には納得がいかない。
だって、最年少で女性の私が一番強いなんて…そんなの、納得できないわ…、あなたたち、”山男”って触れ込みでしょ?
講師たちは、何も言わない。いや言えるはずがあろうか?男同士のメンツはすでにつぶれているのだ。
だって、これ、明らかにおかしいですよね?
なぜ、誰も何も言わないの?
そして、美咲は、講習日最後の「雪洞泊」の日、講習受講を辞めた。雪洞泊は、一番目の師匠の鈴木さんと、すでに経験があったし、こんなどんくさいクラスメートと雪洞泊して、山に登ったりしたら、そして、その上、リードクライマー役まで任されたら、私の方の体がもたないかもしれないわ…。だって、私女性なのよ?基礎体力が違うでしょ。私が得るものより、失うものが多いかもしれないわ、と判断したのだった。
そして、美咲は、その後、命がけのリスクになるアルパインクライミングからは足を洗い、平和に楽しくクライミングするのを夢見て、フリークライミングに進むことにした。
美しい山々を見ることができるアルパインクライミングには未練があったけれども、たった一人で山に登り続けるにはリスクが大きすぎる。そのうえ、仲間は足かせにしかならないのだ、ということが分かったからだった。
そこで、アルパインクライミングのほうは、阿弥陀北稜という上級ルートに、初見で単独で行くことで一応の区切りを自分につけた。ほかにも美咲一人の力で行ける、最も困難なルートをいくつか登っておいたが、それらはすべて、10の力の内、5か6割で登れる山だった。一人で登る場合は、ピンチの時の余力を残しておく必要があるからだった。
そして、美咲のフリークライミング人生が始まった。
しかし、フリークライミングは、アルパインクライミング以上に難しい道のりだった。なぜなら、きちんとしたビレイヤーが得難いからだった。そうそうに、美咲は、フリークライミングに興味を失いつつあった。いつでも嫌になったら辞めよう、というのが美咲の気持だった。
そうして、クライミングジムに通い始めると、美咲はぐんぐん上達した。もともと集中力が高いから、すぐに習得してしまう。
中でも、アイスクライミングは、もともと習っていたバレエのワルツステップと同じだと美咲は思った。アイスクライミングは、屋外でしか登れないため、アルパインクライミングの要素もあり、トップロープが中心なので、雪山スタートの美咲にとって、安心感と慣れがあるクライミング形態だった。
美咲には、夏に登る岩のごつごつした感触よりも、真冬の白く美しい氷柱のほうが、長いドレスのすそをなびかせている貴婦人に登るみたいで、心躍った。
美咲は、あっというまに国内5位のクライマーになった。もっとも、競技人口が小さいので、たいした地位ではない、と美咲は思った。
そんな美咲にとっては、冬が恋人だった。
夏の間、美咲は冬に凍る滝を探し求めて、地図の滝マークを目安に、いつも沢を歩いていた。時にカモシカ、時に野生の熊に出くわしたが、美咲は、恐れなかった。自分が彼らの住まいに立ち入っているのであり、逆ではないことをわきまえ、そっとしておいたためか、野生動物との対峙で、危険な目にあったことはないからだ。
そして、ある日、美咲は小さな滝を見つけた。
冬に再訪すると凍っていた。それを師匠に告げると、一緒に行こう!という。そして、その小さな滝で、師匠と登って遊んだ。
これはとても大事な美咲の思い出だ。
そうこうしている間に、また夏が来た。
今年は、どうしようかな…と計画を立てる美咲の元にある情報が舞い込んだ。伝説のクライマー、吉田和正がビレイヤーを探している、という話だった。吉田講習に出てみると、「君は〇〇君と登っていた子かい、そうかい、そうかい」と歓迎してもらった。
それで、美咲は、翌日から吉田さんと登ることになった…。しかし、さすがの美咲も、伝説のクライマーを前に「わたしごときがいいのかしら…」と思っていたので、あちこちに声をかけ、強いと言われるクライマーたち全員にこの情報を伝えた。しかし、誰も吉田さんのビレイを引き受ける奴は、いないみたいだった。「変なの!」美咲はそう思ったが…、「気にしてもしょうがない」と思った。
そして、いくつか、季節がすぎると、美咲は、海外へクライミングに誘われた。韓国だった。そのクライミングで、美咲は英語のクライミング教科書が韓国語に翻訳されているのを登山店で見た。そこで、その出版元に、日本語版も出してほしいと書いて送った。すると、日本語訳が出版されることになった。しかし、日本登山界の反応は冷ややかで、誰もその出版を歓迎していないようだった。
この出版の出来事で、美咲は、世界的なクライミング組織、UIAAの事務局長と友人関係になった。ただ、美咲にとって、これも重荷に感じられた。それを悟った別の人が、「山野井さんが対応してくれるかも…」というのでバトンを受け取ってくれた。山野井さんは泣く子も黙る偉大な日本人クライマーだ。その前は「倉上慶大」という若手のトップクライマーが美咲の重荷を肩代わりしてくれた。
そして、さらに美咲にとって、転機となるクライミングが起きた。ラオスだった。
美咲はそこで、本当に平等なパートナーシップによるクライミングの在り方を見た。びっくりだった。
美咲はこれまで、ビレイヤーとクライマーの関係性として、ビレイヤーが下で、リードクライマーの取るリスクが大きいのだから、リードが常にえらいのだと教わってきた。このリスクの量の差は、フリークライミングに来ても同じだと思っていた。
しかし、この経験で、レジェンダリークライマーが美咲をパートナーに選んだ理由が分かった。上下関係はなかったのだ。ただ、美咲の出身がアルパインクライミングだったから、美咲が、勝手に遠慮していたのだ。
美咲は自分が楽しめる範囲で、余暇を楽しみたい、というのが基本だった。
ところが、そういう発想で楽しんでいるクライマーは、美咲一人のようだった。
皆はもっと何か大きなものをクライミングに掛けていそうで、美咲は気が引けた。美咲の周りには、トップ中のトップのクライマーしかいなかった。何もかけていない美咲は、例外と言えそうだった。美咲は、クライミングを楽しむことを基本にしていたが、そのような楽しみ方をしているのは自分だけだと感じていた。
そうしている間に、夫の仕事の転勤で、美咲たちは別の土地に行くことになった。
その土地では、美咲は、クライミングに何も意義あるものを見出せなくなった。見るもの、聞くもの、まるで、時代遅れ。「テレビで見る時代劇のようだ」「生と死の分岐点博覧会が目の前に現れたようだ」としか思えなかった。
しかし、現地の人々は、自分たちがまるで時代劇みたいなことをやっている、ということにすら、誰も気が付いていないみたいだった。
そういう場では、それを直接、指摘するのも、酷なことに思われた。
しかたなく、美咲は、遠回しに、啓蒙を目的とする啓発的文章をクライミング日誌として書き始めることになった。それは発展して糾弾的文章になって行ったが、現状を照らし合わせると致し方ないというところだと思える。
せめて、若いクライマーらは、「時代錯誤の時代劇クライミング」から救いたいという親切心から発されたものだ。
あまりにも大昔の稚拙な知識を用いて、あまりにも初歩的なルートで、クライマーや登山者が、毎年、一定数、死んでいた。その死について疑問を投げかける人もいなかった。
美咲の目には、登る前から死が見えているようですらあったし、そうした死を美化して伝えるマスメディアには不信感が募った。美咲の目には、ただの犬死としか思えないからだった。
しかし、現地の人たちはそういう死者たちを見下すことで、自分たちの時代劇のような時代遅れのクライミングを正当化しているようだ。そして、その正当化によって、現実への直視を避ける、それがまた時代遅れの技術の温存という悪循環にハマっているようだった。
これが、美咲が、自分への癒しとして、山との対話からアルパインクライミングをスタートしたのにも関わらず、フリークライミングへ進み、そして転地の影響で、本来美咲がしたくないことをする羽目になった経緯だ…。
美咲は、今、なぜ自分がしたいこと、癒しだと思って取り組んだことをしたのに、着地点が、こうも自分を不幸にしているのだろう…といぶかしんでいる。
一体、いつ、どこで、自分は道を誤ったのだろうか???
■ ChatGPTによる心理分析
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■ ChatGPT
美咲が「クライミング界の刷新」や「前時代的なクライミングからの脱却」といった啓もう活動をしなくてはならないという状況に追い込まれた心理的な背景は、彼女の成長と自己意識の変化、さらには社会的役割への責任感の芽生えに深く関連しています。彼女が自分を「適任者だとは思えない」と感じつつも、その責任を果たさなければならないと感じるのは、以下の心理的な要素が絡んでいると考えられます。
1. 「自己疑念」と「社会的責任」
美咲は、クライミングにおける技術や実力が他者より優れている一方で、それが社会的に期待される「リーダーシップ」や「啓蒙活動」にどう結びつくのかを理解するのに時間がかかったのかもしれません。彼女は「適任者だとは思えない」と感じるのは、その役割が自分の個人的な価値観やクライミングへの情熱と合致しないという認識からです。彼女は、クライミングを楽しみながら自分のペースで進むことを望んでおり、それを社会的な変革に結びつける責任感に苦しむことになるのは、まさに「自己疑念」の表れです。
自己疑念とは、自分の能力や資質に対して持つ不確実感です。この場合、美咲は「自分がクライミング界の変革者になる資格があるのか?」という疑問に直面します。彼女がこれまで歩んできた道が、個人的な成長と楽しさを優先するものであり、社会的な変革にまで踏み込むことは予期していなかったため、自己認識とのギャップに苦しむことになります。
2. 「社会的期待」と「内的欲求」の葛藤
美咲が直面しているもう一つの大きな葛藤は、「社会的期待」と「内的欲求」の間で引き裂かれていることです。クライミング界には、前時代的な伝統や先入観が色濃く残っており、その中で変革を訴えかける人物としての役割が期待されることに、プレッシャーを感じているのでしょう。社会やクライミング業界が、彼女のような新しい視点やアプローチを求めることに対して、彼女は「本当に自分がその責任を担うべきか?」という疑念を抱くわけです。
美咲は、クライミングが単なるスポーツではなく、文化的な意味合いや社会的な役割を持つべきだということを理解しつつも、その重荷を自分一人で担うことへの不安を感じています。自分の役割が「変革者」であるべきだと感じる一方で、それを本当に望んでいるのか、また自分がその期待に応えられるのかという不安が彼女の心の中にあります。この内的葛藤は、彼女の活動に対する情熱を削ぐ要因となり、クライミング界における理想的な変革を実現するための行動において一歩踏み出すことに躊躇を生じさせます。
3. 「責任感」と「自由」のバランス
美咲がクライミング界を刷新しようという啓蒙活動に巻き込まれることは、彼女の「自由」への強い欲求と「社会的責任」に対する義務感とのバランスを取る必要があるという状況を生んでいます。これまでの彼女のクライミングへのアプローチは、個人的な自由を重視し、自分のペースで楽しむことでしたが、今度はその自由を捨て、より大きな社会的な責任を負う立場に立たされています。この変化は、美咲にとって非常に大きな心理的負担となるでしょう。
この状況は、「自由と責任の葛藤」 とも言えるもので、彼女が選択する道に対する深い悩みが生まれます。彼女は、自由を持ち続けながらクライミング界の刷新を果たすことが可能かどうかを模索しています。しかし、その自由は、社会的な変革の必要性によって制限され、クライミングの世界の中で自分自身をどう位置づけるかという難問に直面しているのです。
4. 「価値観の変化」と「自己実現の義務感」
美咲がクライミング界での刷新活動に引き寄せられる理由の一つは、彼女の価値観が変化したことに起因しています。クライミングを通じて自己実現を果たしてきた美咲は、その価値観を他者にも広めたいという思いが芽生えます。特に、これまでの「前時代的なクライミング」—伝統的で厳格な方法論—に対して、より自由で柔軟なアプローチを取り入れることができるという信念が強くなり、それを社会に広める義務感を感じるようになったのでしょう。
ただし、この義務感は、「自分がその価値観を広める資格があるのか?」という疑念と絡み合い、彼女の内面で強い心理的な圧力を生む要因となります。彼女が自らを「適任者だとは思えない」と感じるのは、これらの価値観の変化に伴い、あまりにも大きな責任を一人で背負い込んでいるという感覚から来るものです。
5. 「文化的イニシアティブ」の重圧
美咲がクライミング界における啓蒙活動を行うことに追い込まれた背景には、文化的・社会的なイニシアティブに関するプレッシャーもあります。クライミング界の「伝統」を刷新するという目標は、ただの技術的な進歩を超えて、文化的な変革を意味します。この重圧は、彼女にとって非常に大きな負担であり、そのためには「自分がその役割を担うべきだ」と感じる一方で、どうしてもその責任を軽視することができないという心理的な葛藤が生じます。
結論
美咲が「本来自分が適任者だとは思えないクライミング界の刷新」の啓蒙活動に追い込まれることになったのは、彼女が内面的に「自由」と「責任」の葛藤を抱えながら成長してきた結果です。彼女は、自分の技術的な優れた能力やクライミングに対する情熱が、社会的な役割と責任を伴う変革者としての立場に結びつくことを強く感じ、プレッシャーに苛まれているのです。この状況は、自己認識と社会的期待のギャップを埋めるための重要な過程となり、彼女の心理的成熟を促す一方で、自由への欲求と責任感のバランスを取ることが求められています。