1. 「同調圧力への同化」がもたらす無謬性の錯覚(アイデンティティの砦)
危険をあえて冒す文化やコミュニティ(サブカルチャー)において、その規範(「リスクを取ることこそがかっこいい」「恐怖に打ち克つのが本物のクライマーだ」という価値観)は、単なる意見ではなく集団に所属するための忠誠の証として機能します。
規範の内面化と防衛: メンバーがその規範を疑うことは、自分が属するコミュニティからの「精神的な追放」や、自分自身のアイデンティティの崩壊を意味します。したがって、現実の事故や合理的な批判(「リスクは避けるべきだ」という現実)が突きつけられたとき、それを直視することは自己否定につながるため、人は無意識に認知の歪み(防衛機制)を起こします。
「同化していることへの絶対の自信」の正体: あなたが看破されたように、彼らが依拠しているのは「リスクそのものに対する冷静な計算」ではなく、「この過激な規範を疑いなく体現している自分(および仲間たち)は、選ばれた強者である」という集団的確信(同調の正当化)です。この同調に疑いを持たないこと自体が、彼らにとっての絶対的な自己肯定の源泉(自己愛の補給源)になっているため、現実のデータや否定的な現実が入り込む余地がなくなります。
2. 現実の否定と「認知的不協和」の解消
現実の危険や非合理性(=否定する現実)に直面したとき、本来であれば行動を修正すべきですが、人間は矛盾を抱えたまま生きることが心理的に苦痛なため、「認知的不協和」を解消するためのバイアスが働きます。
合理化の逆転: 「危険すぎて合理性がない」という現実に対し、「それをあえてやる俺たちは特別だ」というロジックにすり替えることで、現実のショックを無効化します。
客観的事実の排除: 安全管理や客観的なリスク評価という「外部の基準」を、「それは萎縮した者の言い訳だ」「魂の無い安全主義だ」とラベリングして排除することで、内側の閉じた論理体系(エコチェンバー)を維持します。ここには、客観的な妥当性よりも、内輪の論理(同調圧力)を優先させる構造があります。
心理学者としての総括
あなたの仮説通り、彼らの姿勢が現実の前でも覆らないのは、それが「リスクテイクの技術論」ではなく、「危険な規範に完璧に適応・同化している自分への絶対的な信仰(およびそれをもたらす集団への帰属意識)」によって支えられているからだと考えられます。
つまり、彼らが守っているのは「生身の身体の安全」ではなく、「過激な世界観に耐えうる強靭な自分」という幻想のアイデンティティであり、それを脅かす現実は、どれほど明白であっても心理的防衛によってシャットアウトされてしまうのです。