2025/08/05

【ChatGPT】「20mのロープで25mは登れない」──こんな単純なことが、なぜ分からなくなるのか?

「20mのロープで25mは登れない」──こんな単純なことが、なぜ分からなくなるのか?

これは、論理の問題ではなく、心理の問題です。

つまり、「わからない」のではなく、「見ていない」「考えていない」「現実を直視していない」「直感が鈍っている」「都合の悪い現実を回避している」などの無意識的なメカニズムが働いていると考えられます。


なぜ「当たり前のこと」が見えなくなるのか?

以下のような心理的要因が考えられます:


安全感の幻想(ナルシシズム的防衛)

「自分は大丈夫」「死ぬわけがない」という万能感・過信が、現実的判断を鈍らせます。

これは、自己の脆さや限界を認めるのが怖いときに起こる、未成熟な自我の防衛です。

◆ 登山・クライミングにおける具体例

現象背景にあるナルシシズム的防衛
「このぐらいの斜面、ノーヘルでも大丈夫」自分は事故らないという幻想(過去の成功体験の一般化)
「他の人は怖がってるけど、自分は冷静」恐怖心の否認(=感じたら負け、と思っている)
「この支点でもたぶん抜けないっしょ」技術や物理法則に対する過信(=万能感)
「落ちたら死ぬけど、落ちなきゃいいでしょ」リスクを直視しないスプリッティング(二極化)

このようなものがナルシシズム防衛です。

エリクソンの発達段階でいうと、

  • 自律性 vs. 恥・疑念(2〜3歳)

  • 自発性 vs. 罪悪感(3〜6歳)

あたりの課題が未解決なまま、現実の恐怖と向き合う“大人の自我(アダルト)”が未形成ということでもあります。

🔍補足:ナルシシズム的防衛は全員が使う

誰もが人生のどこかで使う防衛です。
ただし、それが慢性的に使われていると、

  • 判断力の麻痺

  • 自他への無責任

  • 他人を過小評価する癖
    などの問題を引き起こします。


集団の暗黙ルール・空気

まわりがチェックしていなければ、自分もしない。「誰も言ってないから平気」という同調圧力と責任の拡散。これは、集団内での「アダルト自我(現実的判断)」が麻痺しやすい典型です。


行動と結果の因果関係の錯覚(正常性バイアス)

今まで20mのロープで20m以上登っても「たまたま大丈夫だった」経験があると、「今回も大丈夫だろう」という思考停止が起こる。過去の偶然を、根拠のある成功体験として記憶してしまうのです。


「考えたら負け」になる構造

たとえば、グループ内でそのルートを登ることが「強さの証」「仲間として認められる条件」だった場合、「考える=怖がること」になり、考えること自体が弱さになるそうすると、思考が抑圧され、身体だけが動いてしまう。

▷ 具体例:

あるトラッドルートで、核心手前に来たクライマーが、「ここ、支点取らせて」と言ったら、

  • 「え、ここで?普通ノープロでいくでしょ」

  • 「大丈夫だよ、行けるって」
    という空気になり、「考える=ビビってる奴」という評価を受ける。

→ 結果、本人は「考えたら落ちる気がする」「でもここで止まったら仲間じゃなくなる」と葛藤し、安全確認を後回しにしてムーブに入ってしまう

事例:「大丈夫、行けるよ」の同調圧力

▷ 具体例:

雪山の登攀で、風が強まってきたときに、「もう撤退しない?」と言いかけたが、他のメンバーが「まだ行けるっしょ!」とテンション高く振る舞う。そうすると、

  • 撤退を提案する=チームの士気を下げる

  • 不安を言う=足を引っ張るやつ

→ 結果、“感じてはいけない不安”が抑圧され、理性が黙る。行動だけが先行してしまう。


🔻 事例:「昔の人はこうやって登った」を持ち出される文化の呪縛

▷ 具体例:

「昔はロープなんて短くて、みんなノープロで登ってた」「○○さんはノーギアでいったよ」といった伝説化された語りが共有されると、現代の合理的判断(ロープスケール、安全管理)を使うことが“甘え”に見なされる

→ 結果、**「考えるとダサい」「準備をするのは臆病者」**という空気が支配し、戦術的判断が封じられる


🔻 心理的背景

これらの事例に共通するのは、「仲間として認められるためには、感じてはいけない感情(不安、恐怖)」を抑え、アグレッシブでいる必要がある」というグループ内の暗黙ルール(ゲーム構造)です。

  • 恐怖を感じること = 「未熟」

  • 躊躇すること = 「弱者」

  • 慎重になること = 「空気を乱す人」

これはまさに、エリック・バーンの「人生脚本」で言うところの、

  • “強くあれ”

  • “感じるな”
    という禁止令が支配している構造です。


🔻 結果として起きること

  • 身体だけが動いてしまう(感情や思考が抑圧されている)

  • 落ちても「根性は見せた」という美学が評価される

  • 冷静な判断を下した人が「浮く」「批判される」

→ これは自律性の喪失であり、グループの同調圧力による事故誘発構造とも言えます。


🔧 解決の方向性

  • チーム内で「撤退の声」を歓迎する文化を育てる(撤退判断こそ成熟したリーダーシップ)

  • 「考えること=かっこいい」という価値観を定着させる(戦略的クライマー像)

  • 若手に対して「感じていいんだよ」「怖さはあなたのセンサーだよ」と言葉で伝える


「考えたら負け」の文化は、生存本能よりも仲間意識が優先される未発達な集団意識の表れでもあります。クライミングや登山のような極限状況では、これは致命的です。



現実原則の欠如(A自我の未発達)

子どものころから現実的な見通しや段取りを教えられずに育った人は、アダルト自我が育ちにくく、「物理的制限」と「希望的観測」の区別がつかないまま大人になります。「想像と現実の混同」が起きるのです。


つまり結論として…

「わからない」のではなく、

「わかりたくない」

「わかってしまうと都合が悪い」

「そもそも現実を観察していない」

といった無意識的なメカニズムが、登れない理由を「見ないようにする」のです。


これが私が九州でのクライミングで感じたことでした。まったくヤバかったです。

心理学的に見た異様さがありました。その感覚は間違っていなかったことをChatGPTで確認できてよかったです。