皆様、明けましておめでとうございます。
去年はぎりぎりで、クライミングにおけるリスクをあらかじめすべて洗い出すという課題を達成しました。いやー長かったなぁ。
リスクをすべて把握したいというタイプ1の完璧主義による執着心が出ましたね。
「泳ぎたくない魚を泳がせることはできない」 「指導者がすべきことは、害になることをしないこと」
これは私の主観ですが、誰がより優れた指導者化競争があるんですよね。九州では。
九州人って独特に隣の県と競い合っており競争の概念なので、助け合いにならない。私は、どの県に見いだされた才能であっても、多久高校の樋口先生のもとに送り届けるのが、現在の九州では最も良い道だと思いますよ。選手だったら。
熊本から多久高校って全然、週末にクライミングウォールが良いってできますし。
成人の一般クライマーだって、山梨ではこの時期、毎週、城ケ崎通いで、運転4時間ですよ、片道。
まぁたまに多久高校に行って、その子がクライミングで上達するのに何が必要か、樋口先生だったら的確にアドバイスできると思いますけど。
アルパインに進むにせよ、フリークライミングに進むにせよ、基礎になるのは、二子山で5.13RPできる力なので、それ以前の人はまぁみんな人工壁で頑張っていればよく、外の岩場は、大人としてのメタ認知力がきちんとついてから行くのがいいんではないでしょうか?
とくに男の子は。
子どもの間に自然はいいな、と感じる意味でのクライミング体験とは全然意味合いが違いますよね。
私の個人的見解ですが、松井さんは、指導者としてしてはいけない愚かな励ましばかりをしており、まったくポイントがずれていました。
私の師匠の鈴木清高さんや、青木さんは、絶対にそう言わないだろうと思う内容…「祝子川に誘われた?え?1対1?ボルトが整備されたすポートルートみたいなところだから行ってきたら?」って清高さんが言うかと想像すると、絶対言わない。逆に辞めるように言うと思います。
「樋口先生のところでビレイ講習がある?俺、こないだオリンピックで習ったからもういい」と青木さんが言いそうかというと言わないと思う。行けなかったら、「行ってきて感想を俺にも教えて」というと思う。なんせ青ちゃんは私費でビレイテスト場を鉄パイプで作ったくらいビレイ研究に熱心だったのだ。大阪には皆で作ったビレイテスト場があったそうですよ。
罠: 自分でルートを開拓したり、リスクを背負って経験を積む苦労をせず、他人の築いた「ふんどし(ルートやノウハウ)」を使って、自分の会員に「経験」をさせようとする。
真理: 指導者自らが研究者であり続ける。ビレイ一つとっても、青木さんのように自費でテスト場を作るほどの探究心を持ち、「教える立場」になっても学び続ける姿勢を背中で見せる。
私の私見ですが、おそらく、皆、指導者として素晴らしいという評価が欲しいのではないかと思うのですが…「うちの会員にもアイスクライミングなど多様な経験を体験させたい」って言っていましたが、それを私に言うってことは、私のふんどしで体験させたいって意味ですよね。
なので、え?って思いました。托卵の鳥カッコーから、卵を託された鳥の役目で、会の若い人の小川山デビューは手伝いましたから、その子が私に連れて行ってもらった課題を覚えて、会にフィードバックすれば、もう、その会は誰でも小川山デビューできる。初心者向けのところを見繕っていきましたから。
たぶん、私が成長できたのは、指導してくれた方のおかげですという言葉で、一般の人たちが連想するのは、どこにいくか?どういくか?もすべてお膳立てしてもらって、ただついて回るだけで登れたんだろうなぁと羨ましがっているのではないかと思うのですが…。
そもそも山岳総合センターのリーダー講習に参加するのだって、自分の力で雪の山に20~30は行っていないと、そもそも参加資格自体がないです。山経験でスクリーニングされて受講も参加できないです。
師匠らとのことも同じで、すでに岩場に行っていたから師匠ができて、師匠ができたから岩場に行くのではない。すでにアイスに登っていたからアイスクライミングのベテランと登り始めたのであって、ベテランがいるからアイスに登ろうってわけではない。すべてが逆です。
いくら指導者が優れた指導をしても、泳ぎたくない魚を泳がせることはできないです。
指導者がすべきことは、害になることをしないこと。なんでもかんでも励ませばいいってバカのいっちょ覚えって奴です。
罠: 自分の県から、自分のジムからスターを出したいという「指導者同士の陣取り合戦」。真理: 才能を見いだしたら、自分より優れた環境や指導者のもとへ(例えば多久高校へ)迷わず送り出す。「誰が育てたか」ではなく「その子がどう育つのが最善か」を最優先する。
無謀な登山計画には、それは無謀だよ、とちゃんということが一番大事な指導です。
長野のアルパインの会CMCなんて毎週、つのつき合って、登山計画に抜けはないか先輩が考えてくれるそうでしたよ。そうしないと、男性クライマーは、3級しか登れないのに2段をノーマットで登ろうとするんですよ。もう典型的な事例ですね。
罠: 実力に見合わない挑戦に対し、「頑張れ」「君ならできる」と無責任に背中を押す。これは励ましではなく、事故への加担。
真理: 無謀な計画には「それは無謀だ」とはっきり告げる。「登れたか・登れなかったか」のオンオフ評価ではなく、その過程のミスやリスクを指摘できるのが、本当の意味で選手を守る指導。
このようなクライマーには、以前にも何人も会いましたし、アラーキーも白亜スラブを選んだという事実を見ると同じで自分の実力を過大に評価していました。
それは、登れたか?登れなかったか?オンオフで評価するからです。
そんな評価法をしていれば、登れていないミス満載の山でも、登れたという自己評価になります。
そして、現代クライミングは、グレード一点豪華主義が闊歩している。そんな風潮からクライマーを守るのが指導者の役目であり、逆に後押ししてどうするんです???
愚かしい。
その原因は、指導者がアイツを育ててのは俺だと言いたいから。
クライミング教育虐待と虐待と全く気が付いていない指導者だから。
40年前のボルトに落ちろ落ちろって、それ、虐待ですよ。
虐待的クライミング・・・一言で言えば、九州で起きているクライミングの実態はこれです。
適応はできませんでした。できるわけないでしょ。