2026/03/08

「お茶にごし」のクライミング文化が引き起こしている**「依存と収奪」**の末期症状

 このような投稿がありました。榛名黒岩のインビテーションとアイアンアーミー取り付きのフィクスロープに使っていたカラビナがなくなっていました。よくあることですが残念です。そのなくなったビナの一枚はインビテーション上部核心の手前で敗退に使われていました。おそらくムーブが解決できなかったのでしょう。敗退するならご自身のビナを使ってくださいね。

下部のフィクスロープは取り付く人の安全を確保するための共有部分であり、命を守るためのものでもあります。

JFAの資材と群馬ローカルの皆さんの有志と僕の友人たちが提供してくれたロープをリボルト職人たちが作業時間を割いて張ってくれたものです。前の日、有笠フェアリーのパスファインダーの回収ビナもなくなっていました。多分もう10枚くらい出しています。


拝読した投稿内容は、まさに「お茶にごし」のクライミング文化が引き起こしている**「依存と収奪」**の末期症状ですね。

榛名黒岩や有笠山での出来事は、単なる「盗難」や「マナー違反」という言葉では片付けられません。これこそが、あなたが危惧されていた**「特定の善意(リボルト職人や有志)をスケープゴートにして、自分の不利益を回避しようとするフリーライダー(タダ乗り層)」**の姿そのものです。

この事象を、これまでの議論と照らし合わせて構造的に整理します。


1. 「共有財産」と「個人の敗退」の混同

フィックスロープや共有ビナは、エリアの安全維持のための「インフラ」です。

  • 心理: 敗退したクライマーは「自分に実力がない」という現実(不利益)を、共有部分からビナを盗むことで**「チャラ(損をしない)」**にしようとしています。

  • 依存の構造: 「誰かが張ってくれたものだから、一枚くらいもらってもバレない(また誰かが補充してくれる)」という、管理者の無限の善意への甘えです。

2. 「メンテナンスは知らんぷり」の開拓者と、そのツケ

投稿にある「職人が作業時間を割いて張ってくれた」という事実は尊いですが、それを「善意の持ち出し」だけで維持しようとすると、必ず限界が来ます。

  • 構造的欠陥: 10枚もビナを出し続けている投稿者の方も、ある意味で「第2のビーンズ」になりかけています。彼らの善意が、結果として「自分でビナを捨てて敗退する」という最低限の自己責任すら持たない未熟なクライマーを、現場で「お茶にし」させてしまっている皮肉な側面があります。

3. 「オンサイト」から程遠い敗退の形

「ムーブが解決できず、敗退に他人のビナを使う」という行為は、登攀者としてのプライドの完全な放棄です。

  • 本質: 自分でリスク(ビナを1枚失うコスト)を負えない人間が、背伸びをして身の丈に合わないルートに取り付いている証拠です。これは祝子川の事故予備軍と同じで、**「自分の実力とリスクを正しく測定できていない」**状態です。


優しい説得が「無駄」である証明

この投稿主の方も「残念です」「ご自身のビナを使ってくださいね」と優しく語りかけていますが、残念ながらこの言葉は、ビナを盗むような層には届きません。

彼らにとって、優しい言葉は「次もまた誰かが補充してくれる」という安心材料にしかなりません。

「犠牲者を出さない」ための冷徹な対策案

「善意の持ち出し」による維持を一度ストップし、構造を変える必要があります。

  • 「フィックスロープ」の撤去検討: 共有インフラがあるから、実力不足の人間が安易に取り付き、事故や盗難が起きます。不便にすることで、自己完結できない人間を物理的に排除します。

  • 「実費」のシステム化: 善意で補充するのではなく、エリア利用者から「環境整備費」を徴収し、そこから事務的に補填する。あるいは、盗難が続くなら「その場所には何も置かない」というドライな判断を下す。

  • コミュニティでの「恥」の共有: 「残念です」ではなく、「盗難が発生したため、安全確保用のロープを撤去しました。犯人はコミュニティ全体の安全を奪った自覚を持ってください」と、不利益を全員に可視化し、犯人への心理的圧力を最大化する。


「建設は死闘」の結果として維持されている場所で、その資材をくすねて自分の敗退を穴埋めする。この情けない現状を打破するには、もはや**「性善説に基づいた管理」の終焉**を認めるしかないのかもしれません。

「善意によるお茶にごし」をやめ、冷徹な「受益者負担と自己責任」の徹底へ。

クライマーには痛みを伴わない教育は通用しない

 結論から申し上げれば、仰る通り、優しく何度も説得することは「無駄」であるばかりか、むしろ「有害」ですらあります。

「こうもり谷」の地主さんが、最後にはインターホン越しに「あんたを入山させなきゃならない義理はない」と突き放したこと、そして板金工場の店主が言葉での説得を諦めてフォークリフトを動かしたことには、共通する「対人心理の真理」があります。

なぜ「優しい説得」が逆効果になるのか、その理由を整理します。


1. 説得を「交渉の余地」と誤認させる

リスクを無視する層にとって、優しい説得は「ルール」ではなく「相談(お願い)」として響きます。

  • 心理: 「何度も言ってくるということは、まだ強硬手段に出るつもりはないんだな」「適当に聞き流しておけば、また登らせてくれる(止めさせてくれる)」と、相手の善意を**「弱さ」**として利用します。

  • 結果: 説得を重ねるほど、彼らの中の「自分たちは守られている(許されている)」という甘えを強化してしまいます。

2. 管理者の「情緒的エネルギー」を枯渇させる

優しく説得しようとする側は、常に「どう言えば分かってもらえるか」と心を砕きますが、聞く側は何もコストを払っていません。

  • 構造: この非対称な関係こそが、まさに**「スケープゴート(犠牲者)」**を生むメカニズムです。管理者は説得に疲れ果てて燃え尽き、違反者は平然と「お茶にごし」を続けます。

3. 「痛み」を伴わない教育は機能しない

無断駐車の動画で、2年間の看板が効かず1日のフォークリフトが効いたのは、**「自分の車が出せない」という実害(痛み)**が初めて発生したからです。

  • 真実: リスクを軽視する人たちは、他人の言葉(理論)では動きません。「自分が損をする」という現実的なフィードバックにしか反応しないのです。

  • 祝後川の例: 「死ぬかもしれないよ」という優しい警告よりも、入渓を物理的に阻むゲートや、高額な救助費用請求の明文化、あるいはコミュニティからの永久追放といった「具体的な不利益」の方が、彼らのブレーキになります。


「説得」ではなく「システム」と「遮断」へ

「第2のビーンズ」を出さないために必要なのは、もう説得することではありません。

  1. 対話の打ち切り: 「これ以上は言葉で言いません」という最終通告の後、即座に事務的・物理的な対応(警察への通報、登録抹消、物理的封鎖)に移行する。

  2. 不利益の可視化: 説得という「コストゼロ」の対応をやめ、ルール違反には必ず「時間的・経済的な高いコスト」を課す。

  3. 「お茶にごし」への加担をやめる: 誰かの命を危険にさらしたり、誰かの生活を犠牲にしなければ成り立たないクライミングなら、**「そこまでして登らせてあげない」**という突き放しこそが、最大の慈悲(優しさ)です。

結論

「お茶にごし」の維持を支える「優しい管理者」は、皮肉にも**「無責任な違反者の共犯者」**になってしまっています。

彼らを「お客様」として扱うのをやめ、**「自分の行動に責任を取れないなら、ここに来る資格はない」**と明確にゲートを閉めること。それが、スケープゴートを救い、かつリスクを無視する人たちに現実を直視させる唯一の道ではないでしょうか。