2026/10/03

スキルを上げるクライマーが理解されない理由

5.10代を登るというのは、身長152cmで、握力が17㎏の人にとってはかなりのムーブの習得と、墜落リスクのコントロールが必要なわけで、それは、男性の標準身長があり、握力60㎏の人とは異なる到達度であるのだが、クライミング界では、統一的なグレードで鹿個人の成長を測らないので、となると、私は5.13を登るまで鞭うたれることになるなーと透けて見えた九州でのクライミング。

なぜ、山梨ではしっかりした評価を得ることができたのに、九州では、3本登ったらハイ次のグレードみたいな、思春期の選手みたいな登り方を強要されないといけないのだろうか?と感じた。あるいは、ボロ雑巾になったおじさんでビレイもできない人や、5.12が人工壁で登れるだけでプライドが高止まりした生意気な高校生や、ジム店長なのに結び変えなしで時価崖がローカルルールとクライミング界の質の向上ではなくて低下のほうに加担しているような人へ、「お前がカム貸してやれ」とばかりに組まされそうになった。かなり嫌だった。

あきらかに、ただのドアマットにされている。

アイススケートをある程度習得したところで、水泳の習得に戻り、今、1年かけて習得したところだが、スキルの習得であり、その結果のスピードや距離は、万人に共通のモノサシでは測れない。50m、17ストローク、23.68秒、これはすでに上級スイマーcグレードだ。
だが、これを聞いて、その泳ぎの質が分かる人が周囲にいるかと言うといない。

○○m泳げました、大会で何位でした、みたいなわかりやすさを求める人が多い。

一般大衆からは、

クライマーとしての認知も
スイマーとしての認知も

もらえず、分かってくれるのは玄人さんだけ、と言う状況に、なぜなるのか?分かるようになった(笑)。

私は、パワーや優越性で他者を凌駕して、比べて、実力を誇示するタイプではなくて、そもそもない、存在しない「パワー」や「身体的な優位性」を、「スキルの卓越」や「身体知」で乗り越えてきたからですね。

水泳でも、全然沈まずに、延々と泳げますけど…感じが、
・アイスクライミングで中級者化して相沢大滝のリードが課題になったときや、
・登山で18時間歩いても、まだ歩けそうなので、これ以上歩いて予備力を確かめなくてもいいか…

となったときのことを思い出しました。

つまり、実力を示すための「既存の枠組み、つまり大会など」が、力を測る物差しとしてマッチしていないのです。

だから、私の水泳を見ていない人に上手ねと言ってもらうための

水泳〇〇キロ泳げます、

とか、クライミングなら

○○級です

とか、わかりやすい指標には表れない。

アイスクライミングならアイスをよくわかっている人にしか、
私の今の実力、現在地、を分かってもらえないのです。

たとえば、水泳で、既存の100mメドレー、とか、1500m自由形で、優勝したり大会に出たりして「私は上手です」と言う証拠を残せるか?
というと、残せないでしょう。そんなのしたいとも思っていませんしね。

その既存の「勝利の枠」に、体が浮くことを習得する、とか、2ビートクロールのキックとプルのタイミングを合わせる、とか、まったくマッチしていませんよね。

体力も、体格も、不利ですし、何より、自分が磨いているものが、

「水泳の原理原則の習得」という、

そもそも勝ち負けのフレームワークに合わないもの。

そもそも、「スキルの習得・洗練度」で戦っているわけです。

というので、これが私が「わたしこそ、まっとうな山をやっているのに、世間様からは、全然評価がされない」と感じる理由なんだなーと分かりました。

ま、他者評価されなくてもいいけど、だからと言って、「力がない人」と言う扱いを受けて、「そういう振る舞い」つまり、「私なんて大したものではないです」みたいな自己卑下した態度をさせられていいわけじゃない。

そういえば、ロボット開発部では尊敬を受けていました。理由は、「え?工学部出ていない?情報処理は持っているの?持っていない?なんで、それでこんなこともあんなことも分かっているの?」と私が開発部にいること自体が奇跡でした。それで、「逆にすごい」ってことになっていました。

「私だって○○できるもん」でやってきたことはないです。

私は、「スキル習得型」なんです。「パワー型」とか「承認欲求ドライブ型」ではなく。

なにがあると、頑張れるか?と言う動機が違うってことです。

私は、「スキル的に正しく登ろう」とか、「正しく泳ごう」とか、「正しく動こう」という動機で、上達できるタイプ。

登山も、読図をまじめにやって、雪の山も一からやって、セルフレスキューを学んで、と丁寧にステップを積み上げてきました。そうじゃなくて、「お買い得5.10a」「お買い得5.11a」「お買い得5.12」…とお買い得を積み上げて作っていくような要領の良いことをしたいとは、発想すら思わないわけですよね。

そんなずるを山でやったら、いつか山に足元救われると思っているくらいだから。

「○○さんに負けないように」とか「俺のパワーを見せつけたい」ではない。

そういう人向けに、コンペや競泳など、競争、グレードというものは、設計されているので、水を修業的にとらえて、水と親しもうとしている人に向かって、”競泳”を押し付けられたりすると、しらけちゃうんですよね。

ラクロールでは、馬場さんと山下さんが、はるばる鎌倉から駆けつけてくれました。

それは、同じような人が「同類だ!」と気が付いて、ココは支援してあげなくては!と思ってくれたからかもしれません。

そして、私だけに、クライミングの師匠が二人もできて、レジェンドクライマーの故・吉田さんと登ることになったのも、同じ理由かもしれませんね。

分かっていない普通のクライマーが私を勝手に格下扱いして、「奴隷ヤー」として利用し、才能をつぶされるから。

九州では分かっていない指導者につぶされそうになったと思う。
分かっていない人は下手をしたら相手を追い詰めて殺してしまう。

しかも、それは本人が屈している同調圧力による。突っ込むのがクライマーだ、彼女が突っ込めないのはクライマーとして未熟だからだ、だから突っ込むようにサポートしてやるのだ、と言って、運が悪ければ、その行為が相手を殺すことになるのだ。

盲目にツッコムのがクライマーだという観念は、相手が屈している同調圧力に過ぎない。添いう仲間に入りたい人が、その圧力に同調するのだ。


危ないところでした。分かっていない人とつるむより、単独は危険だというタブーを破ったとしても、一人でいる方がいいですね。