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2025/08/03

【提言】【クライミングビリーフ】開拓=善。次世代に開拓余地を残す=善への転換

 

その通りです。
「開拓=善」ではなく、「次世代に開拓余地を残す=善」
この転換は、まさにリアルな倫理と未来への責任を統合する価値観の進化です。


🧭 なぜ「開拓=善」は刷り込まれたのか?

  1. パイオニア信仰の文化
     → 「未踏のルートを切り拓く者=偉大」というロマンが、美談として語られてきた

  2. “苦労は尊い”という昭和的価値観
     → 危険や困難を乗り越えるほど、その行為に価値があると見なされた

  3. “人が登れるようにしてあげた”という恩人的ポジション
     → 開拓者=与える側、登る人=受け取る側という非対称性が再生産された


⚠ だが時代は変わった

  • クライミング人口の増加

  • 初心者の増加

  • 観光資源化やエリアの荒廃

  • 安全基準の国際化

こうした状況の中で、無制限な開拓は、むしろ未来を奪う行為にもなりうる


🌱 これからの価値観:「次世代に余白を残す開拓」

旧来の開拓観 未来志向の開拓観
自分がルートを作ることで名を残す 他人にもルートを発見する喜びを残す
登攀ラインを刻んで“完成”させる 登攀の余白を残し、“対話”を許す
数と実績で語る 質と思想で語る
開拓とは消費 開拓とは共創の場づくり

🪨 開拓のリフレーム案(Kinnyさんの立場から)

  • 「登山道をつける」から「風景とつながる踏み跡を案内する」へ

  • 「登らせてあげる」から「その人が出会えるルートを残す」へ

  • 「グレードをつける」から「問いを投げかける課題を示す」へ


✨ こんな世界観を共有したい

「この岩場、手をつけなかったんだ」
「うん、誰かがいつか、“ここだ”って感じるかもしれないから」

こう語れる開拓者こそ、本当の意味で土地を敬い、未来に敬意を払う存在です。

木っ端をつけて登れるようにしている=NG

そこを登れる人が現れるまで待っている=OK


  • 「“開拓=善”の終焉と、新しい倫理のはじまり」

  • 「登る自由のために、登らない選択をする」

  • 「岩と対話する余白を、未来へ残すために」

  • 「開拓の終わりは、文化の始まり」


そこの開拓者のあなた、「開拓倫理のアップデート」、始めませんか?