九州の岩場は、エイド登攀(人工登攀)時代の名残が強く、エイドではアブミの一番上の段に一番背が高い人が乗って開拓するのです。必然的に、クライミングムーブとは無関係な位置にボルトが打たれることになり、ムーブとは調和しないランナウト(支点間の距離が長いこと)が「ミニマムボルト」と称される傾向があります。
日本の岩場における開拓の歴史は、大きく分けて3つの時代に分類できます。それは、単に技術が進化の歴史であるだけでなく、「岩壁をどう捉えるか」という思想の変遷でもあります。
1. 黎明期〜エイド登攀(人工登攀)時代
(1950年代〜1970年代後半)
戦後の登山ブームから始まり、谷川岳や剣岳、そして九州の比叡や行縢といった大岩壁がターゲットとなりました。
スタイル: 「登れない場所は道具を使って登る」という考え方が主流です。ハーケンを打ち込み、アブミ(縄ばしご)をかけ、一歩ずつ高度を稼ぎました。
開拓の論理: お話しいただいた通り、**「アブミの最上段から手の届く範囲」**に次の支点を打つため、現代のフリークライミングのムーブとは無関係な位置にボルトが配置されました。
精神: 登頂そのものが目的であり、岩場は「克服すべき対象」でした。
2. フリークライミングの胎動〜「ジャパニーズ・フリー」
(1970年代後半〜1980年代後半)
アメリカのヨセミテ帰りのクライマーたちによって、道具に頼らず己の肉体だけで登る「フリークライミング」の概念が持ち込まれました。
スタイル: 既存のエイドルートを、アブミを使わずに登り直す「フリー化」が進みました。
葛藤: 当時は「残置ボルトを叩き潰して除去する(チョップ)」か、あるいは「エイド時代の遠いボルトをそのまま使って命がけで登る(ランナウトを受け入れる)」かで、激しい論争が起きました。
特徴: 小川山や城ヶ崎といったエリアが拓かれ、クラック(岩の割れ目)をナチュプロ(カムなど)で登るスタイルが流行しました。
3. スポーツクライミングの普及とリボルト
(1990年代〜現代)
「より安全に、より純粋に難しさを追求する」スポーツクライミングが主流となりました。
スタイル: 終了点や中間支点に強固なケミカルアンカー等が使われるようになり、ルートの安全性・公平性が重視されるようになりました。
開拓の変容: 現代の新ルート開拓では、開拓者が実際に**「フリーのムーブ」をこなしながら、適切な位置にボルトを配置**します(ラッペルボルト)。
現状: 九州などの歴史ある岩場では、当時の「エイド時代のボルト」を歴史的遺産としてそのまま残すのか、安全のために「リボルト(打ち直し)」して現代的な位置に動かすのか、今なおデリケートな議論が続いています。
日本の開拓史まとめ
| 時代 | 主な道具 | 価値観 | ボルトの位置 |
| エイド時代 | アブミ、ハーケン | 登頂・高度 | アブミから届く範囲(不自然) |
| フリー移行期 | カム、チョーク | 冒険・精神性 | 既存ボルトのまま(ランナウト) |
| スポーツ時代 | 固定ボルト | 難易度・安全性 | ムーブに連動(合理的) |
九州の岩場における「ミニマムボルト」の精神は、まさにこの第2期の「冒険的フリー」への移行期に、第1期のエイドの不自然さが組み合わさって生まれた独特の文化といえるかもしれません。
この歴史的背景を踏まえると、あの「遠すぎるボルト」も、当時の開拓者の必死な息遣い(あるいは背伸びした爪先)の記録に見えてくるのが不思議なところですね。
■日本の岩場におけるグレードの変遷
単に「難易度が上がった」だけでなく、**「何を難しいと定義するか」**が時代とともに変化してきた歴史でもあります。
お話しいただいた九州の岩場のような「エイド時代のボルト位置」を残したルートは、現代の基準で見ると難易度以上に「恐怖(メンタル)」の比重が非常に高いのが特徴です。
日本のクライミング・グレード変遷史
日本のフリークライミングでは主に**デシマル・システム(5.10aなど)**が使われますが、時代の背景によってその内実が異なります。
| 難易度区分 | 1. エイド・黎明期 (IV〜VI級) | 2. フリー移行期 (5.10〜5.12) | 3. スポーツ・現代 (5.13〜) |
| 初級 | IV級程度 階段状。アブミがあれば誰でも登れた時代。 | 5.8 〜 5.9 「初心者はここから」という現代の基準が確立。 | 5.10a前後 ジム経験者なら初日から登れるレベル。 |
| 中級 | V級 〜 VI級 当時の限界。当時のボルト間隔だと死を覚悟するレベル。 | 5.10b 〜 5.11b 本格的なトレーニングが必要になった時代。 | 5.11c 〜 5.12c 岩場に通い詰める「クライマー」のメイン層。 |
| 上級 | (存在せず) 人間には不可能とされた領域。 | 5.12c 〜 5.13b 1980年代、選ばれし「天才」だけが到達できた。 | 5.13c 〜 5.14d アスリートとしての能力が求められる領域。 |
| 世界最高 | A3 〜 A5 (人工登攀) 「墜落=支点が全部抜ける」恐怖の対象。 | 5.14a (1980年代) 日本初の5.14は1986年の「エボリューション」。 | 5.15c 〜 5.15d アダム・オンドラ等、世界数名のみが到達。 |
時代背景とグレードの質的変化
1. エイド時代:高度への挑戦
この時代は「グレード=到達の困難さ」でした。
特徴: 支点(ボルト)は「アブミをかけるため」のもの。
グレード感: 現代のフリーで登ると「5.10台なのにボルトが10mない」といった、物理的難易度よりも精神的難易度が先行するルートが多く生まれました。これが九州の岩場に多く残る「不調和なランナウト」の正体です。
2. フリー移行期:肉体への挑戦
1980年代、「5.10(テン)が登れればプロ級」と言われた時代です。
特徴: 岩の弱点(クラックなど)を突く登りから、何もない壁(フェイス)へと対象が移りました。
グレード感: 九州の「比叡」などで開拓が進んだ時期ですが、ボルト配置はまだエイドの名残が強く、「グレードは低いのに落ちたら死ぬ」というルートがステータスとされていました。
3. スポーツ・現代:純粋な難度の追求
1990年代以降、ボルトの安全性が担保され、純粋に「指のかかりの悪さ」や「ムーブの複雑さ」でグレードが決まるようになりました。
特徴: 安全に落ちることができるため、限界ギリギリのムーブを攻められる。
グレード感: 現在、世界最高難度は 5.15d に達しています。これはもはや「指の力」だけでなく、現代科学に基づいたトレーニングの成果です。
まとめ:九州の「ミニマムボルト」をどう捉えるか
現代のスポーツクライミングの尺度(5.15dを頂点とする物差し)で測ると、エイド時代に拓かれた「5.10台のランナウトルート」は、グレード数字上は「初中級」に見えてしまいます。
しかし、その実態は、「当時の開拓者のリーチと勇気」という、数値化できない基準で打たれたボルトとの戦いです。
歴史を知ることで、不条理なランナウトも「当時の開拓者がアブミの上で背伸びをした証」というストーリーとして楽しめるかもしれませんね。
クライミング界の悲劇はこれを誰も私にこのように正確に説明できる能力がある人がいなかったことですね。