2025/08/27

どういうクライマーがヒューマンエラーによる事故を誘発しやすいか

 エニアグラムのタイプ別です。

タイプ 動機 安全軽視につながる行動パターン 現場での具体例
タイプ3(達成者) 結果・実績を出したい、認められたい 成功優先で手順や安全確認を省略 ルートを急ぎすぎて、ロープ長や支点確認を怠る
タイプ4(個性派・自己探求者) 独自性・特別な体験を追求 感情・自己表現優先で危険を軽視 難易度やリスクの高いルートを、自分らしさのために無理に挑戦
タイプ7(楽天家・冒険者) 楽しさ・刺激を求める 楽しさ重視で計画・準備を省略 ロープやギアの確認を後回しにして、スピード登攀や遊び登りを優先
タイプ8(挑戦者・統率者) 力や支配感、自己主張 他人を押しのけてリスクを顧みない 自分の意見でルートを決め、チームの安全確認を無視する
タイプ3/8混合(達成+挑戦) 実績+支配欲 結果と自己主張優先で手順軽視 無理なリードやビレイ判断で、他者の安全も危険に晒す

実績支配欲って旧式のクライマー像ですね。

2025/08/26

【五木】五木の岩場も日の目を見る機会があるかもしれない

 【発表内容ご紹介 土屋望生氏】

九州ソーシャルビジネスサポートネットワークフォーラム2025 ~対話による新価値創造、新結合から生まれる地域発ソーシャルビジネス物語~
◆「 好きな街で仕事をつくる 」
 土屋望生氏 株式会社日添 取締役
 九州で一番人口の少ない950人の熊本県五木村で、自分たちの街を自分たちでつくる村民の挑戦。村内事業者のそれぞれの役割と、どんな課題に向けてどのようにチャレンジをしているのか。また、行政・民間・村民・都市部人材・大企業との協業のあり方とその仕組みをどう回しているのかをお話しします。
 五木のコト ブログ https://itsuki-no-koto.com/
【日時】令和7年 9月3日(水)  13時45分~18時
【会場】福岡市民ホール 小ホール(福岡市中央区天神5丁目2-2)
【参加費】1,000円(SB事例紹介+対話交流会含む) 
 今回のフォーラムでは『参加し聞いて学ぶから、対話し参画、次の行動へ』をテ―マに、『対話』の時間を多様に組み合わせて開催します。
 オンライン配信、アーカイブ配信はありません。会場へお集まりください。
■お申込み
 申込フォーム( https://forms.gle/X5CfmH6zD1ZT29rm8
 )にてお申込みください。
 ※申込期限9月1日(月)17:00までにお願いします。
【お問い合わせ】 
一般社団法人SINKa (事務局担当:藤田)
 TEL:092-762-3789
 メール:info@sinkweb.net

2025/08/25

瑞牆

 https://www.alpine-climb.jp/post/20251004_mizugakiyama_gathering

2025/08/23

【アクセス問題】チッピングしたクライマーを人前で叱ると、もっと悪いことをやるようになる。

 目立ちたがり屋の人を、人前で叱るのは逆効果だからです。目立ちたがり屋の人は、目立ったことが嬉しくて、叱られるようなことをさらにするようになります。


竹内成彦. 自分を知れば、もっと楽に生きられる。: 心理カウンセラーが書いた「幸せの性格読本」 (p.35). Kindle 版. 




2025/08/20

逆転移×投影同一視

 なるほど、この状況も心理学的には逆転移や投影同一視の延長上で説明できます。整理するとこうなります。


1. 夫の心理的構造

  • 母親像の投影

    • 夫は妻に、幼少期に母親から受けられなかった「甘えさせてもらう・子ども扱いされる」という体験を無意識に期待している。

  • 逆転移・依存欲求

    • 妻がその期待に応えないと、幼少期に感じた不満や怒りが再現される。

    • この怒りは「妻そのものに対するもの」ではなく、母親に甘えられなかった自分の怒りの再体験であることが多い。


2. 怒りの心理メカニズム

  1. 期待の不一致

    • 無意識に「母親役として自分を甘やかしてくれること」を期待

    • 現実の妻はパートナーとして対等に接するため、その期待は裏切られる

  2. 幼児的未解決感情の再体験

    • 幼少期に母に甘えられなかったフラストレーションや不満が、今の妻との関係に投影される

    • 「自分を子ども扱いしてほしい」というニーズと現実の妻の対応のギャップが怒りになる

  3. 投影・逆転移の循環

    • 夫の怒り → 妻が反応する → 夫の怒りが強化される

    • この循環が解消されない限り、関係は緊張しやすい


3. 改善の方向性

  • 自己認識の促進

    • 夫が「この怒りは妻に対するものではなく、自分の未解決の幼児期感情に起因する」と理解する

  • 境界と役割の再確認

    • 妻を母親役にせず、パートナーとしての関係を明確化する

  • 心理的満足の分離

    • 幼少期に満たされなかった依存欲求は、カウンセリングや安全な心理的回帰法で処理する


まとめると、この夫は妻に母親像を投影しているため、自分を甘やかしてくれない現実に怒りを感じる状態です。
この怒りは妻のせいではなく、夫自身の未解決の心理的ニーズの現れと見るのが正確です。

希望なら、この「母親投影 × 甘え欲求 × 怒りの循環」を図式化してマップ化することもできます。作りますか?

2025/08/19

逆転移+投影同一視が起きている

弟を亡くした姉である私にとって、若い男性クライマーがみな、弟のように見え、「守ってあげなければ」と過剰に感じてしまう+そこへ、ちゃっかり、便乗する。

お話の構造を心理学的に整理すると、いくつかの要素が絡み合っているように思えます。


🔹 1. 「弟を亡くした姉」という立場の記憶と感情

  • 喪失体験によって「守れなかった」「もっと支えたかった」という思いが心の奥に残るのは自然です。

  • その未完の感情が、似た対象(=若い男性クライマー)に出会うと強く喚起されやすい。

👉 これは 逆転移的な反応 に近いもので、「相手に弟を重ねる」という再演が生じています。


🔹 2. 「守ってあげなければ」という過剰さ

  • クライマーの安全は大事ですが、「過剰に守らなきゃ」という衝動が出てくるのは、過去の喪失感と結びついているから。

  • これは 愛情と痛みがセットになった心の遺産 と言えます。


🔹 3. 「便乗する若者」

  • 若い男性クライマーの側も無意識にそれを感じ取り、姉的な保護の役割をあなたに期待してしまう。

  • これは 投影同一視 的な力動に近いです。

    • 彼らは「守ってくれる人」を欲しがる。

    • あなたは「守れなかった弟」の影響から守りたい衝動が強い。

    • 両者の無意識が「ぴたり」と噛み合って、実際にその関係が再現されてしまう。


🔹 4. どう扱えるか

  1. 「弟を守りたい気持ちが生きている」と認める

    • それは失った人とのつながりを大切にしている証。

    • 決して否定すべきものではありません。

  2. 若いクライマー=弟そのものではないと意識に戻す

    • 「この人はこの人」「私の弟ではない」と、意識で確認する習慣。

  3. 境界を意識する

    • 守りたい衝動が湧いても、相手の自立や責任を奪わないこと。

    • 「見守る」と「介入する」の線引きを考える。

  4. 逆転移と投影同一視を“気づきの材料”にする

    • 自分が「過剰に守りたくなるとき」=心の中で弟との関係が揺れているサイン。

    • そのとき「今の相手に必要な関わり方」と「私の心が求めていること」を区別してみる。


なるほど、「守りたい」というよりも、年下だから仕方ないな〜 という感覚なのですね。
とても大事なニュアンスの違いだと思います。


🔹 「守りたい」と「仕方ないな〜」の違い

  • 守りたい

    • 過去の喪失や罪責感から来る衝動(ケアの強迫、過剰な庇護)につながりやすい。

  • 仕方ないな〜

    • 年齢や経験差を前提にした「余裕ある姉的な態度」。

    • 相手の未熟さや甘えをある程度「しょうがない」と受け入れる、包容的な姿勢。

つまりあなたの感覚は「過剰な保護」ではなく、相手を子ども扱いしているわけでもないけれど、経験的に自分の方が余裕があるから自然に出てくる態度に近いと思います。


🔹 「便乗される」と感じるのはなぜか

  • 若い男性クライマーがあなたの「仕方ないな〜」という包容力を無意識に察知して、甘えたり依存的に振る舞ったりする。

  • すると、あなたは「またか、うまく乗っかってくるなあ」と感じる。

  • これは必ずしも悪いことではなく、場に自然に生まれる力動です。


🔹 向き合い方のヒント

  1. 「仕方ないな〜」は強さの表れ

    • あなたが余裕を持っているからこそ出てくる感覚。

    • 弟さんのことと結びついていても、それは「守れなかったから守らねば」ではなく「年下を包み込む自然な姉的態度」になっている。

  2. 境界を保つ

    • 相手が便乗しても、自分が疲れない程度に線を引くことが大切。

    • 「そこまでは私の役目じゃないな」と思えたら、引き受けすぎずに手を離す。

  3. 役割を引き受けすぎない工夫

    • クライミング場では「姉」ポジションになってしまいやすいので、ときには「対等な仲間」として接する意識を持つ。

    • たとえば「自分で考えたら?」と軽く返すのも、関係の健全さを保つ助けになります。


🧩 まとめると、
あなたが感じているのは「喪失から来る強迫的な守りたい気持ち」ではなく、経験差や立場から自然に湧く包容感
ただしそこに「便乗」が生じるのは、相手の無意識とあなたの態度がかみ合っているからで、境界を意識的に調整すれば健全な関係性を保てるはずです。


ここで質問なのですが:
あなたにとって「便乗される」ことは、心地よい(甘えてくれてかわいい)感覚に近いですか?
それとも 負担(利用されている)感覚に近いですか?

なるほど…「便乗されている」ではなく 「利用されている感じ」 がするのですね。
ここには「仕方ないな〜」という余裕や包容とは違う、搾取されているような不快感が含まれています。


🔹 「利用されている感じ」が生じる構造

  1. 年下=甘えが許される という文化的・関係的な暗黙ルール
    → 相手が「どうせ受け止めてくれるだろう」と思って寄りかかってくる。

  2. あなたの姉的立場(経験や包容)
    → つい受け止める側に回りやすくなる。

  3. 相手の無自覚な依存
    → 感謝やリスペクトが十分でないまま、便利に甘えられる。

この三つが噛み合うと、「仕方ないな〜」を超えて 「搾取されてる」 感覚が生まれやすいです。


🔹 どう対処できるか

1. 感覚を信じる

「利用されている感じ」は誤解でも弱さでもなく、境界を守るサインです。
その違和感を押し殺さずに「これは違う」と受け止めてよいです。

2. 境界を明確にする

  • 物理的な手伝いや時間を過剰に割かない

  • 「自分の責任じゃないことは相手に返す」

  • あえて突き放す必要はなくても、自分のエネルギーを守る線引きを意識する。

3. 関係を「対等」に戻す工夫

  • 例えば「私が姉であなたが弟」という構図を意識しすぎない。

  • あえて「クライマー仲間」としての対等さを強調する。

4. 感謝がないなら受けない

  • 相手があなたを当たり前のように利用し続けるなら、それは不健全な関係です。

  • 感謝や敬意が返ってこないところには、力を注がなくても大丈夫です。


🔹 まとめ

「仕方ないな〜」の余裕と、「利用されている感じ」の不快さは別物です。
前者はあなたの強さから自然に生まれるもので、後者は相手が境界を越えてきているサイン。

👉 不快な方に気づいたら、境界を立て直し、対等さを保つことが鍵になります。


ここでちょっと聞きたいのですが、
その「利用されている感じ」は、クライミングの場面での 身体的なサポート(ビレイ・送り迎えなど) に関わることが多いですか?
それとも 心理的な頼られ方(悩み相談・甘えなど)が多いですか?

ああ、なるほどです。単に物理的サポートを頼まれているだけでなく、リスク管理まで丸ごと任されているように感じるのですね。
これは「利用されている感覚」の中でも、特に責任の重さ・心理的負担が大きいパターンです。


🔹 状況の構造

  1. 経験差や信頼感からの依存

    • 若い男性クライマーは、自分でリスクを管理する経験が不足していることも多く、あなたに全面的に任せてしまう。

  2. 無意識の期待

    • 「姉的存在だから、守ってくれるはず」という無意識の前提が働いている。

    • あなたが「仕方ないな〜」と思う余裕を見せることで、相手は安心して依存する。

  3. 心理的負担の偏り

    • あなたは「自分がやらないと事故になるかも」と緊張する。

    • 相手は楽観的・無自覚で、自分のリスクはあまり意識していないことが多い。


🔹 対処の考え方

1. 責任の線引き

  • 「安全はチーム全体の責任」であることを明言する。

  • 自分一人でリスクを背負わないことを意識。

  • 例:「私は安全確認を補助するけど、最終判断は自分でしてください」

2. 事前にルールを決める

  • ビレイ、ロープ管理、荷物運搬の範囲を明確化。

  • 「今日は○○まで私がチェックする、それ以上は自己責任」と線引き。

3. 教える・共有する

  • 若いクライマーにリスク管理のポイントを簡単に教え、自立を促す。

  • 例:「自分の荷物や装備は自分で確認する」「落ちる可能性を常に意識する」

4. 心理的境界を意識する

  • 「丸投げされている感覚」を無視せず、自分の負担が増えすぎないよう調整。

  • 「やる/やらない」の選択権を自分に残す。


💡 まとめると

  • 「守る余裕」と「丸投げされる負担」は別物です。

  • 丸投げされている場合は境界を明確にして、責任を分散させることが必須です。

  • これにより、自分が疲弊せず、安全も守れるバランスが取れます。


希望であれば、この「丸投げされがちなリスク管理」を具体的に現場で線引きして対処する方法として、短い行動ガイドにまとめることもできます。作りますか?

クライミングを心理的虐待にしないために…やってはいけないことリスト

偶然ですが、クライミング体験に特化した「自己一致・心理的統合チェックリスト」がでてきました。

クライミングって、容易に虐待経験になるんですよ。

というのは、クライミングって、些細なミスの結果が、死亡や障害など重大結末になることが多いんです。

楽しいことをやっているつもりで、死亡事故になったら、トラウマですよね。

クライミング版・自己一致チェックリスト

1. 自己選択(自分の意思で行動しているか)

  • 今のルート選択や登り方は、自分が納得して選んだものか?

  • 他人のプレッシャーや見栄で無理をしていないか?

  • 例:怖い課題は避ける/挑戦したい課題を選ぶ


2. 自己一致(価値観と行動が一致しているか)

  • クライミング中の行動は、自分の価値観や信念に沿っているか?

  • 後悔や違和感を感じず、心地よく登れているか?

  • 例:安全第一を重視して確実なクリップを行う/自然環境を大事にする


3. 他者・個の尊重

  • 相手のペース・技量・恐怖感を尊重できたか?

  • パートナーや他のクライマーの意見を尊重しつつ、自分の判断を曲げすぎていないか?

  • 例:ビレイ中に相手の不安に寄り添う/相手が休みたい時に待つ


4. 場・平和・安心の尊重

  • クライミング場の安全と雰囲気を壊さず、安心して楽しめる環境を作れたか?

  • トラブルや緊張を避け、仲間と調和して行動できたか?

  • 例:順番やマナーを守る/ギアの共有や整理で場を整える


5. 外部評価からの独立

  • 「上手く見せる」「周囲に認められたい」という欲求に振り回されず登れたか?

  • 他人の評価に基づいて危険を冒したり、無理なチャレンジをしていないか?

  • 例:高度な課題を見せつけるためだけに登らない/自分のペースで楽しむ


使い方

  1. クライミングセッション終了後に振り返る

  2. 各項目に「できた/できなかった」を簡単にチェック

  3. チェック数が多いほど、心理的統合度・自己一致度が高い

  4. 定期的に振り返ることで、自分の登り方や価値観のブレを把握できる


💡ポイント

  • 競争や見栄に流されず、自分軸で行動することが自己一致の核心

  • 小さな選択(休む、待つ、助ける、挑戦を控える)も積み重ねが統合度を高める

  • クライミングを通じて「自己選択力・自己一致感」を日常にフィードバックできる


以上のクライミング版チェックリストを逆転させ、「やってはいけないこと」リストにまとめました。心理的統合や自己一致を崩す行動として見なせます。


クライミングでやってはいけないことリスト

1. 自己選択の破壊

  • 他人のプレッシャーや期待で無理なルートに挑む

  • 自分の意思を押し殺して他人の判断に従い続ける


2. 自己一致の破壊

  • 自分の価値観や安全意識に反する行動をする

  • 違和感や不安を無視して「見栄」や「評価」のために登る


3. 他者・個の尊重の欠如

  • パートナーや他のクライマーの恐怖やペースを無視する

  • 他人の技量や意見を尊重せず、自分のペースだけを優先する


4. 場・平和・安心の破壊

  • ルールやマナーを無視する

  • 順番や安全確認を怠り、場を不安定にする

  • ギアや共有スペースを乱す/場を整えない


5. 外部評価への依存

  • 「かっこよく見せたい」「他人に認められたい」気持ちで無理をする

  • 危険なチャレンジを周囲の評価のためだけに行う

  • 自分のペースや判断を無視して他人の期待に従う


💡ポイント

  • こうした行動は自己統合度を下げ、心理的負荷や事故のリスクも高める

  • 日常や登攀中の小さな選択が、統合度の積み重ねを左右する

  • 「やってはいけないこと」を意識するだけでも、自己一致感は保ちやすくなる


感想

げー、全部、九州クライミングでは、起こっている…。

もしかして、国体とかで、○○県と○○県が競争しているからなんではないですかね?

すべての県がクライマー排出県になる必要はない。現に外岩が充実している山梨県、日本のロッククライミングのメッカでは、選手ってほとんど輩出していないです。

スポーツクライマー排出権は岩場がないところ。

競争するより、現実の岩に登る方が面白く、コンペなどというつまらないことに熱量を上げている暇がないからなんではないかと思いますが…。

もちろん、アイスクライミングの世界では、コンペ優勝から、国内で最も難しい課題を登って有名になる、という流れはありますが。でも、有名になったところで、食べれるわけでないですから。

いわゆるクライミング文化の豊かさというのは、プロ以外の一般の市民がどれだけクライミングに親しんでいるか?っていうので測れると思います。




2025/08/18

素朴な疑問:努力や貢献に便乗している側こそエラソーではないのか?

さて…これは私のクライミングの登山努力の歴史です。

山行記録をまとめています。


 ・日本語の山行リストはこちら

 ・Goto the list of my tours in English Version!

2015年度は、年間山行日数108山行でした。
2016年度は、年間山行日数128山行となりました。

経歴
熊本高校卒業
大阪外国語大学卒業 
アメリカサンフランシスコ 単独渡米2年 
TOEIC 925(950点満点時、現在は昔とは異なっている)
2010年IYC ハタヨガ初級講師 認定
2009年スタジオリコ ヨガ講師 認定
2013年 長野県山岳総合センターリーダーコース 受講
2013年 日赤救急救命講習(3日間) 終了
2013年 雪山のリスクマネジメント講座 終了
2014年 無名山塾 雪上訓練 
2014年 第21回関東ブロック 「雪崩事故を防ぐための講習会」 
2015年 東京都都岳連 岩場のレスキュー講習
2016年 キャンプインストラクター資格取得
2016年 リスクマネジメント&読図講習
2016年 上高地ネイチャーガイド資格
2016年 日赤救急救命講習(3日間) 終了
2016年 四級アマチュア無線資格取得
2017年 登山ガイドステージ2 筆記試験合格
2018年 積雪期検定 合格
2020年  岩とお友達になる会 主催 不登校の子供たち向けクライミング教室

2021,221 年 奥村講習 日本フリークライミングインストラクー協会の会長がやっているビレイ講習

こっちはクライミングの記録

https://allnevery.blogspot.com/p/log-2019.html

■ 九州での感想

私としては、これだけ真摯に努力を重ね、自分は講習に出て、お金をかけて得た知識を無料で周囲の人と共有し、さらには分かりやすく解説し、自分が海外へクライミングに行く時は現地集合なのに、逆に自分がホストの時は、岩場に連れて行くばかりか、どこのエリアのどの課題を登るかまで決めてやり、岩の基部まで私の車で連れて行き、そして、私がトップロープを張って、私のロープで相手は登り、しかも開拓すら手伝い、岩場の交渉までやって、それで、落とされて頭を7針縫い、さらには自己確保でビレイしてやったうえ、相手のミスで一本のボルトにぶら下がる羽目になる…

これのどこがエラソーなのか?理解が難しかったです…。

エラソーなのは、むしろ、他者の努力に便乗しても、それを悪いなーと思わない、あなたのほうなのでは…?というのが素朴な疑問でした。

■ 

では、あなたの状況とクライミング現場での体験を踏まえて、クライマー向け心理チェックリストを作りました。短く実用的にまとめています。


クライマー用心理チェックリスト:努力・貢献と誤解への対応

1. 自分の立場を確認

  • 今、自分は岩場でどのくらいの準備や労力をしているか?

  • 自分のリスクや責任はパートナーと比べて大きいか?

  • YESなら、自分の貢献を正当に認めてOK

2. 周囲の反応を整理

  • 「エラソー」と言われたとき、相手はあなたの努力の内容を理解しているか?

  •  嫉妬や誤解から発言している可能性がないか?

  • YESなら、相手の感情は自分の問題ではない

3. 自己犠牲のサインを見抜く

  • 「私は後回しで…」と思う場面はあるか?

  • 本当は自分のニーズを満たしたいのに、後回しにしていないか?

  • YESなら、自分のニーズ優先も許可する

4. 貢献と境界線のバランス

  • 努力や知識共有は、自分のペースで行っているか?

  • 安全や権利を損なわずにサポートできているか?

  • YESなら、健全に貢献できている

5. 誤解や非難への心構え

  • 「エラソー」と言われても、自己否定する必要はない

  • 便乗している側こそ、負荷の少ない立場で優越感を持つ可能性を認識

  • 自己肯定を維持することが安全・効率につながる


💡 使い方

  • 岩場に行く前や、登攀中の休憩中に1〜2分でチェック

  • 気持ちがざわついたときに順番に問いかける

  • 自己否定せず、安全と貢献を両立させる意識を持つ



2025/08/13

九州クライミングで過剰な期待を背負う羽目になったような気がすること

 https://note.com/kinny2021/n/nc58d6993c335

上記NOTEからの引用

ーーーーーーーーーー
母は本当に、とても無邪気な人でした。とても子供三人も抱えたシングルマザーをやれるような、スーパーウーマンではなかったです。結婚したときも素直に白馬の王子を夢見ていたみたいでした。

同じことで、私自身もとてもクライミング教育を刷新できるような、スーパーウーマンではありません。なんせ”43歳から”クライミングしているんですよ?クライマーが引退する年齢です。

3年でアイスがリードできるスキルが付いた、そのことは、熊本高校に合格したことと同じく、本人の努力の結果であって、クライミング界をしょって立つ責務を感じさせるのは、ちょっと過大な期待であると思います。

いくらUIAAにメールが出せる機転が利くからと言ってもね。これが、公平な見解でしょう。

つまり、私が15歳でエリート進学校で白旗を上げたのと同じく、クライミングも、そんなのムリゲーってことです。信頼できるビレイヤーもいないのに(≒予備校にも行っていないのに)。

15~18歳の3年間は、うつで過ごしました(ので、まったく勉強していません)。

ーーーーーーーーー

同じことで、2019年から22年の本格的な鬱発症まで、まったくクライミングはしていません。クライミングできないから鬱になったという方が正しいとは思いますが…

しかし、クライミングをすれば、死へ直結というダブルバインドです。

若い男性クライマーと組むということ、それは、相手の無知に、

自分の生命をいけにえとして差し出す

ということです。

その、”いけにえ性”が、私のクライミング界での勝ちとされるなら、そんな恐ろしく非常な世界はないですよね?

誰だって、そんなところに居れば、鬱になり、そんなブラックな場からはさっさと逃げ出すのが正解でしょう。

対策

Kinnyさん、ご依頼ありがとうございます。
クライミングの危険な構造や「いけにえ性」という現実を踏まえつつ、それでも続けたい方が無理なく安全に続けられるための戦略をまとめますね。


【クライミングを続けたい人のための最適戦略】

1. 安全意識の徹底と知識のアップデート

  • 最新の安全技術・ルールを常に学び続ける。UIAAなど公式機関の情報を定期的にチェック。

  • 自分も周囲も含めて安全確認の文化をつくる。リードのロープ長、ビレイの確実さを絶対に妥協しない。

  • クライミングギアの正しい使い方、状態チェックを怠らない。

2. 信頼できるビレイヤー・パートナーを慎重に選ぶ

  • 技術・安全意識・精神面の成熟度が高い相手とだけ組む。

  • 新しいパートナーと組むときは、短時間のセッションやジムでの様子見から始める。

  • 信頼が築けなければ、即座に距離を取る勇気を持つ。

3. 自己管理力とセルフケアを優先する

  • 体調・メンタルの変化に敏感になり、無理をしない。疲労・ストレスの蓄積は即クライミングのリスク増加。

  • 定期的な休息とリカバリー期間を設ける。

  • トラウマや鬱など精神的負担を感じたら、専門家や信頼できる人に相談する。

4. 小さな目標設定で成功体験を積む

  • ハードルの高い課題に挑み続けるのではなく、自分のレベルに合った安全で達成可能な目標を設定。

  • 一歩ずつ技術と自信を育てる。成功体験は自己肯定感を高め、危険回避力を強化する。

5. コミュニティ内での健康な関係構築

  • 競争や「勝ち負け」に囚われすぎず、助け合いや情報共有を重視。

  • 自分が困ったときに助けを求めやすい環境をつくる。孤立は危険を増す。

  • 役割分担(リーダー、ビレイヤー、サポート)を明確にし、責任の所在をはっきりさせる。

6. リスクマネジメントの習慣化

  • 事前に天候・ルート情報・体調を細かくチェックし、危険を感じたら潔く中止や延期を決断。

  • 万が一の事故に備えて、救助方法や緊急連絡先を全員が共有。保険加入も検討。

7. 長期的視点でのキャリア設計

  • クライミング以外の仕事や趣味も持ち、精神的・経済的な依存を減らす。

  • 「命をいけにえにしない」ため、無理に勝ち続ける必要がないことを自分に言い聞かせる。

  • 定期的に自分の活動を振り返り、「このままでいいか?」を見直す時間を持つ。


この戦略は、クライミングの危険性を正しく認識しつつ、自分の命と心を守りながら楽しむためのバランスを重視しています。






リードクライミングが九州で廃れたのは、構造的排除の結果のようです。

 あなたの指摘は、かなり本質的な構造分析ですね。

制度的排除(structural exclusion)は、個人の能力や努力以前の段階で、アクセスや参加の条件が不平等に設定されていることを指します。

  • 塾に通わない子が高校入学時点で、すでに遅れる構造
    → 教育制度は表面的には「誰でも同じ教科書で学べる」としているけれど、実際には家庭の経済力や文化資本によって学習機会が分断され、スタートラインが揃っていない。

  • 外岩(例:日向神・比叡など)での5.9のボルト間隔が広いケース
    → 「安全確保はクライマーの自己責任」という文化的言説の背後に、ランナウトが前提にされ、初中級者や低身長者を暗黙に排除する構造が潜んでいる。これはルート開拓時の価値観・設計思想によって生まれ、後から来た人が変えにくい固定化された障壁になっている。

両者に共通するのは、

  1. 形式上は誰でも参加可能に見える(学校は誰でも通える/岩場は誰でも登れる)

  2. しかし、実質的には特定の条件を持つ人だけが恩恵を受けやすい(塾に通える家庭/長身かつ経験豊富なクライマー)

  3. その不平等は制度や文化に組み込まれて固定化されている

■岩場の制度的排除

[制度・文化の設計段階]

     ↓

  ルート開拓者の価値観・経験

    ├─ 高グレード志向

    ├─ 長身・熟練者基準

    └─ 「自己責任」文化

     ↓

[アクセス管理の現実]

    ├─ 地権者・自治体との摩擦回避

    ├─ 環境保護の名目

    └─ 利用者数を増やさない方が都合が良い

     ↓

[具体的な構造]

    ├─ ボルト間隔が遠い(低グレードでも)

    ├─ アプローチが険しく道標なし

    ├─ 情報公開を限定(口コミのみ)

    └─ 初中級者・低身長者に不利

     ↓

[結果としてのアクセス格差]

    ├─ 初心者・遠方者・特定層が挑戦しにくい

    ├─ 怪我や恐怖による離脱

    └─ 限られた常連層が維持・利用=既得権化

     ↓

[固定化のメカニズム]

    ├─ ルート改修への文化的抵抗

    ├─ 「慣れろ/技術を上げろ」という同調圧力

    ├─ 情報共有の偏り(上級者中心)

    └─ アクセス制限を正当化する語り(保護・安全・自己責任)

この図にすると、岩場の制度的排除は単なる「設計思想の偏り」だけでなく、アクセス管理の都合によってむしろ維持されやすい構造であることが見えます。

■若いクライマーがリードの岩場で「生きにくい理由」

[上の世代(ベテラン層)]
    ├─ 過去に自由に開拓・改修できた時代を経験
    ├─ ボルト設置・地元交渉・文化形成の主導権を保持
    ├─ 情報網や人的ネットワークを持つ
    └─ 現行ルール・文化を変えないことで有利な状態を維持

[若い世代]
    ├─ 既存のルートやアクセスルールを受け入れるしかない
    ├─ 開拓の余地が少ない(物理的にも文化的にも)
    ├─ 初級〜中級レベルでの安全な経験値積みが難しい
    └─ 発言力・交渉力・改修権限がほぼゼロ

結果としての「一方的な生きにくさ」

  • 若手は挑戦権安全に経験を積む機会が少ない。

  • 上の世代は「昔は自分たちも危険を乗り越えた」と語りがちだが、環境や時代背景が違うため単純比較できない。

  • 若手側は、制度や文化を変えるチャンネルがなく、環境適応の負担が一方的に若者側だけにかかる


■世代間格差と岩場

では、岩場と教育の制度的排除を世代間格差の視点で並べた比較図を作ります。
両方とも「表向きは誰でも利用可能に見えるが、設計時の条件や文化が特定層を優遇し、後から来た世代ほど不利になる」構造です。


制度的排除の世代間比較:教育 vs 岩場

観点 教育(塾・受験制度) 岩場(外岩文化・アクセス)
設計段階 戦後〜高度経済成長期に、家庭の経済力と時間的余裕がある層を前提に制度形成。 開拓初期(1980〜2000年代)に、長身・熟練・地元ネットワーク保持者を前提にルート設計。
基準値 「塾通い・家庭学習支援」が暗黙の前提。 「高グレード志向・自己責任文化・広いボルト間隔」が前提。
アクセス条件 経済力・親の教育経験が必要。 情報網・人的ネットワーク・地元との信頼関係が必要。
恩恵を受けた世代 バブル〜ゆとり初期世代:塾市場拡大期にフルアクセス可能。 開拓・改修自由度が高かった世代:ルート設定・地元交渉を自分たちで経験。
後続世代の不利 非正規雇用化・学費高騰・塾費用負担増でスタート時点から遅れやすい。 ルート改修権限なし・安全確保の難しい環境・アクセス制限の強化。
固定化要因 「努力すれば何とかなる」という成功世代の語り。 「慣れれば登れる」「昔はもっと厳しかった」というベテランの語り。
一方的に生きにくい層 若年層(特に非富裕層)。 若手クライマー(特に地方外・低身長・初中級者)。

共通構造

  1. 設計時の前提条件が特定層を優遇

  2. 後続世代には構造を変える権限がない

  3. 不利益は個人の努力不足として語られやすい

  4. 結果として若い世代だけが一方的に環境適応を強いられる


この表に加えて、図解化するとさらにわかりやすくできます。


例えば「制度設計 → 実際の構造 → 世代別影響 → 固定化メカニズム」の流れを教育版岩場版を左右に並べたフローチャートにすれば、まさに「社会構造の鏡像」として提示できます。

もし望むなら、その図を作って視覚的に比較できる形にできます。

2025/08/12

私の熊本体験@クライミング及びお受験

今日は、沈鬱な日になりそうだ。

帰宅したら、たまった郵便物の中に、とっくの昔に時効が発令しているものと思われる親の借金の督促状があった。とすると、母が亡くなったのかもしれない。

実は、かなり強い思慕の念と「高齢になって、娘にも会えない母の哀れさ」をしばらく前に、強く感じた。絵本に使う色使いに、それが現れていた。ピンクとオレンジ。母の胎内にいたころの色。太陽に手をすかしてみたときに感じるなつかしさの色。

私は、シングルマザーの3人兄弟長女で、ACE環境から、アダルトチルドレンになり、大変な幼少期を過ごしました。

https://note.com/kinny2021/n/n1498633a2823

何とも言えない悲しみが襲ってくる。それに反応したかのように、雨が降ってきた。

■熊本の県体壁に行ったこと

実は、数年前、あそ望の松井さんから、クライミングで、熊本市役所周辺にある人工壁に誘われることがあり、かなり行くのが嫌だった。

熊本。私たち親子を虐待し、貧困に陥らせ、それを自己責任だと断罪した町。

こちらに古いブログ記事がある。

https://blog.goo.ne.jp/osakahensyu05/e/6b815b868599a62d48d952df576ef882

ここに書かれているのは、「地域的価値観による社会化の圧力」と、それに適応できない個人のアイデンティティの葛藤 という構造だ。

特に熊本的価値観として描かれている「学業成績=人間価値」という単一の評価軸

それは、発達心理学の観点では成人発達課題を阻害するモノカルチャー的環境といえる。

そして、九州のクライミング文化や人工壁で感じたのは、これだった。

強ければ何でもいいというモノカルチャー。

それは伝統的に、”山は総合力”と言われる、総合力を重視する価値観の真逆だ。

そして、それは、成人の人としての発達課題を阻害するものなんですぞ?

■人として成長するためのクライミング文化とは?

単純に言えば、人生、競争だけじゃないよね、って価値観を身に着けることです。

お受験とクライミング、ジャンルがまったく違っても 

「外的基準に同一化してしまう構造」

が共通しており、発達段階としては全く同じところに留められてしまうのが分かるでしょうか?

それを、ほら!と指導する側がこれが正解だよ!とあまりにも無邪気に受け入れすぎている現実がありました。

それは、母が、進学校=良い、と無条件に同化していたのと同じでした。

■人工壁で習得するべきこと

人工壁で習得するべきは、第一に基本的なビレイ操作なんです。

そして、次は、人工壁で、リードフォローをやるんです。何回も。スピーディに無意識でできるまで。

そうやってマルチピッチを覚えるんですよ。終了点から、懸垂下降して。

そうすれば、懸垂下降するためには、ロープ長が2倍以上必要なことが体に叩き込まれます。

末端のノットを結ばないといけないわけですから、15mの壁で30mのロープでは短いです。そういうことを人工壁で学習するために人工壁はあるんですよ。

基本的なレスキューも同じです。トップが2ピン目くらいで落ちた仮定にしてぶら下がり、ビレイヤーが自己脱出できるか?そういうことをするために、人工壁はあります。

アルパインクライマーの出身の師匠は、これを公園でやりました。私は、この師匠に教わる前から、独学でやっていたので、とくに難しいことはありませんでした。山岳総合センターでは、七倉沢で基本的なレスキュー想定のロープワークを教えています。また、生活技術も沢泊で教えています。それ以前に自分で主催して、ガイドを招き、講習会をしています。

なぜ、総合力が大事か?というと??

テント泊しながら、クライミングしていたとしましょう。そのとき、いくらクライミングムーブがすごくても、ガスストーブを転がして、テントを焼失してしまうような人だと、あっという間にその山行は終わりです。

もっと基本的なものでもいいです、クライミングムーブが5.13でも、懸垂下降で左右のロープ長がバラバラで、末端も結んでなかったら?さよーならーです。

人工壁では、たがいに落ちて、ビレイでキャッチされる感覚をつかみます。

だれですか?「キャッチなんて言葉聞いたことがない」って言った人は…、落ちた人を受け止めることを他になんと表現してもいいですが、落ちた人を安全に受け止めた経験数がビレイ経験数なんですよ?

ただロープの端っこを持っているだけで先輩は落ちないから…っていうのは、経験の数に入らないんです。

そういう大事なことが二の次にされ、ムーブだけが大事で、登れるグレードだけがクライマーのアイデンティティってことになっていたのが九州での目撃事件でした。

隣県との対抗意識が大局を見あやまらせる

これは、九州独特の体質もありそうです。九州で、隣り合っている件同士で対抗意識を燃やしており、これは、商社時代にも驚かされました。宮崎は大分と張り合い、熊本は福岡に対抗意識を燃やし、って具合で、団結より、張り合っているんですよね…。とほほ。

張り合うには何らかの基準が必要で、それがグレードなのでした。

みんなが、そんなつまらないゲームをやっていたとは、全く気が付きませんでした。

■つまらないゲーム

結局、なんというつまらないゲームに陥っているんだろう…というのが、私の九州での見聞の感想でした。

それは、15歳で熊本高校に入学したときの感想と同じでした。

私の体験は単なる「嫌な思い出」ではなく、

  • 地方の教育文化が、いかに成人発達課題を遅らせるか

  • 単一価値観が多様性を抑え、個性を潰す構造の生きた事例です。


山もクライミングも、技術も人間関係も、

「何を本当に大事にするか」を見極めないと、結局は空虚な競争になってしまう…という事例でした。

それに気が付かず、成績がゲームの真骨頂だ、グレードがゲームの真骨頂だ、とやっている愚かさ。それがまたしても。

「成績がすべて」「グレードこそ至高」という価値観に固執すると、クライミングの本質からどんどんズレていき、技術も心も空洞化してしまう。

しかも、そういう価値観を盲目的に追いかけているのが、また熊本…というのが辛辣です。

もちろん、熊本に限らず、ほかの地域やコミュニティの中にも、そうした競争文化は、あるのでしょう。巡り巡って、それは、個人の成長だけでなく、みんなの安全や楽しみも損なってしまう。究極の形はグランドフォール、いまだにカットアンカーの開拓、そして、祝子川遭難。

結局は「本当に大事にするものを見極める力」がない。

その場の勝ち負けや数字の比較だけに振り回されて、何の意味もない“つまらないゲーム”の中で右往左往し疲弊してしまう。

それに対する批判的精神がないこと=戦後の洗脳。

これは、アメリカの占領政策で、『自ら考える力を奪う』ことを主眼に行われた戦後教育の勝利を物語る経験でした。

教える側自信が全くその自覚なく、無邪気にモノカルチャー的価値観を信じて、指導に当たっていることがです。

目を覚ましてほしい。同郷の人間として、本当にそう思います。

大阪では、同郷人として、山本一身先生に会いました。おなじ熊本出身でも、その後そこから出て、世間を見聞きして歩き回った結果、価値観の多様性に気が付く人もいる、という貴重な経験になった。

熊本は、もしかすると、歴史的に、福岡への劣等コンプレックス、東京への劣等コンプレックスが根強い地域なのかもしれません。目先のコンプレックスにとらわれるせいで、こんな残念なことになっているのかもしれませんが、山の総合力を養う、健全なクライミング教育・登山教育に目覚めてほしいと思います。

■社会の構造的問題を個人が努力で乗り越えてきた歴史

私が九州でヤレヤレ感を感じえない理由…それは、社会が母子家庭に十分な支援を与えないという社会構造のゆがみを、個人の能力でなんとかした、18歳の決断を思い出させるからです。

15歳の私の決断通り高専に進んでいればよかったのに。ではなく、大学に進んだせいで、その後長い間、自分の希望をかなえることに、てこずりました。

その後38歳まで育英奨学金の返済にかかり、本来アメリカに残りたいと思った個人的願望をかなえる機会は、この育英奨学金の返済のために断念せざるを得ませんでした…。

15歳のあの時、まさに、偏差値で、熊本高校に進んでしまったがために…。長い長い時間をかけて、その失敗の後始末をしたのです。

母は無邪気に、娘がトップスクールに入学したことを喜んでいましたが、そこにも精神的幼さがありました。まだ39歳でしたからね。母は。仕方がなかったのかもしれません。

■制度的排除

進学校はそんな無邪気な世界ではありません。

塾に通わないことでスタート時点から差をつけられた構造は、制度的排除(structural exclusion)に近いですし、現代の日本の外岩で、5.9のボルト間隔が遠く設定されているのも、制度的・構造的排除です。(例:日向神)

この状況で耐えた高校3年間は、回避も反抗もできない中でのサバイバルでした

なので、本当に大阪外国語大学に進学したことは感謝していました。夜学でなければ、どこにいくこともできなかっただろうからです。ちなみにほかに横浜国立大学も検討していました。

同じことで、甲府でのクライミングライフ、富士山のおひざ元での御坂山岳会でのクライミングライフには本当に感謝しています。また蒼氷の先輩が一年のクラック修行に付き合ってくれたことにも大変感謝しています。

南アルプスの山小屋で、甲府から来たというと、歓待してくださりました。山の話をするのです。そういって山の考え方、山やとしての在り方、どうしたら安全に山に登れるのか?ということは、足で稼いできた。そういう自己成長の世界の中で、山やとして育ちました。

ロープのでる山をスタートする前には、自ら進んで、天野和明さんの読図山行に参加し、今だったらどんなロープを買えばいいのかを相談して(事前の本で独学もしていた)、遠路はるばるカラファテに行き、そこで、中根穂高さんから買いましたし、ロープ登高用のギアもロープ購入時に同時購入しました。買った時に、この購入が必要なことが分かる程度の知識はすでに本で独学でつけてから行きました。

こうした私の個人的な努力は、全部ディスカウントされ、私が感謝ばかりを述べるので、ただただラッキーで、登っている人なんだろうと、周囲の人は思ったのかもしれません。実際に九州ではそのような事例があったようだったので。

現代では、クライミングに関する本は多く出ており、文登研の資料も豊富。

そんな恵まれた環境ですので、自ら学ぶことは難しくありません。

しかし、私が誰から何を言われる前に、山を安全に登るには知識が必要だ、クライミングを安全に行うには知識が必要だ、と理解したのは、ごく普通の知覚だと思います。

それなしで山、ルートに、クライミング課題に登れるという誤解がどうやって生まれるのか?私にはわかりません。

山梨でも、5.11が登れるからバットレス四尾根だったり、赤岳単体にも登れないのに、
阿弥陀北稜に行って凍傷3名という事例もありました。

全部心理的なもの。

インドアから、外岩、外岩でもマルチへのステップアップは重要な大きなステップです。ゆめゆめ、軽く扱わず、丁寧に10時間くらいは予習してください。

参考計画の立て方もちゃんと、一度は指導を受けたほうがいいと思います。



2025/08/11

NOTEの記事はこちらです

 https://note.com/kinny2021/n/na56aef36e9a9?from=notice

クライマーには、事前にパートナーの安全性を見分けるだけの判断基準を事前に与えたほうがいいかも?