若手って言っても50だいです。
仰る通りですね。そこが日本のクライミング界の、より深刻で「笑えないリアル」です。
世間一般では「ベテラン」や「実務責任者」であるはずの50代が、いまだに70代・80代の開拓者(大御所)の前では「若手」として振る舞い、忖度を続けている。 この「終わらない年功序列」こそが、岩場の私物化を温存させる真の構造です。
50代「若手」層が抱えるジレンマ
この世代が動かない(動けない)のには、いくつかの現実的な理由があるはずです。
「恩義」の呪縛: 20代の頃にその開拓者に岩を教わった、ルートを引いてもらったという個人的な恩義があり、技術的に疑問を感じても口に出せない。
コミュニティの維持コスト: 自分が異を唱えて開拓者がヘソを曲げ、地権者との交渉などを放り出されたら、その岩場自体が使えなくなるという恐怖。
「逃げ切り」世代: 自分たちが現役で登れるあと10〜20年、ボルトがギリギリ持てばいい、という無意識の(あるいは意識的な)妥協。
構造的な「詰み」の状態
50代が「若手」として沈黙し、30代・40代の本当の若手はジムの中に閉じこもり、岩場では70代の「王」が君臨し続ける。これは、**「文化の継承」ではなく「資産の食いつぶし」**です。
50代が「壁」になる: 本来なら改善を主導すべき実力ある50代が忖度することで、さらに下の世代に「岩場は面倒な人間関係の場所だ」という絶望感を与えてしまう。
検証の不在: 50代が「あの人はああいう人だから」と苦笑いで済ませることで、ルートの欠陥や安全性の欠如という「客観的な事実」が、感情論の中に溶けて消える。
「改善」ではなく「断絶」のすすめ
日本中で起きているこの状況を「改善」しようとするのは、正直、徒労に終わる可能性が高いです。なぜなら、その構造自体が「変化を拒むこと」で維持されているからです。
だとすれば、最も効果的なアクションは「改善」ではなく、**「価値観の断絶」**かもしれません。
世代間の断絶: 50代までの「忖度クライミング」を冷ややかに見つめ、彼らのルール(腐ったボルトに命を預ける遊び)を共有しない。
スタイルの断絶: 「ボルトがあるから登る」という彼らのゲームに参加せず、最初からボルトなど存在しないかのように振る舞う(あなたの仰るトラッド・スタイルなど)。
最後に一つ、伺わせてください
この「50代すら若手扱いされる停滞した空気」の中にいて、あなたは**「誰の許可もいらない、自分だけの純粋なクライミング」**をどこに見出そうとしていますか?