スーザン・ストレンジの「構造的権力」の枠組みを、クライミングルートにおける「ボルト間隔と身長差」の問題に適用すると、それがなぜ単なる身体的有利・不利を超えた「権威(支配)」の構造であるかが明確になります。
ストレンジが提唱した「知識構造(Knowledge Structure)」と「生産構造(Production Structure)」の観点から整理します。
1. 知識構造:正当性と価値観の支配
ストレンジの「知識構造」とは、何が「正しい」とされ、どのような「価値」が共有されるかを決定する枠組みです。
「標準」の定義権: 180cmの身長を基準にボルトを打つ行為は、暗黙のうちに「180cm程度の体格を持つ男性」を**標準的なクライマー(正当な主体)**として定義しています。
「小僧的権威」の正体: 150cmの人が核心前にクリップできない設計は、「届かないのは実力不足やリーチのせいだ」という自己責任論を押し付けます。しかし実際には、ルート開拓者(権威側)が自分の身体的尺度を「普遍的な正解」として岩場に固定しているに過ぎません。
排除の論理: 特定の体格に最適化されたルール(ボルト間隔)を押し付けることで、それ以外の属性を持つ人々を「登る資格がない」あるいは「リスクを負うべき存在」として構造的に排除しています。
2. 生産構造:機会と資源のコントロール
「生産構造」とは、誰がどのような条件で活動できるかを決定する枠組みです。
アクセスの非対称性: クリップ(安全確保)ができるかどうかは、核心部を突破するための「前提条件」です。180cmの人には「安全な挑戦」という資源が与えられますが、150cmの人には「墜落のリスク」または「挑戦の断念」が強制されます。
ゲームのルールの固定化: 開拓者がボルトを打つという行為は、そのルートにおける「ゲームのルール」を物理的に固定することです。後から来るクライマーはこの固定されたルールに従わざるを得ず、不平等な条件下でのプレーを強いられます。
まとめ:なぜ「権威」と言えるのか
ストレンジの理論に基づけば、この状況は以下の3点において「権威的な支配」であると言えます。
選択の枠組みの強制: 小柄なクライマーは、自分の意志とは無関係に、開拓者が設定した「不利な構造」の中での選択(リスクを取るか、諦めるか)を迫られている。
不平等の隠蔽: 「岩は公平だ」という言説を利用しながら、実際には特定の属性(高身長)に有利な物理的構造を作り、それを「ルートの性格」として正当化している。
受益者の特定(Cui Bono?): この構造で得をするのは、自分のリーチに合わせた快適なクリップを楽しみ、それを「標準」として語ることができる開拓者や同体格の層です。
このように、**「誰のために、どのような前提でその構造が作られたか」**という問いを無視し、特定の層にのみ最適化された環境を強いる態度は、ストレンジが指摘する「構造的権力」による支配の典型的な形といえます。
スーザン・ストレンジの理論を用いると、クライミングにおける「初登者の知的財産(著作権)」という概念は、単なる伝統やマナーの問題ではなく、「知識構造(Knowledge Structure)」を通じた資源の独占と支配という側面が浮き彫りになります。
ストレンジの視点から、この問題を3つの論点で解剖します。
1. 知識構造による「発見」の定義と支配
ストレンジは、知識構造を「誰が知識を所有し、何が正しい事実とされるかを決定する力」と定義しました。
「発見」という名の領有宣言: あなたが指摘するように、コロンブスが「アメリカ大陸を発見した」とする歴史観は、そこに先住民がいた事実を無視し、欧州の知識体系(国際法やキリスト教的価値観)を一方的に押し付けたものです。
初登者特権の構造的権力: クライミングにおいて「初登者がルートのボルト位置やグレーディングを決定する全権を持つ」という思想も、これに酷似しています。岩場という「公共の自然資源」に対し、最初の一人が自分の身体的・技術的尺度(180cm基準のボルトなど)を刻み込むことで、その後の利用者の行動範囲を物理的・精神的に縛り上げる「構造的権力」を確立しているのです。
2. 「金融構造」としての名声とクレジット
ストレンジの「金融構造」は、信用の配分を司るものです。クライミング界においては、初登者の名前がルートに残ることは一種の**「象徴資本(名声)」の通貨化**と言えます。
知的財産権の虚構: 「初登者の著作権」という主張は、岩という自然物を自分の私有財産、あるいは表現物として扱う行為です。しかし、ストレンジの「Cui bono?(誰が得をするのか?)」という問いを投げかければ、そのルールを守ることで得をするのは、既にルートを拓いた「先行者(エスタブリッシュメント)」であり、不利益を被るのはその基準に合わない後発者や異なる属性を持つ人々です。
3. 日本人的感性と「コモンズ(共有地)」の思想
「日本人的な感性」を、ストレンジが晩年に提唱した**「地球規模の共有地(Global Commons)」**に近い概念として捉えると、西洋的な「個人による発見と所有」の矛盾がより鮮明になります。
所有から共生へ: 伝統的な日本の山岳信仰や自然観では、山は個人の所有物ではなく、神域や共有地(入会地)でした。そこでは「俺が最初に見つけたから俺のルールに従え」という個人主義的な所有権(著作権)よりも、**「その場を維持し、次世代にどう繋ぐか」**というコミュニティの持続性が重視されます。
構造への反逆: ストレンジは、国家や企業が市場を支配する構造を批判しましたが、日本のクライミング界における「初登者の絶対権威」という構造も、一種の**「閉鎖的な市場支配」**です。身長150cmの人がクリップできないという物理的な「排除」が発生している時点で、それは「表現の自由」ではなく「構造的な暴力」へと変質しています。
まとめ:構造的権力の解体
スーザン・ストレンジの理論を借りれば、初登者の主張する「知的財産」は、**「自分の尺度を普遍的なルール(構造)として固定し、他者のアクセスを支配する権力」**に他なりません。
「アメリカ大陸発見」という傲慢な歴史観を乗り越えるのと同様に、クライミングにおいても「個人の功績(所有)」から「コミュニティと自然の共有(コモンズ)」へと知識構造をシフトさせることが、日本人らしい、より包摂的な山との関わり方を見出す鍵になるのではないでしょうか。
スーザン・ストレンジの「構造的権力」を解体し、新しいルールを構築するためには、既存の「権威(初登者)」から「ユーザー(コミュニティ全体)」へ、権力の4つの柱を組み替える必要があります。
具体的には、以下のような「新しい構造」への移行が考えられます。
1. 「安全保障構造」の転換:初登者のメンツから「生存の保証」へ
現在のクライミング界では、「初登者の設定したボルト位置を守ること(伝統)」が、コミュニティ内での「安全(村八分にされない権利)」を保証しています。これを、物理的な安全性に基づく構造に書き換えます。
「生存権」の優先: 初登者の表現の自由(著作権)よりも、登る者の**「身体的安全の確保(生存権)」**を上位に置く倫理規定を明文化します。
リスクの民主化: 特定の身長や能力を持つ者だけが享受できる「安全」ではなく、多様な体格(140cmの人も含む)が等しくクリップできる**「ユニバーサル・プロテクション」**を標準的な安全基準として設定します。
2. 「知識構造」の転換:「発見」から「管理・維持」へ
「俺が見つけた(発見)」という知識の独占を、「皆でこの場所を維持している(コモンズ)」という共有知識に上書きします。
コモンズ(入会地)宣言: 岩場を「初登者の作品」と見なす欧米的な知的財産観を捨て、日本古来の「入会(いりあい)」や「共有地」として定義し直します。
管理権の移行: ルートのメンテナンス(リボルト等)の決定権を、行方不明や高齢化した初登者の個人権限から、現場を実際に清掃し、整備し続ける**「アクティブ・メンテナー」**を中心とした地域評議会に移譲します。
3. 「生産構造」の転換:不平等の固定から「機会の平等」へ
ボルトの間隔という「生産手段」を、特定の層だけが利益を得る形から、より広い層が利用できる形へ変更します。
「中間ボルト」の許容: リーチの差による致命的な事故を防ぐため、初登時の「精神性」を損なわない範囲での中間ボルトの追加(あるいはハンガーの延長など)を、コミュニティが公的に認めるガイドラインを作成します。
多様性基準の導入: 新規開拓時に、自分とは異なる体格(女性や小柄な男性)のテストクライマーによるチェックを義務化する、あるいは推奨する「認証制度」のような仕組みを設けます。
4. 「金融構造(価値尺度)」の転換:困難さの称賛から「包摂性」の評価へ
現在のコミュニティでは「初登時のボルト位置で登り切ること」が価値(名声という通貨)を持っています。この評価基準を多様化させます。
「包摂的開拓」への名誉: 「誰もが挑戦できる公平なルートを拓いた開拓者」を、難易度(グレード)の追求者以上に評価する文化を醸成します。
透明なフィードバック: トポ(ルート図)に初登者の意図だけでなく、「想定リーチ」や「小柄な人へのリスク警告」を義務付け、不備がある場合はコミュニティが修正を要求できる**「ピアレビュー(相互査読)」**の構造を作ります。
結論:小僧的権威を「共生」で上書きする
これらを一言で言えば、「所有(Mine)」から「我々(Ours)」への転換です。
アメリカ大陸発見の歴史観が「支配」を生んだように、初登者の権利を聖域化することは「弱者の排除」を正当化します。
ストレンジが指摘したように、構造を変えるには、その構造によって「誰が得をし、誰が苦しんでいるか(Cui Bono?)」を常に問い続け、受益者の範囲を広げていく必要があります。
日本の山岳コミュニティが、個人の功績を崇める「縦の権威」から、安全と楽しさを共有する「横の連帯」へと移行することで、150cmのクライマーも核心に集中できる、真に公平な岩場が実現するのではないでしょうか。