2019/04/20

1年を振り返って成長に感動中

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「できること」が増えるより、
「楽しめること」が増えるのがいい人生。
                   斎藤茂太 (精神科医・作家)
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私は、山の記録を律義につけています。ので、1年前の4月18日、初めて比叡に行き、雌鉾岳に、つるべで登った日でした。あの時は楽しかったな~。

ありとあらゆる面で正しい山だった。

気がついたら、去年の今頃のワタシと、今のワタシは、まったく別人です。九州の山に関する知見の深さが全く別人。

■ 九州のアルパインルートは命がけルートです

九州の山ヤ業界?は本州と比べても、限界集落化度合いが切迫しており、アルパインルートは、
 
 ”困難というより、ただただ危険”

ということになっています。その度合いは、本州のアルパインルートの比ではなく、マックス!

その遠因は、文化的に、昔の流れ…親方日の丸が主流だった時代は、九州は、”支所経済”、本州から見たら辺境だったからです。地方の意識、田舎者意識が強い。それが山の世界でも起こっているためだそうです。つまり、田舎だと思って舐めんなよ、って意味で、わざと命がけにしていたんだそうです。

そのため、冷静なる若い人たちはボルダーへ。まぁそれが賢い選択だろうと。私も同意します。リード、危なくてやってられないですもん。

という事情がわかるようになったのも、1年間の大ドラマ… 山への献身… のおかげです。

こうした献身ができたのは、最大の功績者は夫です(笑)。その次が先輩。

私は、九州では登攀はそこそこでいい、最初から思っていましたが、再度、事情をよく理解したうえで、さらにそれでいい、と結論するに至りました…。

私のあやふやな登攀技術でランナウトした…つまり、ロープで守られていない…ルートでリードして、神経をすり減らすクライミングをするのは、いくら、私が楽しい~!と感じても、自分の命を大事にする、という面から、実行するのは賢い行いではない。

そう、楽しかったんですよね。雌鉾も、比叡も。もう初級ルートは落ちないので。

しかし、落ちないからって、ロープで守られていないルートが、フリーソロ状態なのは分かります。

フリーソロ状態で山に登ることが、責任ある大人の趣味の態度か?と問うとそうは思えない。

理性での判断です。

ので、もっと安全なクライミングを楽しむことにします。

行きたいのは、クラックと、ボルトがしっかりしているクライミングルートと、ラオス、龍洞です。

■ 去年の雌鉾を振り返って

本当に、まったく寸分もたがわず、良き山だったな!と。

1ピッチ目 → リードしたのですが、ピンが遠くて2ピン目が見えていないほどでした。たしかに登攀は難易度は低いのですが、マジやば! でも、これがちゃんと登れてよかったし、先輩もビレイヤーとして、責任を引き受けてくれて、うれしかったです。なにしろ、マルチじゃ1ピッチ目が一番危ないんで。

3ピッチ目 → 「怖い!」と申告。返事は 「え~」で結局リードすることになりました(笑)が、怖い!という申告ができたことが!(大正解) なにしろ、誰が見ても、ロープがロープの意味をなさない大ランナウトなんです。危険を危険と察知できる能力がちゃんとついている証。

5ピッチ目 → 先輩が自発的に選手交代してくれた。「これ、君には無理だよ」と言ってくれた先輩のルートを見る目と私に対する実力の判定が正確だった。

上のトラバース → 「2級だからロープ要らないんじゃ」という先輩に、「いや要ります」と言って、つけっぱで、行動。プロテクションは、その辺の岩にロープ引っかけるだけ。これは正しい行動でした。師匠から伝授された技。師匠のおかげです。

山頂クラック → 先輩のリード。まぁ簡単クラックでしたけど、一本だけ入れてリード。ほとんどフリーソロで問題ないところでしたけど、1本入れたのが正しさ全開!1本もないと、ほんとにロープ、形だけになってしまいますし!

というわけで、去年の今頃の登攀は、ポリティカルコレクトネス全開でした!

こんな登攀ができるようになったのは、登攀技術自体は私の努力の証ですが、5年間の修行の積み重ねです。

としみじみ感動…。

登攀は ”できること”を増やそうと思って頑張った事柄でしたが、いつの間にか”楽しめること”、になっていました!!

もう楽しめる山、になってしまったので、別に行っても、行かなくてもいいって話になり、安全でないならやめとこか、という、多くのクライマーが到達するであろう共通解にたどり着いてしまいました。

思えば、はるばる来たもんだな!