自分も来た道、今から行く道
という単純な話が今日の仏教説話でしたが、これは、その選択肢を取ると、同様に自分もそう扱われるので、結局は自分を損なうよ、と教えるのが良い、という意味かなと思いました。
クライミングで言えば、リードでカムスタックすると登れなくなります。カムが利いていなかったとき、先輩に「利いていませんでしたよ」と教えたら、私が怖かったという話だと思ったみたいで「すいません」と言われましたが、私はセカンドなので、私が危険になるのではなく、彼が危険…落ちれない、墜落が許されないだけです。
実際、私は、自分のリードの質を評価するのに、「カム効いていましたか?」とよく尋ねています。60点、70点…と採点してもらって、クライミング自体のゆとりそのものと掛け合わせて、ゆとりとカムで総合評価しています。
登れるところは、カムいい加減でもまぁ落ちないのでいいのですが… 落ちるかもしれない率が10%でもあるところは、登れないところは、カムバチ効きどころか、2個くらい固め取ってもいいくらいです…。
というので、結局、カムを覚えるには、完全に実力より上のカムエイドで登るくらいなところがいいかねということになりますが…。
仏教法話、デメリットを詳しく理解する、ということが大事だという話でした。いつも次は自分の番、です。