2025/08/12

私の熊本体験@クライミング及びお受験

今日は、沈鬱な日になりそうだ。

帰宅したら、たまった郵便物の中に、とっくの昔に時効が発令しているものと思われる親の借金の督促状があった。とすると、母が亡くなったのかもしれない。

実は、かなり強い思慕の念と「高齢になって、娘にも会えない母の哀れさ」をしばらく前に、強く感じた。絵本に使う色使いに、それが現れていた。ピンクとオレンジ。母の胎内にいたころの色。太陽に手をすかしてみたときに感じるなつかしさの色。

私は、シングルマザーの3人兄弟長女で、ACE環境から、アダルトチルドレンになり、大変な幼少期を過ごしました。

https://note.com/kinny2021/n/n1498633a2823

何とも言えない悲しみが襲ってくる。それに反応したかのように、雨が降ってきた。

■熊本の県体壁に行ったこと

実は、数年前、あそ望の松井さんから、クライミングで、熊本市役所周辺にある人工壁に誘われることがあり、かなり行くのが嫌だった。

熊本。私たち親子を虐待し、貧困に陥らせ、それを自己責任だと断罪した町。

こちらに古いブログ記事がある。

https://blog.goo.ne.jp/osakahensyu05/e/6b815b868599a62d48d952df576ef882

ここに書かれているのは、「地域的価値観による社会化の圧力」と、それに適応できない個人のアイデンティティの葛藤 という構造だ。

特に熊本的価値観として描かれている「学業成績=人間価値」という単一の評価軸

それは、発達心理学の観点では成人発達課題を阻害するモノカルチャー的環境といえる。

そして、九州のクライミング文化や人工壁で感じたのは、これだった。

強ければ何でもいいというモノカルチャー。

それは伝統的に、”山は総合力”と言われる、総合力を重視する価値観の真逆だ。

そして、それは、成人の人としての発達課題を阻害するものなんですぞ?

■人として成長するためのクライミング文化とは?

単純に言えば、人生、競争だけじゃないよね、って価値観を身に着けることです。

お受験とクライミング、ジャンルがまったく違っても 

「外的基準に同一化してしまう構造」

が共通しており、発達段階としては全く同じところに留められてしまうのが分かるでしょうか?

それを、ほら!と指導する側がこれが正解だよ!とあまりにも無邪気に受け入れすぎている現実がありました。

それは、母が、進学校=良い、と無条件に同化していたのと同じでした。

■人工壁で習得するべきこと

人工壁で習得するべきは、第一に基本的なビレイ操作なんです。

そして、次は、人工壁で、リードフォローをやるんです。何回も。スピーディに無意識でできるまで。

そうやってマルチピッチを覚えるんですよ。終了点から、懸垂下降して。

そうすれば、懸垂下降するためには、ロープ長が2倍以上必要なことが体に叩き込まれます。

末端のノットを結ばないといけないわけですから、15mの壁で30mのロープでは短いです。そういうことを人工壁で学習するために人工壁はあるんですよ。

基本的なレスキューも同じです。トップが2ピン目くらいで落ちた仮定にしてぶら下がり、ビレイヤーが自己脱出できるか?そういうことをするために、人工壁はあります。

アルパインクライマーの出身の師匠は、これを公園でやりました。私は、この師匠に教わる前から、独学でやっていたので、とくに難しいことはありませんでした。山岳総合センターでは、七倉沢で基本的なレスキュー想定のロープワークを教えています。また、生活技術も沢泊で教えています。それ以前に自分で主催して、ガイドを招き、講習会をしています。

なぜ、総合力が大事か?というと??

テント泊しながら、クライミングしていたとしましょう。そのとき、いくらクライミングムーブがすごくても、ガスストーブを転がして、テントを焼失してしまうような人だと、あっという間にその山行は終わりです。

もっと基本的なものでもいいです、クライミングムーブが5.13でも、懸垂下降で左右のロープ長がバラバラで、末端も結んでなかったら?さよーならーです。

人工壁では、たがいに落ちて、ビレイでキャッチされる感覚をつかみます。

だれですか?「キャッチなんて言葉聞いたことがない」って言った人は…、落ちた人を受け止めることを他になんと表現してもいいですが、落ちた人を安全に受け止めた経験数がビレイ経験数なんですよ?

ただロープの端っこを持っているだけで先輩は落ちないから…っていうのは、経験の数に入らないんです。

そういう大事なことが二の次にされ、ムーブだけが大事で、登れるグレードだけがクライマーのアイデンティティってことになっていたのが九州での目撃事件でした。

隣県との対抗意識が大局を見あやまらせる

これは、九州独特の体質もありそうです。九州で、隣り合っている件同士で対抗意識を燃やしており、これは、商社時代にも驚かされました。宮崎は大分と張り合い、熊本は福岡に対抗意識を燃やし、って具合で、団結より、張り合っているんですよね…。とほほ。

張り合うには何らかの基準が必要で、それがグレードなのでした。

みんなが、そんなつまらないゲームをやっていたとは、全く気が付きませんでした。

■つまらないゲーム

結局、なんというつまらないゲームに陥っているんだろう…というのが、私の九州での見聞の感想でした。

それは、15歳で熊本高校に入学したときの感想と同じでした。

私の体験は単なる「嫌な思い出」ではなく、

  • 地方の教育文化が、いかに成人発達課題を遅らせるか

  • 単一価値観が多様性を抑え、個性を潰す構造の生きた事例です。


山もクライミングも、技術も人間関係も、

「何を本当に大事にするか」を見極めないと、結局は空虚な競争になってしまう…という事例でした。

それに気が付かず、成績がゲームの真骨頂だ、グレードがゲームの真骨頂だ、とやっている愚かさ。それがまたしても。

「成績がすべて」「グレードこそ至高」という価値観に固執すると、クライミングの本質からどんどんズレていき、技術も心も空洞化してしまう。

しかも、そういう価値観を盲目的に追いかけているのが、また熊本…というのが辛辣です。

もちろん、熊本に限らず、ほかの地域やコミュニティの中にも、そうした競争文化は、あるのでしょう。巡り巡って、それは、個人の成長だけでなく、みんなの安全や楽しみも損なってしまう。究極の形はグランドフォール、いまだにカットアンカーの開拓、そして、祝子川遭難。

結局は「本当に大事にするものを見極める力」がない。

その場の勝ち負けや数字の比較だけに振り回されて、何の意味もない“つまらないゲーム”の中で右往左往し疲弊してしまう。

それに対する批判的精神がないこと=戦後の洗脳。

これは、アメリカの占領政策で、『自ら考える力を奪う』ことを主眼に行われた戦後教育の勝利を物語る経験でした。

教える側自信が全くその自覚なく、無邪気にモノカルチャー的価値観を信じて、指導に当たっていることがです。

目を覚ましてほしい。同郷の人間として、本当にそう思います。

大阪では、同郷人として、山本一身先生に会いました。おなじ熊本出身でも、その後そこから出て、世間を見聞きして歩き回った結果、価値観の多様性に気が付く人もいる、という貴重な経験になった。

熊本は、もしかすると、歴史的に、福岡への劣等コンプレックス、東京への劣等コンプレックスが根強い地域なのかもしれません。目先のコンプレックスにとらわれるせいで、こんな残念なことになっているのかもしれませんが、山の総合力を養う、健全なクライミング教育・登山教育に目覚めてほしいと思います。

■社会の構造的問題を個人が努力で乗り越えてきた歴史

私が九州でヤレヤレ感を感じえない理由…それは、社会が母子家庭に十分な支援を与えないという社会構造のゆがみを、個人の能力でなんとかした、18歳の決断を思い出させるからです。

15歳の私の決断通り高専に進んでいればよかったのに。ではなく、大学に進んだせいで、その後長い間、自分の希望をかなえることに、てこずりました。

その後38歳まで育英奨学金の返済にかかり、本来アメリカに残りたいと思った個人的願望をかなえる機会は、この育英奨学金の返済のために断念せざるを得ませんでした…。

15歳のあの時、まさに、偏差値で、熊本高校に進んでしまったがために…。長い長い時間をかけて、その失敗の後始末をしたのです。

母は無邪気に、娘がトップスクールに入学したことを喜んでいましたが、そこにも精神的幼さがありました。まだ39歳でしたからね。母は。仕方がなかったのかもしれません。

■制度的排除

進学校はそんな無邪気な世界ではありません。

塾に通わないことでスタート時点から差をつけられた構造は、制度的排除(structural exclusion)に近いですし、現代の日本の外岩で、5.9のボルト間隔が遠く設定されているのも、制度的・構造的排除です。(例:日向神)

この状況で耐えた高校3年間は、回避も反抗もできない中でのサバイバルでした

なので、本当に大阪外国語大学に進学したことは感謝していました。夜学でなければ、どこにいくこともできなかっただろうからです。ちなみにほかに横浜国立大学も検討していました。

同じことで、甲府でのクライミングライフ、富士山のおひざ元での御坂山岳会でのクライミングライフには本当に感謝しています。また蒼氷の先輩が一年のクラック修行に付き合ってくれたことにも大変感謝しています。

南アルプスの山小屋で、甲府から来たというと、歓待してくださりました。山の話をするのです。そういって山の考え方、山やとしての在り方、どうしたら安全に山に登れるのか?ということは、足で稼いできた。そういう自己成長の世界の中で、山やとして育ちました。

ロープのでる山をスタートする前には、自ら進んで、天野和明さんの読図山行に参加し、今だったらどんなロープを買えばいいのかを相談して(事前の本で独学もしていた)、遠路はるばるカラファテに行き、そこで、中根穂高さんから買いましたし、ロープ登高用のギアもロープ購入時に同時購入しました。買った時に、この購入が必要なことが分かる程度の知識はすでに本で独学でつけてから行きました。

こうした私の個人的な努力は、全部ディスカウントされ、私が感謝ばかりを述べるので、ただただラッキーで、登っている人なんだろうと、周囲の人は思ったのかもしれません。実際に九州ではそのような事例があったようだったので。

現代では、クライミングに関する本は多く出ており、文登研の資料も豊富。

そんな恵まれた環境ですので、自ら学ぶことは難しくありません。

しかし、私が誰から何を言われる前に、山を安全に登るには知識が必要だ、クライミングを安全に行うには知識が必要だ、と理解したのは、ごく普通の知覚だと思います。

それなしで山、ルートに、クライミング課題に登れるという誤解がどうやって生まれるのか?私にはわかりません。

山梨でも、5.11が登れるからバットレス四尾根だったり、赤岳単体にも登れないのに、
阿弥陀北稜に行って凍傷3名という事例もありました。

全部心理的なもの。

インドアから、外岩、外岩でもマルチへのステップアップは重要な大きなステップです。ゆめゆめ、軽く扱わず、丁寧に10時間くらいは予習してください。

参考計画の立て方もちゃんと、一度は指導を受けたほうがいいと思います。