2026/02/12

ガスライティング・オンザ・ウォールにウケた

以下は、Geminiにクライミングパートナーがナルシシストだった場合、で次の内容を出力させた結果です。 

クライミングパートナーがナースシスト(自己愛の強い人)だった場合、そのクライミングは命を守り合う「信頼のスポーツ」から、「相手を輝かせるための過酷な労働」へと変貌します。

登っている最中も、地上でビレイ(確保)している時も、以下のような歪んだダイナミクスが発生します。


ナースシストなパートナーとの「危険なクライミング」

  • 手柄はすべて自分、ミスはすべて君のせい

    彼らが完登(レッドポイント)すれば「自分の実力」ですが、もし墜落すれば「君のビレイの仕方が悪かった」「ロープの出し方が遅かった」と、あらゆる理由をつけてあなたのせいにします。

  • 君の完登を喜ばない(むしろ邪魔をする)

    あなたが難しいルートを登りそうになると、「あそこはホールドが欠けそうだぞ」「そのムーブは危ない」と不安を煽ったり、登り切った後も「あそこはグレード(難易度)が甘いからな」とあなたの達成感を過小評価して奪います。

  • 「ビレイの奴隷」にされる

    彼らは何時間でも自分のプロジェクト(目標ルート)にトライし続けますが、あなたの番になると「急に指が痛くなった」「今日はもう疲れた」と、あなたが登る機会を奪います。パートナーシップは常に一方通行です。

  • 安全よりも「映え」を優先する

    リスク管理よりも、周囲にどう見られているかを気にします。危険なノープロテクション状態でも「かっこいいから」と強行し、それを止めるあなたを「臆病者」扱いしてコントロールしようとします。

  • ガスライティング・オン・ザ・ウォール

    あなたが「さっきの言葉で傷ついた」と伝えても、「そんなこと言ってない」「考えすぎだ」「君がネガティブだから登りに集中できないんだ」と、あなたの記憶や感情を書き換え、あなたが悪いかのように錯覚させます。


そのパートナーが「岩場」で放つレッドフラッグ(危険信号)

状況ナースシストなパートナーの言動
ギアの準備自分のギアは大切にするが、君のギアの摩耗には無関心(あるいは君のギアを当然のように使う)。
墜落時「大丈夫か?」という言葉より先に、自分のプライドが傷ついたことへの怒りや言い訳が出る。
他人のクライマー周囲のうまいクライマーを過剰に批判するか、逆に取り入って自分の人脈自慢に使う。
アドバイス求められていないのに「ベータ(攻略法)」を押し付け、君が自分の力で解決する喜びを奪う。

生き残るための「アンザイレン(結びつき)」解除

もしあなたのパートナーがこれに当てはまるなら、あなたは**「常に墜落の恐怖と隣り合わせで、さらに背後からロープを引かれている」**ような状態です。

クライミングにおいて最も大切なのは「信頼」ですが、ナースシストとの間に真の信頼は築けません。彼らにとって、あなたはパートナーではなく、「自分を高く持ち上げるための踏み台」に過ぎないからです。

「そのロープ、切る勇気はありますか?」

地上に降りて、自分の足でしっかりと立ち、安全なパートナーを探す権利があなたにはあります。


クライミングのメタファーで言えば、エニアグラムのタイプ1(改革する人)という「役割」は、**「常に完璧なルート図を描き、一歩のミスも許されず、パーティ全体を正しく導かなければならない」**という、子供の頃に家族から背負わされた重いバックパックのようなものかもしれませんね。

「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」「正しくありなさい」という期待に応えるために、あなたは自分の弱音や自由を切り捨てて、その重い荷物を背負いながら、誰よりも正確に壁を登る術を身につけてこられたのでしょう。

エニアグラムで出たその「性格」は、確かに今のあなたを形作っている強力なスキル(正確さ、責任感、倫理観)ではありますが、同時にそれは**「そう振る舞わなければ、家族というパーティの中で自分の居場所(安全)を確保できなかった」**という生存戦略の結果でもあります。

本来のクライミングが、もっと自由で、時にはルートを外れても、不格好に登ってもいいものであるはずなのに、タイプ1という「偽りの自己」の鎧を着ていると、以下のような苦しさが生じがちです。

  • 「正しさ」という自分への厳しいビレイ: 自分が少しでも「正しくない」と感じると、心の中の厳しい監視員がロープを強く引き絞り、あなたを動けなくさせてしまいます。

  • 他人の不完全さが許せない: パートナー(夫)がナースシストで、ルールを無視したり責任を押し付けてきたりすると、タイプ1の正義感は激しく摩耗し、人一倍強い怒りと絶望を感じることになります。

「偽りの自己(エニアグラムのタイプ)」が、家族を守り、自分を守るための**「借り物の装備」**だったと気づくことは、回復への大きな一歩です。

これからは、その重い「正しさ」という荷物を少しずつ下ろして、**「正しくなくても、完璧でなくても、ただそこに存在していい」**という、本来の自分自身の感覚で岩壁に向き合えるようになるといいですね。

2026/02/11

5.10cしかないのに1m置きだったルートの謎

 こういう事情だったのかなぁ。謎。

5.10cというフリーの難易度に対して1mおきにボルトがあるというのは、エイドクライミングの視点で見ると、実は非常に**「論理的で必然的な理由」**があります。


エイドルートでボルトが1mおきになる理由

エイドクライミングにおいて、ボルトは「安全のための支点」である以上に、**「次の立ち位置を確保するためのステップ(足場)」**です。

  • アブミのストローク: アブミを一段上がって、次のボルトにカラビナをかけ、またアブミを架け替える。この一連の動作において、1m〜1.2m程度の間隔は「最も効率よく、体力を消耗せずに高度を稼げる距離」です。

  • 「最上段」を使わない選択: 前回お話しした「アブミの最上段に立ち、背を伸ばして遠くに打つ」のは、ボルトの数を節約し、スピードを上げるための技術です。一方で、1mおきに打たれているルートは、**「アブミの中段くらいで安定して、確実に次のボルトを打つ」**という非常に堅実(あるいは開拓時に余裕がなかった)な工法の結果と言えます。

  • ピンチやハング: 傾斜が強かったり、ホールドが全くない「つるつるの壁(フェイス)」をエイドで越えようとする場合、少しでもバランスを崩すと危険なため、結果的にボルトの間隔はどんどん狭くなります。

フリー化した時の「1mおき」の不気味さ

これをフリーで登ろうとすると、現代の感覚では逆に「異様」に感じられますよね。

  1. クリップの地獄: 1mおきにボルトがあるということは、2〜3手動くたびにクリップしなければなりません。5.10cという絶妙な難易度の中で、常にロープ操作に追われることになり、フリークライミングとしてのリズムは完全に破壊されます。

  2. 「落ちてもいい」わけではない: エイド時代の古いボルト(リングボルトや腐食したハーケン)が1mおきに並んでいる場合、ボルトが近くても「1本抜けると連鎖的に抜ける」という恐怖があり、結局「落ちれない」というリスクは変わらないこともあります。

  3. 歴史の重み: その1mの間隔は、当時の開拓者が「ここには絶対に手がかりがない」と絶望し、一歩一歩ボルトを打ち込んで進んだ苦闘の跡そのものです。


まとめ:九州の「遠いボルト」 vs エイドの「近いボルト」

同じエイド開拓でも、両極端な姿が見られます。

  • 遠いボルト: 「一刻も早くこの壁を抜けたい」というスピード重視、あるいは開拓者の超人的なリーチ。

  • 1mおきのボルト: 「一歩も引き下がれない」という執念の人工登攀。

5.10cという同じグレードでも、ボルトが1mおきにあるエイド上がりのルートは、クリップの煩わしさと、当時の開拓者の「執念」が混ざり合った、なんとも言えない独特の疲労感を感じさせます。

そのような「1mおきのエイド上がりルート」を登った際は、やはりクリップに苦労されましたか?あるいは、逆にそのボルトを無視して(スキップして)登るようなスタイルを取られたのでしょうか。