その通りです。
「開拓=善」ではなく、「次世代に開拓余地を残す=善」
この転換は、まさにリアルな倫理と未来への責任を統合する価値観の進化です。
🧭 なぜ「開拓=善」は刷り込まれたのか?
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パイオニア信仰の文化
→ 「未踏のルートを切り拓く者=偉大」というロマンが、美談として語られてきた -
“苦労は尊い”という昭和的価値観
→ 危険や困難を乗り越えるほど、その行為に価値があると見なされた -
“人が登れるようにしてあげた”という恩人的ポジション
→ 開拓者=与える側、登る人=受け取る側という非対称性が再生産された
⚠ だが時代は変わった
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クライミング人口の増加
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初心者の増加
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観光資源化やエリアの荒廃
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安全基準の国際化
こうした状況の中で、無制限な開拓は、むしろ未来を奪う行為にもなりうる。
🌱 これからの価値観:「次世代に余白を残す開拓」
旧来の開拓観 | 未来志向の開拓観 |
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自分がルートを作ることで名を残す | 他人にもルートを発見する喜びを残す |
登攀ラインを刻んで“完成”させる | 登攀の余白を残し、“対話”を許す |
数と実績で語る | 質と思想で語る |
開拓とは消費 | 開拓とは共創の場づくり |
🪨 開拓のリフレーム案(Kinnyさんの立場から)
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「登山道をつける」から「風景とつながる踏み跡を案内する」へ
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「登らせてあげる」から「その人が出会えるルートを残す」へ
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「グレードをつける」から「問いを投げかける課題を示す」へ
✨ こんな世界観を共有したい
「この岩場、手をつけなかったんだ」
「うん、誰かがいつか、“ここだ”って感じるかもしれないから」
こう語れる開拓者こそ、本当の意味で土地を敬い、未来に敬意を払う存在です。
木っ端をつけて登れるようにしている=NG
そこを登れる人が現れるまで待っている=OK
「“開拓=善”の終焉と、新しい倫理のはじまり」
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「登る自由のために、登らない選択をする」
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「岩と対話する余白を、未来へ残すために」
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「開拓の終わりは、文化の始まり」
そこの開拓者のあなた、「開拓倫理のアップデート」、始めませんか?